クリスマス―――。 などというものは、その日に休めない者にとっては嬉しくも楽しくもなんともない。むしろ、馬鹿騒ぎする馬鹿どもの起こす面倒の始末をして過ごさなければならないバリケードにとっては、ただ不愉快で腹立たしい日でしかない。 そのクリスマスがようやく過ぎ去った26日。夜勤明けのバリケードは、今年もなんとか「一番効果的で手っ取り早い方法」に訴えずに済んだことに、ほっとするよりも最大限にイライラしていた。 ところで今年は、去年、一昨年よりもマシだったのだろうか? あくまでもバリケード自身のイライラ度の話だが、はたしてどうだったのか。そんなくだらないことでも考えないことには、気が立ちすぎていてじっとしていられそうもないのである。
……というのに年季の入ったパトカーのドアは閉まりが悪く、力任せに閉めれば運転席のサイドウェイズは驚くあまり飲みかけの缶コーヒーを盛大に零す始末。それにもイライラするが、……イライラするのはこのヘラヘラした後輩もそうで、しかし驚かせたのは自分である。 「……早く出せ」 「はいはいはいはい。直帰でしたっけ?」 さっきもう既にそう言った。同じことを何度も言わせるなと、つい睨みつける。サイドウェイズは慌ててアクセルを踏み込み、乱暴に発車した。それもまたイライラする。 制限速度ぎりぎりで流れていく車窓の景色に目をやって、バリケードは気をまぎらわそうとする。そしてもう一度考えた。今年のイライラはマシなのだろうか、と。
去年も一昨年も、ブラックアウトと組んで巡回した。これはこれで非常にイライラした。 押しが弱く強面に出られないプラックアウトをいいことに、つけあがる馬鹿が腹立たしい……などという落ち着いた表現では物足りない。死ねばいいと思うほど気に入らないのだ。せっかく穏健に温厚に、人として扱って何事もないように片付けてやろうとしているのに、それが通じないような馬鹿はこの世から消えてなくなればいい。そうすればブラックアウトは困ったり驚いたり、あるいは怖がったりしなくても済む。 だというのに、それを現実にできない。実行可能なのに、許可されない。 そんな具合に、どうしようもないほどイライラしつづけるのである。 もちろん、そのイライラが最高潮に達するあたりから、少しでも理性の残っている者は不穏な気配を察しておとなしくなるが、アルコールの魔力は生き物としての生存本能さえ麻痺させるものなのか、まるで空気を読めなくなる命知らずも少なくなかった。 そして―――そういう自分がブラックアウトを困らせていると思うと、イライラは収まらないまま、もっと強い力で無理やり絞めつけて感情を殺されるようで、正直なところ二年とも、日付が26日に変わる少し手前くらいからは時々、記憶が飛んでいたりする。 今年はマシだったのだろうか。 たぶんマシだった。いや、わけが悪かった。 イライラしてはいけないというストレスはなかったが、その分天井知らずにイライラしたような気もする。それに、サイドウェイズの余計な一言が気に障り、いつまでも脳裏を去らなかった。 だがそれはもういい。なにもかも過ぎたことだ。 それに約束事は守れた。 「どっちも殴るな」。サイドウェイズもその他の馬鹿も、とにかく手だけは出すな。巡回に出る前にそれだけ自分に言い聞かせ、約束させた。 それは最後まで守れたし、もうあと少しで住処に着く。
「お疲れっしたー」 サイドウェイズはこのまま車を署まで戻しに行く。本来ならばバリケードも署に戻って日報を上げるべきなのだが、この精神状態ではまともな言語が綴られることはなく、そのストレスでますますイライラして、周囲の怯えぶりが尋常ではなくなる。ましてや今年はブラックアウトがいない。「直帰して良し」というより「直帰してくれ」というのは、署長からの了承、依頼である。 バリケードはがらんとした歩道に降りて、ようやく、ようやく、ほっと一息ついた。 今日は休みだ。もう寝よう。とにかく寝よう。 そう思うと、意識は朦朧としてくる。頭が痛い上にぼんやりして、コンクリートの階段の硬さも曖昧に感じられる。 ドアの前に辿り着き、鍵はどこへやったかとポケットを探る。こうなることはなんとなく分かっていたので、制服の、たしか右の胸ポケットに入れたはずだ。屈んだり掴まれたりしたときに、落としたりなくしたりするといけないから、ボタンのついた場所がいいと……。 (………………) そのボタンが邪魔で、一瞬にして、今まで抑えていた分簡単に、苛立ちが爆発した。
引きちぎってしまおうとした。 だがそれより早く、長い腕が頭の脇を過ぎて、銀色の鍵を鍵穴へ差し込んだ。 「セーフ。お疲れ様」 笑いを含んだ、耳に馴染む低い声。 振り返って見上げると、ブラックアウトがいた。 すぐ後ろ、体温が届くほど近く。柔らかい、洗濯洗剤の匂い。 バリケードの意識は、そこでぷつりと切れた。
ブラックアウトは今年の12月25日、珍しいことに休みだった。 去年も一昨年も、バリケードとともに夜の繁華街巡回を割り当てられていたが、今年は家の事情で、25日、26日と連休になったのである。 激しく気の乗らない実家帰りで、それでも仕方なく帰省して、本当は26日の夜に帰ってくるつもりだった。しかしちょっとした……ちょっとではない意見の相違から、26日になって間もない深夜に出てしまった。 こうなったら絶対に26日はバリケードと過ごすと決めて高速を飛ばし、明け方にアパートに着いた。一風呂浴びてから2時間ほど仮眠し、24時間やっているスーパーに寄って、さて、大きなトラブルさえなければそろそろ帰ってくるはずだがと、バリケードの住処の、出入り口が見える道路脇に車を止めて待っていた。
心配だった。 去年も一昨年も、バリケードの不機嫌ぶりといったら、犬や猫は軒並み逃げていくほどだったのである。たいがいの人間もそそくさといなくなるか、すぐに静かになった。怖いのは、あの超絶不機嫌なバリケードに絡むという、理性をなくした人間の蛮行である。 ハラハラしどおしの一日になる。だがそれでも、自分が傍にいれば少しはバリケードも落ち着いてくれるし、話を聞いてくれる。彼を宥められるのは自分だけだという自負もある。 しかし今年は、どうしても実家に帰らなければならなくなり、どんなに拒もうとしても最後には拒みきれず、帰省することになった。そのためにバリケードと組むのは、ブラックアウトではない誰かだった。 それが誰でも同じことだ。誰であろうと止められはしないし、宥められもしない。ますますイライラさせるだけになる。 サイドウェイズが当たったのは、本人には悪いが、まだマシな人選だった。彼ならば、とりあえずめげないだろう。それにバリケードも、もっともらしい大人の態度をとられ上から目線で扱われるよりは、「この馬鹿が」と思っていられるほうが気楽なはずだ。 それでも不安は不安で、心配は心配だった。それに余計な気がかりも一つあって、ブラックアウトは帰省中もずっと落ち着かなかった。
だから、サイドウェイズが運転するパトカーが何事もなく通りに現れたときには心底ほっとした。 サイドウェイズは無事だし、こうして直帰できるということは、始末書が必要なことはなにもしなかったということだ。たぶんサイドウェイズは署に戻り、朝勤務の者たちに昨夜の愚痴をさんざん聞かせるに違いない。まあそれは、ご苦労様、よくがんばったなというだけのこと。 それよりもブラックアウトが気になるのは、パトカーから降りたバリケードが、不機嫌というよりまったく無表情で、機械的に動いているように見えたことだ。 相当疲れているらしい。 ブラックアウトは慌てて自分の車から出ると後を追い、狭い階段を駆け上った。
バリケードは元貸事務所のドアの前で鍵を探している。 危険だ、とブラックアウトは察した。 探す手つきが覚束ないし、探したとしても、あのクセのある鍵を、ほとんど無意識で開けられるかどうかは不明。とすると、バリケードのやりそうなこととして、まずポケットは乱暴に引き千切るだろうし、そうまでして鍵を出したにも関わらず、ドアは蹴破るに違いない。
間一髪だった。 バリケードの醸しだす気配がほとんど殺気に等しくなった直後に、ブラックアウトは合鍵を取り出して鍵穴に差し込んでいた。 ぴたりと怒りのボルテージアップが止まる。 「セーフ。お疲れ様」 バリケードが振り返ってブラックアウトを見上げる。 笑いかけてやると、そのままふらりと腕の中に倒れこんできた。
一瞬で寝たバリケードを抱えてドアを開け、プラックアウトは無味乾燥な室内に入る。 クリスマスもなにもない部屋だ。そらぞらしい装飾も虚しいが、本当になにもない虚しさは、また別だ。 もちろん、この部屋がこういう状態であることは最初から分かりきっている。 ブラックアウトはバリケードをベッドに下ろし、上着や靴を脱がせてやって、シャツの胸元だけ少し緩め楽にしてやると、しっかりと毛布をかけた。テーブルの上にあったリモコンでエアコンをつける。それから改めて外、車へ引き返した。 なにもない部屋だから、いろいろと持ってきたのだ。大して意味のない飾りなどではなく、もっと楽しめるものを。
本当は手作りにしたかったが、仕方なしの帰省でケーキは出来合いのものになってしまった。本当は今年一番の出来といえるものを作って食べさせたかっただけに、口惜しい。 それから、普段よりは少し豪華な食事ができるように、数日前から仕込んでおいたチキン。冷蔵庫で二日間、じっくりと寝かせて味を染みこませたから、これは切って焼くだけでいい。 サラダは今から作る。材料はついさっき買ってきた。 フランスパンと、それに塗って焼くためのペースト。ペーストは各種手作りで、瓶に入れて準備しておいた。
これは全て、26日、最初の予定。 半強制的な帰省で全部台無しになりかけた。 諦めて帰りはしたものの、結局我慢できず戻ってきてしまった。それなら最初から、絶対に帰らないと押しきれば良かったのかもしれない。 特別な日にくらい家族と、という考えは、年々薄らいでいる。 ことに、帰省するたびに見合いの話を持ちだされるようになった一昨年くらいからは、それが顕著だった。
ブラックアウトは、身動ぎもしないで爆睡しているバリケードを見下ろし、そっとベッドの端に腰掛ける。 家族がどう言おうと、自分の幸せはここにある。 ここ以外のどこにもないと言ってもいい。 「起きたら美味しいもの食べような」 軽く頬に触れて呟くと、聞こえているのかいないのか、少しだけ瞼が動いた。
眠りが浅くなってぼんやりと目が覚めたとき、布団の心地良さにうっとりする。 それは、あまり柔らかい情緒のないバリケードにも起こりうる。 ましてや、自分の好きないい匂い。エアコンの機械的に調整されたあたたかさではない、自然な温度。 ちくちくしない質のいいセーターに頬を預けていることに気づいて、無条件に、 (ブラックアウト) と知る。 そしてまたすぐに眠りに落ちた。
後で聞けば、ブラックアウトも無理な帰省とUターンでほとんど寝ておらず、夕飯の準備は後回しにして一眠りしたくなったらしい。 二人して好きなだけ惰眠を貪り、起きたときにはもう夕方だった。 別にどんなイベントでもないただの12月26日、美味しいものを食べて、のんびりと過ごす。 明後日が返却期限のレンタルDVDをまだ見ていなかったので(ブラックアウトが)、なんとなくそれを眺めている。バリケードは定位置の膝の上で、条件反射的にうとうととしはじめる。 ふと思うのは、俺が映画を見ると眠くなるのはこいつのせいじゃないかということだが、だとしても別にどうでもいい。
どうでもよくないのは、一つだけ。 それが不意打ちでバリケードの頭をよぎった。 プラックアウトの帰省の理由。 バリケードは、ブラックアウト本人の個人的なことならばいろいろと知っているが、彼の背景についてはなにも知らない。興味もなかった。どこの誰だろうとそんなことには興味もなく、目の前にいる当の本人が、自分にとってどうであるかだけが問題だ。 だが、―――バリケードのイライラの理由は、ともするとこれもあるのかもしれない。 サイドウェイズがうっかりと、今回の帰省"も"見合いのためだと口を滑らせた。 それが心底気の乗らないものであることは傍目にも明らかなので、そのこと自体がどうこうということはない。 ただ、思うのだ。 これでいいのかと。
結婚だの恋愛だのというのがピンと来ないから、普通の"恋人同士"なら楽しめるようなことを、楽しませてやることもできない。 努力するだけはしてみても、他愛ないことで簡単に生まれる苛立ちを抑えられない。そうして人とぶつかるたびに、ぶつかりそうになるたびに、ブラックアウトがとりなしたり謝ったり。 それに、彼はなにも言わないが、警察官より保育士になりたかったはずだったのは覚えている。子供好きなのだ。だから当然、自分の子供はほしいし、思う存分可愛がりたいだろう。だがそれも、叶えてはやれない。 奪うばかりでなにも与えず、してもらうばかりでなにも返さない。 あれをしてやったんだからこれをしてくれ、と言われるのが鬱陶しくて、そんなくらいなら一人でいたほうが気楽だと思っているし、だからこそ、そんなことを一度として口にしたことのないブラックアウトが心地よいのだが……。 それは、ずいぶんと自分勝手な理由ではないだろうか。 そんなことを考えるわずらわしさに、どうしようもなくイライラしてくるのだ。
そのイライラが過ぎ去って一息つき、そして今。 もし、と考えた。 もし別れれば、そのときはあれこれあるだろう。 だがしばらくすれば、ブラックアウトは本来あるべき姿、あるべき場所に戻るのではないだろうか。 由緒正しい(らしい)家柄の御曹司に相応しい、才色兼備の女性でもなんでも。 幸せな家庭。 穏やかで満ち足りた生活。 誰もが羨むような、理想的な。
そして自分は……。
なにもない、誰もいない場所に戻る。 それもまた、自分のしてきたこと、していることに相応しい生活。
「どうした?」 急に問いかけられて驚いた。 「なにが」 なんでもない。 「なにがって……、なんとなく。嫌なことでもあったのか?」 何故気づくのだろうか。
短いとは言えない沈黙があった。 バリケードは適当にごまかしてしまおうと考えたのだが、「別に」という一言が何故か出て来なかった。 そしてブラックアウトはひとつ大きな呼吸をし、 「もしかして、俺が帰った理由、聞いたのか?」 と、いつもより少し低い声で尋ねてきた。
それは、別にいいのだ。 見合いのために帰る。イヤイヤ帰る。なにも問題ない。 見合いして、相応しい人と結婚すべきだし、イヤイヤ帰るという気持ちの在り処に、文句など一つもない。 問題は、そうじゃない。 これでいいのかということだ。 いつまでもブラックアウトを自分に縛り付けて面倒見させて、それでいいのかと。 だがそれを、バリケードはうまく言葉にできなかった。
答えがないのをどう解釈したのか、ブラックアウトは少しだけ待ってから、続ける。 「ランペイジが気にしてたんだ。組むのがサイドウェイズだから、余計なこと言いかねないって。まあ、あいつには悪いが、俺もそうかもなとは思ったよ。でも、いつまでも黙っていられることでもないから、言われたら言われたでいいと思った。自分で言わないのは、卑怯だけど。でも……」 急にブラックアウトがセーターの首元に触れて、細いペンダントのチェーンを引っ張り出した。 「これ、俺のおまもり」 取り出したペンダントヘッドは、写真を入れるロケットのようになっている。 ブラックアウトは、首からはずしたペンダントを持った手をバリケードの前に回す。 少し力を入れて開いたロケットからは、真新しい、曇り一つない小さな指輪が転がりだしてきた。
まさかと思いながら、ブラックアウトのすることに逆らえず、手をいじられるままにしていると、ペンダントの中から出てきた指輪は、すんなりとバリケードの指におさまった。
その手をブラックアウトは軽く握る。 指輪は見えなくなる。 だが、慣れない装飾品の感触は、はっきりと続いている。 薬指の感触も、隣の指に触れる感触も。 「まあ……今は、いいんだ。こんなの俺の我が儘で、おまえの生き方とか望みとか、それだって大事なことだから。だけど、俺はもうずっと前から決めてる。他の選択肢なんてない。これが完全に駄目にならないかぎり、他のことなんて考えられないし、考えたくもない。……俺は、―――おまえと一生、一緒にいたい。ずーっと」 言葉はゆっくりと、しかし戸惑いや躊躇いはなかった。もう何度も何度も、考えぬかれたことのように。
軽く握ったバリケードの指で、指輪はまだ違和感を生み出している。 この感触。 この指輪。 受け取るということは、ブラックアウトを手に入れるということ。 ―――そんなことをして、いいのだろうか。
「でも……」 ようやく言葉が出た。 「でも俺は……、おまえになにも、してやってない。なんにもしたことないだろう。なんでもかんでも、させてばっかりで。おまえには、もっと他に、相応しい奴……いるだろ」 小刻みに手が震えるのが隠せなかった。 ブラックアウトの手に篭もる力が強くなる。 肩の上に顎を乗せられて、すぐ耳元で 「そういうんじゃないよ、バリケード」 とブラックアウトが言った。
「なんでおまえなのかって、俺も考えたけど、そういうんじゃないんだ。なんていうか……胸のあたりにさ、穴があるんだ。それはなにかがなくなってあいた穴とかじゃなくて、最初っからそういうものっていう穴だ。だから、穴があるのが当たり前。でもそこに、おまえが丁度おさまるんだよ。それですごく、落ち着くって言うか、ほっとするって言うか。他のどんなものでも、こんなふうにぴったりは入らないし、しっくり来ないだろうって感じで、ものすごく、幸せなんだ。だから逆に、もしこれがなくなったりしたら俺は、どうしようもないくらい寂しいし、悲しいし……、きっと、どうしていいかも分からなくなる。おまえは、そういうものなんだよ、俺にとって」 「ブラックアウト……」 「だから、なにかしてくれるからいいとか、そういうんじゃない。ただ俺といてくれればいいんだ。俺は世話焼きだから、あれこれ世話焼いてるのが楽しいし、……本当は他の奴にやらせたくない。おまえの面倒みるのは、俺だけでいいんだ」 けっこう独占欲強いんだよ。そう言ってプラックアウトは、胸の穴の中に入れてしまうように、腕に力を込めた。
明けて27日。 それはほんのささいな、小さなもので、僅かな間違い探しだったが、気づいた者は目を丸くした。 バリケードの左手に、銀色の指輪。 バリケードは、それに気付かれていることに気付いていて少し落ち着かない様子だが、彼に向かってへらっと質問できる勇者、あるいは愚者は、今日は非番だった。
昼休み、ランペイジを筆頭にいつもの面々がずらりとブラックアウトの前に顔を並べ、いったいどうしたんだと尋ねてみたが、「えー」とか「そうだろー」とか、まったく要領を得ない。ブラックアウトの頭の中にだけ、一足早く春が来てしまっているらしい。これだけ締まらない上に話にならないブラックアウトも珍しい。 これではどうしようもないと見極めて、ジャンケンで負けたサイドスワイプが、勇者、あるいは愚者、それとも犠牲者になる役目を請け負った。
「あー……バ、バリケード」 書類を作っているバリケードの横に立ち、サイドスワイプが小さく咳払いする。 彼も言葉であれこれ伝えるのは苦手なほうなので、なかなか台詞が出てこないが、視界の端には様々なジェスチャーで「言え!」と訴えるメンバーが映っている。 「いや、その……不躾だとは思うんだが……」 ちなみに、自然な直立の姿勢のように見えるが、いつでも飛びのけるように、膝関節は程良く脱力している。 「その……」 アイアンハイドいわく、バリケードの瞬発力は視認不可能だから、目よりもむしろ肌の感覚を頼れとのことだ。 「つまり……」 どう言おうかと困っていると、 「……これか?」 諦めたように、バリケードが左手を少し上げて見せた。
「あ、ああ。それ。……いや、意味は分かる。誰からのものかとか、それは分かってる。言わなくていい。ただ、―――そう、俺たちが不思議なのは、よくそれを、人前につけて出る気になったということかもしれん」 それだ。 指輪自体はなんの不思議もないし分かりきっている。ブラックアウトがこっそりと、受け取ってもらうことに成功していたとしても、誰も驚かない。 驚いたのは、バリケードがそれを人に見せるということなのだ。 バリケードは軽く拳を握って、馴染まないのか落ち着かないのか、指を動かす。 そして、 「隠すのは、あいつを否定してるような気がするから。それに、これ以上、……ただでさえ俺といると気苦労も多いのに、余計な気を遣わせたくない。バレないようにしようとか、そんなこと……。―――……これは、昨日、もらった」 そう言って、やはり落ち着かない様子でまた少し指を動かした。
やっぱりそうだし、他の誰かからのものだったり、ただのファッションなどということはない。 ああ、やっぱりそうだよなと納得するとともに、サイドスワイプはふと思った。 今は馴染まないこの指輪。落ち着かないようで、バリケードはどうしても意識してしまうのか、微かに指を動かしている。 だがいつかこの指輪はなんの違和感もなく、あると意識されないくらいに、ここにあることが当たり前になるのだろう。 なんとなくそう感じた途端、 「おめでとう。良かったな」 考えるより早く、胸の深いところから湧き上がった言葉が自然と口から零れた。
(ひとだんらく★)
クリスマス一日後のらぶらぶ警察官のはずだったのに、気がつけばなんかこんな展開に。 はっぴーくりすまーす★ |