サウンドウェーブが常駐している情報管理室は、実にがらんとしている。 それは、本来ならば十数人の職員によって運営されるべきタスクを、サウンドウェーブが一人でこなしているためだ。能率の劣る部下がいて、報告や連絡に時間と労力をロスするくらいならば、一人で受け持ったほうが圧倒的に高効率であるとの理由から、今ここにはサウンドウェーブしかいない。 もちろん、たった一人ですべての情報を扱うことに対する様々な懸念、危険性は無視できないが、スタースクリームはこの人事を敢行したし、メガトロンもそれを止めはしなかった。限られた人数で最大限のことを成さねばならない現状では、多大なリスクを負うとしても、それ以上の見返りがあると判断したのだろう。 しかしそのおかげでバリケードはどうにも落ち着かない気分だった。他に何人も働いていれば、そのざわめきなどのために少しは気がまぎれるだろうに、今ここには、自分とサウンドウエーブしかいないのだ。しかも彼は、メガトロンと自分の関係を知っている。 他の者ならば、思うだろう。サウンドウェーブはそんなことなど微塵も気にかけず、マシンのように淡々と必要な事実のみをやりとりする、と。 だがバリケードは知っている。それはごく一般的な場合、大多数……圧倒的多数、ほとんどすべての場合においてそうかもしれないが、そうでないこともある、と。 そしてどうやら自分に対しては、サウンドウェーブは"淡々とマシンのように"接するつもりなど、あのときになくして久しいようだ。
「なにをグズグズしている。とっとと来い」 案の定これだ。 しかし、昔もついこの前も、サウンドウェーブのおかげで事無きを得たり、非常に貴重なものを手に入れたりしたのは事実。バリケードはその借りを無下にするつもりはない。 「進路データの復元に手間取っていると聞いたが」 とっとと本題に入り、とっととなにか手伝って、少しでも借りを返してしまおう。そう思った。 だがしかし。 「そんなものはとうに終わった」 サウンドウェーブの返答に、バリケードは呆気にとられる。 「え?」 「おまえを呼んだのは別件だ」 言うなり、黒い影のようなものが幾筋も、床から伸び上がった。
それは機器の零す光が生み出した影の中に、周到に用意されていた一級のトラップだった。 バリケードが気付いたときには、最初の一本が侵入を果たしていた。 その影はサウンドウェーブから伸ばされた無数のケーブルである。内で一本、特別に細いのがバリケードの背中に入り込み、瞬時に接続、ハッキングし行動の自由を奪う。その後で気がついても、どうにもならない。動けないと自覚した直後には、脇腹や首など、あちこちにケーブルが接続されていた。 「サ、ウンド、ウェ……」 言いかけた名は途中で途切れた。発声回路、あるいは信号までカットされたためだ。 「馬鹿どもが、くだらん感情で愚かなことを」 サウンドウェーブが吐き捨てる。そして急に、……バリケードには"恐ろしいことに"としか言えないのだが、口の端を上げて彼はニヤリと笑った。 立ったまま指一本動かせなくなったバリケードの前に、椅子から立ったサウンドウェーブが近づく。そして少しだけ高い位置から見下ろして、赤い複眼の光を僅かに絞った。その目でじっと、バリケードの目を覗き込み、 「だがこれは貴重な臨床データだ。―――断る権利はない。おまえのデータは、すべて私がもらう」 淡々と、マシンのように宣言した。
メガトロンのコアデータを適用し、バリケード自身が所持していた生命情報が、どう変化したのか。そしてどう変化していくのか。 サウンドウェーブが知りたいのはそれだと言う。 「オールスパークの圧縮アーカイヴに過去の事例は見つかったが、オプティマスはそれを完全に読みだすことはできなかった。それだけでも、私が持っている情報と合わせればどうなるかの推測も不可能ではない。だが、実際に実行したときにどうなるかは不明だった。おまえは今、特に不具合もなく活動しているようだが……」 サウンドウエーブの目が、カウントできないほどの高速で明滅する。 バリケードは動けなかったが、それ以外にはなにも違和感は覚えなかった。なにかされているのかどうかも分からない。動けないし、口もきけないが、本当にただそれだけである。サウンドウェーブは横暴だが、彼に害意がないことは、信じるしかない。 「おまえを傷つけて得るものなどない」 考えることもすべて筒抜けらしい。サウンドウェーブは淡々と答えた。
サウンドウェーブはバリケードのスペックがどの点でどう変化しているか、確認できた情報を端的に口にする。メモリの拡張、処理速度の向上、処理可能範囲の拡大。そして少しだけ険しい顔になると、 「能力という面で失ったものは、今のところなにもない。だが、―――やはり既存のデータでは推測不能か。応用で予測は可能だが的中率は信用に値しない。ふん。言っておいてやろう。バリケード。おまえがおまえである由来は消えた。おまえは何者でもない者になった。それは、覚悟しろ」 と低い声で告げた。 何者でもない者? バリケードがそう考えるとサウンドウェーブは頷く。そして、すべてのケーブルを引き戻しバリケードを自由にすると、元の椅子に腰掛けた。足を組み、指を組み合わせ、じっとバリケードを見る。バリケードは違和感がないことが違和感である腕を少し動かして、 「どういうことだ?」 ようやく声を出すことができた。
「我々は"いかに生まれついたか"によって、何者であるかが定義されている」 背もたれに深く身を預け、サウンドウェーブが言う。 「おまえはアドバンサーとして生まれ、そのように機能してきた。だがメガトロン様の情報を取り込んだことで、少なくともアドバンサーの定義からは外れることになった。かと言ってメガトロン様のようなイノセンツでもない。おまえは、他の誰とも違う生命体だ」 違う生命体だ、と言われてもさっぱり分からなかった。バリケードはメガトロンのコアデータを得て以来、以前の自分であれば理解できなかった話を、特に困らずに理解できるようになったと自覚していた。だがそれでも、サウンドウェーブの言うことは理解できなかった。 「意味がよく分からんが」 「分からずともいい。ただこう理解しろ。おまえはネイティブではない。サクシーズでもない。イノセンツでもない。そして最早、アドバンサーでもない。そういった定義から外れたアナザー・ワン、あるいはニュー・ワン。そういうことだ」 「つまり……」 「つまりもクソもない。"そうである"と理解し、受諾しろ。既に起こった後のことだ。とやかく言うなど無駄だ」 ぴしゃりとはね除けられると、どうしようもない。 バリケードはまだ理解が追いつかなかったが、サウンドウェーブの言葉は記録した。あとでゆっくりと考えてもいいし、メガトロンに尋ねてみてもいいだろうと考える。
サウンドウェーブの本題は、 「ゆえに」 ということだった。 「おまえはこの世に唯一の、他に例のない存在だ。このアナザー・ワンがどういった生命体か、私はそれが知りたい」 だから定期的にここに来て、自分に全データを寄越せ。サウンドウェーブはそう言った。 もちろんそれは提案でも依頼でもない。命令ですらない。そうするというただの宣告である。拒むのも逃げるのも勝手だが、サウンドウェーブはそれを阻み、許すまい。 とんでもない横暴である。だが、借りの大きさを考えると、思考から感情からなにもかも―――メガトロンとのこともおそらくなにもかも、知られてしまうのだとしても、命の代価に相応しいものは他になにもない。自分には断る権利などないとバリケードは思った。 「分かった。それなら、必要なときには呼んでくれ」 だからこう言うしかないし、それは喜んで協力したいことではなくとも、断固として嫌なことでもなかった。
接続行為で発生していた情報面での不具合は、スキャンのついでにすべて修正したとサウンドウェーブは言う。 「ヘタをすると半日も絡まれているのか。少しは断ったらどうだ」 サウンドウェーブは、特にどうということでもないように、ただ呆れた声で言う。 「う……。そういうことは……ほっといてくれたほうが……」 「そうはいかん。おまえは私の被験体だ。問題がないかぎりにはいかなるデータでも手に入れてくれればいいが、クラッシュされては元も子もない。それに……」 それに、なんだろうか。 バリケードは、サウンドウェーブが自分を見る視線が、やけに重いことを感じる。 「何故だ」 その視線と同じ程度に重い調子で、サウンドウェーブが口を開いた。 「今のところ、なにも問題はない。だが、いつなにが起こっても不思議ではない。おまえはそれを知らない。馬鹿な。あの人は何故話さなかった」
バリケードのデータは細大漏らさずすべてスキャンしたサウンドウェーブは、既にすべてを知っていた。 当人であるバリケードのほうが、記憶を辿らねばならなかった。 のんきな、とサウンドウェーブは呟いた。 そして、だから馬鹿だと言うのだと。 「おまえを少しでも長く生かしたい、自分の傍に置いておきたい。あの人はそう言った。臆面もなくな。だがこれは博打だ。私は警告した。何故だ。おまえはコアデータ転送に伴う危険は知らされた。それを承知で受け入れた。好きにしろ。私がとやかく言うことではない。だがまさか、話していないとは」 サウンドウェーブはほとんど独り言のようにまくし立てる。なにを言われているのか理解できないバリケードは、さすがに少し苛立った。 「独り言なら後でやってくれ。俺に聞かせたいなら俺に分かるように言え。なんなんだ、いったい」 「ほう。多少利口になっても馬鹿は馬鹿か。いいだろう。ならば前後の文脈から切り離し、はっきりと言ってやろう」 平気で人を馬鹿呼ばわりし、サウンドウェーブは言った。 「おまえはいつ死んでも不思議ではないということだ」 と。
「表面的な情報はすべて正常に機能しているが、コアデータはカオス状態だ。正常なのか異常なのか、今なにがどうなっているのか、私にもなにも分からん。そんなでたらめなものがおまえを生かし動かしている。何事もないのかもしれん。だがなにが起こっても不思議ではない。おまえは今、そういう状態だ。そしてメガトロン様は、コアデータの転送そのものが過大な負荷を与え、おまえを破壊するかもしれないことは伝えたが、このことはなにも言わなかった。何故だ」 ガン、と拳がアームレストを叩いた。 サウンドウェーブの激昂を見て、バリケードは戸惑う。彼が感情を出すことはあっても、これまではずっと、ただ辛辣であったり皮肉であっただけだ。こんなふうに怒るのを見たことはない。しかも、 「何故と、俺に言われても……」 いくら感情的になっても、サウンドウェーブがそんなあからさまな破綻を見せるとは、にわかには信じがたいことだ。 サウンドウェーブは立てた指をバリケードへと突きつける。そして、 「おまえはそれでいいのか。言わば騙されて正体不明の爆弾を埋めこまれたのだぞ」 と言った。
騙すなどと人聞きの悪い。バリケードは小さな怒りを覚える。だが、あえてその言葉を使った意図は分かった。騙されているも同然なのにそれでいいのかと問いたいのだろう。 バリケードは自分のスパークの辺りを意識した。 束の間ここに、崩壊寸前の惑星のような重量があった。だがその膨大なデータは、溶けこむときには一瞬で、なんの抵抗もなかった。 (メガトロン様……) 何故言わなかったのだろうか。 騙すつもりがあったとは考えられない。 それだけはない。 だがそれ以上のことはバリケードに分かることではない。どうしても知りたいならば本人に聞くしかないだろう。 しかしそんなことは、後の問題だ。
俺はどう感じているのかとバリケードは自分の心の中を振り返った。 なにも説明されず、いつなにが起こるかも分からない状態にされた。 「なに」は、たとえば、突然発狂したり、死んだりすることだろう。もっとささやかなものならば、無視してもいい。 「……もし俺が、突然わけの分からないことをしはじめたら、……そのときには、あの人が責任を持って止めるだろう」 だから、そのときにかける迷惑のことは考えなくてもいい。 「もし俺が、突然死ぬとしたら……」 たとえばこうして話しているときに、突然。 「それは、少し困るな。もう少し生きていたい」
「バリケード。だから貴様はのんきだと」 サウンドウェーブの苛立ちと怒りが、バリケードには少し可笑しく思えた。つい笑うと、彼はむっとした様子で目を鋭くする。今少しだけ、自分のほうが優位だとバリケードは感じた。感情の不安定は、立場も力も弱めるものらしい。 「なんだ、もしかして、心配してくれているのか?」 言うと、さすがにそれに狼狽するサウンドウェーブではなく、 「私が心配しているのは戦力と、貴重な実験体のことだ」 そう答えた声は冷たかった。だが、 「だったら別にどうでもいいだろう? 俺がいなければ戦力はダウンするかもしれないが、保有する総軍事力から比べれば些細なものだ。そして実験体なら、俺になにが起こってもそれが実験結果だろうが。おまえは欲しいものを得ることになる」 その答えには、切り返しがなかった。
勝手にしろ、私の用は済んだ、出て行けとサウンドウェーブは戦線離脱する。 だが、サウンドウェーブが少しだとしても自分を心配しているのは確からしいとバリケードは思う。何故なら、向けた背に 「どうなっても、私は知らんぞ」 そんな言葉がかけられたからだ。 その言葉を「心配しているからだ」と理解するのはやはり、データ的な拡張処理を受けたからだろう。その理解が正しいかどうかはさておき、以前の自分であれば、なにも感じなかったに違いない。 これは、得たものだ。 バリケードはそのことをあえて意識し、言葉にして反復した。
これを得るまで。 今までの自分がどれほど空虚だったか。 楽しいと思うこともなく、大した喜びもなく、苛立ちと無関心と焦燥と、戸惑いと困惑の中で生きてきた。 メガトロンの傍に招かれるようになって、少しは変わった。少し、だが大きく。だがやはり少し。少しだと、今だから分かる。 今だから、分かるのだ。
「サウンドウェーブ」 もし自分が、いつ死んでも不思議ではないほど不安定な存在になってしまったなら、誰かに言っておきたいとバリケードは思った。だからサウンドウェーブの名を呼んで、しかし少し照れくさいので、振り返るのはよしておく。 「俺は、これでいい」 「だから勝手にしろと」 「だから勝手に話す。―――俺は、メガトロン様のデータをもらって、今まで見えなかったものが見えるようになった。いろんなものが分かるようになった。もし予定より早く死ぬことになるとしても、……なにもせず予定どおり生きるよりいろんなものを、俺は手に入れた。誰かを好きだと思ったり、その人といたいと思ったり、共にいる時間に幸せを感じたりする。そういうものがないまま生きていくよりは、俺は、今のほうがずっといい」 「バリケード」 「だから俺は別に不幸じゃないし、メガトロン様がどんな理由で俺にこのことを言わなかったのだとしても、どうでもいい。俺は、こうなって良かったからな」 言って外に出る。 ドアが閉まる間際に、背後で小さく「馬鹿が」と呟く声が聞こえた。
(あれ、シリアス?)
メガ様編ぷち、その3はサウンドウェーブさん。 裏設定がいろいろと垣間見えてますよー?
予定ではシリアスは一部、大半コメディ、しかももっと短くて、すぐ後にラチェット先生のところへ行かされるはずだったのに。 ま、考えて書いてないのでこんなものです。 |