それなら誰か別の奴に聞いてみよう。スタースクリームが言い出したとき、 (頑固なんだから) そう思いながらも、ブラックアウトは素直に頷いた。付き合いの長い友人の性格はよく分かっているつもりである。スタースクリームは、それがどんなに些細なことでも他愛ないことでも、ひとたび議論になれば白黒つけないでは済ませられない。なにかすっきりとした結論がほしいのだろう。自分の意見と同じであるにせよ違うにせよ、納得がいって、ああそうかと思うまではこだわり続けてしまう。 こういう性格を鬱陶しいとか細かいとか言う者もいるが、ブラックアウトには、多少困ることがあったとしても、どちらかと言えば羨ましいものだった。 「けど、別の奴って? 電話でもしてみるのか?」 「電話じゃ埒があかん」 言いながらもスタースクリームは携帯電話を取り出していた。 隣を歩くブラックアウトの耳に、ガチャガチャとやかましい音楽が聞こえてくる。自分だったら、こんな音楽をいきなり耳元で鳴らされたら、鳴ると知っていても少し引いてしまうしうるさいと思うだろうが、スタースクリームは平然と相手を待っている。 やがて音楽が切れると、相手の声らしきものが微かに聞こえた。ブラックアウトには誰か分からない。 「よう。今ヒマか? 家にいるのか? なあ、行ってもいいか? ちょっと聞きたいことがあってな。家? ああ、知ってる。前に言ってただろう。○○○の斜め前のマンションとか。そう。今? えーっと、×××の前。そう。ブラックアウトもいる。……うん……ああ、OK。次の信号で右な。分かった。じゃあ、後でな」 「誰にかけたんだ?」 電話を切ったスタースクリームに問うと、 「ジャズ」 と答えが返ってきた。 なるほどとブラックアウトは思う。彼ならスタースクリーム相手にも真っ向から議論するだろうし、それがどれほど白熱して喧嘩腰になったとしても、求めるものは同じ「明快で納得のいく結論」なので、思う存分議論した挙げ句、後腐れもなく翌日を過ごせる。 というわけで二人は、コンビニで飲み物といくらかのつまみを買って、ジャズの住むマンションに向かったのであった。
ジャズのマンションは外観からして高級感を漂わせる、けれど派手ではない趣味のいい建物だった。家賃はそれなりに高いと思われる。入り口もセキュリティがかかり、住民を呼ばないかぎりには基本的には開かない仕組みだ。 スタースクリームはインターホンでジャズを呼び出し、ドアロックが解除されるとブラックアウトを促して中に入った。すぐそこにあるエレベーターもまた装飾の施された高価そうな印象で、ブラックアウトはつい、乗り込んだ後で天井やパネルを見回した。 「よくこんなところに住めるよなぁ」 自分の暮らす安いアパートとは大違いである。こういうところならたぶん、隣の住民の歩く音が響くということはないのだろうし、音楽をかけてもきっと、隣には聞こえないに違いない。そう、ジャズは音楽が好きだから、防音にはこだわったはずだ。しかし、ここに住むと月々いくらくらいかかるのだろうか。 その疑問には誰も答えてくれなかったが、 「デイトレとかで稼いでるって話だ」 経済力の出所については、スタースクリームが教えてくれた。俺にはとても無理だとブラックアウトは感心する。
8階でエレベーターを降り、部屋を探す。表札は出ていないが部屋番号は聞いている。見つけてチャイムを押すと、やはりブラックアウトのアパートとは大違いである。ドアに近づいてくる足音などまるで聞こえないままに鍵の回る音がして、ドアが開いた。 「よう、来たな」 「いいトコ住んでるな、おまえは」 「だろ? 探すのけっこう苦労したんだぜ。ま、上がれよ。……ちょ〜っと散らかってるけどな」 「ああ、気にしない。俺の部屋だってろくに片付いてない」 「そう言われると安心するな。ささ、入った入った」 「それじゃあ……、……?」 玄関も広い。通路幅も広い。入っていきなりキッチンということもない。 しかし、とブラックアウトは、廊下の隅のモノに目を留めた。 出しそこねたのだろうか。大型のゴミ袋が二つ、おそらくバスルームに通じるのではないかと思われるドアの前に置かれている。これでは風呂に入ろうというときに邪魔になるし、こうやって入ってくるとすぐに見えてしまうので、あまりよろしくはないと思うが、人の家のことだ。他人に指摘されると愉快な気分にはならないだろう。 いや、それでも、なんだろう、廊下の真ん中あたりは歩くからかきれいだが、隅には埃が溜まっている。 どうやらジャズは、あまり掃除には気を使わないらしい。 ブラックアウトは旧友を一人思い浮かべる。週に一度訪れては、家主の代わりに掃除をしている部屋がある。そこも、家主がまったく掃除をしないため、普段触らないところは埃がうっすらと積もっていたりするのだ。ただしその旧友は仕事以外にまったく興味がないらしく、住まいも、職場から近いからという理由で、いわくつきの貸事務所を格安で借りて住んでいる。壁も床もコンクリートの打ちっぱなし、壁に書かれた建築時の記号や数字もそのままという有り様だ。そこはもう「そういう空間」なので「なんてところに住んでいるのか」という以外になにもないが、ここは高級そうでオシャレなマンションである。これではちょっと外見と中身が釣り合っていない。なにやらもったいない気がした。
―――もったいない気がしていたのも、そこまでだった。 玄関から入った突き当りのドアをジャズが開けた瞬間、ブラックアウトは信じがたい光景を見てその場に凍りついてしまった。 (な、な……な、なっ、なんだ、これ……っ!?) 壁際に大型のテレビ、それに向き合う位置、部屋の真ん中あたりにテーブル。その上にはノートパソコン、なにかのスプレーが2缶、飲み終えたものと思われるビールの空き缶が3本、なにかのキャラクターを模したらしい容れ物のようなもの、電卓? フラッシュメモリ、スプーンが2本、DVD-Rが5枚ほど積まれ、その上にポータブルのミュージックプレイヤー、テーブルの脚に寄りかけてあるバッグ、その前にもワインのものらしい瓶、空き缶、ペットボトル、紙パックの飲料、ティッシュペーパー、銀色の小さな袋はビタミン剤とかだろうか、テーブルの逆サイドにゲーム機、その前に積まれたゲームソフト、ケースから出された状態でゲーム機の上、ケースの上、DVDボックスらしき箱の上にコンパクトディスク、ファイルが4冊ほど、ファッション雑誌、車雑誌、ゲーム雑誌、ペーパーバックの小説、それともコミック、ノート、デジタルカメラ、食べ終えたらしいインスタントラーメンのカップ、その脇の透明なカップはサラダでも入っていたのか、スナックか、ペン、ゲーム機のコントローラーが2つ、テレビかオーディオプレイヤーか、とにかくリモコンが2つ、金属製の椅子、それにはジャケット、シャツ、ネクタイなどが無造作にかけられ、壁際のソファは、衣類やバッグ、クッション、中身を取り出した後らしい段ボール製の箱が乗せられ、というより放り込まれ、床にも服が投げ出されているし、靴でも入っていたと思われる空き箱、宅配便の段ボール……。 挙げていたらキリがない。 端的に表現すれば、スタースクリームの一言、 「おまえ……これで俺たちに、どこにいろと?」 そう、座る場所などテーブルの前にある、床置きのリクライニングチェア一つくらいしかないではないか。 「いや、だから、ちょっと散らかってるって……」 「ちょっとじゃないだろ、これは。俺の部屋でももう少しマシだし、こんな……言っとくが俺は、遊び道具や服なんかで散らかしちゃいないぞ」 「忙しいんだよ、いろいろと」 「忙しくてもこれはない。別にいいけどな。適当にどかすぞ?」 「ああ、適当にそのへん積んどいて」 積んどいて、だと? 冗談じゃない!! ブラックアウトはスタースクリームを押しのけると同時に持っていたコンビニの袋を彼に押しつけ、胸倉を掴まん勢いでジャズの前に立ちはだかった。そしてズバッと背後、リビングの外を指す。 「おまえらはここで30分待ってろ!! いいな!?」 めったに声を荒げないブラックアウトの有無を言わせぬ一喝に、ジャズは慌てて頷き、スタースクリームは目を丸くした。
洗濯機が重たげな音を立てて回っている。 ジャズは、とりあえず5人くらいなら入れるほどのスペースができた部屋を見回して、他人事のように頷く。 「片付くもんだなぁ」 「ここまでいくと特殊技能だな。俺なら4時間はかかりそうなところを、よくもまあ30分でここまで……」 「まったく、出したら片付ける、使い終わったら元に戻す、あれこれ増えて面倒くささが膨れ上がる前に済ませる。それだけことだろう」 「それができたら散らからないんだけどな」 ジャズの減らず口を睨みつけて閉ざし、ブラックアウトは少し落ちてきた袖を捲りなおした。あと3回は洗濯機を回さないとならないが、ハンガーの数も足りないし、コートやスーツなどクリーニングに出すしかないものもある。というか、何故この暑い季節に冬物のコートが出しっぱなしになってるのか。まさか冬からずっとというわけかと思うと、頭が痛くなってくる。それに洗剤だって湿気を吸って固まっている始末で……。 「まったくもう」 「悪いな」 「そう思ったらこれから少しは気にしろよ」 「あ、そうだ。ちゃんと時給払うからさ、週一で掃除に」 「自分でしなさいっ」 「冷たいなぁ」 本当なら隣の部屋や風呂場もやりたいのだが、そこは極めてプライベートな空間で、手を出す気にはなれない。それに、そこまでやってしまうとこれから先もずっと甘えられそうで困る。ものすごくすさまじく荒れるに違いない部屋を毎週片付けに来るのは、さすがのブラックアウトも御免だと思った。だいたいジャズの場合、放っておくと健康が心配になるとかいうものではなくて、単に面倒くさがりか、だらしないだけである。面倒を見ないとまずい気がするというのとは違う。 「で? 二人で話したいことがあるんだろう? 俺はキッチンを片付けてるから、好きにしててくれ」 「はーい。よろしくな〜」 「よろしくなじゃない!」 ぴしゃりと言って、ぴしゃりとドアを閉めた。
(おしまい)
呟きページにて「部屋」のイメージの話題を出しましたら、反応してくださったかたがおられまして、そのかたのメールを一部拝借しつつ、OSS(One
Shot
Story)化です。 二人でジャズのところに遊びに行って、散らかってる部屋に慣れてるスタスクは呆れるだけだけど、ブラットさんは30分くれと言って掃除をはじめる、という……。 普段は優しくておっとりおろおろしたブラットさんですが、怒ることもあるんです、きっと。
……え? 部屋の描写が具体的すぎる? まあ……なんというか……自分の部屋を参考に、もっとひどくするとこんな感じかなという……つまり一部は実際に今私の周囲に散乱しているもので……。一部ですよ一部!! 人に仰天されるような部屋ではありません!! ちなみに小学校〜中学時代の友人の部屋で、本当に「足の踏み場もない」部屋は見たことがあります。あれは、すごかった。うん。 |