TRANS-TRANSFORMER

 

 

 地球には「犬」という小さな生き物がいて、それは、地球における支配的種族たる人間の「友」として認知されている。その「犬」という動物のデータベースを見ると、彼等は種類によって性格的な特徴が異なるらしい。
 戦略的にはまったく意味のないデータである。信憑性も怪しい。だが、物事を理解し楽しむには、非常に有益なこともある。
 撮影の合間の昼休み、エネルギー補給の終わったオプティマスは、仲間たちの内でも最も小柄な二人を遠くから眺め、人間にはちょっと分かりづらいものの、微笑していた。
 身振り手振りもせわしなく、あれこれと言い募っているジャズ。
 彼の前で廃材に腰かけて、何度も頷いているのがバンブルビー。
 なにを話しているのかはここからでは分からないが、まるで、キャンキャン吠えるスピッツと、おとなしく温和なレトリーバーといったところか。
 バンブルビーの発声機能が壊れて以来、しゃべるジャズと聞くバンブルビーという役割はより明確化された。
 時にはジャズに注意をしようかと思うこともあるが、オプティマスはそのたびに思いとどまり、よく考えてみることにしている。
 バンブルビーが話したいと思ったときには、自分なりラチェットなり、時にはディセプティコンチームのブラックアウトなり、ともするとメガトロンなりがちゃんと聞いてやる。ラジオや歌などを組み合わせてしゃべる彼の、ともすると分かりづらくなりがちな話を。バンブルビーはそういう相手を呼びとめるコツをよく知っているから、話したくても話せないというストレスはあまり抱えていないだろう。もちろん、自分の声と言葉でしゃべれないつらさは別として。
 とすると、問題は別にある。つまり、ジャズの話を聞いてうんざりしていないか、ということだ。
 だがそれも問題はないと判断できる。ジャズはとにかく口数が多くて黙っていられない性分だが、話は明瞭だし話題は多岐に渡る。他愛ない世間の情報から自分の意見、不満、理想、学術的な話、なんでもありだ。そしてバンブルビーは、自分の知らない話を聞くのが大好きなのだ。最近流行りのシンガーから、深遠なる宇宙に対する見解まで、誰かの語る自分にはない意見や風景、それを彼は純粋に楽しんでいる。
 だからつまり、どうしても口を挟みたいと思えば待ってくれと言えないバンブルビーではないのだから、一方的に見えても、あれはあれでお互いが心地良い時間に違いない。
 よくよく二人の表情を確かめ、やはりそうだと認識しなおして、オプティマスはこれ以上観察するのをやめた。
 そしてふと気がつくと、すぐ後ろにはメガトロンがいて、振り返ったオプティマスに
「見慣れた光景だな」
 と言って苦笑した。
 オプティマスもまた小さく笑って返す。
 ディセプティコンにはスタースクリームというスピッツと、ブラックアウトというレトリーバーがいる。ジャズとバンブルビーの関係とは少し違うが、とにかくしゃべり散らす者とおとなしく聞く者で、よく見かける、珍しくない光景なのだ。
「私になにか?」
 ともあれ、メガトロンが撮影所の隅にまでわざわざやってきたのは、ただの散歩ではあるまい。尋ねると彼は、
「監督から、午後の撮影についての修正案を渡されてな。確認してくれ」
 そう言って電子メッセージを送ってきた。
 人間の映画監督から渡された情報は、今オプティマスが受け取ったものほどまとまってはいなかったに違いない。こんなふうに理路整然と、すべてが細分化され、必要な順番に並べなおされ―――、メガトロンにとれば簡単な作業だろうが、それでもオプティマスは、持ってきてくれたことにだけではなく、
「ありがとう。助かる」
 と素直に礼を述べた。

 メガトロンに感謝を感じるとき、オプティマスには、いつもではないが思い出すことがある。
 それは、滅び去った故郷のことだ。
 大いなる繁栄を築きあげていたセイバートロン星が滅んだ理由は、彼等の頭脳と科学力をもってしても充分な検証ができていない。検証できたのであれば食い止めることもできたのだろうから、これは当然のことだ。
 いくつもの要因が複雑に……非常に複雑に絡み合い、その絡まりをほどくことができず、そして、大勢の民が宇宙への移民を余儀なくされた。
 オプティマスはずっと、この事態を招いたのは自分だという思いを捨てられずにいた。
 今も傍にいる仲間たちは誰一人としてそんなことは言わないが、そう言った者がかつて一人もいなかったわけではないし、なにより、唯一残ったプライムの末裔、国家元首として、下した決断が間違っていたのではないかと思わずにはいられない。
 もし自分がいつか、どこかでなにか、違った選択をしていれば、同胞たちを宇宙に放り出すこともなく、失うこともなかったのではないか。
 幸いにも自分たちはこうして新しい星に辿り着き、そこの住人たちに受け入れてもらえたが、それまでには長い時を費やしている。地球基準で言えば数千年だ。それは、金属の体を持つ自分たちにとっては、人間が思うよりは短い時間だが、それでも束の間とは言えない。このままエネルギーを使い果たし宇宙の塵と化すのではないかと、何度となく思ったほどには長い時間である。
 実際に喪われた同胞たちも少なくはない。分かっているだけでもかなりの数がいるし、自分の知らないどこかで死んでいった者もいるだろう。それは、自分たちと同種の幸運に恵まれた数よりも圧倒的に多いはずだ。
 そんな物思いに耽るとき、たまたまこの星で奇跡的な再会を果たしたメガトロンの、「君のせいではない」と言ってくれた言葉が救いになる。
 そんな言葉一つで物思いが晴れることはなくとも、こんな自分を、彼のような存在が許し、認め、支えてくれるのだと思うと、せめて未来に向けてなにか良いものを生み出していかねばと、前向きな気持ちになれるのだ。
 オプティマスは今またあらためて、この年長の友を頼もしく見上げるのだった。

 

 

「顔だぞ顔! 人間は俺たちをなんだと思ってるんだ? 治せるから、痛みとして受容されないから、だから抉っても構わんというわけか? 馬鹿な!」
 こんな言葉は、今までに何度聞いただろう。というか、2年前にも聞いたような覚えがある。
 しかしブラックアウトは余計なことは言わず、
「まあまあ。メガトロン様ご自身が引き受けたことだし、いいんじゃないのか?」
 2年前にもつい先日も言ったような気がする言葉を口にした。
「良くない!」
 やっぱり2年前も先日も、スタースクリームはそう答えた気がする。
 もし2年前、そして先日と異なるところがあるとすれば、それは、たまたま同じ部屋にバリケードがいることだろう。
 だから、2年前および数日前には、「困ると思えばメガトロン様がご自分で伝えるだろう」とブラックアウトが答えたのだが、今日は
「やかましい。黙れ、スタースクリーム」
 と不機嫌なバリケードの声が割って入った。
 スタースクリームが殊更ゆっくりとバリケードのほうを振り返る。バリケードはちらりと視線をよこしただけで、すぐさま手元の武器に目を落とした。
「バリケード。今なんて言った」
 お願いだから喧嘩しないで、とブラックアウトは思うが、この二人を止めるのは簡単ではない。そう、メガトロンですら時には手を焼くのだ。自分ごときに止められれば苦労はない。せめてボーンクラッシャーがいてくれればと思ったが、その巨躯はどこにも見えない。
 最悪なことに、バリケードは返事をしない。言い返してくればまだしも、こういうのをスタースクリームは一番嫌う。
 絶対的必要がないかぎり人間のいる敷地内で武器は使うな、とメガトロンに言われていなければ、右手のパルス砲がバリケードのディスクを吹き飛ばしただろう。だが今は、それを横からさっと取り上げるだけで我慢することにしたらしい。
 バリケードの顔が斜め上を向き、二人の視線がぶつかったところに緊迫感が生まれる。
 昔っからこの二人は仲が悪いのだ。それを知っているのに、バリケードのいるところでスタースクリームの話を聞いたのがまずかった。なにか理由をつけて、どこかへ連れだせば良かったとブラックアウトは後悔したが、もう遅い。
 とにかく、これ以上険悪な雰囲気になられては大変だ。新作に出番のないバリケードはともかく(ならば何故いるのかと言われれば、撮影補助など裏方としてである)、スタースクリームはそういう気分をすぐには切り替えられないし、となると、この後の撮影で彼はNGを連発するだろう。ベイ監督は相手が誰でも遠慮はしない。そうなると、もうとにかくいろんなことが悪い方向へ転がるに決まっている。
 ブラックアウトは自分の記憶領域を検索し、困ったときには使えと教えられていた最大の武器を持ち出すことにした。
「二人とも、落ち着いてくれ。俺たちにとればちょっとした喧嘩でも、人間にとれば大惨事になる。それをメガトロン様が望まないことは、二人とも分かっているよな?」
 メガトロンの名前は、こういうとき、一番効果的である。本人の使用許可も出ているので、使わない手はない。頻繁に持ち出せる武器ではないが、今回が二度目、二百年ぶりほどの使用だ。前回は効果覿面だった。今回はどうだろう?
 はらはらしながら見守っていると、スタースクリームはブラックアウトの言葉が的を射ていることを認めたようで、本当はぶつけたいに違いないディスクをバリケードに差し出し、彼が受け取るや否や背を向けて大股に歩きだした。
 スタースクリームが待機用のガレージを出て行ったことを確認し、ブラックアウトは心の底からほっとする。
 それから、意見しようかどうしようか少し迷ってバリケードを見やった。彼はまた黙々と、ここ何百年も使用していないディスク―――無数の刃が飛び出した殺戮兵器である―――を磨いている。
 だがそれも途中で手を止め、バリケードはディスクを右腕のシールドの中に収納して立ち上がった。彼もまた、ガレージを出て行こうとする。ブラックアウトは、なにか声をかけるべきなのかどうか、その背を見やった。
「……悪かったな」
 出ていく間際、バリケードがそう残していった。ブラックアウトを自分たちの諍いに巻き込んだことに対する詫びらしい。
 ブラックアウトは一人でひそかに嘆息する。
 スタースクリームもバリケードも、どちらも根はいい奴なのだ。スタースクリームの愚痴の大半はメガトロンの不遇についてのことで、決して自分自身のことではないし、他の誰かのことでもない。バリケードは無愛想で協調性はないが、だからといって敵対的な意見や行動をとるわけではない。
 ただ、あの二人の相性は最悪だ。それは間違いない。そして自分は、ボーンクラッシャーやフレンジ―たちもだが、その二人の間に入ってうまく取り持つなんて高度なことはできない。
(もう少し、俺がしっかりしていればいいんだろうけど)
 だから努力もしているが、これもまた性分のようなもので、そうそう変えられないのだ。
 ブラックアウトはもう一度、ローターを震わせて溜め息をついた。

 

 

 戦争が起こればいい。
 それを望む自分を、バリケードはじっと確認する。
 戦争など誰も望まないことは承知の上で、それでも、壊滅的で致死的な戦争が起こればいいのにと、思ってしまう自分がここにいる。
 そうすれば、自分は優秀な兵士として最前線にも躊躇わずに出、望む戦果を上げてくるだろう。それがどれほど困難なことでも、知力と体力のすべてを用いて、成し遂げるべく努力するだろう。
 かつてセイバートロン星で対外戦争に明け暮れていたときには、バリケードはなにも悩みはしなかった。自分のやることは明確で、求められる結果もはっきりしていた。そのために必要なすべての準備も、それをどう整えればいいかも、分からないことなど何一つなかった。バリケードは、自身をセイバートロンで最も鋭い一撃と化すべく、すべてを費やしていた。
 だが星の崩壊がはじまって戦争どころではなくなってから、なにかが狂い始めた。
 宇宙を旅していたときはまだ良かった。未知の、そして邪悪で危険な生命体と遭遇したときには、存分にその力を発揮することができた。幾度となく危うい局面を切り抜けて、メガトロンが求めるように、そしてバリケード自身も望むように、敵を退け仲間の安全を確保したものだ。
 だがこの星、地球、とりあえずの安住の地についてからは、至上命令は「戦うな」になった。
 この惑星の文化と慣習、社会システムに紛れ込み、その一部として生きるよう命じられ、あまりにも退屈な平穏の中に身を沈めた。
 こんな時間がこの後ずっと続くのかと思ったとき、自分が戦争を求めていることに気付いた。
 まさかと思った。だが真実だった。
 セイバートロン星で戦争が恒常化する前も、バリケードは都市のパトロールを任務としていた。地球でパトカーになって町を走っているのと同じことをしていたはずで、そのときにはこんな不満は持っていなかった。だが一度戦火を味わうと、それを好む性質が明らかになり、元には戻らなくなってしまった。
 こんなことは、誰にも言えない。
 そして時々思う。出て行こうかと。一人でどこか、争いの力を求めている場所を探し、そこに居着こうか。
 だがそんなことはできるわけがない。メガトロンのように単独で宇宙を渡れるならともかく、自分の質量とスパークでは宇宙の単独航行は不可能だ。
 それに、そんな願望はただの逃避なのだとも分かっている。
 本当は、戦う力しかない自分が、平和の中では大した役にも立たず、それだけならまだしもチームに不和をもたらしていることが苦痛なのだ。

 くだらない思索に、あまりにも深く没頭してしまったらしい。
 我に返って驚いたのは、自分のすぐ隣に真っ黄色な機体が座っていたことだ。そのブライトイエローの派手派手しさには、驚いてノイズを漏らすだけの威力があった。
「な、なにをしている」
 いつの間にかそこにいた能天気なカラーの同胞に問うと、彼は「さあ」とでも言うように首をかしげた。
 そのすぐ後に
『そんなことより大事なことがあるんだ』
 とラジオドラマの一節らしき音声が流れる。
「俺には関係ない」
 答えて去ろうとすると手をとられ、
『君しかいない、僕のことを分かってくれるのは』
 今度はなにかの歌の一部だった。
 これだから、バンブルビーとの会話は大変だ。発信される音声そのもののニュアンスと、彼が言わんとすることとは必ずしも一致しない。今も、決して別れ話で愁嘆場を演じているわけではないのだが、もともとの歌の内容はそういうことである。だがバンブルビーが言いたいのは、「関係ないなんて言うが、この話をできるのはおまえだけだ」ということだろう。
 そんなことがあるとは思えないが、ないと断言できるだけの裏付けもない。
「話があるならさっさとしろ」
 無視して去ろうとしたところで、バンブルビーの性格からして、そうあっさりとは諦めないだろう。なにか話があるというなら、それを聞けば終わるのも間違いない。仕方なくバリケードはいくらかの時間を提供することにした。

 

 

 まったく不愉快だと腹を立てていたのも束の間。
 こういった対立は、たとえささやかだろうとメガトロンは望むまいと思えば、途端にクールダウンし落ち込むのがスタースクリームである。
「まったやっちまった」
 一人で呟いて、手近な壁にガンと頭をぶつける。とりあえず、壊さないように加減して。だが実に脆い構造体である地球の物体は、それだけではっきりとしたへこみを作ってしまい、スタースクリームは誰かに見られなかったろうかと周囲を確認した。
 大丈夫だ。誰もいない。それに、7mも上方のことであるし、撮影に使うわけでもない。たぶん、問題ないだろう。
 問題は、こんな壁よりも深刻だ。
 バリケード。
 以前からソリが合わないのは分かっていた。
 とにかく彼は無口で、必要なことしか喋らない。そしてそれを他人にも要求しがちになる。バリケードの中には社交辞令とか時候の挨拶とか相槌とか世間話とかいった、コミュニケーションとしての言語は存在しないらしい。
 メガトロンはそういう彼を、多少困ることはあったとしても特に気にせずに傍においているし、うまく扱っているが、どうにも自分にはそれができない。スタースクリームは気難しい同胞の顔を思い浮かべる。
 嫌いなわけではない。そう。決して、嫌な奴とは思っていない。端的で短い言葉は本質を鋭くとらえていることもあるし、敵対的であることもない。非協力的というわけでもなく、アイディアがあればきちんと提案してくれる。住める星を探して宇宙をさまよっている間には、彼に助けられたこともあって、それには感謝している。
 しかしこうして時折―――というには最近は頻度が高くなってしまったが、ささいなことで衝突してしまう。
 どうやって彼と付き合えばいいのかは、いまだによく分かっていない。ブラックアウトやボーンクラッシャーは「必要がないかぎり話しかけない」という方法を選んだようだが、それでいいのかとスタースクリームは思うのだ。
 ではどうしたいのかと問われると、言葉に詰まる。適当な表現は思いつかなかった。どれほど情報を集めても分析してもピンとはこない。解決のためのいい手立ても分からないし、相手を望むように動かすための戦略も出てこない。というか、自分が相手にどうなることを望んでいるのかが分からないのだからどうしようもない。
 話に乗ってきてほしいのか? まさか。話を聞いて頷いてくれるのはブラックアウトでいい。有意義な意見交換はできないにしても、彼なりの穏健な考え方が役に立つこともあるし、あれこれ反論されたくないときもあって、そういうこちらの気持ちをブラックアウトはうまく汲んでくれる。
 有意義な意見交換がしたいのか? 残念ながらそれをディセプティコンのメンバーに求めるのは厳しいし、メガトロンとは申し訳なくてとても議論などできないが、サイバトロンチームのジャズやラチェットあたりを捕まえれば、面白く、有意義な時間が過ごせる。こういうことをバリケードには求めていない。
 では、なにを求めているのか?
 彼にどうしてほしいのか?
 それから、彼が求めていることはなにか。
 どう扱われたいと思っているのか。
 それがさっぱり分からない。
 だから、お互いの性分のまま、愚かにも衝突してしまうのだ。
 バリケードに協調性がないなら、それを発揮して緩和するのは自分の役回りだ。あまり得意でないとしても、その努力をすべきだし、しているつもりもある。なのに、こんなふうになにも分からないからだろうか、どうしてもうまくいかない。
 付き合いはずいぶんと長いというのに、おかしな話だ、彼のことが「分からない」と気付いたのがここ最近だとは。これまではいったいどうやって付き合ってきたのだろう。記憶を読みだしても、答えにはならない。
 仲良しこよしでなくてもいいが、せめてメガトロンが心配しなくていいよう、なにか大きな出来事が起こったときには全員が全力で当たれるよう、チームにはある程度の調和が必要だ。
 それを乱しているのがバリケードだ、という考え方も、スタースクリームは好きではない。彼をうまく取り込めない自分が悪いのだ。
 なんて無能な! これではメガトロンの右腕として、充分な能力とはとても言えないではないか。

「はあ」
 と非常に人間的な嘆きの音声を洩らした途端、スタースクリームの視界の中に爆走するパトカーが現れた。
 倉庫の角をナイフのようなドリフトでターンし、砂埃を蹴立てて走ってくるのはバリケード。
 何事かと思うと、そのすぐ背後に鮮やかな黄色をしたカマロが現れた。こちらも見事な制動で直角の角を急激に曲がり切り、すぐさま加速する。
 バリケードはスタースクリームの足を跳ね飛ばさん勢いでぎりぎりのところをすり抜けていき、目前にはカマロが迫った。
 事情はさっぱり分からないが、バリケードはバンブルビーから逃げているように見えた。だから、とっさにスタースクリームは姿勢を低くし、カマロの正面に陣取ると力任せに車体を押しとどめた。
「待て待て待て! なにをしている、おまえら!」
 バンブルビーは機敏だが、小柄な分パワーはない。スタースクリームの体格と腕力には勝てず、後輪が空転する。地面を削る猛烈な回転音は、間もなく小さくなって消え、次いでカマロは偽装をといて直立形態に戻る。だがそれでも、なにやら切羽詰まった様子でスタースクリームを押しのけようとした。
「いったいなんなんだ。うちのがなにかしたのか?」
 力にものを言わせて押さえつけたままスタースクリームが問うと、バンブルビーは少し考えて、―――それとも、相応しい「言葉」を探し、拾うのに必要な時間だったのだろう。
『……突然のことで、政府の対応も充分でなく……、……致命的なトラブルだな……、……一刻も早く駆け付けないと……、……命が危ない……』
 それだけ言って、スタースクリームの背後を指差した。
 バンブルビーの断片的な言葉を解釈すると―――、バリケードの身になにかが起こっていて、それは命に関わる可能性もあると……?
 スタースクリームはF-22に変形し、翼が倉庫の屋根をかすめるのも無視して加速した。

 

 

 アイアンハイドが落ち着かないのは、不安だからだ。
 話す相手を間違えた―――話すべきでない相手にうっかりと話してしまったのではないか。そんな気がする。
 事は昨日にさかのぼる。
 日々のタスクとして、アイアンハイドはチームの所持する武器の手入れに余念がない。使うことのない武器も、いざ使おうとしたときに役に立たないのでは意味がないのだ。
 平和なときにはまるで無駄にしか思えず、そして誰もが無駄になることを願う、この不毛な作業。時に嫌気がさすこともあるが、それでも投げ出さずに、万一に備えること。この忍耐の重要性を、アイアンハイドは強く意識するようにしている。この無為に耐えることができる者こそが優秀なのだと。
 この気持ちを分かってくれるのは、ラチェットだけだろうと彼は思っていた。
 医師というのも悲しい職業で、閑職であることを喜ぶべき存在である。ただ、彼はそれを心から望んでおり、アイアンハイドは自分の腕を振るう場を求めてしまうという違いはあったが、少なくとも、他の者よりは通じるところがあった。
 だからこれまで、少しばかりの愚痴を零したくなった時には、ラチェットをその相手に選んでいた。彼ならば、いまさら聞きたくもない正論は決して口にせず、そういう役割をまっとうする息苦しさを受け止め、やわらげてくれるのだ。
 だが昨日は少しだけ事情が違っていた。
 そこにいたのはジャズだった。口から先に生まれてきたに違いない騒々しい若者は、思慮分別がないわけではないが、ラチェットほど思慮深くは決してない。
 思慮深くないと言えばそれは、アイアンハイドが自分で認めているように彼自身もそうで、隣にいるのがジャズだということを特に意識もしないまま、ついうっかりと、今見ているものについての感想を述べてしまった。
「平和になると、俺たちみたいな連中の居場所ってのは、どんどんなくなっていくな」
 と。
 そんなことはないと、ジャズは彼一流の弁舌でアイアンハイドを慰めようとした。それが慰めとして効果的かどうかは疑問だが、少なくとも、そう思ってくれる気持ちはよく分かった。
 だから、彼の口、一所懸命な慰めを封じるためもあって、
「俺にはおまえたちがいる。戦わなくても、なにかと俺をうまく使ってくれる」
 と話を打ち切らせた。だがその後で、これこそが余計な一言だった。
「あいつは、どうなんだろうな」
 二人が見ていたのは、バリケードだった。
 彼が一人で武器の手入れをしているのを見て、ふと思ったのだ。自分のように、ある程度でもいいから仲間とうまくやっていく技能がある者はいいが、彼はどうなのだろう。
 話したこともほとんどないし、あったとしても何千年も前のことだ。だが当時から、彼が極端に戦闘能力に秀でている半面、対人能力はかなり低いことは聞いていた。無愛想で、偏屈。排他的。協調性がない。極端な個人主義。などなど。
 現在もそれはあまり変わらず、彼が誰かと打ち解けて話しているのは見たことがない。
 自分とは違う。だが、どこか似ていないわけでもない。
 戦闘力こそが自分の第一の存在意義だと思い、誇る。
 そして、戦いの場を失ってからは、自分の存在意義に疑問を覚え、己を見失いそうになる……。
 ジャズは賢い。戦闘に関する才能もある。パワーには恵まれていないが、スピードや戦術ではそうそう引けをとらない。それに、そういった資質を外にアピールする能力にも長けていて、だからこそオプティマスの副官という地位にもついたし、それを皆が認めている。
 だが時折、短絡的で狂騒的な若者、という面が強く出る。
 バリケードに対する少しばかり感傷的な言葉を受けて、ジャズは
「悩んでたって仕方ない。解決したいと思うなら、思考と計画立案、それから実行。そうだな、少し考えてみよう」
 あまりにも軽く、そう言ってのけた。
 これはけっこう繊細な問題だし、土足で踏み言っていい領域ではない。だから、そんなふうに軽々しく扱わないでほしいのだが、「そういったことも考慮すればいいんだろう?」と、やたらと前向きである。
 そのまま、アイアンハイドには止めることができず今日を迎えたのだが―――。
(何事も起こらなけりゃいいが)
 人間なら胃痛でも起こしていそうな気分で、アイアンハイドは、今のところ静かな撮影所の空を見渡した。

 

 

 スタースクリームとバリケードが殴り合いの喧嘩をしている。
 そんな報告を聞いて、メガトロンはすぐさま車型に変形した。彼は、質量や構造といった問題のため地球の機械には変形しづらく、そのため特にどんな機械もスキャンしていないが、メモリにはいくつかの候補を記録している。その中で、撮影所の敷地をできるだけ高速で、被害を出さずに移動するために最適なのは、細身の車両だ。
 それでも、コーナーを曲がるときには長大なボディをぶつけないよう細心の注意を払わねばならない。
 目的地は聞くまでもない。少し聴覚センサーの出力を上げれば、金属同士がぶつかり合う耳障りな音が聞こえる。
 辿り着いたのは、一応彼等も喧嘩する場所くらいは選んだのだろう。セットからは少し遠ざかった、なにもない空き地だった。人間たちは困惑しきった、あるいは怯えた様子で、遠巻きに、止めようのない喧嘩を見守っている。
「なにをしている、やめんか!」
 本来の姿に戻って声をかけると、スタースクリームは振り上げかけていた手を止め、バリケードはその隙をついてパッと飛び離れた。
 お互い、武器を使うほどのことはなかったようだが、殴り合えば装甲に傷がつく。この後の撮影に支障が出ないかどうか、気にしなければならない程度には。
「なにがあってこうなった。スタースクリーム。説明しろ」
「は、はい……、その……」
 忠実な部下は、珍しいことに口籠ってしまう。言いにくいのか、適切な言葉が出ないのか。どちらにしても、スタースクリームには稀なことだ。彼はディセプティコン中最も知恵が働くし口も回る。どういった状況であれ、説明を求めれば必要な情報をすべて、ざっと並べ上げるのがいつも彼だ。
「では、バリケード」
 言葉を弄するのが苦手だとは知っているが、もう一方に問う。案の定、こちらはいつもどおりに、いつも以上に無口だった。
 メガトロンは頭を左右に振る。
 説明がしにくい、あるいはしたくないというなら、それもいいだろう。なにもかもを知ろうとは思わない。だが、騒ぎを起こし、軽微とはいえ損害を出したことへの説明責任はある。彼等から自分への、そして、彼等をまとめる立場として、自分から監督への。
 こういうときには、一対一で話を聞くのが鉄則だ。皆の前では言いにくいことというのもある。
 そして、話を聞き出す相手として相応しいのがどちらかは明白だった。
「スタースクリーム。来い」
 バリケードはどうやったところで口を閉ざす。協力する気がないのではなく、責任を感じないからでもなく、そういった手段で自己表現するのが彼はとにかく苦手なのだ。無理強いしてもいい結果は得られない。
「バリケード、おまえは少し休んで、頭を冷やせ。その後で、もし私に言いたいことがあれば、いつでも言いにくるといい」
 それぞれに指示を出し、メガトロンは人けのない、そして充分に広い場所を探した。
 自分たちに貸し与えられているガレージが丁度良かった。ブラックアウトたちは言われる前に外に出て、その場を作ってくれていた。その中に腰を落ち着けて、さて、と困った部下を見る。
「申し訳ございません。私の短慮のせいです」
 スタースクリームははっきりと、澱みなく答えた。そこに投げやりなところはなく、少なくとも今の発言は、彼ができるだけ客観的に状況と自分たちを分析した結果だろうと信ずるに値する。
「なにがあった? なにがあり、どうなって、争いになった?」
「はい。事の起こりは、私の勘違いです。ただ、勘違いさせるべく発言した者もいます」
「ふむ。それは誰だ」
「……バンブルビーです」
「つまり、彼がおまえたちの喧嘩の発端になっている、と?」
「いえ、それは正確ではありません。彼に悪意はなかったと思います。ただ、結果的にああなっただけです」
 メガトロンは溜め息をつき、
「おまえが理解する範囲で、できるだけ具体的に成り行きを聞かせるんだ」
 と命じた。
 スタースクリームが言葉を選び選び語った内容は、聞いてみれば微笑ましいものだった。それと同時に、バリケードが暴力的になるのも、彼の性格からして無理はないと思える。
「つまり、これは彼等の策略だったのではないか、ということだな」
「はい。バリケードが何故バンブルビーから逃げていたのかは分かりませんが、とにかく彼は、バリケードが逃げるように仕向けて、私に発見させたのだと思います」
「それでおまえはバンブルビーを引きとめて話を聞き、何故逃げているのかはともかく、その必死の様子から、バリケードに深刻な問題が発生していると思い込まされて、追いかけたわけか」
「は、はい。それで、その、くだらないとか、馬鹿じゃないかと言われ、ついカッとなってましいまして……」
「困った奴だ」
「申し訳ございません」
「おまえのことではない。バリケードだ」
「いえ、私がよく確認もせず……」
「スタースクリーム」
 言い募る部下を、メガトロンはやんわりと、しかし断固として遮った。
「責任や原因は、誰かがむやみに背負えばいいというものではない。この場合は特に」
 メガトロンにとっては自明なことだったが、スタースクリームにはよく分からないらしい。彼はどういう意味かと視線で問いかけてきた。
「責任を負うことで、深く考えざるをえなくなる。これはバリケードにとって、非常にいい機会だ。楽しくはないだろうがな」
 なぜ喧嘩になったのか、それを説明しろと言われれば、自分を振り返って考えざるをえない。そして、答えなければならなくなる。仲間が自分を心配して駆け付けてくれたのに、なぜそれを拒絶し嘲るような態度をとったのかを。スタースクリームに心配されたとき、どう感じ、なにを思ったのかを。
 バリケードが抱えているのではないかと思う屈託を考慮すると、それを探るのは簡単なことではないだろう。認めがたく、受け入れがたく、だからこそ別の答えを作り出して言葉にするかもしれない。だが、たとえそうなっても無意味ではない。小さな積み重ねが、いつか大きな動きになるだろう。
「一人でいて、楽しいわけもあるまい。私は、いつかは彼が打ち解けてくれると……彼なりにでいい、そう信じている」
「メガトロン様……!」
 電子パーツの目をきらきらさせるスタースクリームに気付かれないように、
(皆がこうだったら私も楽……、……いや、それはそれで、大変か。うむ、間違いなく)
 苦笑するメガトロンであった。

 

 

「馬鹿者」
 オプティマスの拳が、ジャズ、それからバンブルビーの頭に炸裂した。それほど強くはないが、派手な音が倉庫に響く。
 ラチェットはアイアンハイドと顔を見合わせ、やれやれと首を振った。まったくこの若者たちは、突拍子もないことを思いつくし、実行するものだ。
「でもたぶん、うまくいったと思いますけどね」
 頭をさすりながら、ジャズがささやかな反論を試みる。だがオプティマスは、
「一つの物事を解決するのに、他の問題を引き起こしていい理由はない」
 議論の余地はないと言いたげに、ぴしゃりとやり込めた。
「ス……ミマセ、ン……」
 こういうときは、無理をしてでも自分の声と言葉で謝るべきだと思うのだろう。ノイズ混じりの不明瞭な声で言いながら、バンブルビーが頭を下げる。これくらいの発声ならば、損傷した声帯にも大した負荷はかかるまい。
 オプティマスは腕を組んだ姿勢でもうしばらく二人をじっと見下ろして、やがて溜め息とともに腕組みをといた。
「それにしても」
 お説教タイムは終わりと判断し、アイアンハイドが横から呟く。
「この作戦には、バリケードを全力疾走させる必要があったわけだろう? バンブルビー、どうやって奴を走らせたんだ?」
『………………秘密……』
 沈黙の後、どこから拾ってきたのか、短い言葉が一つ。そう言われるとなおのこと、罰として聞きだしたくなるではないか。
「ジャズ。おまえの入れ知恵だよな?」
 アイアンハイドが矛先をジャズに向けた。ジャズは飄々と、
「どうしよっかなぁ。教えよっかなぁ。やめよっかなぁ」
 などと言う。バンブルビーも急におどけて、有名なクイズ番組のシンキングタイムミュージックを流した。
「こいつら!」
 半ば冗談、半ば本気でアイアンハイドが二人を捕まえようとすると、その腕をかいくぐって二人は同時にビークルモードに変形し、先を争うように倉庫から飛び出した。その後をアイアンハイドもまた、ピックアップトラックに変形して追いかけていく。
 倉庫にオプティマスの笑い声が響いた。
「まったく」
 ラチェットが嘆息すると、オプティマスの手が肩に乗った。
「なにが起こるにせよ、取り返しがつかないのでないかぎり、なんとかするのが我々の役目だ」
「無分別は、若さの特権とは思いたくありませんな」
「いいじゃないか。甘えさせてやろう」
 他愛ない言葉だが、オプティマスが言うと少しばかり重い。彼は生まれながらに重責を背負い、若くあることを許されなかったのだ。ラチェットは自分の感じたものを外に出さないように気をつけながら返答する。
「今は、それができる。いいでしょう。今回は大目に見るとします」
「そうしてくれ。さて、そろそろ休憩は終わりだな。行こうか」
「そうですね。監督に叱られに行きましょうか」
「……ラチェット。意地が悪いぞ」
「確実に予想される事実を指摘しただけで、意地が悪いと言われても困りますよ」
 ラチェットは一足先に倉庫を出た。
 そこにあるのは、静かで平和な光景だ。
 セイバートロン星とはまるで違う、脆弱で儚げな世界だが、それでもここは平和である。泥沼の戦争の記憶は今も鮮明で、だからこそ、オプティマスの甘さも分かる気持ちにはなった。
 そう、この平和の中で、娯楽のために働き、ちょっとしたトラブルで怒鳴りつけられる。それは実に、安らかな出来事と風景ではないか。死屍累々たる戦場のただなかで、痛みを訴え死の恐怖に怯える声を聞いていたことに比べれば。
 ラチェットには、彼等のように楽観的になることはできなかったし、無邪気に平和を堪能する気にもなれない。彼の脳裏にはいつも、苦しみながら死んでいった、助けられなかった同胞たちの姿と声が焼き付いている。
 それでも今は、今少しの間は、罪の意識を隅へ追いやって、彼等とともにこの平和を楽しんでもいいだろうか。そんなことを、遠い故郷の星、そこに埋もれた悲しい同胞たちに尋ねたい気がした。

 

 

(なしくずしに終わる)


 

 なにが言いたいんだと言われても、脳内に生まれた設定をとにかく叩き出してみただけだというのと、妄想したキャラクター性を文章にし、彼等を動かしてみたかっただけで……!
 あと、ほんの少しでも彼等が、撮影現場にいるような、そんな感覚を持てる部分があったらいいなぁと思ってるくらいです。

 なお、バリケードが何故逃げたのかは、ヒ・ミ・ツ、です。
 アニメ版のファンのかたも、映画版のファンのかたも、それぞれに「自分の思う彼等」はあると思いますし、それは私の書いたものとは違うと思います。
 それでもいくらかは、楽しんでいただけたでしょうか。