翌朝、ギロロは6時少し前に約束の玄関の前に現れた。
 空はまだ薄暗く、かろうじて東の空にだけ光が見える。空の雲は淡くもう雪もないが、吐く息は真っ白だ。
 湿度が高ければ多少の寒さは平気だが、この季節の太平洋側は、風は乾燥し冷たさが際立つ。地球仕様にアレンジしたジャンパーとブーツを身に付けていないと、この寒さにはなかなか耐えかねた。
 クルルはまだ来ていない。
 いったいなにがほしいのか、それともなにをさせたいのかと思いながら、じっとクルルを待つ。
 地球用の腕時計の針は6時を少し過ぎてしまった。
 いつもならば遅刻だなんだと腹を立てるギロロだが、今日は騙されてもいいかというつもりでここに来ている。いったいなんなんだろうと思いつつ、寒さをまぎらわせようと小刻みに体を揺する。
(せめて雪でも降れば、もう少しは過ごしやすそうだが……)
 もう2月も終わりである。日本海側ならばいざ知らず、こちら側で雪が降ることはなさそうだ。見上げた空は少しずつ彩りを広げ、今日はいい天気になりそうだった。

 クルルが姿を見せたのは、6:30近かった。
「遅いぞ」
 ギロロはそれ以上の文句は言わなかった。
 クルルはフリース地の長袖シャツにマフラーという格好で、軽く肩を竦めて空を見上げる。
「? なんだ?」
「いや。炎魔割は雨風雪は自在なんスけど、風のない晴れた日ってのはできないんスよ」
「おまえの作ったあの衛星か。ほう」
 ギロロも空を見上げた。炎魔割が見えるわけは、もちろん、ない。クルルがどうして天気のことなど口にしたのかも、無論、分からない。

「で? 要求は」
 ギロロはクルルの顔に視線を戻した。
 要求という言い方が少し露骨すぎたのか、クルルはまた軽く肩を竦めて見せた。
「早く言え。俺も寒いんだ」
「そうっスね。じゃあ、今日一日、オレに付き合ってくださいよ」
「? どこか出かけたいところがあるのか。俺の腕が必要になるなら武器を……」
 ギロロはテントに引き返そうとした。クルルがギロロに戦闘能力の発揮を求め、危険な場所での行動を考えているならば、たしかに妥当な望みである。
 だがクルルは
「早とちるんじゃねぇよオッサン」
 形ばかりとは言え一応は使用していた丁寧語を放棄して、あきれた溜め息をついた。
「だったらなんだ」
 ギロロが尋ねると、クルルは何故か、舌打ちを一つ聞かせた。仕方ねぇなと言わんばかりの様子に、ギロロが少し不思議そうな顔になる。と、クルルはポケットから出した小さなリモコンのスイッチを押した。

 門の前、人通りも車通りも少ない道路に光の円ができる。転移ゲートの出入り口だ。いったいなんだとギロロが見ていると、そこからせり上がってきたのは、一台のエアソーサーだった。
 以前にケロロがつかまされたような、大型のスポーツライドタイプ。地球のバイクで言えば1000ccはあるだろう。
 軍事関係の物資以外にはほとんど興味のないギロロは、見てもこれがどんなメーカーのどういうソーサーなのかはまるで分からない。
「で? これがなんだ?」
「オレには運転できなくてねぇ、こんなクソ重たい大型は」
「鍛え方が足りんからだ」
「参謀が筋骨隆々でどうするよ」
「だったらいったいなんなんだ、これは」
 クルルは溜め息をついた。
「少しは察してくれよ先輩。オレとアンタがここにいて、こいつがある。が、運転できるのはアンタだけ」
「つまり……俺に乗れということか? 行き先と目的は」
 ギロロの言いようは、「これに乗ってどこかへ行き、なにかをしろというのが要求ならばしてきてやる」という以外のなにかには聞こえなかった。クルルはまた一つ溜め息をついた。そして、いかにも仕方なさそうに回答を口にした。
「いい天気だろ。たまにはツーリングにくらい連れてってくださいよ、先輩」

 フライングボード程度の小型飛空機器ならばクルルも扱えるが、特殊な免許の必要な大型ソーサーは乗れない。参謀としての活動に必要にならない免許など、とる気がなかったせいだ。
 それに対してギロロは、いかなる状況下においても行動が制限されないよう、一般的な乗り物から戦闘機に到る特殊なものまで、一通りの免許を取得し扱いにも精通している。
「……要するに、こういうのに乗ってみたい、ということか?」
 とギロロは解釈した。クルル単独では乗れない大型ソーサー。だが、その乗盤感は小型のものとは異なって独特だ。ある程度の力でねじ伏せてやることで得られる、格別の浮遊感と安定感がある。
(何故俺に)
 ギロロがそんな疑問を持つのは当然のことだった。誰もが知っているほど仲が悪い。よそからそう見えるというだけでなく、ギロロは陰に篭もったクルルが嫌いだし、クルルも融通がきかず頑固な、それでいて意見の合わないギロロのことが嫌いだったはずである。高等訓練所で顔を合わせて以来、なにかにつけて反発されてきた。

 ギロロの不審を察したのか、クルルはまたひょいと肩を竦めた。
「仕方ねぇだろ。アンタが一番マシな依頼相手なんだから」
 そう言われてギロロは他の隊員の顔を思い浮かべ、納得した。
 ケロロは、気が向けば二つ返事で頷いてどこへでも連れて行ってくれるたろうが、マイペースvsマイペースで衝突もしないかわりに相手の言うことも聞かない。タママはクルルとなにを話せばいいのか分からないだろうし、ドロロは兵質上こんな大型ソーサーは扱わない。
 それなら、気に入らなくても衝突はしても、要求を飲んでやると約束すれば簡単には反故にしないギロロが、確かにまだしも適任だった。
「分かった。一日ドライバーになればいいんだな」
「そういうこと」
 そうして7時少し前、日向家の前から一筋の赤い光が、大空へと飛び上がった。

 太陽を迎えた空は、あきれるほど青く澄んでいた。
 が、正直なところギロロは寒くて仕方がなかった。太陽光線はあたたかいが、それより圧倒的に、吹き付けてくる風のほうが冷たいのだ。
 ソーサー乗りもバイク乗りもこのへんは同じで、ツーリングに適した時期というのは極めて短い。冬は止まれば日差しがあたたかく丁度良くても、走っている時が地獄。夏は逆で、走っていれば爽快だが止まった途端に地獄。
 タンデムに乗っていれば正面からの風はドライバーが引き受けてくれるのでマシだろう。それにしても、ツーリングするには少し時期が早かった。
(……誕生日だからな)
 ギロロは文句を言うのをやめた。
 クルルが自分に望んだことなのだ。大空を自由に駆け巡る解放感と爽快感。おまえも免許をとればいいだとか、室内に篭もってばかりいるのが悪いんだとか、言うのは別の日でもいい。

 いったいどうやって手に入れたのか、どこのメーカーのものなのか、クルルの出してきたソーサーは驚くほど操りやすかった。
 グリップの微妙な角度やブレーキのエーテル圧、左右へのブレを調整するバランサーもずいぶんと良質らしく、大きさに似合わない滑らかなハンドリングが可能だ。大気のある惑星ならばどこにでもある上空特有の突風も、機体を倒したり浮かしたりすることなくきれいに滑り抜けていく。
 レジャー用でしかないソーサーも、ここまで乗り心地がいいと純粋に心地好い。
「で、どっちに向かう? 海か、山か、街か」
「海は潮風で体がベタベタになるしな……。低文明の街はスモッグで飛べたもんじゃない」
「山、か。飛ばすぞ。掴まってろ」
 クルルがしっかりと自分の腹に腕を回したことを確かめて、ギロロはハンドルをきり車体を大きく倒した。

 スリップすることもなく、風を受け光を浴びてソーサーが回る。
「……手」
「ん? なにか言ったかい?」
「冷たければ、俺のジャンパーのポケットに入れていろ」
 ギロロはクルルに聞こえるよう声を張り上げた。
 昔、一度だけ兄のソーサーの後ろに乗せられて、出かけたことがある。腹に触れた手の冷たさを感じて、ギロロはその時言われたことをふと思い出したのだ。
 なにか言うかと思ったが、クルルの手は素直にごそごそと動き、ギロロのポケットの中におさまった。
 クルルが珍しくおとなしいのは、ともすると少しばかり照れているからなのかもしれない。誕生日の、ちょっとしたプレゼントに。
 気に食わない一方の後輩だが、気に食わないと決め付けて見ようとしなかった、だから知らずにいるなにかも、あるのかもしれない。
 クルルの出方次第だが、今日一日くらいは怒鳴らないようにしてもいい。朝日を覗かせる山に向かい、ギロロはアクセルを全開にした。

 

(おしまい?)


誕生日の日付は適当ですので、公式設定があったとしても無視してください。