序:Megatron
オプティマスは怪訝な顔をしている。気付いたメガトロンが彼の視線を追うと、その先にはブラックアウトがいた。 メガトロンも怪訝な顔になる。そして二人は顔を見合わせ、視線で同じ言葉を語った。「彼はなにをしているのか?」と。 ブラックアウトは倉庫の壁を調べている。彼にも採取と分析の機能はあるが、その調査能力は高くない。どれほど丹念に壁や車、配管、ゴミ箱、などなどを調べても、分かることはたかが知れている。 いや、そもそも「調べている」のだろうか。 触れて、すぐに手を離してしまう。そして何事もなく少し歩くのだが、傍らに停車しているトラックに、ふと思いついたように手を伸ばす。そしてまたすぐに離れる。 かなり挙動不審である。 基本的に放任主義、もとい、部下の自主性を重んじるメガトロンも、これにはさすがに疑問を持ったらしく、ブラックアウトを少し追いかけると、 「ブラックアウト。さっきからなにをしている? あれこれ調べているようだが」 詰問調にならないよう、声をかけた。 「メガトロン様。いえ、特になにというわけでは。失礼します」 そそくさ、と。 真面目なブラックアウトにしてはらしくない態度で、彼はメガトロンの前から逃げ去った。 メガトロンはそれを見ていただろうオプティマスを振り返る。 そして二人は少しだけ首を傾げた。
1.Blackout
メガトロンから逃げたブラックアウトは、変なところを見られてしまったという動揺と羞恥がおさまるや、また元の疑問に没頭した。 おかしい、と思う。 何故なら、別に楽しくもなんともないからだ。 どんな物も、物は物だ。 なにを触っても面白くもなければ楽しくもない。もちろん、成分やなんやを調べたりするなら別かもしれないが、そうでないなら触る理由などなにもない。 それならば「これ」はなんなのだろうか、とブラックアウトは自分の手を見る。 「これ」。 「触りたい」という欲求だ。 対象はただ一つ。 それ以外のどんなものも、いろいろと実際に触って確かめてみたが、そんなふうにはまったく思わない。 いや、待て。 まだ確かめていないものがある。 だが、とブラックアウトは解体作業中のボーンクラッシャーを見る。理由もなく触れば何事かと思われるし、第一、 (別に、触りたく……ないよなぁ) たとえばボーンクラッシャーがなにかで落ち込んでいたりしたら(そんなところは見たことがないが)、元気づけようと肩をぽんと叩く。手を置く。そういうシチュエーションなら分かるが、そういう「意味」も「理由」もないのに触るなど、ありえない。不自然だ。 それなのに。 どうしてバリケードを見ていると、どうにも抑えがたい「触りたい」欲求を覚えるのだろうか。
意味もない。 理由もない。 あるのは欲求だけだ。 こんなのは絶対におかしい。
だが……記憶をリロードする。 「あれ」にはどういう意味があったのだろうか。 無意味ではなかった。 だが理由はなかった。 「あれ」もまた、そうしたいという欲求の湧き上がるままにしたことだ。 ブラックアウトは同時に、人間の文化・習慣のデータも想起する。 人間に影響されたのだろうか。 何故なら「あれ」は、人間ならば珍しくないし、映画の中のサムやミカエラ、あるいはカーリーもよく行っている。サムと両親もだ。 意味は、「親愛」。 軽いものは「hug」と呼ばれる。 だが「あれ」は、少なくともhugには分類されない。 ではなにか? それは分からない。 分かるのは、ただそうしたくて……そうせずにいられなくてそうした、ということだけだ。
意味。 理由。 安心させてやりたい、と思ったから? 思ったからそうしたわけではない。ああすることで安心するかどうかなど、不明ではないか。 こうすればなにかになるなどと思ってしたことではない。 ただの欲求、それとも、衝動だ。 意味も理由も、後付けでしか付けられない。
そしてたとえ「あれ」は説明がついたとしても、「これ」はまた別の問題なのだ。 バリケードはあれから特に何事もない。 数日おとなしく寝ていて、もう一度ラチェットの診察を受け、今度こそ「走りまわったり暴れたりしなければ、まあいいだろう」とお許しが出た。 なるべく体力を使わせないようにとの配慮から、撮影の手伝いなどはしていないが、その代わり、ディセプティコンの共用ガレージでデータ整理しているのをよく見かける。 その姿をすぐ近くで見ているとき、そこにいるバリケードの肩やアンテナに、意味もなく触りたくなる。特になんだというわけでもないのに。 そして、メモリされている腕や胸の接触記録を思い出すと、もう一度それを再現したくなるのだ。記憶の再生ではなく、現実に。
このままではなにも手につかない。 ブラックアウトは自分の置かれている立場、課されている役目について考える。 3作目にまったく出番のないブラックアウトは、資材の搬送と、空撮時の安全確保を割り当てられている。資材の運搬は、特に問題ない。しかし安全管理は重大だ。高所での撮影中、万一にでも人間が落下するようなことがあれば、それを受け止めるのが役目である。 ムササビダイブ、と呼ばれているシーンはもう先日撮り終えているが、監督は出来が今一つ不満らしい。とすると、今後もしかして、撮り直しということもある。 そのときに、注意力が散漫になっていてはならない。絶対に。
幸いスタースクリームたちは出払っていた。 今日は市街戦の撮り直しをしている。データが消えたとかで、監督がさんざんわめいていた。だから嫌なんだ、フィルムが好きなんだとかなんとか。 それはさておき、出番のある者はもちろん、コンストラクティコンやアイアンハイド……映画の中では死亡しているが、現実にはもちろん健在のアイアンハイドたちも、手伝いのために出かけている。 残っているのは、出番のない間に「今後」についての話を進めるつもりらしいオプティマス、メガトロンと、撮影所の仕事を手伝っているボーンクラッシャー、バリケードのことが気掛かりらしいラチェットくらいのものである。ジャズは昼前に、女性スタッフとともに街へ買い出しに出かけている。 ボーンクラッシャーの作業が完了するまではまだまだ時間がかかりそうだったし、オプティマスやラチェット、メガトロンは用もないのにふらふらと出歩くようなタイプではない。ジャズは久しぶりに外出できたからには、夕方まで帰ってこないだろう。 ならば今しばらくは、邪魔されない時間を作れるはずである。
探してみると、バリケードは撮影所にとどまっていた。 万一と言えば、こちらもまだ万一の可能性があるからと、彼は今、現在地を常に明らかにするようにと命じられている。発信されている信号は共用ガレージを示している。またデータ整理でもしているのだろう。 情報の収集・管理はサウンドウェーブが担当するが、情報処理に高い能力を発揮する彼だからこそ、些細な整理や整頓を任せるのは無駄、浪費である。よってそれらは、フレンジーか、あるいはバリケードが担当することが多い。フレンジーはデータ処理のために生まれたA級ドローンであるし、バリケードは速さと正確さ、論理性を要される作業が得意だ。 覗いてみると、案の定今日も彼は、ネメシスにつながる端末に向かっていた。
ブラックアウトの姿を見て、バリケードは手を止め顔を上げる。 「体調は、問題ないか」 まずは真っ先にそれが気になって声をかけた。 「ああ」 といつもどおり、短い返事。 ブラックアウトが後ろへ回りこむと、モニターには7つほどのウインドウが開き、内の一つには星図が映しだされていた。その意味は、今は考えないようにする。 「なんだ?」 とバリケードが問うので、 「少し、頼みたいことがある」 答えると、もう一度 「なんだ」 と言われた。
「手……」 「手?」 怒るかもしれない。不可解だと撥ね付けられるだろう。 だが、それならそれでいい。この不可解な衝動は、解明されるか、さもなければ駄目だ、無理だと確信しなければ、解消されそうにない。 「手を、出してくれないか?」 バリケードは案の定、訝る顔だ。 だが、こっちへ、という意味でブラックアウトが自分の手を前に出すと、バリケードはなんでもないように、その上へぽんと手を乗せた。 一瞬だけ、体内の電気負荷が高くなる。 「で、なんだ」 「いや……なにというか……」 手相、というキーワードが脳裏をよぎったが、さすがにそれは馬鹿げた理由である。 すると、バリケードは勝手に理由を推察した。もちろん、 「ラチェットの代わりに、おまえがなにか調べてみるのか?」 その理由は、間違いだ。
そんなつもりで言っていることではない。 だが、そういうことにすれば、触らせてくれる。 手どころか、どこでも。 そう考えた途端に、騙したくない、そんな卑怯な真似はしたくないと、強く思った。
そしてもうやぶれかぶれに、 「そうじゃない。そうじゃなくて、ただ触りたいんだ」 馬鹿正直に告げた。 突然変なことを言われて、バリケードはどうしたものかとフリーズしている。「触りたい」と言う理由がなければ、答えようもないのである。 ブラックアウトは苦心する。自分の中に渦巻く言葉を拾い上げ、それが説明に適したものかどうか……判断がつかない。 乱雑に散らかった候補の中から、 「変、だよな」 ようやく、今の自分について説明するキーワードを一つ見つけ出す。 「変なんだ。おまえに触りたいと思う。理由はない。理由はないのに、近くにいたいと思うし、……近くにいると、触りたくなる」 こんな手だけではなく、この間のように。
それどころか、彼の腕、その外装、強化装甲やフレーム、サスペンダー、腕だけではない、肩と背に一対ずつ飛び出しているアンテナ、背中、幾重にも軟装甲の重なる細い腰、ようやく傷も歪みも消えた右脚、どこもかしこも、どんな感触がするのか、この指のように滑らかなコーティングがされているのか、それともマット処理されているのか、固いならどれくらい固いのか、弾性があるならそれはどれくらい柔軟なのか……。 全部、自分の手で触れて、確かめたい。
異常な欲求だ。完璧に異常である。 詳細はとても言えない。 近くにいると触りたくなる、というだけでは、バリケードにはやはり意味不明なのだろう。 だが、彼はじっとそこにいる。腹を立てたり呆れたりして出ていくことはない。 それは、この間いろんなことをきちんと伝えることができたからだ。 バリケードはずっと、「どうしていいか分からない」から拒否的な態度をとっていただけだった。だから、うまくできなくてもいいから、とりあえず近くに来ればいい、いてほしい、そのほうがずっといいんだと伝えた。 言葉にはできない思いも、思いのまま伝えるなら簡単だったのだ。 だから、以前ならばいい加減にしろと拒絶して立ち去っただろうに、今はこうしてここにいてくれる。
そう思うと、欲求は急速に強くなる。 不快にさせるかもしれないと思うのに、ブラックアウトの手は恐る恐る、バリケードの手を離れて腕へと伝っていく。 突然バリケードが動いた。 さすがに駄目かと謝ろうとして、ブラックアウトはハングする。 バリケードはブラックアウトの手をとると、自分の胸に押し付けたのだ。
「触りたいなら触ればいいだろう。それでなんになるのかは分からんが。これでいいのか?」 「え、いや……、あ、まあ……うん、いや……」 「どっちだ」 短気なのは相変わらずである。 エネルギーの循環が不安定になってブラックアウトはめまいを覚えている。 そして、頭の中は半分真っ白だが、覚悟を決めた。 「いいと言うなら、俺のしたいように触るから、もし嫌だったら、殴る前に言ってくれ」 告げると、なにをそんなに深刻になっているんだろうとでも訝る顔で、バリケードは「ああ……?」と承諾した。
2.Barricade
ブラックアウトはバリケードの腕を掴んで立たせ、椅子代わりの廃材にどんと腰を下ろした。そして膝の上に乗せる。 バリケードは突然のことに少し驚いた。あのままでは触りにくいからだろうか。このほうがいいというならそれでもいいが、どうせなら、ラチェットが診察するときのように、どこかに横になったほうが確認しやすいのではないかとも思う。だがブラックアウトはそれは求めない。そこまで無抵抗な状態にさせるのは悪い、と思っているからだろうか。 よく分からない。
どちらにせよ、触りたいなら触ればいい。 近くにいると触りたくなる、とブラックアウトは言う。何故そうなるのかはバリケードにはさっぱり分からないが、そう思うならとにかく触ってみればいい。いきなり触られれば何事かと思っただろうが、コンセンサスがとれていればにも問題はない。 なのに何故そんなことを「大それたこと」「許可しがたいこと」のように言うのか。 こんなことが、なんだというのだろうか。 理解はできないが、それでブラックアウトの疑問が解決するならばそれでいいし、大したことでもない。
と、思っていた。 「………………」 自分の腕ほどありそうな太い指が、ゆっくりと肩のフレームをなぞる。そのまま喉元に辿り着き、ライトを格納した胸部に触れる。バンパーを、彼は少し押すようにする。 スパークを保護する必要のある胸部と、中枢神経の束が通る腹部は、ひときわ精密に守られている。 たとえば胸は、バリケードの場合三重の装甲を持つ。最も外側は、特別重要な部分を保護するための強化装甲。その下に剛構造の外殻がある。その内側には、弾性に富んだ軟装甲が重なっている。 腹部は、メインフレームの下がすぐに軟装甲の層になっている。急所をカバーするために強化装甲も存在しているが、動きを妨げないために、あくまでも一部を覆うのみだ。 外殻や強化装甲には、ほとんど感覚がない。これは言わば「鎧」である。 だが軟装甲は違う。一枚一枚は紙のように薄いそれらは、複数重なることで衝撃を分散させ、緩和する性質がある。そして、直接内部機関を覆う位置に存在するため、痛点も多く設置されている。少しでも早い段階で、「痛み」として破損事実を知る必要があるのである。 中でも特に、中枢神経までの距離が短い腹や腰は、危険を察知しやすい仕組みになっている。 触られるだけで痛むことはないが、他の箇所であれば感覚すらないだろう接触も、そういった部分は反応する。 痛みよりはずっと曖昧な信号だ。微細な、ざわめきのような。 苦痛はないし、不快というわけではないが、このざわめく感覚はどうにも落ち着かない。
「ブラックアウト」 我慢しかねて、バリケードは仲間の手を掴んだ。 「そこは触るな。……落ち着かん」 「あ、ああ。そうか。すまん。そうだよな。それなら……ここは、嫌じゃないか?」 この間、自分で叩き壊した大腿部の強化装甲に触れられる。ほとんど感覚がない。 (……?) なんだろう、とバリケードは今一瞬、自分の中によぎったものを追った。 もちろん、それを捕まえるのは不得手である。あっという間に行方知れず、消息不明になる。 なんだったのだろうと思う。 ブラックアウトは引き続き、特殊な保護液でコーティングされた強化装甲を撫でている。 どういう意味があるのか、行ったり来たり、何度も。 だがバリケードには、特別なにもない。コーティングが削れてしまうかもしれない。それが気になる程度。ただそれだけだ。
ただそれだけ。 ただそれだけでしかない。 それだけのことなら、別に無視しても構わないわけだし、それでいいはずなのだが、ただそれだけのことだから、なにか面白くなくなってきた。 つい、「いつまでそんなところを触ってる」と言いそうになる。 だが我慢した。 ブラックアウトには迷惑ばかりかけて、それでも変わらず近くにいてくれる恩がある。だから、少しくらいは彼の望むとおりにさせてやりたい。彼がしたいということなら、そのままさせてやりたい。 しかし、バリケードはやはりバリケードだった。 我慢しても、それを何事もないように隠すことなどできないのである。
気配のようなもので察したらしく、ブラックアウトは急に我に返って、 「あ、いや、すまん。……嫌なら、もうやめようか」 バリケードは急激に苛立つ。腹が立つ。 そうやってすぐに引く。 どれだけ俺を凶暴な生き物だと思っているのか。 だがそんなふうにすぐ激昂して怒鳴りつけたりするから、彼は謝ってすぐに引っ込むようになったのだ。 バリケードは自分の感情をどうにか抑え込み、制御する。 「そうじゃない。嫌だとは、思ってない。俺は……確かに今、腹を立てているが……それはおまえが、そうやってすぐ謝るからで……」 「じゃ、じゃあ、……でも、なにか我慢していただろう? なにが嫌だったんだ?」 「それは……」 もう知るか、と言いたいが、それではならない。 傷つけたくないのだ、今までのように簡単には。 「……だから……」 「だから?」 「……何故そんなところ、いつまでも撫でてるんだ。何度も」 「あ、ああ。やっぱり、嫌だったか?」 「だから……ッ、……嫌だとは、言ってないだろう」 バリケードは怒らないようにと自制すべく苦心する。 「まずは俺の質問に答えろ。俺は、何故と訊いたんだ。嫌だから謝れなんて言ってない」 「あ、そ、そうだな。分かった。えーっと……コーティングの感覚が、艶やかで、いいと思った。俺はこういう部分を持たないだろう?」 戦闘ヘリに、光を反射するような加工は禁物である。バリケードも本気で戦闘モードに入れば、この上に更に電磁シールドを展開し、反射光を消すようにする。しかし彼の擬態はポリスカーで、覆面車ではない。目立ってならないことはない。むしろ目立つべくして作られている。光を跳ね返す様も、悪くはないのだ。 なるほど、とバリケードは理解した。自分にとってはどうでもいい、意味のないことでも、ブラックアウトにとっては、触れる感触が心地よかったということだ。だから彼は、そこが気に入って、繰り返し感触を確認していたのである。
「じゃあ、―――バリケード。今度は俺の質問にも答えてくれ。まったく嫌でなかったなら、不機嫌にはならないし、なにも我慢しないよな。それなのにおまえは、なにか我慢していた。だから不機嫌にもなった。なにが、それとも、どうだから気に入らなかったんだ? 教えてくれないか」 論理的リターン。 会話ログを読み出せば、質問に質問で返したのは、まずはバリケードのほうだった。 「それなら先に俺の質問に答えろ」と言ってもよかっただろうに、ブラックアウトが反論せず答えた以上、彼の質問に答えるのはもはや義務のようなものである。 バリケードは自分の思考記録と感覚をなんとか思い返そうとする。 なにが嫌だったのか。 ブラックアウトはそこの感触が気に入ったようだが、自分は…… 「俺は……」 「ああ」 「俺は、そんなところを触られても、ほとんど感覚もないし……」 「だが、あ、いや。いい。うん。それで?」 「だが? だが、なんだ」 「ああ。感覚の鋭いところを触られるのも、困るんだろう? だからここならいいかと思ったのもあったんだ。だが、感覚がないところを触られるのも、なんていうか、あまりいいものじゃないのか?」 「それは……そこは、俺であって、俺でない……。分かるだろう。俺の一部なのは確かだが、交換可能、着脱可能で……」
いったいなにを言っているのか。 そもそもこれはなんのための会話なのか。 バリケードの論理性は、戦術や状況分析に特化している。感情を整理して把握するためのものではない。 だんだんとわけが分からなくなってきた。 「もういい、やめだ」と言いたいが、言いたくない。 どうすればいいのかと唸っていると、急にブラックアウトの顔が小さく跳ねた。 「それはつまり」 と彼は言う。 「触るなら他のところにしろ、ということか? 感覚のある、おまえ自身の部分に」 と。
そういうことなのか、とバリケードは自問する。 論理的には、イエスだ。 感覚的にも、どうやらイエスである。 しかしそれはいったい、何故なのか、どういう意味なのか……。 思考がハングアップする。 「それなら、……これ、外してもいいか?」 ブラックアウトの指が、大腿部の強化装甲を挟む。 どう答えればいいのかと思っている内に、実行命令したわけでもないのに、接続が解除された。コーティングされ黒く艶やかに光るパーツが、ブラックアウトの手に落ちる。 彼はそれをそっとデスクの上に置き、その手で銀色のメインフレームに触れた。
感覚がある。 指が辿る位置情報が鮮明だ。 外側を、上部から膝関節のほうへ。 そして内側へ。 そして再び、上部へと……。
唐突にいたたまれなさが膨れ上がって、バリケードはブラックアウトの手を押しのけると外した装甲を掴みとり、廃材、ブラックアウトの上から飛び降りた。 「こ、ここまでだ。もういいだろう。俺は……、俺は、違う、俺は、いや、とにかく、今は、ここまでだ!」 なにを言っているのか自分でも分からないまま、バリケードはシャッターを剥ぎとって外へ飛び出した。 手にしたパーツを巻き込みながらポリスカーに変形し、ギアを一気にトップへ入れる。 わけが分からない。 どうしていいかも、どうするのかも、どうしようというのかも。 分からないから、とにかく寝よう。 この混乱した頭、思考と感覚と感情と、更にはそれがなにかもよく分からないものと、いろんなものが混じり合って混乱しきった頭の中を、とにかく鎮静させ停止させなければ。 (今はここまでって……「今は」? じゃあまたってことか? また、ああやって、触る……触られる……ブラックアウト……あんな……ああクソ、なんなんだこれは!) とにかく一人になろう。 一人になって、いったんすべて放棄する。考えるのは、また明日だ。 幸い今は簡単に一人になれる。完全に快復するまでという条件で、シングルのガレージを与えられているのだ。 右折し、左折する。 あと少し。 もう一度左折。 した途端、目の前に現れた銀色の柱に激突した。
幕間:Megatron
ラチェットは呆れて呆れて呆れて呆れ、呆れ果てた顔だ。 そこまで呆れると、ただ呆れるだけでも複雑な表情になるらしい。メガトロンは実に申し訳ない気持ちになる。たしかにここのところ、迷惑のかけ通しである。 「事情を……聞くべきか、聞かなくても別にもうどうでもいいような……、しかし医者の責務として一応訊きますが、私が聞くに値する事情はおありですか?」 「皮肉の二つ三つ言いたい気持ちは分かるが、まずは診てやってくれないか。ビークルモードで走ってきて、私の脚にぶつかったんだ」 「衝突でここまで破損するということは、つまり、走りまわるなという私の言いつけなどまったく守りもしなかった、と。あれだけ言ったのに……」 オプティマスの排気もこれほどではあるまい、という盛大な溜め息が医師の口から漏れた。
「この間、少し考えたのですが」 もうどうしようもないほど呆れてうんざりした様子で、しかしラチェットは診察台の前をあける。 「この地球に来てから、たしかに皆、体調を崩したり、アレルギー反応を起こしたり、さんざん私の手間を増やしてくれました。しかしある程度は、致し方のないものとして理解できます。この環境ではやむをえない。ですが―――」 気絶した小柄な部下を抱いて前を通るメガトロンを、ラチェットはじろりと睨む。 「医者にとって、お得意様は少ないほどいいのですがね? 特に、よく分からない理由で倒れたり、自業自得で怪我をしたりするような場合は」 「まあまあ」 「誰かさんも、年も考えず極低温に冷却されて関節炎になったり」 「え? いや、あれは……」 「海底で厄介な錆を拾ってきたり」 「あー、ラチェット?」 「流星群を避けそこねて腰を傷めてみたり」 「それはたしかに私の不注意だったが」 「菌が入りやすいから十分ケアするようにとあれだけ言ったのに腕の中にキノコを生やしてみたり」 「なかなか根に持つな。まだあるのか」 「言いたいことは腐るほどありますが、すべてが本人の責任というわけでもなし。今回は、ぶつかったのが貴方で良かったと思いましょう。さすが、もう修復完了していますね。良かった。実に良かった」 ラチェットの言う「良かった」は、その前か後かのどちらかに、「余計な怪我人が増えず、面倒な手間がかからなくて」という言葉が隠されているに違いない。 やはりラチェットは怒らせないにかぎる。メガトロンはつくづくそう思った。
結:Blackout
(怒った……んじゃないし、嫌われても、ないよな) ひしゃげたシャッターの向こうに、太陽に照らされた明るい道路が見える。 今までに見たこともないような慌てた様子で出て行ってしまったが、「今はここまで」だとバリケードは言った。 今は。 (また触っても、いいってことか……?) 自分の半分ほどしかないのに、ともすると自分よりも強靭で、柔軟で、繊細な体。 頭だけではなく、スパークまでおかしくなってしまったのだろうか。触りたいという欲求が叶ったら、それまでよりももっと、今日は触れられなかったところすべてに、触れたくなった。 ブラックアウトは、今更ではあるが気付いている。 もし自分が人間で、バリケードもまた人間だったら、触れたいと思うのは何故か。そして、ああやって触れることの意味は、もっと明白だ。
自分たちは人間ではない。 接触するということに、そういった意味付けは存在しない。 だが。 たとえば肩を叩いたり、そこに手を置いたりする行為には「cheer」、「元気付ける」という意味がある。それはセイバートロンでも、この地球でも。 オートボットと人間は、文化的、習慣的、感情的には、そう遠い種族ではないのだ。 だとしたら。 触れたいと思うこと、もっと触れたいと思う気持ちには、人間が持つものと同じような意味があるのではないだろうか。
本当にそうなのか、ブラックアウトには分からない。 そしてなにより、そんなオートボットらしからぬ気持ちをバリケードがどう感じるか、それも分からない。 次の機会などなしにして、封印し、消してしまえばいい。そうすればなにも起こらない。これまでどおりの日々、これまでどおりの距離。 だが―――。 (逃げたく、ないな) 厄介で、複雑で、手に負えない、この絡まりあった思い。 なかったことにするのは簡単でも、それはとても寂しい選択のような気がするのだ。
思ったとおりにはならなくても、最後まで向きあおう。 ブラックアウトはそう決めた。 なにがあろうと損なえないもの、それがなにかは分かりきっているのだから、それさえ失わなければ、それでいい。 (そうだな) だから今はここまでだ。 そしてまた今度、それが許されるなら、少しずつ、バリケードの気持ちの在り処、その形を確かめていけばいい。 「さてと」 気持ちを切り替えて、ブラックアウトはとりあえず、このシャッターをどうしようかと困って笑った。
(まだまだつづく?)
難儀な……。 この人たちどうしようもない……。
書きながら私が思っていたのは、この二つです。
お楽しみいただけましたでしょうか? ちなみにタイトルはディカプリオ主演の映画、「Catch me if you
can」のパロディです。特に関連はありませんが、音が似てるので。youとIはひっくり返ってますけどね。「捕まえられるもんなら捕まえてみな」が原題の邦訳なら、こっちは……「触れるものなら触りたい」? 自分でつけといて、なんだかなぁ(笑
あと、データが消えて云々、というのは、実際の撮影時、冒頭の月のシーンで本当にあったそうですね。デジタル撮影の不安点をいきなり味わった、と監督がなにかのインタビューで答えていました。パンフにも載ってたっけな?
さて。 鉄同士の関係で、どうやって「する」のか。そこはたぶん、書こうとする人がそれぞれに悩むところかと思います。 気に入って通っているサイト様や、今までに見かけたことがあるものも、電気的な接続をメインにすることがほとんどです。私の場合もそうなると思います。「By
your side
1」で、意味合いは違いますが、もう既にそういうことしてるしこの二人。 ただ「触れる」という、彼等には本来ない(と設定した)行為を、どうやって馴染ませるか。まあ、ねちねちと……もとい、ぼちぼちと、思いつくままに書いていこうと思います。 シリアスにというか、真面目にというか、「世界観」みたいなものを大事にした話では、たぶん、人間と同じような行為には至らないと思います。ちょっと無理かなと。そういう形態にする必然性がないので。 ただ、もう少しはっちゃけた煩悩MAX仕様では、どんな無理やりなこじつけでも、そういうことをやらせてみたいなぁと。 ……むしろドS確定の音波さんと絡ませてみたい(鬼
ともあれ、いろんなバージョンで出てきそうですが、そういうのもお好きなかたがいらっしゃるなら、楽しみにしていただければ……お応えできるといいなぁと思います。 |