鉄とヲトメ

「ただいま」
 と声がした。タイラントは一瞬顔を上げかけたが、すぐに手元のPC上に流れるニュースに目を落とす。
「おかえり」
 と答えたのはラッシュだった。やがてアズールの姿が廊下をよぎり、地下の武器庫へと消える。それから間もなく居間に現れると、ラッシュの腕の中から黒いシャトを取って、向かいのソファに腰掛けた。ラッシュの腕には黒いシャトが一匹だけ残った。
「俺のまで勝手に出すなって言っただろ」
「ブラッシングは必要だろう?」
 外見が子猫だからラッシュはブラッシングなどというが、要するにメンテナンスだ。マグには自己メンテナンス能力があり、普通は手を入れる必要などない。とはいえ、相応の技術者にしっかりとしたメンテナンスをしてもらうことは、マグにとって非常にいいことだ。
 たしかに、今奪い取った自分の黒猫―――もう一方はラッシュ自身のものだ―――は、ここしばらく留守番だった。外に出して少し遊ばせてやったほうがいいし、調子を見てもらうのもいい。が、それを勝手にされるのは、あまり嬉しくない。
 とはいえ、ラッシュの考えたことは、自分のマグをメンテナンスするついでに、息子のものも見てやろうというくらいのことに決まっている。腹を立てても仕方がない。
 アズールは擦り寄ってくるシャトのことだけ考えることにした。

 シャトはたくさんいる。家全体で言えば、ラッシュの作った青いの、ピンク色の、緑色の、紫色の、黒いの。アズールの作った黒いの、灰色の、白いの。子猫だらけである。
 ヒューキャストのくせに、この二人がかわいいもの好きだからこうなった。しかも、ラッシュがかわいいと思うものは微妙にズレていることが多いのだが、ことシャトについては一般の感覚と一致したようで、今度は赤いのを作ろうか、茶色もかわいいな、などとキリがない。
 シャトまみれの……そう、たまたまラッシュの腕の中にいたのが黒いの二匹なだけで、居間には思い思いにシャトが遊んでいた。一匹、青いのがタイラントのかけているソファの、背もたれの上にも乗っている。この青いのは、どうしたことかタイラントが好きならしいのだが、いつも無視されているのは言うまでもない。
 かわいいものはかわいい。シャトはハンターズにも人気だ。無論女性のほうが好むが、男性ハンターズにしても、つけていると恥ずかしいというだけで、かわいいとは言う。小動物が好きでなにが悪い、と開き直ったのか、最近では男性ハンターズでもつけている者が増えてきた。
 親父はシャトを見てもかわいいと思わないのかな、とアズールは思うが、尋ねても素っ気無く適当にあしらわれるのは分かりきっている。問うだけ無駄だ。

 かわいいと言えば。
「なあ、親父」
 二人の父親、どちらも「親父」と呼ぶアズールだが、不便ではない。彼がそう呼んで話し掛けるのは、ほとんどがラッシュであるからだ。あえてタイラントを呼ぶ時には、二人しかいないか、あるいはそちらへと意識して声をかけている。
 なにげなく「親父」と呼びかけたこれはラッシュが目当てだ。
「うん?」
「女の子って、難しいな」
「難しい?」
 唐突な話題だが、その程度で驚くようなラッシュでもない。今の今までそういう会話をしていたかのごとく、さらりと先を促した。
「今日はヤンと組んだんだけどな」
「ああ。雷でも落とされたか」
「そこまで行かないけど、怒らせた」
「ほう。なにをした」
「俺はかわいいって褒めたつもりだったのに、怒ったんだよ」
 なるほど、だから女の子は難しい、なのかとラッシュは合点した。それからおもむろに、その時の状況と会話を話すよう求めた。

「うん」
 と頷いて、アズールがいきさつを話し出す。
「待ち合わせの場所に来たヤンの髪が、赤かったんだ」
「おや。イメチェンかね」
「聞いたら、ヘアサロンでカット待ってた時、店員の手違いで染められたんだって」
「手違いねぇ。手違いはいいとして、染められている途中で気がつかなかったのかな」
「俺も訊いた。そうしたら、トリートメントを頼んでいたから、それをしてるんだとばっかり思ってたし、前の日の仕事で疲れてて、うとうとしてたんだってさ」
「なるほどね。それで?」
「俺は、赤いほうがいいと思ったんだ。ほら、あの子肌の色が黒いから、髪まで黒いとなんだか重たく見えるだろ。もう少し明度の高い赤にしたら、スーツが緑だしよく似合うんじゃないかって。そう言ったら、怒った」
 アズールが言うと、ラッシュは快活な声を上げて笑った。笑うなよ、とアズールが言ってもまだしばらく笑って、
「すまんな」
 とようやく声をおさめた。

「今言ったこと、全部言ったんだろう」
「うん……」
「たしかに女の子にそれはまずいな」
 ラッシュには、ヤンが怒った理由……むしろ何故褒められたのに腹を立てるのか、その深い原因が分かるようだった。
「どうして? かわいいって言われたら、女の子ならだいたい喜ぶだろう? そりゃかっこいいって言われたいと思ってるような人はともかくさ」
「そうじゃない。女の子は、いつだってオシャレなんだよ」
「え?」
「年頃の女の子で、それなりにファッションに関心があれば、日頃から自分をコーディネイトしようとしてる。ヤンくんがいつも緑色の服や小物を身につけるのも、彼女なりのこだわりだ」
「それは分かるよ」
「黒い髪も、あえてずっと染めずにいたなら、気に入っていたということだ。赤い髪が似合うかどうかということより、自分が好きでそのままにしていた黒髪のほうを否定されたから、怒ったんだよ」
「赤いほうを褒められても?」
「必ずしもというわけではないが、女性はそうであることが多いな。かつて自分が築いたものを、新しく作り出したものよりも高く評価する傾向があるんだ」
「男と女で違うのか? 何故」
「生命の、種としての存続、という観点から後は自分で調べなさい。ともあれ、女性を褒める時は、過去のスタイルも現在のスタイルも、決して否定しないことだ。以前のものも良かった、気に入っていた、もったいないと褒めてあげた上で、いやでも今のもとても素敵だ、どちらがいいか迷う、あえて言うならば自分はこちらのほうが好きだった、とでも言ってあげないと、相手の満足する反応にはならない。肝心なのは、最後にはちゃんと自分の意見を伝えることだ。それが相手の価値観と逆であっても、問題にはならない。むしろ、この人は自分の価値観を持っていて、私に追従するつもりはないようだと、かえって高く評価されるね」

「面倒臭ェ……、ってより、親父。親父はいつもそんなふうにしてるのか?」
 要するに、相手の過去も現在も傷つけず、自尊心、あるいは虚栄心を充分に満足させてやり、また安心させてやり、いい気分にさせて自分に好意を持たせた上でならば、こちらの本音を話すことによって高評価まで得られるようになる、ということである。
 自分の父親ながら、こうまで計算高く対応されては、あまり気味が良くなかった。まるで相手を手の上で躍らせているようで、感じも悪い。アズールの声には、一抹の非難が混じっていた。
 だがラッシュは明るく笑い飛ばし、
「ま、ご機嫌をとろうとすればそうなるという話だ。私は友人相手にそんな駆け引きはしない。それはまあ、ある程度は相手に合わせて、ご機嫌をとってあげることも大切だ。お世辞も誤魔化しもね。円満に付き合うならば必要だろう。いつも自分の本音だけで接していたら、まず間違いなく喧嘩になる。みんなそれぞれに価値観は違うんだからね。ただ、限度はあるし、本音をぶつけ合うべき時というものもある。そういういざという時に、自分とは違う相手の価値観を快く受け止めあ……」

「おい。ガキにそんなことを言っても分かるか」
 不意にタイラントの声が割り込んで、ラッシュの言葉が消された。
「理解はできるのかもしれんが、頭でっかちになるだけだ。放っておけ」
 言うだけ言って、タイラントはまたニュースに目を戻した。ラッシュとアズールは顔を見合わせて、肩を竦めた。ほとんど同時に「にやり」という気配になり、
「むしろ話を理解できないのは、親父か?」
 とアズールが言った。案の定無言で睨まれたが、拳、あるいは足、物が飛んでくることはなかった。代わりにタイラントは、珍しいことに会話を続けた。
「あれは案外付き合いづらい奴だ。悪い奴じゃないが、今日程度のことは珍しくもない。おまえが大人の対応をしきれなくなれば、間違いなく喧嘩になる。これからも組む気なら、少しは駆け引きも身に付けておくんだな」
 会話というより、話題の理解くらいできるということを主張しておきたかっただけのようではあるが、存外、人のことは見ているものらしい。
 ところで、もう一方の父親の悪癖を受け継いだ息子。なるほどと頷く、というかわいい反応もしなかった。
「でも、親父とはうまくやってたんだよな?」
「……俺に大人の対応や駆け引きができたとは思えん、と言いたいのか」
「ご名答。どっちも想像できない」
 さて、と内心アズールは、期待していた。タイラントは「大人の対応」をするだろうか?

「……もういい」
 PCのモニターをオフにし、出力ビットを収納する。
「早く飯にしてくれ。それまで下にいる」
 どうやら、「相手にしない」という最も簡単な方法でならば、「大人の対応」ができるらしい。
 地上に出ている家屋部分は極普通ながら、地下には武器庫、研究・実験設備、トレーニングルームという広大な施設を持つこの家。夕飯の支度が整うまで、タイラントは体を動かすことにしたようだ。階段を下りていく足音がし、やがて小さくなって消える。
「やれやれ。アズール。おまえはあのお手軽な手段をとるようになるんじゃないぞ?」
「やらないよ。あれで通るのは親父だからだ。俺がやったら何様になる。そのあたりは俺、ユーさん見て学ぶから。正直、親父を見習うのも問題だからな」
 アズールがラッシュのほうへと顔を突き出すと、
「それがいい」
 とラッシュは苦笑した。こういう「大人の対応?」を自然とできるようには、とうていなれそうもない気もするアズール。
 なんということのない、鉄一家の夕べだった。

 

(おわり)

 

 

   余談:「ヤンに友達は少ない」説

 『ガンツ』の中で初めて、ヤンの独白部分にこの設定が出ている。
 なにも彼女を貶めたいわけではなく、一人のキャラクターとして設定する時に、より人間らしく彼女をいきいきとさせるポイントになる、と思いあえて表に出すことにした。
 だがこれはなにも、私の勝手な設定ではない。あえて作りだす「設定」以前に、ヤンの言動を見ていれば、そう思えてならないのだ。

 何度もRPしていく過程で、その相手になった私が見つけた彼女の「欠点」がある。
 前向きだし思いやりもあるし元気だし、おおむね「とてもいい子」なのだが、相手に腹を立てた場合、それを飲み込んで温和に解決する、ということができないようだ。
 カチンときたら、すぐ態度に出してしまう。
 ものすごく正直に私がRPし続けてしまうと、「あっそう。だったらもういいよ」とその場から立ち去ることになる展開が少なくなかった。それではまずいので、なんとか話をつなぐことで誤魔化してきたが、そのために多少、こちらのキャラクター設定を変更せざるを得なかったのも事実だ。
 まあ、愛着のあるキャラクターではなかったのでどうでもいいことなのだが、とにかく、ヤンは怒りを飲み込めない、ということが次第に浮き彫りになった。
 同じプレイヤーの手によって動いている、理知的で温和、寛容なユーサムとはまるで違う。

 そういう子と、ほぼ同年代の子が一緒にいたとして、どうなるだろうか?
 今回ネタにしたこれは、実は「女性を褒めようとした男が陥りがちな罠」を念頭に置いていたから、あえて極端に、黒髪のほうを「悪く」言ったのだが、(そういう意味では、ヤンがはっきりと怒ってくれたのは図に当たったし、狙い通りだった)そこまで言わないにせよ、たとえば現実で「髪切ったんだ? 短いのすごくいいね。こっちのが似合ってるよ」と言った時、いきなりムッとした顔をされて、「私は長いのが好きだったの」と不機嫌な声を出されたら? ショックだったにしても、そんなあからさまな態度に出すなよ、やりにくいな。……にならないか? 悪気があって言ったんじゃないのに、そんなことでマジに怒んないでよ、と。
 それが珍しくない反応となると、こっちは迂闊なことは言えないし、なにかあれば折れないといけないし、少し気の強い十代後半なら、逆ギレして喧嘩にもなると思われる。
 とても、気楽に一緒にいられる「友達」にはできない。

 ヤンとうまくやっているキャラクターを考えると、全員、特殊な性格だ。
 ラルムは自己主張しない。もしヤンが腹を立てればすぐに謝って、自分が悪かったとしか思わないだろう。友達には違いないが、ラルムがひどく尻込みするのも手伝って、対等とは言えない。
 アズは見かけよりはかなり年くってるし、アホな喋りはしていても、状況に応じて「引く」ことができる。ヤンが怒り出すようなことは言わないでやめておく、という具合で関係を保っている。おそらく、友達っぽくはあっても距離のある関係。
 ガンツのようなステキなノーテンキは友達を選ばない。
 レイヴンやラッシュ、ユーサムは許容力がズバ抜けたタイプで、これは「親」的な位置だろう。
 タイラントは「自分の主張や譲れないものとは重ならないのでどうでもいい」という少し離れた立場。
 ここまでくるともう「友達」ではなく、あくまでも知人か。

 あるいは。
 お互いに思ったことは言わないと気が済まない似た者同士。
 私はこれをモラだと設定している。
 喧嘩にもなるが、共感する部分も多い。ものすごい口喧嘩とかになったりもするのに、なにかあった時には電話してしまう。三ヶ月くらい口きかないことすらあるのに、絶交よ!とまで言ってるのに、気になってしまうし、困っているのを見ると放っておけなくなる。
 これはもう、一生ものの親友だろう。
 ヤンには気軽な意味での友達は少ないが、逆に、モラという親友がいるのが特徴だ。

 よくよく付き合えば、「こういう欠点はあるけどいい子だ」になるが、実際のトモダチ関係なんて、そこまで付き合う前に発生し、変動する。たいてい、相手の長所がはっきりと実感できるようになる以前の段階で、なんとなく付き合っていく。その段階では、「付き合いにくい」と思ったらそれまでだ。
 こう考えてくると、必然的に、ヤンには友達は少ない、ということになる。
 初対面の頃は寄って来る子が多いのだが、しばらくすれば離れていく子も多くて、あまり残らない。なあなあ、まあまあ、でやっていけないから、付き合いにくいのだな。

 このあたりはパラレルにおいて、更にガッシュとも関わるネタがある。
 あの男は面倒見がいいのか悪いのか、他の誰かが言わないことを言う。
 「あんたみたいに友達一人もいないような奴に言われたくないわよ!」とか怒鳴ったら、鼻で笑われて、「おまえ、自分の取り巻きを友達だと思ってるのか?」とか言われたりね。
 面白い題材なのだが、ヘヴィすぎるのでSSにはしない。ただ、こういうことがあってヤンが自分を見つめなおす、ということもあったっていいだろう。

 SSにおいてヤンの妙味、最大にかわいいところは、ステキなレディ……は無理として(ぉぃ)、まあ、成長していく過程にある、と私は思ってるので、欠点は欠点として隠すことはせず、ずばっとくっつけて、テーマにして目立たせてしまう気でいる。
 等身大の女の子が、現実にも抱えそうな悩みや迷いのはてに、大人の階段のーぼる〜♪なのだ(←古っ