A Day

 

 なんとなく目が覚めるとカーテンはぼんやりと明るく、晴れているなら朝もまだ5時頃か、雨が降っているなら7時頃か。
 枕元の時計を見ようと思ってブラックアウトは、そういえばここは自分のアパートじゃなかったと思いだした。
 腕の中に、部屋主が眠っている。
 途端にそれだけで幸せな気分になり、そんな自分を自覚して少しだけ呆れる。
 起こさないように気をつけながら、彼の腕をとる。そこに少し大きめの腕時計がある。腕時計として身につけて使う睡眠科学を利用した目覚ましもあるが、これは単にバリケードの習性だ。何故か彼は時計をはずさない。おかげで時計の下だけ肌の色が他より白い。
 デジタルの時計は「06:57」、そろそろ起きたほうがいいだろう。ブラックアウトは今日も明日も休みだが、バリケードは仕事である。今日は朝番で、普通の商社と同じように9時頃までには出勤しなければならない。
 車で5分もかからない勤務先なのに、この時間に起きるのは早すぎる、と思うかもしれないが、バリケードの寝起きの悪さはブラックアウトが持て余すことがあるほどで、起きてすぐに出掛けるなど言語道断である。
 7時になると腕時計のアラームも鳴りだした。一緒に寝ている相手の起床時間には頓着しないのか、しなくてもいいと知っているのか。
「バリケード、時間だぞ。起きろ」
 軽く揺さぶると、猛獣が唸るような声を立てて体を反転させる。数秒待つと、起きるしかないのは分かっているので腕をついて背を起こす。まだ目は閉じたままで、眉間の皺はいつもより深い。
 やれやれと、ブラックアウトは先にベッドを抜け出して給湯室へ行った。きれいなタオルを濡らして固く絞り、電子レンジへ放り込む。そうして1分ほど温めれば、簡易蒸しタオルの完成だ。広げて少し冷まし、それを持って戻るとまだベッドの上で俯いているバリケードの手に押し付けた。
 朝食は野菜と蒸し魚のサラダにトースト、スクランブルエッグ、ポタージュスープ。用意する間にシャワーを浴びさせる。
 それでようやく少しは気分もすっきりしてきたのか、バリケードの眉間の緊張も少しはやわらいだ。
 ブラックアウトの正直な気持ちとしては、弁当を持たせたい。しかし、バリケードが弁当を持ってきたとなると、署内で一騒動あるだろう。絶対に本人が作るわけがないことは分かりきっている。そしてまた、作ってやりそうな者も判明している。なのに弁当の作製者は出勤しないとなれば、じゃあなんで弁当など持たされてるんだということになる。朝一緒にいたからだろう。何故? 問うのも野暮な答えしかあるまい。
 おおよそ知られているとしても、それをあからさまにはしたくない。だからせめて、朝に普通のものをちゃんと食べさせることで妥協するのだ。

 そうして送り出した後で、ブラックアウトは気合を入れて掃除をはじめた。
 幸いここは元貸事務所で、上も下も隣も、空いているか、さもなければ仕事にしか使われていない。自分のアパートと違って足音も掃除機の音も気にする必要はない。
 電灯の埃を落とし窓枠を拭き、掃除機をかける。物がない部屋なので片付けは発生しない。そのかわり、給湯室のコンロを磨き換気扇を磨き、椅子やテーブルの足まで拭いて、時期外れの大掃除である。
 そうこうして2時間。一段落ついてミネラルウォーターを飲み、一息。
(………………。出掛けよう)
 ブラックアウトはそそくさと出掛ける準備をした。
 なにせこの事務所、4年ちょっと前に人が4人死んでいる。小さな町金の社長が、金銭トラブルから社員3人を滅多刺しにした挙げ句、息のあった一人から逆襲され、事務用のハサミを首に突きたてられて……。
 たとえ昼間でも、こんなところで一人で過ごす気には到底なれなかった。
 一度アパートへ帰り車を出す。行き先は郊外にある私立図書館である。普段はゆっくり本を読む時間もないし、平日の昼間に暇をしている友人もいない。一人で有意義に過ごすには、時間がなければ読めないような本を楽しむのがいい。
 図書館についてふと、料理関係の本がないかと思った。最近はマンガやコミック雑誌すら置いている図書館もあるから、料理本くらいならきっとあるだろう。
 検索機で調べると、家庭向けの本から本物のシェフが読むようなものまで、それなりに数もあることが分かった。
 何冊かピックアップして抱え、エアコンの風が直接あたらないテーブルを探してそこに座る。バッグの中にノートと筆記具くらいはいつも入っている。普段からよく作るものも、変わった味付けやコツがないかを見、作ったことがなくて美味しそうだと思ったものはレシピから作り方まで細かくメモする。家庭で作れるレベルのフレンチやイタリアンなら、一度試してみるのもいいだろう。
 そうやって興味のあるものを探しては書きつけていくと、時間は驚くほど早く過ぎてゆき、空腹を覚えて時計を見たときには昼の3時を回っていた。
 ノートや筆記具、開いていた本はそのままにバッグを肩にかけ、館内の軽食スペースへ向かう。サンドイッチやハンバーガー、カップ麺といった軽いものを売っている自動販売機がある。今は軽く空腹を誤魔化すだけでいい。サンドイッチを一つと缶コーヒーを買って腹におさめると、さてもう少しとテーブルへ引き返した。
 そのとき、ポケットの中で携帯電話が震えだした。取り出して液晶を見れば、スタースクリームの名前が表示されている。ブラックアウトは電話OKの軽食コーナーに戻ると通話ボタンを押した。
「なんだ?」
『お、出た。今日は非番か?』
「ああ」
 正確には有給休暇を使っての連休中なのだが、わざわざ言うこともあるまいと簡単に答える。
 スタースクリームの要件は、暇なら一緒に映画を見に行かないかということだった。
 どうやら彼も今日は大学の講義が一つもないらしく―――ちなみに学生ではなく講師である―――、昼間から友達と遊んでいたらしい。そこで、最近話題になっているアクション映画の話になって、それなら今から見に行こうと決まったという。
 ブラックアウトは、ホラーとスプラッタ以外ならだいたい楽しめる。人がつまらないと言う映画も、それなりに面白いと思って見ることのできる得な性分である。来いと言うなら行こう。2時間ほどつぶせば6時前で、帰るのにも丁度いい時間になる。
 持ち出していた本を書棚に戻し、続きを見たい一冊をカウンターで手続きして、ブラックアウトは図書館から5分程度のところにある大型シアターへ向かった。

 ロビーにはスタースクリームとジャズ、バンブルビーがいて、賑やかしどもが集まって遊びまわっていたのだと知れた。ジャズの顔がかなり赤いのを見、ブラックアウトが開口一番、
「飲酒運転はしてないだろうな」
 と言ってしまうのは仕事柄でもあるし、心配だからでもある。すると横からバンブルビーが、自分を指差して首を振り、次いで頷いた。つまり、自分は飲んでないから、運転は自分がしているということだろう。
「あんたを呼ぼうってのに飲酒運転してるわけないだろ。さぁさ、行こうぜ。始まっちまう」
「そういうこと。俺たちもそこまで馬鹿じゃない。で、ついでで悪いんだが、ジャズはバンブルビーが送るとして、俺を送ってもらえればな〜と……。駄目か?」
「なるほど。要するに俺は足ってわけか」
「そう言うなよ。それに、呼ぼうって言い出したのはジャズだ」
「分かってる、冗談だ。送ってやるよ。わざわざ高いタクシー代を払うこともない」
 早く見たいらしいバンブルビーがジャズの腕を引っ張ってシアターへの入り口を指差した。入場はもう始まっている。そろそろ行かないと、照明が落とされてからでは席が探しにくい。
 チケットは購入済みで、スタースクリームが一枚、ブラックアウトの手に押し付けてきた。財布を出そうとしたのは止められる。足代だと言う。それにしてはずいぶんと高額な気がするが、断ろうとしても押し問答になるだけだ。ここは素直に奢られておくことにした。
 それにしても、昨日は昨日でDVDを見て、今日もまた映画。二日も続けて映画を見ることはあまりないので、少しだけ面白い偶然だと思う。
 肝心の映画は、なかなか面白いものだった。
 前評判ほどではないにしても、アクションはCGやVFXを使って迫力があったし、ヒロインがいい役だった。途中から敵か味方か分からなくなり、実は味方だったとも言われそうだし、敵だったとも言われそうで、どうなるのか気になって仕方ない。
 面白いと思う。
 けれどどうにも、なんだろうか、この落ち着かない感じは。
 ブラックアウトは、周囲の観客の邪魔にならないよう精一杯気をつけながら、足を組みかえたり、腕を組んだり、浅く座ったり、深く座りなおしたり、少し体の角度を変えたり、フィットする姿勢を作ろうと苦心していた。しかしどうしてもしっくり来ない。そのうち、あまり頻繁に動いていては邪魔になるかもしれないと、諦めることにした。
 足りないものがなにかは分かっている。しかしそれは、今ここでは絶対に持ち出せないし、持ち出しようのないものなのである。それがなにかは、言うまでもないだろう。

 

 帰りの車の中、
(そんなに言うならおまえが監督をやればいいのに)
 ブラックアウトはスタースクリームの熱弁を聞きながら苦笑する。
 伏線の張り方がどうのとか、終盤に向けてのテンポがどうだとか、そういえばスタースクリームはいつもこんな感じの感想を言う。しかも、ヒロインが敵なのか味方なのかは、開始から10分程度でそうなる可能性に気付き、結局は敵なのだとも分かってしまったらしい。そう推理した理由を聞くと、なるほどと思えないこともないが、そんなものはただの直感でしかないようにも思える。
 それにしても、こんなことを考えながら、あれはああだ、これはこうがいいと批判しながら見て、楽しいのだろうか。映画を楽しんでいるのか粗探しを楽しんでいるのか、かなり微妙である。
 しかし、つまらなければスタースクリームはなにも言わないのだ。これは彼なりの楽しみかたで、ストーリーや映像だけで満足はできないのだろう。
 ただ、ジャズが自分を呼ぼうと言い出したのは、こんな話を聞きたくないからかもしれない、とブラックアウトは考えた。
 ジャズもかなりの理屈屋だが、彼が言う映画の感想なんて、ヒロインがイカしてたとか、ああなると思わなかったとか、あのシーンが良かったとか、悪役の乗ってた車がカッコ良かったとか、そういう他愛ないものだ。そういう話をするには、間違いなくバンブルビーのほうがいい。スタースクリームの映画批評は、単純な楽しみに水をさしてしまうだろう。
 だがブラックアウトにしてみれば、どっちもどっちだ。ジャズのような感覚的な良し悪し、好悪感を語られて同意を求められても、同じことを思えなかったときには困ってしまう。面白い面白くないの話は感覚のものだから、そこが違ったらもう会話にならないし、合わせるのにもひどく苦労する。特に、自分は面白いと思った映画を、面白くないと言って盛り上がられたら、そこにいるだけでもひどくつらいのだ。
 その点、スタースクリームの話はカメラワークや演出、脚本の良し悪し、つまりは技術の問題と理屈なので、これはこうじゃないか、何故そうなるんだと理解しながら聞くことができるし、そういうふうに考えることもできるのかと、面白さとは別のところで共感することができる。説明されればなるほどと思えることも多い。
 たぶん、自分がスタースクリームの理屈に付き合っているように、バンブルビーはジャズの感覚に付き合っているのだろう。言いたい放題言っても逆らわずに聞いてくれる、自分たちはそういう役回りだ。
 アパートの前にまで送り届けると、降りる間際、スタースクリームは、
「あれ、もう一回見に行くかな」
 と呟いた。
「なんだ、あれこれ難癖つけていたわりに、気に入ってはいたのか」
 車窓からからかうと、
「気になるところはある。けど、面白いのは面白かったからな。ここ数年の中では一番気に入った。うん、やっぱりまた見に行こう」
 やれやれとブラックアウトは肩を竦め、アクセルを踏んだ。

 さて、
「ただいま」
 と帰る先が他人の部屋というのは、少し妙な気がする。
 夕飯の買い物をして帰ったら、バリケードの退勤よりも遅くなってしまったのだ。
 もちろん、遅くなったからどうとか言われることもないし、なにをしていたとも問われない。ブラックアウトが一人でこの場所にいるのを嫌がるのは承知なので尚更、出掛けているのが当たり前だと思われる。しかしそれでも、なにも聞いてもらえないと少し寂しい。分かっていても、そう感じずにはいられない。
 そんな気分を変えるため、なにをしていたのかは自分から話してしまう。
 掃除をし、図書館へ行き、スタースクリームたちと映画を見、買い物をしてきたこと。他愛ない一日だ。特別なことなど何一つない。
 救われるのは、そういう話をバリケードがいつも、最後まで聞いてくれることである。遮ることはないし、他のことをしながら聞くこともない。相槌といったら頷くだけだが、聞くときには、聞くことだけをしてくれる。
 聞きたくない、あるいは聞く理由がないと思えば「他の奴に話せ」と容赦ない断ち切り方をするのだから、ただ聞いてもらえるだけでも実はかなりレアなことだ。
 それから―――、夕飯は、鍋一つで作れる簡単で大味な、肉と野菜の炒め煮、それを鍋ごとテーブルに置いて各々勝手に摘まんでいると、急に一言、
「明日は、俺が作ってやる」
 彼の手料理を口にできる者は、世界広しと言えど他にはいるまい。
「ああ、楽しみにしてる」
 ブラックアウトは万感の思いを込めて返事をした。

 

 

(おわり)


 

 だからなんだと言われそうなほどに何事もない、一日の朝から晩です。
 このSSの取っ掛かりは、「腕の中に定物がないと落ち着かないブラットさん」(笑
 そこから、映画を楽しむそれぞれの流儀みたいなものになりました。
 そしてその裏には、けっこう深い(?)モノがあったりします。

 いませんか? スタスクみたいなタイプ。映画でもコミックでもアニメでも小説でもいいんですが、面白かったかどうかよりもまず、良し悪しみたいなものを論じる人。一歩間違うと知識をひけらかしてるだけになりかねない、危険なタイプです。面白かったかどうかで楽しみたい人にとっては、細かい粗探しみたいなことを言う人は敬遠されますね。
 要するには「すごいね」と思ってもらいたくてあれこれ論じるんだと思います。そしてこれはいわゆる「欠点」であり、そのせいでけっこうな数の人が、スタスクのことを「うるさい、偉そう」と思ってるのではないかと。(この要素は、理由は違いますがIF世界でも存在します。その場合、リーダー面しやがって、という感じだと思われます)
 でも自分の意見や知識をアピールするのは、相手の無知や無理解を叩きのめして黙らせたいのでないなら、その相手に「すごいな」と認められ関心を持ってもらいたいから。理由は不明ながら親に置いて行かれてしまったらしいスタスクが過度にそういうふうになるのは、自然なことのようにも思うのです。
 だからたぶん、「なにそれ、自慢したいの? うるさいよ」とか冷たい態度で遮られると、自分でも予想しないほど驚いて傷つきそう。

 オトギバナシとしては、メインクラスの登場人物が誰かから嫌われているような要素は出さないほうが心地良いのかもしれませんが、あえて。
 このパラレル世界でジャズとスタスクは友達ですけど、ジャズからすると、議論したり批評し合いたいときには持ってこいで、嫌いではないけれど、時々ウザい。そういう思われ方かもしれません。
 そういう、ちょっと知識が鼻につくタイプのスタスクと、自分の気分優先で場をコントロールし、他人の気持ちに合わせないジャズ。
 でもそれがリアルだと思います。仲のいい友達でも時々はウザいとか、ああいうところは嫌いってありますし、なにかしら欠点はあるもの。でもそれでも友達。打算とか計算、我慢、利用するところが何一つもない関係ってほうが、レア中のレアではないでしょうか。

 そういう深い(?)モノを入れながら、前後がアレなので女性向けなコーナーに放り込まれてます(笑