たとえば、現場に駆け付ける救命医であるラチェットと、救護班を率いていたブラックアウトは、一緒に仕事したことあるだろうなぁと思ったりします。 二人とも、命を粗末にするような発言は絶対に聞きたくないのは同じ。でも、覚悟というか、使命感という点では大きく違います。なので、組んで仕事をしたときのエピソードというのは、魅力的じゃないかと思うのです。
助けなければならない、それが自分の存在意義である、助けられないことは、自らの存在が無益であったことの証。 そういうラチェット先生は、ブラックアウトよりはるかにストイックに、シビアに、頑強に、危険を乗り越えようとするでしょう。それは彼の頑丈な外装にも表れています。「アドバンサー」という機能特化のタイプとして生まれついた者は、その特化機能に最適化するように体も作られていると思われますし。 反面、「ネイティブ」という自然な生まれ―――人口の減少とか、「兵士を補充したい」といったかなり大雑把な理由で、星のエネルギーをスパークの源として生まれた、比較的個性の弱いブラックアウトは、自分がどう生きるかを好きに決められる代わりに、極端な能力は持ちません。体も、心も。 だからラチェットの勇敢さを見て、きっと「俺ってヘタレだ」と落ち込んだりするんじゃないかなぁ。怖い、という思いに足がすくむ自分に対して、恐怖などないように、環境・状況を分析して突破口を探すラチェット。劣等感とか、自己嫌悪とか、そういうものを感じてしょんぼり。
なにに強制されたわけでもなく、一緒に楽しく過ごしていた友人や兄弟、仲間を奪われる哀しみや痛み、寂しさを理由に、誰もいなくならないでほしいと願う。 ブラックアウトはそういうタイプです。なのでラチェットよりずっと弱いし、ヤワです。いつでも投げ捨てられる「自分の感情」だけが支えなので、恐怖すら感じなくなるほどの使命感は持ちません。 でもラチェットから見れば、自分は、目的遂行のために恐怖が鈍化しシャットダウンされるように作られているだけのこと。もしそういう機能がなかったら、使命を背負って生まれてきたのでないなら、それでも自分はこの危険な場所へ来るだけの勇気を出せるだろうか。そういう自問を呼び起こします。 私の考えでもありますが、怖いと思わないから平気なのも一種の強さかもしれませんけど、怖いと思うけどそれでも立ち向かう、それもまた強さ。優れた戦闘能力を持って生まれて戦火に飛び込み的に立ち向かう強さもあれば、戦う力がなくても立ち向かおうとして、震えてでも立っている、それもまた強さ。 ブラックアウトの、単純な優しさや友人の無事を求める心は、なんのために命を救うのか、それがただ職務であり義務である使命でしかなくなりかねないラチェットにとって、決して忘れてはいけないものかもしれません。
そんなわけで、あるレスキューを通してラチェットは「ただの仕事」をしているだけになりかけている自分を見つめなおし、自分の存在意義のためだけに命を救おうとしているのではないかと自問し。 ブラックアウトは「おまえのそれも強さではないのか?」とか諭されたりして少し自信を持てたらいいなぁと。
とかいうところで、我がパートナー九曜さんのイラストへ話が飛ぶのですが、発生したレスキュー対象がバリケードのいる隊で、砲撃とかあったとき、ブラックアウトは危ないと思った瞬間に飛び込んで庇い崩落に巻き込まれて一緒に地下都市へ。ラチェットはその瞬間、自分が破損するリスクを回避することを最優先にしたがため無事。このあたり、「負傷者を助けること」と「仲間を敵の攻撃から守ること」は別であり、ラチェットの行動原理に前者は入っていても後者は入っていない、という要素かも。 きっとラチェットが来てくれる、と思いながら、バリケードの生命維持をしつつ、「俺はなんでこんなことしようとしてるんだろう」とか「別に友達ってわけでもないのに、でも死なれたら嫌だと思うのはなんだろう」とか、そういうことを考え、迷ってる……。 とかなんとか、妄想の端っこがつながってしまったりもしたのでした。 ちなみに、こんな私のあれこれとはまったく別に、九曜さんの脳内に漂っているストーリーをSSとして読みたいのがものごっつい本音です。こんなとこで呟いておきます。ウフ。 ともあれ、「私は冷たいのだろうな」と思いながら二人を探すラチェットは、自分の弱さを目の当たりにした気もしてけっこう切羽詰まってて、そんなときにうっかり出てきてしまった敵に、「私は今どうやら、虫の居所が悪いらしい。八つ当たりなどという大人げない真似は、できればさせないでもらいたいのだが」とか言ってたり。で、戦うとめちゃくちゃ強い。 でも、誰かを助けるためのツールが武器として誰かを殺すこともできること、救うためではなく殺したために血(オイルですか)にまみれたバズソーを見て複雑な気持ちになる、とか。
まあ、妄想は止まりません。 |