fly to your side

 名前など知らない。
 南の街の、小高い山。
 本州より一足早く、南の島には春が来ていた。
 南へ行けと言ったのはクルルだ。
「さすがに時期尚早、少し寒いっスね」
 と向かわせた。
 だが本当は、自分はほとんど寒くなかった。ギロロの体に遮られて、風が直接当たることはなかったからだ。
 寒いのはむしろ、その風を浴びているギロロのはずで、そんなことはとても口に出せないから。

「……言えねぇよなぁ」
 喉が渇いたから飲むものを買ってくる、とギロロは一人、山の中腹で見かけた自動販売機のところへ走っていった。さすがにハイキングには少し気が早い。アンチバリアを発動せずとも、人目につくことはないだろう。
 一人になって、クルルはそっと溜め息をついた。

 ギロロのことは、昔から気になっていた。高等訓練所で会った時からだ。
 ギロロは戦闘兵としては群を抜く能力を備えていながら、いつもなにかに追われているように必死に上を目指していた。他人に厳しい以上に自分自身には残酷なほど厳格で、どんなにいい結果を出しても、決して満足しない。
 その理由がギロロの兄・ガルルにあると知ったのはだいぶ後になってからだ。
 桁違いの能力でトップを走りつづけ、士官への道をまっしぐらに突き進むガルルに、ギロロはどうしても追いつきたかったのだろう。だが、ガルルは常に数歩先にいる。結局ギロロは、たしかに抜群の優秀さではあったものの、ガルルの成績には及ばないまま訓練所を卒業した。

 クルルには理解できなかった。
 彼自身がガルルの立場にいたせいもある。これまでの記録や成績を全て塗り替え、例外的な飛び級を重ねて最年少で高等訓練所に入った。クルルは最高成績を塗り替える側で、それを追う側ではなかった。
 しかし、と彼は思う。もし自分がナンバー1ではなかったとしても、誰かの後をこんなに必死に追いかけただろうか。
 たぶん諦めただろう。トップに立つことに大した意味はない。クルルには、自分が好きなように生きていくために充分な能力さえあれば、それで充分だった。

 クルルは何故か、ギロロのことを見たり聞いたりするたびに苛立った。
「バカじゃないんスか? 労力の無駄遣いっスよ」
 と口にして、殺されるぞと周りの皆を青くさせたこともある。
 その発言がギロロ自身の耳に入り、彼が呼び出しをかけてきて、初めてちゃんと顔を合わせた。
 ギロロの考え方や言うことは古臭い軍人のそれで、いささか時代錯誤だった。だからこそ、頭の固い教官たちからはウケがいいのだろう。
 その時も、自分という個人を罵ったことについては腹を立ててはいても問題にせず、先輩に対しての礼儀だのということでクルルを叱りつけた。
「へえ。じゃあ先輩。一つおうかがいしますけどね、もしオレが将来、アンタの上官になったらどうします?」
 ギロロは一瞬言葉に詰まり、
「無論、上官の命令は絶対だ」
 と答えた。

 その時からずっと、反感を表に出して過ごしてきた。
 ギロロの提案を一つ残らず否定したこともある。どんなに有効な作戦でも、それを上回る作戦を提供するなど、クルルには造作もないことだった。
 それがたまたまのことならば、ギロロも気にはしなかっただろう。単に、自分の提案よりも良いものがあったというだけで、それに従うことに抵抗するような器の小さな男ではなかった。
 だがクルルのそれはあからさまにギロロを意識したもので、さすがにそれには我慢できかねたようだ。
 以来、誰も知らない者がないくらい、二人の間はこの上もなく険悪だった。

 だがクルルは、ギロロが嫌いだったわけではない。
 人一倍頭のいいクルルはとっくに気付いていた。
 羨ましかったのだ。
 なにに対しても本気になれず、とかく人からは嫌われがちな自分と、ささいなことにも真剣に取り組める、それでいてあれだけ口うるさいのに人望のあるギロロを知らずに比較して、自分の持たない熱さに憧れた。
 それを認めることは容易だったが、受け入れることは困難だった。
 だから見ているとなにからなにまで気に障った。愚直なほどの一途さに苛立ち、我が身も顧みない無茶に苛立ち、真っ直ぐに前を、人を見る目に苛立ち、人の輪に囲まれる姿に苛立った。
 その苛立ちを鎮めるために有効なのが、揶揄し振り回し否定し反論を封じ、歯噛みさせることだった。

 それから何年かの時が過ぎ、クルルはかつてないスピードに少佐にまで昇進し、呆気なく曹長に落とされた。曹長という役職は軍曹の上、准尉の下だ。だが強い権限があるわけでもない、いわゆる有名無実。
 ギロロは順調に出世するものと見られたが、あくまでも現場、すなわち戦場の最前線で戦うことを希望し、伍長止まりだった。
 地球侵略計画に際して、クルルとギロロは同じ小隊に配属された。
 五人の中で最上官となるのは曹長クルルだが、指揮権は軍曹ケロロに与えられた。つまりクルルは小隊の後見役、実際の活動には積極関与しない立場に置かれたのだ。
 いつか言った、「オレがアンタの上官になったら」という言葉が思い出されたのは、クルルだけではなかっただろう。
 だが、それを持ち出せるほど青くはなくなっていた。
 クルルの抱いた苛立ちは、認めたものを受け入れられるほど大人になって、少し形を変えてもいた。

 そして今この時、かつて苛立ちだったものは奇妙な疼きといたたまれないような気持ちになって胸の底にある。
 全ては誕生日のせいだ。
 あの日、クルルは嫌味のつもりで最高の武器を作り上げた。
 なに一つケチをつけられない、小型の高出力無反動レーザー砲。いくらエネルギー効率を最大限まで良くしたとはいえその消費は大きく、また威力も大きいため手軽に撃つわけにはいかないが、いざという時には活路を切り開ける。最前線に飛び出して戦うギロロにとれば、最高の武器の一つになるだろう。
 最良のものを贈ることが、最高の嫌味になるだろうと思った。
 どんなに素晴らしくても、それを作ったのは自分なのだ。それが最大最強の欠点。
 どんな顔をするだろうと、クルルは楽しみにしていた。

 案の定ギロロはなにか仕掛けがあるんじゃないだろうなと疑い、なにかあれば巻き込める位置にクルルを置いて試射した。気が済むまで撃った後、
「いきなり爆発するとか、宴会用の機能があるとか……」
 と念を押され、
「心配なら分解してみりゃいいっスよ」
 と答えれば、さも意外だと呆気にとられたような顔をした。
「本当にもらってもいいのか? 設計図を売れば金になるぞ」
「こんな面白みのないもので儲けたって楽しくないんスよ、オレは」
 そんな具合に、恐々というか不承不承というか、受け取ることを決めたようだった。

 予測の範疇内だなと、クルルは満足だった。
 だがその後で、予想しなかったことに出くわした。
(お、おいおい……)
 有用な武器だからだ。だからなのだが、ギロロが大事そうに手入れをするのを見ていると、ひどく落ち着かない気分になった。試し撃ちをして満足そうな顔をしているのを見ると、何故か焦った。
 そしてある日、
「クルル。……すまん、疑って。あー……その、こいつだが、……ありがとう。礼を言う」
 手入れをするギロロの後ろを通り抜けようとした時、顔も向けず、そんなふうに礼を言われた。それからほんの少しだけ振り返り、困惑気味で気まずそうではあったが、自分に向けて笑う顔を見た。
 いつも冷たく乾いている手が急に少し熱を持って汗ばみ、体全体の体温が上がったような気がした。

 なにかがおかしくなった。
 自覚はあった。
 だが、処理するのが難しかった。
 処理できないままに作り始めていた。
 ギロロが好きそうなもの。
 あげれば喜んでくれそうなもの。
 それがこの、大型ソーサー。
 どのメーカーのどんなものでもない。オリジナルの一台。
 資金とか利益とか一切合財考えず、考えたのは、どうすればギロロの体に合い、操りやすく、彼が気に入ってくれるかだけ。
 だが作る前から、作りながら、とっくに分かっていたこともあった。
 それは、作ったところで渡せはしないということだった。
「こんなのは、オレじゃねぇよな……」
 渡せもしない最高級・最高性能品。ボディを撫でると、少しだけ哀しかった。
 今更もうどうにもできないことが、哀しかった。

 「G−66」というロゴを見えないところに小さく焼きこみ、ブレーキの最終調整をし、あと少しで完成するというその夜に、ギロロがやってきた。
 明日が自分の誕生日とやらであることを、クルルはまったく覚えていなかった。ここのところずっと、日付など見てもいなかった。
 それは、最初で最後のチャンスだった。
 借りを返したいというギロロの発言を受け入れれば、おまえにやるものだと言わないでおくなら、乗ってもらうことだけはできる。
 自分の誕生日に、人にものをやる。
(オレらしいじゃねぇか)
 そして少しだけもらう、共に過ごす時間。
(……らしかねぇな)
 そんなものに心惹かれるのは、あまりにも。

(……『好き』ってのかね、こういうの)
 日当たりの良い岩の上に腰を下ろし、クルルは自分の腕を見た。
 腕の中に、体温と感触が残っている。
「クルル」
 名前を呼ばれて顔を上げると、すぐ目の前、ほんの30センチほど前にまで、なにか猛スピードで飛来する物体が迫っていた。それを受け止めるほどの反射神経はなく、受け取り損ねて顔面でキャッチする。更に勢い余って、クルルは岩の上から転がり落ちた
「あ゛。……すまん」
「せ……先輩……。投げ渡す時には、放物線を描かせるもんっスよ。これは、『投げつける』。せめて手から離す前に声かけてくれませんかね」
 しかも、「あったか〜い」のコーヒー缶は、かなり熱い。わざとでないことは、詫びるギロロの声音で分かった。彼等、戦闘要員の日常においては、投げ渡すという行動は存在しないのだろうか。休憩中に缶ジュースがものすごいスピードで空中を行き交うのが、戦場の風景なのだろうか。
 クルルは顔面の痛みをこらえて岩によじのぼり、割れた眼鏡を携帯端末で修復し、溜め息をついた。

「すまんな。ケロロなら、嬉々として受け取るんだが」
 ギロロは缶コーヒーのプルトップを引きながら、いつもの応酬相手の名を口にした。
 たしかにケロロなら、受け止められるかどうかは別として、気合を入れて格好つけてキャッチしようとするだろう。もしミスって顔面キャッチしても、それはそれで、そこからにぎやかな喧嘩がはじまるに違いない。
 クルルは黙ってコーヒーを飲んだ。嫌味は言えても、どこかのアニメの猫とネズミじゃあるまいし、仲良く喧嘩することなどできそうもない。
 少しばかり気分が悪い。
「? どうした、珍しいな。おまえが嫌味の一つも口にせんとは」
「……バカじゃないんスよ。ここでアンタを怒らせて置き去りにされたら、帰るのが一苦労だ」
「俺がそんなことをするか」
「カッとなるとやりかねないと思ってますよ」
 フン、と鼻白んだ声が聞こえた。

 楽しくない。
 言葉をかわした途端、軋みだす。
 胸の奥がムカムカする。

 

つづく→