その夜、俺は珍しく、親父に呼び出された。 「親父」と言っても俺には二人いる。 それが特異なことだとは生まれた時から知っていたが、問題だとは思わなかった。 たぶんそれは、俺のもう一人の親父からの「遺伝」だろう。 ―――と言っても、いきなりでは意味不明だろうか。 ここは、俺が誰かということから話をはじめたほうがいいのかもしれない。
俺はアスフォデル。呼びにくいということで、通称アズール。面倒だから俺は、当面親しくなる予定のない相手に名乗る時は、注釈なしでアズールと言うようにしている。 ちなみに、ヒューキャストだ。 そして親父は、一人が「ドラグーン」の二つ名で知られたタイラント。 もう一人は、「マスター」で呼ばれるラッシュ。 俺の家族構成は、このとおりでたらめだ。
だが俺は、それを異常と思ったことはない。 どうせアンドロイドだから、身体構造の男女差は外装パーツくらいのもので、口調や声の音程が性別を感じさせる要素になる。だから、物好きにも男声男装のアンドロイド同士で結婚した、くらいが俺の認識だ。 ただ、こういう認識をあっさりと持てるのは、ラッシュのほうから受け継いだデータのためなのかもしれないとは思う。 俺のソウルデータ、ベースデータは、二人の親父のそれらをミックスして作られている。であればこそ「親子」なのだろうし、俺が親父二人にそれなりに似ているのは当然で、この家族構成を異常と思わないのも不思議ではない―――ということになる。
俺が今まで知り合ったハンターズの中には、親父たちを知っている連中もいる。叔父貴は当然として、俺がいつも世話になってるユーサムという熟練のレイキャストは、 「たしかに、いろいろと似とるな」 と言っていた。それがどこかは教えてくれなかったが、どうやら俺は、息子らしい息子のようだ。
生まれてからこの半年で、俺はこの二人の息子として納得できる程度には、急成長したらしい。 たしかに、半年で封鎖領域に入れるようになる奴ってのはそうそういないだろう。たとえそれが戦闘アンドロイドでも、だ。 だが俺は、世間が勘違いしているように、生まれた時から標準以上の力を持っていたわけじゃない。
親父たちはそれぞれに違法なところがあるようだが、俺をそんなふうに作る気は毛頭なかったと聞いている。つまり俺は、正規の規格をちゃんと守ったヒューキャストだということだ。その規格の中で、能力上限は全て、あらゆる部分において最大に到達できる可能性だけはもらったが、そこに到るかどうかは、俺の努力とか才能次第だった。 幸い俺は、好戦的なところと根気がいいところは、タイラントに似た。だから、コツコツと地道に戦い続けるのは嫌いじゃなかったし、飽きなかった。 一方で、思考能力はある程度ラッシュから受け継いだようで、他の多くのヒューキャストのように、遮二無二戦っていく内に体で技能を覚える、なんて効率の悪いこともなかった。 頭と体、それを一番効率良く使っていった結果が、今の俺だろう。
だいたい、そうでもしなければ生き残れなかった。 生まれたばかり、ハンターズとして登録したばかりの俺に、親父たちが寄ってたかって条件をつけてきたためだ。 どうやら親父たちは、もう一方もまた条件を出していることを知らないまま、それぞれが勝手なことを言ったらしい。 どちらがどう言ったのかはともかく、要するに、こうだ。
俺は、飛び道具を使うことを禁止されている。 能力上限拡張のためのマテリアルは、封鎖領域に到達するまでは使ってはならない。 親父たちは高性能な武具類を持っているが、何一つとして譲られてはいない。 自分の使う武器、防具、ユニット類は、全て自力で手に入れること。誰かに代理で購入してもらうことも許されない。 仕事やトレーニングの相棒は常に一人。しかも、警戒区域にいる間はアンドロイド、危険区域、重危険指定区域ではフォース以外、ようやく封鎖領域で相棒の職種に関する制限はなくなるが、あくまでも数は一人。 危険度の高い区域に入るためには、RAGOのテストをパスしないとならないが、そのテストは俺一人で受けること。
つまり俺は、今まで銃だの投剣だのを使ったことはないし、親父たちのおさがりなんてもらってない。お手軽に能力を引き上げたこともない。俺より高レベルのライセンスを持ってる誰かと知り合っても、代わりに買い物をしてもらったこともない。その上であのバーチャル・ダークファルスを一人で倒し、ここまで来ている。 世間はいろいろと言うが、俺は、可能性こそ最大に与えられて生まれたが、全て自力でここまでやってきた。 あの親父たちから引き継いだのは性格くらいもので、たとえそれが幸いしたにしても、力任せだけ、理詰めだけじゃ進めない道だった。
封鎖領域に到達して、俺にかけられた制限のほとんどは解除された。だが、こういうところもタイラント似だとラッシュは言うが、マンと組んだりマテリアルを使ったり、どうもする気になれない。どうせなら、本当にもう限界だというところまでは、警戒区域にいた時の条件のまま行ってやろうという気になっている。 先日、初めて封鎖領域に入ったが、こんなところで殲滅依頼なんかこなしている親父―――タイラントのほうだ―――のパワーはどれほどのものか、気が遠くなりそうだった。 もっとも、なんの拡張もしてない俺が「弱い」のは事実だ。ラッシュは「か弱いほうがかわいい」などと寝惚けたことを言うが、どこの世に打たれ弱くか弱いヒューキャストがいるのか。 目下俺は、ヒット・アンド・アウェイで相当な時間をかけつつ、一発まともに食らえば瀕死になりかねないところでせっせと戦っていた。
―――そろそろ話を戻そう。 俺はその夜、もう真夜中過ぎに、珍しく、本当に珍しく、タイラントに呼び出された。 うちにいても、話し掛けてきたり俺が話し掛けるのはもっぱらラッシュで、タイラントとは必要最低限の口しかきいたことはなかった。 それを不満に思ったことはない。データをもらった「親父」だとしても、個人と個人だ。どう返答していいか分からないようなことや、だからなんなのかも分からないようなことを話し掛けられるよりはずっと心地好い同居人だった。 そんなタイラントがわざわざコールしてきて、ちょっと出て来いと言って寄越した。
指定された場所は封鎖された森林地帯で、今の俺がぎりぎりで戦える場所だった。 言われた座標に行くと、そこで親父が戦っていた。 ドラゴンスレイヤー。 親父の二つ名の由来にもなった、世界にただ一本しかない、ドラゴンの生体フォトンから作られた超重量の大剣。 持ち上げて構えることができるのはパワーレンジAのヒューキャストくらいのもので、これで戦うためにはS以上が必要だと言われている。 レンジAが、正規の規格の最上限。 レンジSは、なんらかの異常でそれを超えてしまった場合の、便宜的な呼称だ。 つまりあの大剣は、パワーレンジEなんていう俺には浮かせるのもやっと、限界まで強くなってさえ、振り回すことなどできない代物になる。
俺は、親父たちのことは尊敬している。 同じヒューキャストとして。 妬んだりやっかんだりするヒューキャストもいるようだが、俺はそんなふうに思ったことはない。造りが違うんだ、俺もああ作られていればあれくらいできる、と言う奴もいるが、それも違うと思ってる。 大きな力は、それを制御するために、より大きな心を必要とする。 俺はそう思ってる。 だから親父たちを尊敬しているし、好きだとも思ってる。
俺には逆立ちしても到達できない極地。それを今、目の前に見ている。 初めてだった。 タイラントは封鎖領域でしか仕事をしないし、俺はやっと入れるようになったばかりなのだから当然だ。 俺がさんざん苦労してやっと倒すバートルを、親父は返す刃で仕留めてしまう。 「ドラグーン」は「竜使い」の意。「竜殺し」の剣を完璧に使いこなす親父に相応しい呼び名だ。殺すだけでなく、生かして使えばこその。
広場がきれいに片付いて、親父は振り返った。 「まさか、じきじきにご教授くださるってわけでもないんだろう。なんだよ」 俺が出て行くと、親父は愛剣を放った。それは俺の足元に落ちて、重い地響きを起こした。 「この間の話、親父も傍にいただろう?」 物好きなヒューキャストが俺と一緒に来てくれるというから、一緒に重危険区域の遺跡に入った。依頼でもなく、単に俺のトレーニングついでだ。だからあちこちうろついていたら、まだ手付かずの区域を見つけた。そこで俺たちは、パイオニア1の置き土産、ラストサバイバーを見つけた。あまりいい品じゃなく、相棒は「もう少しマシなのを持ってる」と実際に今まで使っていたサバイブを示して、それは俺にくれると言った。……が、俺には持てなかった。 ラッシュから「かわいい」と言われてもどうとも思わないのは、親子だからなのか、俺が敬服してるからか。そいつに「かわいい」と笑われたのはどう聞いても侮蔑で、さすがにムッとしたものだ。とはいえ、そいつに悪気があったわけではなく、いつか使えるようになるんだから持っていけ、とも言ってくれた。 そんな話をラッシュにした時、タイラントもそこにいた。
俺にドラゴンスレイヤーなんて、持てるはずがない。 それは親父だって知っていることだ。 投げた剣を自分で拾って、親父はそれを手に、広場の隅に墜落していた小型偵察機の残骸に腰掛ける。俺も倣って横に座った。 「で? まさか、夜空を見上げてお話ししましょう、なんて言わないだろう。そんな高尚な趣味の持ち主じゃないはずだよな?」 俺が言うと、親父はそれこそ珍しく、苦笑らしいノイズを洩らした。 俺は自分のSメモリーを検索する。必要以上に疑問調にして話す癖。これはラッシュから受け継いでしまった、俺の変な癖の一つだ。 タイラントとはろくに話をしたこともないから、今更そのことに気付いて、変なところが似ているとおかしくなったのだろう。
そんなことでいちいち突っかかっても仕方がない。 「だから、なんなんだよ」 改めて問うと、親父は大剣の柄をとった自分の手を見た。 そして唐突に、 「おまえにやる」 と、言った―――。
俺にこれが持てないことは、二度も三度も言う必要もなく、分かりきっている。それでも「やる」と言うことの意味。 「マスター・ラッシュ」ご謹製の最高級AIと、そのご本人からもらった思考能力は、こういう時、嫌になるほど役に立つ。 引退する気か、と分かってしまった。
もらったデータのせいか、俺にはなんとなく分かっている。 強くあること。 それが親父の、生き方の全てだ。 ハンターズをやめる、戦うことをやめるということは、死ぬということだ。事実、戦闘の他に特別なスキルでもない以上、どんなハンターズ=アンドロイドも、引退すれば一年で廃棄。だがそんな制度があろうとなかろうと、親父はそんな死に方など選ばないと思っていた。 死ぬなら、何百という敵を切りながら、その中で死んでいくんだと思っていた。 いや、そんな妙なイメージが、自然と俺の中にあった。 それはたぶん、本人が描いたイメージが、俺の中に流れ込んだせいだろうが。
「分かるか?」 と問われる。 なにが「分かるか」なのかと俺は戸惑った。 「なにが」 と問い返すと、 「俺の考えていることだ」 と言われる。そして珍しく、それこそ珍しく、続けて口をきいた。 「おまえの中には俺のデータがある。おまえはもう、言わなくても分かっている気がしたが」 必要最低限、以外のことを言う。 俺は否応なく、これは相当に特別な状況だと理解させられた。
「死ぬ気か?」 それでも、こんなことを淡々と問い返せるのもまた、俺の中にあるそれぞれのデータのせいなのだろうか。時々、自分が分からなくなる。生まれて半年では、無理もないとも思うが。 なんとなく憂鬱になった。それでも親父は、こんな時に―――こんな時だからこそか、話をやめなかった。 自分の手、大剣。順に見て言う。 「重くなった。まだ使えるが、重く感じられるようになった。もう潮時だ」 俺には―――言われなくても、親父の気持ちが分かった。
力が衰えていくこと。 それすら許せないんだろう。 他の誰よりも強くても、かつての自分より弱くなることを、許せないんだろう。 たぶん、恐ろしいのかもしれない。 今は良くても、このまま少しずつ弱っていくことが。 この大剣を、構えるのにさえ苦労するようになってしまうことが。 恐怖や怯え、不安なんて感情には最も縁遠いはずの親父のことをそんなふうに思うのもまた、俺の中の親父のせいなのだろうか……。
「レイヴンに預けておく。これを使えるのは、俺以外にはあいつだけだ」 たしかに、あの叔父貴は親父より更にパワーが上だという。信じられないが、あんな温和な性格で、戦い振りも相当なものらしい。 「それはいい考えだと思うけど、俺がAの天井破れるかどうかは分の悪い賭だ。叔父貴にやっちまえよ」 俺が言うと、親父は首を横に振った。 そして、 「俺の物は、全ておまえに遺す」 と言った。
親父として、だろうか。 ろくにそんな会話もしなかったし、そんなつもりもない様子だった。 だがやはり、なんとなく分かる気もした。 理屈もあった。「魂喰い」の大鎌を使えるのは、それこそこの世に叔父貴一人。それを手放して他の武器を使うことはない。そして、もう一人、使えるとすればラッシュだが、あっちの親父はもう当分戦わないことにしたという。 ただの形見にしかならないくらいなら、使う可能性のある俺に遺して、生かしたいということなのかもしれない。 それが、親子、……ということなのかもしれない。 俺はやがて、ラッシュのものまで全て、引き受けることになるのかもしれない。 いや。 ―――案外、そうもしれない。 ラッシュは俺に、なにも遺さない。好きにすればいいとしか言わない気もする。 こういうところは、タイラントのほうが感傷的なのかもしれない。 言えば99.9%以上の確率で否定するだろうが。
「分かった。もらっておく」 俺はそれだけ言って、少し俺のほうへ傾けられたドラゴンスレイヤーを、データにしてPPCに入れた。 後でわけを話して、叔父貴に渡さなければならないな、と思ってふと。 「叔父貴には?」 と尋ねた。 こういうことは、ラッシュには話してあるだろう。遺すものももう決めてあるに違いない。 叔父貴には話したのだろうか。なにを遺すのだろうか。 俺が問うと、親父はきっぱりと答えた。 「あれは連れて行く。最後に、共に戦う相手だ。俺がくたばるまで戦った後で、そこから引き返せる唯一の奴でもある」
それはそれでなかなかいい遺産だと思ったが、黒いヒューキャストが二人して大量殺戮に走る様は、相当に恐ろしいのではないだろうか。 おかげで俺は、あまりしんみりとはできなかった。 せっかくのなんだか「泣ける」話が、これで半分は台無しだ。 俺は思わず溜め息をついた。すると親父が少し笑って、 「ラッシュに話したら、話す順番を指定された。計算の上らしい」 と言った。俺は納得した。湿っぽくしないための配慮だったのだろう。そしてたぶん、そこからまた、俺と親父とが話をするための。
初めて聞いた。 今までずっと、なにかがあることだけは聞かされていても、具体的にはなにも知らなかった。 親父が「何」なのか、何故特別な力を持っているのか、今までどんなふうに生きてきたのか、ずっと昔のこと、少し昔のこと、それから今までのこと、それを俺はやっと、親父自身の口から聞いた。 長い話だった。 たぶん、他の誰とも、ラッシュとでさえ、こんなに長い話をしたことはないのかもしれないと思った。 そして、親父の口数がこれだけ多くのなるのは、俺が息子だからなんだろうとも思った。 親父の話が終わった時には、東の空が薄赤く染まっていた。
親父はそのままその場から旅立って、三日後、叔父貴がうちに来た。 「なんだかんだで私よりロマンチストだし、センチメンタルなんだ」 親父の声は小声でもよく通る。居間にいた俺にまで聞こえた。 親父はやがて叔父貴と一緒に入ってきて、 「私にはこれだ。嫌がっていたくせに、最後にはつけていったらしい」 と、結婚指輪の代わりだというアンクレットを見せてくれた。ラッシュの左足にいつもついているものと、そろいのリングだった。
哀しくも寂しくもあったが、どこか晴れ晴れとした気持ちでもあった。 考えれば理由は見つかりそうだったが、俺はあえてやめた。 理屈や言葉にしないままに持っていたいものもある。 それは―――あまりにもラッシュ的な発想だと思ったが、満更でもない気分だった。
(終) |