神様がくれたロマン

「ねえルパン、これ見てよ、これ」
 と不二子がルパンの顔の前に突き出したのは、今朝の新聞だった。
 口紅らしい赤い色で、一つの記事に大きく丸がついている。だがそんなことをされずとも、ページの半分を占めるその記事は、嫌でもルパンの目に飛び込んできた。更に言えば、それは今朝読んだばかりのもので、あらためて読み直すほどのこともない。

「で、これがどったのよ」
 べつにとぼけるつもりもなく、ルパンが不二子を見上げると、彼女は要領を得ないルパンに苛立って、
「まったく、なにを言ってるのよ」
 1オクターブほど、声を高くした。かと思うと、次元の耳にはあからさまな猫なで声にしか聞こえない甘い声を出して、ルパンの肩に手を乗せ、胸を押し付ける。
「お金には換算できないほどの、幻の鳥よ。ねえ、ルパン、最高の獲物じゃない?」
 ルパンの手から新聞を奪い取り、不二子は大きな写真つきの記事を眺めた。

 半年ほど前、東欧の小さな国で捕獲されたその鳥は、黄色というより金に近い羽毛の、大きな鳥だった。大鷲か、あるいはそれより更に大きく、ともするとコンドルほどはあるかという、金色の鳥である。それが神秘的な緑色の瞳と、歌うかのように美しい鳴き声を持っているらしい。
 専門家たちが調べたところによると、この鳥と同種といえそうな既存の鳥類は存在せず、まさに、世界で、史上初めて確認された種だという。
 今は国際的な動物保護団体の管轄下に置かれ、今回の発表と公開は、動物愛護・保護を目的として開かれるチャリティーイベントの一環と言われている。

 不二子の「おねだり」には弱いルパンである。
 これが宝石だの金塊だのというならば、もう鼻の下を長くして二つ返事で引き受けているところだが、
「あのなぁ、不二子。鳥ってのは宝石と違って、黙って盗まれちゃくれないんだぜ?」
 ターゲットが「鳥」では、そう簡単にいくものではない。
 次元は、これだから女は浅はかなんだ、と言わんばかりに
「女と一緒でな」
 面白そうにそう付け加えて、手の中のバーボンを煽った。不二子の剣呑な視線は、帽子の庇を下げてカットする。
 その態度がまた癇に障った不ニ子が、続けて何か言おうとしたが、それより一呼吸早く、ルパンが口を開いた。
 それは、いかに「金銭で売買できる代物ではない」と言われた稀有な鳥であり、価値があろうと、最初から盗みの対象だと思わなかった何よりの理由でもある。
「だーいたい、盗むまではまだしも、盗んでからどうしようってのよ。不ニ子、飼うつもりか?」

 宝石は黙って盗まれてくれるし、黙って、何も変わらず眠っていてくれる。だが鳥は、盗むとなれば眠らせるか殺すかする必要があり、生かしたまま「保存」するには世話を焼かねばならない。
 どんなに美しい鳥で、それが気に入ったとしても、ルパンには、その美しさを剥製にしてまで愛でる趣味はなかった。だいたい、死んで加工された動物、すなわち剥製やトロフィーで、一度でも心を揺り動かされるようなものに出会ったためしはないのだ。
 博愛主義者でも動物愛護団体に参加しているわけでもないが、殺して盗む・盗んで殺すのは、ルパンの性に合わなくもある。
 諦め悪くそこにいる不二子をちらりと見やって、次元は足で反動をつけ、椅子から降りた。

 それが「そろそろ時間だ」という合図で、ルパンもありふれたニュースを流すテレビを消す。
 二人連れ立って、ドアに向かった。
「何処に行くのよ」
 不二子が問うと、ルパンはジャケットの内ポケットから長方形の紙切れを二枚、取り出してひらひらと振って見せた。
「映画の試写会。懸賞で当たっちゃったの。プレミアつき試写会の招待状」
 嬉しそうににんまりし、次元と頷き合う。
 不二子は呆れて溜め息をついた。

「何が懸賞よ。欲しければチケットでもなんでも、盗めばいいじゃない。だいたい、ここのところなーんにもしないで、毎日毎日ダラダラと……。懸賞に当選することを期待するなんて、すっかり怠け者になったみたいね」
 刺々しく言い捨てて、そっぽを向く。
 ルパンはしたり顔で、立てた人差し指を左右に振った。
「分かってないなぁ。盗みには盗みの、懸賞には懸賞の楽しみがあるもんよ。盗みはいかに困難な条件で、いかに見事に盗み出すかの芸術。懸賞は、当たらないかもしれないものがたまたま当たるから、楽しいのさ。それに、泥棒はサラリーマンじゃないんだぜ。盗みたいときに、盗みたいものを盗む。それが泥棒稼業のイイトコロ。んじゃね」
 ルパンが閉めた戸に、不二子の投げたクッションが当たって、鈍い音を立てた。

 

 予想していたほどは面白くなかったが、出かけたのが無駄ではなかった程度の映画を見終わり、ルパンと次元が帰ってきたのが夜七時。
 五右ェ門は何処にいるのか、ここ数日姿を見せないが、これはいつものことだ。
 映画の話をおかずとして加え、ありきたりな夕食を終えて八時半。
 十一時を過ぎ、次元はさっさと寝室に篭もったが、まだ寝るつもりではないらしく、ウィスキーの瓶とコップを部屋に持ちこんでいた。
 ルパンは居間のソファに転がって、昔懐かしい西部劇を見ていた。

 そんな真夜中の来訪者は、二十代半ばとおぼしき青年だった。
 青みがかった銀髪に青い目の整った風貌で、そうそう世間にありそうな、ありふれた顔ではない。だが、ルパンはそんな青年など、町で見かけた記憶もなかった。
 そこに家があるのは見れば誰にでも分かるし、住んでいるのが二人、あるいは三人の男、あるいはさらに一人女がいて四人なのかもしれないが、そのことも近所(と言っても、フランスの片田舎では、隣の家までゆうに50mはあるのだが)の人間は知っている。
 しかし、彼等がルパン三世とその一味であることを知る者は、数少ない。
 というのに、その青年は、応対に出たルパンに向かって、
「貴方がルパンさんですね」
 と言ったのだ。

 彼はまず最初に、突然の不躾な訪問について、簡単に詫びた。
 いくら礼儀正しくとも、まるで見知らぬ青年だ。しかしルパンは、危険な相手ではないと直観し、彼を家の中に通してやった。
 もし危険な相手であったとしても、隠れ家にはあちこちに仕掛けがほどこしてある。自分のテリトリーに入れてしまえば、いざという時、有利なのは自分たちのほうである。そういう計算もある。
「まあ、かけな。で、このルパン様になんの用なんだ?」
「実は、お願いがあって来たんです」
「お願い、ねえ」
 ソファを勧め、クーラーから出してきたワインの封を切る。二つのグラスにたっぷりと注ぎ、一方を自分で飲みながら、他方を青年に押し付けて、ルパンは少し、困ったな、と天井を見上げた。

「言っとくけど俺は泥棒よ? サツのダンナの『捕まってください』ってお願いと、保険や宗教の勧誘は聞けないんだけんども」
「はい、分かっています。お願いというのは、あるものを、完全に無傷で盗み出してほしい、ということなんです」
「あるもの、ねぇ。ちなみに泥棒は慈善事業でもないわけで……」
「もちろんお礼は用意します。もし叶えてもらえれば、これを貴方に差し上げます」
 青年は一口だけ飲んだワイングラスをテーブルの脇に押しやり、コートの下から、古びた羊皮紙を巻いたものを取り出し、広げた。

 ルパンは素早く、その羊皮紙の傷み具合が自然なものであることを見てとる。
 かすれた文字や羊皮紙の質などからして、四百年近く昔のものであるらしい。保存状態が良かったのか、虫食いの跡はほとんどない。書かれているのは地図だ。それが何処かまでは分からない。いずれかの国の一部の地方を、大きく描き出したものらしい。具体的な場所は、コンピューターで調べればすぐに分かるだろう。

「それは?」
「いわゆる宝の地図です。この印のところに、とある王家が隠した莫大な財宝があるはずです」
「デマじゃあないだろうな」
「僕が隠したわけではない以上、絶対にある、とは言いえませんが」
「はっ、そりゃそうだ」
「しかしこの地図はずっと僕が持っていたものですから、他の誰かが見つけているとすれば、まったくの偶然でしょう。ですが、ここはずいぶんと入り組んだ谷の奥です。この地図なしでは、人間の足では到底辿り着けないか、辿り着けたとしても、無事に出るのはなかなか難しいと思います」
「ふ、ん……」

 やたら入り組んだ線は、国境や道路ではなく、谷の概形を記したものらしい。だいぶ薄れた線も全てそうなのだとすれば、何本にも枝分かれし、複雑につながりあっている。たしかに、地図を頼りにしなければ、偶然辿り着いただけでは戻れそうもない、迷路のような谷だ。
 ルパンはふと、昼間に不二子とかわした会話を思い出した。
(これも懸賞みたいなもんだな)
 一人小さく笑う。
 当たるか当たらないか。
 外れなら労力の無駄だが、久しぶりに、純粋な宝捜しというのも面白いかもしれない。あると分かっているものを盗み出すのではなく、あるかないか微妙なものを、あるらしい、という何かを手掛かりに探し出すのだ。

「よし、いいぜ」
 ルパンは興味と自信に満ちた声で、はっきりと引き受けた。
 盗めというものがどれほど無茶でも、それをなんとかするのもまた、楽しみである。何を盗むかなど、引き受ける前に聞いても後に聞いても、大差はない。
 ルパンの返事に青年はほっとし、表情を明るくした。
 そして元通りに羊皮紙の地図を仕舞うと、かわりに、新聞の切抜きを見せた。

 それは、今朝一度見て、昼間に一度見た、例の鳥の記事だった。
 ふと思い出したことと関連のあるものを見せられて、ルパンはその偶然にいささか驚いた。
「こいつを盗めってぇのか?」
「はい。この動物園から連れ出して、僕のところに連れてきてほしいんです」
「はああ」
 黄金の羽、エメラルドの瞳、歌うように鳴く、大鷲ほどの大きさの、美しい鳥。
 世界に二羽とおらず、金銭的価値は計り知れない。
 盗みにかこつけて、一度間近で拝むのも悪くはない。
(しっかし、これが不二子に知れたら……)
 怒って拗ねる様が見えるようで、ルパンは一人、苦笑した。

 

 引き渡しは五日後の深夜、この場所で。
 麻酔銃を使うといった手荒な方法は、可能な限り避けること。そして、できうればかすり傷一つない無傷で。
 それだけ取り決めて、青年は丁寧に礼を言い、くれぐれもよろしく頼むと言い置いて帰っていった。
 入れ替わりに居間に入ってきた次元は、寝室で話は聞いていたのか、やや呆れたような、それでいて、いかにもおまえらしい、と言いたそうな笑みを浮かべていた。
「麻酔銃も使えねえとなると、厄介だな。睡眠ガスか?」
「まあな。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「警備体制が問題だな。盗み出そうって時に、鳥の周りに人間がいないならいい。けどもし誰かいるとなると、人間に効くようにすれば鳥には致死量かもしれないし、鳥が無事なようにすると、人間には効きが浅いかもしれねえ」
「警備員に化けて入れ替わっちまえばどうだ?」
「普通なら、そういくんだけどな。なーんか嫌な予感がすんだよなぁ」

 ルパンは予感と言ったが、それは明確に言葉にして考えなかっただけで、ありうる未来を確実に推測していた。
 黄金の鳥を諦めなかった不二子が単独で行動を開始し、それを妖怪じみた嗅覚で嗅ぎつけた銭形が、「不二子の影にルパンあり」の黄金律に従って、警備に首を突っ込んできたのである。
 銭形の警備となると、ルパンも慎重にならざるを得ない。毎度見事に出し抜いてはいるが、何度となく戦ってきた相手である。銭形はルパンの使う盗みの手口をいくつとなく知っているから、迂闊なことをすれば間違いなく手錠がからみつく。
 警備員になりすまして獲物を奪っていくのなど常套手段である。それを見越していれば、迂闊に警備を交代させはしないだろう。元から紛れ込むにも、おそらくそれを牽制するため、なんらかの手段をとるはずである。

 侵入することそのものは、比較的容易だ。
 N動物園の内部にある大きな建物が、現在、特別に「世界の珍獣展」に使われていて、そこには例の黄金の鳥の他、白い大蛇だの赤い虎だのがいる。
 客が見物できる檻は、裏側で飼育用通路に面した小部屋につながっており、閉館後、動物たちはそちらに入れられる。
 小部屋はコンクリートで覆われていて、出入り口は、檻に通じるドアと、飼育者たちが行き来する通路側の鉄格子に設けられたくぐり戸の二つ。
 警備員は裏手の通路の前に二人、通路の要所要所、建物への出入り口、裏口、動物園そのものにも配備される。

 しかし、場所が動物園であるから、強烈なライトであちこちを照らしまくるわけにはいかない、という弱みがある。夜行性の動物や眠っているものを起こし、刺激してはならないため、あくまでも平常どおりの、乏しい光の中で見張らなければならないのだ。
 闇は、ルパンたちの味方である。見つからないよう、警備の目を盗んで闇を辿ることは、彼等には難しくない。

 今回のことは不二子には秘密にしておいたほうが良さそうなので、ルパンは次元と五右ェ門だけに頼み、警備体制について可能な限り調べた。
 その一方、自分はいかにして鳥を騒がせず盗み出すか、知恵を絞った。
 「可能な限り完全に無傷で」。
 やむをえなければ、いくらかは傷ついてしまっても仕方がない、という意味ではあるが、盗みはパーフェクトにこなしてこそ、芸術と言える。
「……やっぱ、これしかないか」
 何度も考え直した挙げ句、ルパンは一番最初に思いついた案に戻ってきた。 あとは、銭形が思いがけない手を打ってこないことを祈るだけである。

 計画が決まると、次にルパンがしたのは、こっそりと隠しカメラで撮影しておいた、宝の地図の解析だった。
 もし該当する場所がなければ、地図は完全な偽物ということになる。
 引き換えにする宝だけが目的というわけではないが、騙されるのは面白くない。ネクタイピンに仕込んだカメラでとった地図の写真を、コンピューターで処理して鮮明にし、実際にそういう地形があるのか、そこに宝があるという噂が流れたことはあるのか、調べ始めた。
 すると、たしかにそういう谷が存在し、財宝と、その地図にまつわる言い伝えがあることが明らかになった。

 十六世紀の半ば頃、東欧にある小国・Y国で激しい内乱が起こった。王家の権力と財宝を横取りしようとした大臣の引き起こしたもので、その時、王の一族は戦火が激しくなる前に、この谷に王家復興のための財宝を隠した。
 王家は滅び、その地図を受け継いだ王家ゆかりの者も捕らえられ、そして、財宝の地図はとある商人の手に渡る。
 その商人が財宝を取り出すべく谷に向かったのだが、その道の途中、商人一行の手から地図を奪う鳥があった。己の欲のためにその財宝を手に入れようとした商人を罰するべく、神の遣わした神々しい鳥だという。
 鳥が地図を持ち去ったがために、商人は宝の場所へは辿り着けなくなった。引き返す道も分からなくなったが、神の慈悲か、もう一羽現れた神の鳥が、彼等を帰途に導くように谷の上空を飛んだ。
 王家の紋章は向かい合った一対の鳥。
 神が間違いなく彼等一族を守護していると噂され、以後、国そのものが近隣の大国に併合されるまで、分家から立てられた新たな王室が、連綿と続いていったという。

「鳥、ねえ」
 ただの偶然だろうか、とルパンは考えた。
 世界に一羽しかいない、黄金の鳥。
 その鳥を盗んでほしい、と言った青年の持ってきた地図。
 鳥が捕まえられたのは東欧のある山で、それはこのY国のあった場所からは目と鼻の先だ。
 ともするとあの青年はその王家に連なる者で、あの黄金の鳥は、神の遣いと言い伝えられている鳥。それが捕らえられたと聞いて、宝などより神の鳥のほうが大事だ、とルパンの助力を得、解放する気になった……。
 と、考えられないことはない。

 それが一番もっともにも思える。
 事実は、黄金の鳥を盗み出し、もう一度青年と会った時、尋ねれば聞けるのかもしれない。もっとも、ルパンにとっては今度の盗みが成功するかどうか、そして宝が本当にあるかどうかが大事なのであって、青年のことなど、ほんのついでだ。言いたくないことならば、あれこれと詮索することはない。
 それ以上の思案と想像はやめにして、ルパンはソファに引っ繰り返ると、大きな欠伸をした。

 

→NEXT