またもとっつぁんについて熱く語るわけです。

 この話はふっと出てきたものですが、中にいくつか、最近レンタル中古落ちで買ったVHSを見ていたから出てきたネタ、それに原作ネタも混じっています。
 ルパン逮捕の失敗件数は、「バイバイリバティ」で少年が銭形に語ったところから引っ張ってます。五右衛門が参加した殺人ゲームというのは、ルパン三世Y。シャーロック三世はテレビアニメ(シャーロックというだけの名前で原作にもいますが)、メロンは原作。
 ま、このあたりのことは知らなくても読んでいただけるかと思います。

 ……すごいなと思うわけです。
 七百回、いや、リバティ後にもまだ失敗してるはずですから、とするともう八百回、銭形は悔しい思いをしてることになります。
 なのに諦めない。
 銭形は、原作ではものすごい敏腕警部ですが、アニメではおおむねダメ警部。それでも、たとえアニメの銭形でも、アニメ銭形だからこそ惚れる点があるのです。
 あれだけ失敗して、出し抜かれて、悔しい思いをして、笑われて、その途中ではさんざんな目に遭って。でも、また立ち上がる。絶対に諦めない。
 アニメの銭形はルパンたちに大きく劣る設定かもしれませんが、だからこそ、この不屈の闘志はルパン以上ですらある、すばらしいものじゃないかと思うのです。

 アニメのキャラに移入しすぎてもなんですが、でも現実の自分たちを見た時、ちょっと侭ならないとすぐに投げ出したり、自分ではないもののせいにしたりして逃げ腰になる。
 銭形くらい真剣に、いろんなつらいこと跳ね除けて前に進んだことなんかありゃしない。
 ちょっとつらいくらいで逃げるのか?
 そりゃ銭形はアニメの、架空の人物だけど、私だってもう少しくらい我慢して、頑張ったっていいんじゃないか?
 そんな気持ちにさせてくれます。
 銭形にとってルパンを追うのは、最早宿命というか使命というか、好き嫌いの問題ではありませんが、たとえば私たちが「私はこれが好き!」というものに向かう時には、銭形不屈の闘志には学ぶところ、励まされるところが少なくない気がするのです。
 「炎の記憶」では、銭形はヒロインの父親のように、強く真っ直ぐなところを見せてくれます。彼女のように銭形と話す機会があれば、きっととっつぁんは、うまくいかなくて弱気になった時には、「おまえ、それでいいのか。それでいいなら、わしはなにも言わん。だが本当にそれでいいのか」とでも言いそうだと思います。
 そういえば、ガウディの聖家族教会が出てくるヤツ、あれのヒロインはデザインやってる女性でしたが、挫折しそうな彼女を勇気付ける役割は、ルパンたちより銭形にこそ相応しかった気がします。
 ガウディの芸術と、美しい最高のお宝、それから、どんなに迷っても悩んでも、投げ出さない、くじけない強さ。とかね。

 今回の話も、このケイドロレース中、銭形はアニメのように、とんだ間抜けなことをして観客に笑われたりしてます。みっともない格好をして、歯噛みして、地団太踏んで、他のスマートな刑事たちとは全然違う、ダサくてドジなダメ警部。
 だからだーれも銭形になんか賭けてない。とっつぁんをちゃんと知ってる次元たち以外は。
 けれどタイムリミットが近付いた時、銭形だけが変わらずルパンを追いつづけ、追いすがり、その時にはもう誰も笑ってないと思います。そのつもりで書いてます。アニメらしいドタバタ、みっともない銭形を、みっともないままで最後には最高にかっこよくしたいなーと。
 それから、ルパン以外の泥棒なんて、投げ手錠一つであっさり捕まえて見向きもしないのです。他の刑事がさんざん苦労した相手でも、銭形にとればそれだけの雑魚。これが最高!

 ちなみに、私がこだわりたがっている「作者vs読者」の騙し合い、引っ掛け、意外性、驚きみたいな部分、今回は最後の最後、ゲームに参加してるだけじゃない、というところにちょびっとだけ……。あまりにも定番のオチですが。
 Yの五右衛門は、殺人ゲームへの抗議に、観客の集まっている豪華客船をも一刀両断する、という行動をとってますが、これがルパンなら、やっぱり、ね。
 心の何処かで、こんなもの見て喜んでる奴等はいけ好かねぇ、とでも思ってて、きっちり痛い目は見せてやるのがルパンでしょう。