ガレージを出て、スタースクリームは一人、そっとキャンプを離れた。
 軽い興奮が去らない。そんな感覚は誰しも同じだろう。
 今自分が感じているものは、なんなのだろうか。
 それをじっくりと考えて、捕まえておきたかった。
 オールスパークの探索。
 まだまだ至らない自分に対する恥ずかしさ。
 メガトロンの信任に対する恐れと、誇り。
 光り輝くかつてのセイバートロンの姿……。
 そこは果てしなく遠い。
 星の風景もそうだが、そこにいた先人たちにも、今の自分は遠く及ばない。
 だが、メガトロンは、はっきりと言葉にはしなかったが、こう言ったのだ。
 おまえたちにはそれぞれの思いも考えもあるから、そこへ行こうと自力で努力するしないは問わない。けれど私は全員を、少しでもこんな未来の近くへと連れて行く。そのために全力で努力する、と。
 それを思うと、熱いものが込み上げてくる。
(俺は……)
 果てない過去の偉人たちのようにはなれないとしても、努力は放棄したくない。
 重いものを笑って背負おうとする主を、助けることならできる。
 そして……ともするといつか、彼のようにはなれなくても、もう少し皆に信頼され、安心を与えられるなにかにはなれるのかもしれない。
 いや。
 そうならないと、いつまでもいつまでもメガトロンを頼って、彼ばかり苦労させてしまうのだ。
(俺は、俺にできることをする。今すぐにじゃなくてもいい。だが、少しずつでも、前に進まないとな)
 幸い、人間たちに比べれば自分たちに与えられた時間は長く、チャンスは多い。

 気がつけば、なんとなくお気に入りの場所になっている川辺に来ていた。人間ならば降りるのは難儀だろうという崖の下だが、スタースクリームにはどうということもない。飛び降りて、できるだけ音を立てないように着地する。
 樹木はいたって脆弱で、しかも貴重だ。この地には溢れているが、地球全体で考えれば不足している。迂闊に傷つけないよう、細心の注意をはらう。それにしてもこの体では都合が悪い。F-22という戦闘機は美しいフォルムをしていて気に入っているが、歩行形態になると幅がありすぎる。こういうときには、小柄な者が羨ましくなる。
 潅木の茂る場所抜ければ、だいぶ歩きやすくなった。砂利の上を上流に向かって少し歩くと、大きな中州のある開けた場所に出る。左右は密度の高い林だが、中洲からであれば飛行形態になって戻ることも容易だ。そんな理由で、スタースクリームはその場所を目指した。
 青白い光に気付いたのは、二歩で川の流れを越えて中洲に辿り着いたときだった。
 右手の林の奥に、ぼんやりとした光が見える。夜光虫というのとは違うだろうが、なにかごくごく小さな光の粒が、黒々とした茂みの周囲を漂っているようにも見える。
 なんなのだろうと思ってもう一度川を渡り、林の中を覗き込むと、木陰に小さな影があった。
 そして光は、その傍に漂っていた。
 肩の上へ付きだしたルーフが作る影は特徴的だ。車窓が光の粒子のようなものを映して、ちらちらと輝いている。

「……バリケード? なにしてるんだ?」
 尋ねると、少しだけ顔が動いた。
 彼の周囲の樹木は乱暴になぎ倒されている。
「こんなにしやがって……もう少し加減か遠慮をしたらどうだ」
「おまえには関係ない。よそへ行け」
 相変わらずこんな口のききかたしかしないが、いちいち腹を立てても仕方がない。それに、今のは別に、不思議だが、反射的にカチンと来ることはなかった。
 それにしても、この光はなんなのだろうか。バリケードの体にまといつくように見えるが。
 覗き込むと、頭突きでもする気かという勢いで立ち上がられた。スタースクリームは慌てて身を反らして避ける。
 去らないなら自分が去るというのだろう。バリケードは無言で離れようとする。
「ちょっと待てよ。相変わらずおまえは……」
 コミュニケーション不全なんだから、と言おうとして、気がついた。
 この青白い光の粒子は、バリケードの装甲の隙間から立ち上っているのだ。
「おい、なんなんだ、これ」
 バリケードは答えずに歩く。追いかけようとすると、目の前にディスクソーサーが突き付けられた。過激な奴とは承知だが、どうしてこんなに気が立っているのか。雑談のガレージはたしかに喧しかっただろう。だが、あえて出ていかなかったのだ。努力しているのだとスタースクリームは解釈している。では、その我慢の反動か?
 そんなことを考えていると、
「そうだな。丁度いい」
 という呟きとともに、ディスクが下ろされた。
 そして突然。
「連れて行ってほしいところがある」
 と言われた。

 指定された座標は高山地帯だった。
 飛行できるスタースクリームには造作もない。ハンガーフックにバリケードを固定して高速飛行すれば、ものの1時間もかからない場所である。
 調べたいことがある、とバリケードは言った。
 だがそれがなにか引っかかって、スタースクリームは「失せろ」「帰れ」「鬱陶しい」「邪魔だ」といった諸々の暴言を無視してついて歩いた。
 たしかになにかを調べているようだが、なにを調べているのかは分からない。
 いや。
 分からないのではない。実際にはなにも調べていないのに、調べているようなふりをしているから、分からないのだ。
 いったい何故そんなことを?
 そしてこの光は……。

 光の正体に気付いたとき、スタースクリームは世界が反転したような目眩を感じた。
(そんな、まさか)
 爆発的に膨れ上がる感情すべてを力づくで押し殺す。
 そうかもしれない。しかしそうでないかもしれない。
 だが、すべてが一つの答えを示している。
 本当に邪魔だと思うなら、ビートルモードに変形して逃げてしまうこともできるのに、そうしない。武器を用いて手荒く追い払うこともできるのに、そうしない。今はもう立ち止まったが、最初に向かおうとしていたこのこの活火山の東側、火口のある場所。なにより、今もまだまといつく青白い光の粒子、これは―――粒子化したスパークなのだ。

「これは、なんなんだ。おい。どういうことだ」
 バリケードは答えない。
 答えにくいだろう。
 だがその答えはもう知っている。たぶん間違いはない。
 だが違うと言ってくれることを期待して、返事を待たずにいられない。
 返答を待つ内に、バリケードの擬態が解除された。なににも擬態しない本来の姿に戻る。
 そして彼は、無言の抵抗を諦めたようだった。

「見てのとおりだ」
 と言う。
「俺を見つけたおまえが悪い。とっとと帰れ。監督不行届を責められるかもしれんが、俺を監督することが困難なのは、誰でも知っている。だから、問題はないだろう」
「断る」
 あらゆる感情を強く強く押し殺し、押し固めて、冷たく凍らせた。今はその冷たさの上で、解決する方法を考える。
 考える。
 視界の中でちらちらと、青い光の粒子が踊る。
 殺して固めた感情が破裂しそうになるのを、必死に抑えこむ。
 だがちらちらと、時は流れ、光は立ち上り、宙に消えていく。
 時間がない。今も過ぎていく。焦りを殺す。懸命に。
 どうにかしなければ、だがどうすれば?
 バリケードの目が、ふわりと浮かび上がる光の粒を追う。自分の体から離れていく粒子に触れようとして上げる手、その指や腕の関節からも、光は漂い空へと昇っていく。
 それを見た瞬間に、今の今まで押さえ込んでいたものの鎖が切れた。

「この馬鹿がッ!!」
 星が落ちそうな一喝とともに、スタースクリームの右拳がバリケードの顔を殴り飛ばした。
 その手で肩を捕まえ、倒れることは許さない。
「そんなの誰が許すか! 許せるわけないだろう!? 探すんだ! 他に方法はあるし、なんとかできる!」
「猶予は何時間だ?」
 問われて今度は無言で殴り倒した。
 倒れた体からも、粒子となって散っていくスパーク。
 スパークは力そのものであり、そして、命だ。
 今青白く宙へ立ち上り消えていくのは、バリケードの生命そのものだった。

 

 フォールンの襲撃の際、恐れ慄いた人々はその敵を消し去ってくれる者を望んだ。
 バリケードとその直接の兄弟たちは、そうして生まれた。
 彼等は己の身も、傷つき倒れた市民も守らない。ただ敵を破壊するためだけに戦った。
 やがて平和が訪れ、人々の心から恐怖が薄れるにつれ、そんな危険な存在は必要ではなくなった。
 そして一人、また一人と減っていった。

 平和な世界、恐怖に怯えない者には、必要ない存在。
 だから今、彼も消えようとしている。

 彼は今、明日への希望に満ちた仲間によって、消されつつあるのだ。

 

「仕方ないだろう。俺は、そういうモノだ」
 倒れて空を見たまま、バリケードが言う。スタースクリームは返す言葉を見つけられない。そうじゃないという気持ちだけは表して、首を振る。
「否定しても、事実だ。だからこうなってる。俺も、あんな世界は御免だ。……怖いなんて、初めて思った。あの世界に近づけば、俺は食い殺される。そんな気がした」
 地面から離して目の前に掲げた指の関節からも、スパークは拡散していく。ゆっくりと、少しずつ、しかし止まることもなく。
「だが、おまえたちはあれがいいんだろう? それにもう今も、誰も、なにも、恐れていない。俺を必要とするほどには。それなら、俺の役目は、もう終わったということだ。俺はもういなくてもいい」
 スタースクリームはもう一度殴った。これ以上傷つけることはできずに、彼の顔のすぐ脇、脆い土の地面を。
(なんで……オールスパーク、なんでこんなふうに作った……っ!)
 バリケードがここに来たのは、なにかを破壊し、傷つけるためではない。彼は誰も傷つけないためにここに来たのだ。
 こんなことになっていると知れば、皆が動揺する。自分たちが荷担しているのだと知れば傷つくだろう。ましてや、その決定的な「引き金」を引いてしまった者は、どれほど後悔し苦悩するだろうか。だから、誰にも知られず姿を消そうとした。だが立ち去ることに成功せず、たまたま飛べる者が現れたから、こんな場所に運ばせた。調査中の事故だと言い訳して、マグマの中にでも消えてしまえば、なんの痕跡も残さずに済むと。
 それでも彼は、ただ敵を排除し、なにかを破壊するためだけに存在し、そのことにしか生きる意味も価値もないというのだろうか。

 答えはない。
 ただ否定したい。
 自分も彼を殺そうとしている一部だと、それもまるごと否定して消してしまいたい。
 平和など望んでいない。そんな言葉だけの嘘で、スパークは騙せない。
 ではどうすればいいのか。
 ただ見送るしかないのだろうか。
 そして彼の望むとおり、なにもなかったかのように?
 そんな、銀河級の秘密と嘘を、一人でいつまでも守り通す自信はない。
 ―――いや、一人ではない。サウンドウェーブ。彼はすべて見ているはずだ。
『サウンドウェーブ。どうすればいい。なにか手はないのか』
 無線で問う。
 答えは期待しなかった。
 だが、
『唯一の手立ては呼びました』
 と答えられた。

 その声はバリケードにも届けられたらしい。
 赤い四つの目が大きく開く。
『ただし、失われるものはあります。スタースクリーム。貴方はどちらを選びますか』
「俺? 俺が……選ぶ?」
 サウンドウェーブの問いかけは謎だ。
 だがその謎の回答の一端、彼の言う「手立て」は間もなく現れた。
 甲高い共鳴音とともに空間が歪み、それが爆縮した後には、夜空に溶け込むような黒い巨体が現れていた。
「先生!」
 ジェットファイアだ。
 彼は二人の傍に来ると、
「事情はサウンドウェーブに聞いた。わしがなんとかしてやる」
 そして、
「ただし」
 と言った。
「ただし、スタースクリーム。その方法をとれば、わしはこれまでだ」
 と。

「どういう意味ですか? これまでって」
「スパークはわしらの生命そのもので、『個』を決定する核でもある。人間ならば『魂』とでも言うのだろう。だがこれは同時に、純然たるエネルギーとしての性質も持っておる。ゆえに、多少強引ではあるが融合させることができる。過去に例もある。―――バリケード。わしのスパークをやろう」
 決然と言い放たれた言葉は、鉄槌のようにバリケードとスタークリームの頭を打った。

 

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