Pain-killer

 

 宇宙には思いも寄らない危険がひそんでいる。
 それが細菌や微生物といった小さなものであれば、納得がいかないでもない。
 だが自分たちよりも巨大な相手に遭遇することは稀だった。
 更にそれが高度な知性と攻撃性を持つ場合、一瞬の油断が命取りになる。
 未知の生命体との危険な遭遇に気付いたのは、最初の、そして致命的な攻撃を受けた後だった。

 小型艦と同程度の体躯を持つその生物は、目にもレーダーにも感知されることなく忍び寄り、いきなり船に取り付いた。外壁を食い破り引きちぎる。爪を突き刺し抉り取る。飛び出した攻撃部隊は巨大なブレードで両断され、宇宙の闇に消えた。
 小手先の技などない、純然たる破壊が彼等の手法だった。
 そして頑強な外皮と高速度で再生可能な細胞、体そのものが鎧だった。
 顎や爪は金属を紙のように断ち、咀嚼する。
 交渉は不可能だった。意志の疎通そのものは可能なのかもしれないが、彼等には交渉に応じるつもりがなかった。
 抗戦しきれないと判断し、全艦に離脱命令が出された。

 おそらく彼等は、縄張りをおかしたものを撃退するつもりだったのではないか。そう思うのは、ある程度退避するとぴたりと追ってこなくなったからだ。
 その距離をバリケードは目算でメモリする。サウンドウェーブに尋ねれば正確な数値が分かるが、今はそれどころではあるまい。
 負傷者は医療室に収容しきれず通路に蹲り、艦体には巨大な穴があいたままだ。
 足早に歩く者の足音が行き交う。音と言えばそれと負傷者の呻きくらいだが、通信回線をオープンにすれば、そこには医師や看護チームの叫び、補修部隊や警戒に当たる兵たちの絶え間ない指示と応答が嵐のように渦巻いている。
 誰も彼もが緊迫し、焦燥し、苛立ち、怒り、怯えている。
 その中で、取り残されたように自分だけが静かだった。

 強酸の体液に溶かされた腕は冷えて固まり、もう痛みもない。無事ではないが、どうとでもなる軽傷だ。この腕と引き換えに12体、首の中にある脳幹を抉り出して殺してやった。貢献はした。彼等の急所を突き止めることができたのは、無駄ではなかった。だが撃退できたのはほんの一部でしかない。
 そして今は、なにもできない。
 治療にも補修にも携わる知識や技能がないし、痛みと死の恐怖に怯える者を宥める能力もない。
 誰もがなにか、自分にできることで役立とうとしている中で、自分には何一つできることはないのだ。

 そして誰も、自分にそんなことを求めようとはしない。警備に立つことさえ求められない。仲間との連携をうまくとれないスタンドプレイヤーは、「軍」そのものには必要でも、「軍隊」の一員には要らないということだ。
 バリケードはせめて邪魔にならないようにと、人の出入りのない後部デッキ、大破し宇宙がそのまま見える貨物ベイへ向かった。重力装置がうまく機能していない今、そこは決して安全ではないが、だからこそ誰も近づくことはないだろう。
 引き裂かれた隙間から貨物室に入ると、星のほとんど見えない暗い宇宙が広がっていた。
 そして、先客が一人。
 暗闇の宇宙をじっと見つめていた。

「スタースクリーム。どうした」
 後ろから問うと、彼は片足で、食われずに残った貨物に手をかけて、不自由そうに体をひねり振り返る。
「バリケード。そうか。おまえは、することがないか」
「おまえは、なにかあるんじゃないのか?」
「少し休めと言われて追い出された。その代わり修理も後にしろってのは、ないよな」
 たしかに、右脚を斬られ失ってはいるが、それだけだ。エネルギーの流出を防ぐ応急処置さえ終われば、軽傷でこそなくとも致命的な怪我でもない。
 スタースクリームのダメージは、体よりも精神的なものに違いない。進路の決定については、メガトロンすらこの部下を頼り、一任していたのだ。
 もちろん、どれほど用心し警戒し、綿密に調査をしても、絶対に安全だということはない。最大限の努力をしたところで、避けられない悲劇はある。だから誰も、少なくとも彼の苦労と心痛を察する者は誰も、責めようなどとは思わないだろう。だが、失った仲間を思う気持ちを消すこともできず、それが無言の責め苦となって彼を苛む。誰も望まない悪循環だ。

 バリケードは気の利いた言葉など返すこともできず、沈黙した。
 やはり自分は、戦闘が終わってしまえばなんの役にも立たないと思う。
 すると、
「バリケード、ちょっといいか」
 呼ばれて顔を上げれば、スタースクリームが手招いている。立っているのがつらくなったのか、貨物に背を預けて座り込む。その前に近づくと、更に来いと合図された。
 どうすればいいのかと思いながら、投げ出された左足を避けて横に回る。
 途端、手を捕まれて引きずり降ろされ、強くホールドされた。
「スタースクリーム?」
「少し、こうしていさせてくれ」
 胸部の装甲分ほどしか離れていない距離で、スタースクリームのスパークが大きく震えた。

 強烈な波動は、伝わるだけでなく共鳴現象を引き起こす。
 バリケードはスタースクリームの痛み、その一部を自分の中に感じた。
 悔しい、悲しい、つらい、情けない、怖い、もっと力があれば、もっと聡ければ、こんなことにはならなかったのに、すまない、すまない、すまない、すまない―――。
 許してくれと乞う声が、必死に抑えこまれた鳴動の中に埋もれている。
 かける言葉を見つけられないバリケードは、どうしようもなくて、こうすればいいのだろうかと思いながら、スタースクリームが自分にしているように、彼の首に腕を回し、少しだけ力を込めた。
 寸の間緩んだスパークの嘆きが、次の瞬間に膨れ上がる。腕に篭もる力も増して痛いほどだったが、それはスタースクリームの感じる苦痛の千分の一もあるまい。

 無力だ、とバリケードもまた思う。
 なにもできない。
 もっと頭が良ければ彼の補佐をして責任を共に分かち合うこともできたろうし、もっとうまく言葉や思いを伝えられればたとえ僅かでも慰められたかもしれない。
 こんなに苦しんでいるのに、何一つしてやれない。
 ただじっと、せめて、彼が望むとおりにこうしているだけだ。

 傍には虚無の宇宙が広がっている。暗く果てない闇の世界だ。
 死して置き去りにされ、その暗闇に飲み込まれた仲間は、もう二度と返らない。
 バリケード自身にとって、それはどうでもいいことだった。
 だがそれをスタースクリームが悲しみ、この先ずっと抱えて生かなければならないのであれば、それは決して、「どうでもいいこと」ではない。

(俺が、もっと強ければ)
 今よりはるかに、もっともっと強ければ。
 あの生物が数百いようと造作もないほどに強ければ。
 彼をこんなに苦しめることは、なかっただろうに。

 スタースクリームの嘆きに触れて揺れていたスパークが、急速に収縮する。
 その中央に生まれたのは一つ。

《強く》

 それはただ一つ、できること。
(俺は、そのために生まれた)
 敵を殲滅せよと。

 その運命を嫌悪したこともある。
 安寧に馴染めず、平和で何事もない時間には違和感と落ち着かなさしか感じられない。そんな自分の居場所を求めたこともある。
 だが、そうではない。
 そうではないのだと今はっきりと分かった。

 平和など必要ない。
 仲間とともに過ごす時間も要らない。
 居場所などどこにもなくていい。
 その代わり、誰よりも何よりもどんなモノよりも強く、すべての敵を凌駕して余るほど強く。
 そうすればこんなふうに悲しみ、そして苦しむことは、今より少しだけ減らせるだろう。

 破壊と殺戮でしか戦えない自分を、人がどう思うかは分かっている。
 だがそれでもいい。
 その力でしか抗しきれない敵もいる。
 そして少しでも彼の苦しみや悲しみを減らすことができるなら。
 だから今だけ。
 今少しだけ。
 この思いとほのかなぬくもりを忘れないように、少しだけ腕の力を強くした。

 

(了)


 バリケードサイド、というか、「彼が何故」の部分です。
 このバリケード編の存在を踏まえて、本編のほうをたった一日でけっこう大きく改訂していたりします。旧ver.をご覧になったかたは、本編ブラックアウトの様子がまるで違うことに驚かれるかもしれません。
 でも、物分りよくなんてなれないのもまた、愛あればこそ。

 ともあれ、最強の軍用犬誕生の切っ掛けでございます。