「I'm Home!」

 

 枯れ草の広がる平原を、灰色のアスファルトロードが真っ直ぐに走り抜けている。この道がどこに続くのか、そんなことに興味はなかった。まだ通ったことのない道を行けば、まだ辿り着いたことのない場所に出会う。そのために、旅している。
 そして、不意に訪れる岐路に心が躍る。右へ折れようか。真っ直ぐ行こうか。見渡すが、前も右も同じような景色が続くばかりだ。
 ジェットファイアは履き古したレザーパンツのポケットから、古いコインを一枚取り出す。それを弾き上げて受け止め、手を開くと、女神の横顔が微笑んでいた。では、右へ曲がるとしよう。
 行く道が決まると、急に空腹を覚えた。終わりのない旅では、なにかが決まったとき、そのすべてが小さな終着点であり出発点になる。ここから始まる新しい旅の前に、腹ごしらえが必要だと体が言っているのだ。
 愛車のハンドルを大きく切って少しだけ道を逸れ、乾いた草の上に連れて行く。そして、サイドカーでシートベルトを締めた大型のリュックサックを手に……
「ん?」
 女性には持ち上がらないほど重いのは確かだが、それにしてもこんなに重かっただろうか。少なくともジェットファイア自身が手にとれば、非常に重くはあるが普通に抱えられたはずである。
 なにか余計なものを買ったりもらったりしただろうか。いや、そんな記憶はない。
 いったいなんなのだろうと、シートに置いたまま口を開いてみると、なにやらもぞもぞと動くものがすぐそこにあった。
 どこかで動物でももぐりこんだのだろうか。今までに二度ほど、食料目当ての獣が勝手に入り込んだことはあった。しかし今回の道程では、そういった野生動物の多い場所へは行ったことがない。
 なんにせよ、毒を持つ動物であるとか、小型でも獰猛な獣ということもありうる。ジェットファイアはジャケットの裏ポケットから厚手のグローブを出してはめる、慎重に手を差し入れた。
 途端、動いていたそれはぽんと跳ねるようにして頭を持ち上げ、―――どう見ても同種族の子供のものである顔をジェットファイアのほうへ向けた。

 なんで子供がこんなところに入り込んでいるのか。というかよく窒息したり熱でやられたりしなかったものだが、いや、―――この子、誰?
 大きな目でじーっとジェットファイアを見上げていた子供……幼児は、今更気付いたようにきょろきょろと左右を見回して、
「じーちゃ。ここ、どこ?」
 と首を傾げた。
(どこじゃね―――ッ!! っていうか俺はまだジジイじゃねェッ!!)
「そ、そんなことより、坊やはなんでこんなところに入ってたんだ?」
 穴倉が好きな飢えた獣ならともかく、なんで子供が、他人の荷物にまぎれこまなければならないのか。というか、何故、いつの間に、どうやって入り込んだのか。少なくとも、サイドカーの積んだときにはおかしいとは思わなかったのである。このままでは自分は誘拐犯になってしまうではないか。
 しかし、相手はほんの子供で、ジェットファイアの質問は無視して、そしてたぶん自分がした質問のことも忘れて、面白そうにバイクを触り始めた。
「駄目だ!!」
 小さな手が、今の今までしゃかりきに働いていたエンジンに触れそうになり、慌ててジェットファイアはその手を掴まえる。驚いたのか、見下ろした目が見る間に揺らぎ始めた。ジェットファイアはいっそう慌てて傍にしゃがみ、
「これはな、今ものすごーく熱くなってるんだ。触ったら火傷しちまうぞ」
「??」
「だから……触ったら、めっ、だ。痛い痛いで、めっ」
「めっ?」
「そう」
「うん」
 こくんと頷いて、子供は手を引っ込めた。

 

 それからのことは、今でもよく覚えている。
 町に引き返し、警察に届け出た。もちろん、いつの間にか子供が荷物に、などという話をそう簡単に信じる者はなく、誘拐犯が良心の呵責に耐えかねて、というストーリーになりかけた。しかし、子供が両親の名前も、住所も、今までなにをしていたのかもなにも答えられず、だが幸いに自分から荷物の中に入ったことだけは覚えていたので、どうにか納得してもらうことができた。
 もちろんジェットファイアは、子供を警察に預けて旅に戻ろうとした。しかし1マイルも行かない内に、パトカーが追いかけてきた(携帯電話などない時代だ)。なにかと思えば、預かった子供があなたを呼んで泣きやまないから、親が見つかるまで保護してもらえないかということだった。その泣き声は警察署の建物の外にまで聞こえるほどで、それで泣きやまないのでは迷惑でもあるし心配にもなるのも道理だ。それが、ジェットファイアが姿を見せた途端に小さくなって、顔を合わせれば駆け寄り、しがみついてきた。これでは断ることなどできなかった。
 親が見つかるまでは、その町に滞在することにした。あまり魅力的な町ではなかったが仕方なかった。
 「親」は何日も見つからず、迷子の届け出もなく、その子は名前しか言えないのでどうしようもなく、施設に預けるのが筋なのだが、置いて行かれることが分かると泣き出すので……。
 妥当ではないと思ったが、親が見つかるまでの間、連れて行ってもいいかと尋ねた。もちろんそれは適切な対処ではない。なかなか認可は降りなかったが、最終的には、その子はジェットファイアの愛車のサイドカーをマイルームにすることになったのだった。
 突然できた。子供。……孫、と人が言うならそれでもいい。
 子育ての経験もなく、しかも旅から旅の生活では大変なことも多かった。だが、二人で見る景色は何故か、どれもこれもが思い出になった。鮮やかで美しい朝焼けを、もう一回見たいと、まるでビデオを巻き戻すようにせがまれたのに困り果てたのも、いい思い出だ。山の中のキャンプ、ガス欠でバイクを押して何マイルも歩いたこと、見ているとめまいがするほど満天の星。

 それから、もう一人で生活くらいはできるだろうと、高校に行かせるため、ある町に住処を与えたときのことも。
 泣き虫はなおったと思っていたのに、話を終える前に目にいっぱいの涙が溢れて、
「嫌だ。置いてかないで。……捨てないで」
 そう言われたとき、なにか分かった気がした。気がしただけで、それ以上考えることはやめた。
 たった一人の息子を、孫を、誰が捨てて行くものか。おまえは学べ。大勢の、同じ年の子供と一緒に生活することも、学校という社会の仕組みも、まだまだ学ばなければならん。社会に学ぶものを見失ったわしは、旅をする。だが必ず、ここへ帰ってくる。わしが心配で心配でまともに旅もできんような、そんな子じゃあないだろう。必ず帰ってくるから、ここでわしを待っておれ。
 そう約束して、別れた。
 それから見る景色は、なにか少し物足りなかったが、あの子が一人前になるには必要なことだと、いつか、いつかまた二人で旅の生活ができるときまで、それを楽しみに待つことにした。

 それが4年もすれば立派に一人立ちして、気の置けない友人たちもでき、泣き虫は今度こそ本当になおったらしい。
 その中で一つだけ予想外だったことがある。さらに4年が過ぎた頃、
「どうじゃ。そろそろまた、わしと旅に出んか」
 そう誘ったとき、断られたことだ。
 まさか!
「行きたいけど、今はまだ、ここで、みんなとやりたいこともあるんだ。だから、もうちょっと待ってて、じいちゃん」
 きっと、子供が親離れしていくことを実感したとき、親はこんな気持ちになるのだろう。ほっと安心したような、少しだけ誇らしいような、そして、それらよりはるかに大きく、寂しいような、切ないような、むず痒い気持ち……。
 なんじゃい、わしはもう邪魔者かい。そんなふうに拗ねて見せると、そんなわけないだろうと、いくらかは真に受けた様子になった。
 本気と冗談を混ぜて笑いあい、ジェットファイアは旅に出て、スタースクリームは町に残った。
 一人で町を出て、信号でふと振り返り、そこで思った。
 今までは、帰ってやらねばならないから帰ってきた。だがこれからは、帰ってきたいから帰るのだ。自分の無事な帰りを待っている家族のもとへ。
 旅の景色は再び少しだけ色を変え、目に映るようになった。

 

「……もうひとふんばり、せにゃあならんな」
 ジェットファイアは呟いて、凍えきった体を起こす。
 最後に一度、人生の締めくくりのために一度だけ、困難な冒険に出たのはいいが、この様だ。油断したつもりもないし、準備や警戒を怠ったこともないが、それでも災難や危険はすぐ後ろをついてくる。
 だがまだそれに屈するわけにはいかない。
 こんなところで負けてたまるものかと、闘志も残っている。
 うちに帰って一風呂浴び、一服しながら話すのが楽しみなのだ。可愛い孫と、時にはその友人たちに、感心され、時にからかわれながら、旅の出来事、冒険の物語を。
 それに―――帰ってやらないと、せっかくなおった泣き虫が、またぶり返してしまうかもしれない。
(あの泣き声は、まったく近所迷惑じゃからなぁ)
 警察署の外にまで聞こえていたものすごい泣き声を思い出し、ジェットファイアは少し笑った。
 まだ行ける。
 杖を支えに立ちあがり、全身に一度、ぐっと力を入れる。僅かだが熱が戻ってくる。
 あとは降りるだけだ。そうすれば、話して聞かせることができる。吹雪の険山を制覇した、知恵と勇気の、偉大な男の物語を。
「待っとれ。今、最高の土産を持って帰るからな」
 呟いて、ジェットファイアは吹雪の向こう、はるかかなたにある我が家を睨み据えた。

 

 

(おわり)


 

 これはまず、9さんに捧げます。いつもありがとうございますと、心よりの感謝を込めて。もちろん、F.T.J.も兼ねています(笑
 IF世界では、エネルゴン探索の探検家であるジェットファイアと、その弟子という設定のスタースクリーム。それをイメージ世界で擬人化すると、こんな感じかなぁと。
 泣き声がうるさいのは、ほら、スクリームですから!

 はじめはじぃじとちびの出会いと、泣かれてしまうので一緒に連れて行くことにした、というのだけをもう少しこまかく書こうとしたのですが、だらだら書くより、説明調になってもこっちのほうがいいかなぁと。
 出会いからなんから、いろいろ突っ込んでるのでかなり展開の忙しいSSですがご勘弁ください。