「俺が星に願ったのは―――」 へたり込んだトーリンとキーリの前に屈み、キーリが語ったのは、遠い昔の思い出だった。 「覚えてますか。貴方が俺たちを、人間の町……なんていったか、思い出せないんですが、エレド・ルインの麓にあった……しばらくして、山崩れでなくなってしまった、あの町です。あそこに連れて行ってくれた夜、俺とキーリは、流れ星に願い事をしました」 昼間の話だ、とキーリは優しく笑っている兄を見る。 フィーリは、そうだ、と言うように一つ頷いて続けた。 「キーリは、弓が欲しいと。俺は―――なにを願ったかキーリに言わなくて、喧嘩になった。覚えてませんか? 貴方が宿に帰ってきて、勘違いして、宿の人たちをものすごい目で睨みつけて……」 「覚えて……いる……」 「そう。あのときです。キーリ。忘れたなんて、嘘だ。覚えてる。忘れたことなんてない。こんなこと、面と向かって言うのは恥ずかしいんだが、俺が願ったのは、キーリや伯父上、母上と、ずっと一緒にいられるように、だったんだ」
「フィ……」 「前の年に父上が死んで、俺は、いつかみんないなくなるんじゃないかと、怖かった。嫌だった。だからそう願った。そしてあれからずっと、流れ星を見つけるたび願ってた。ま、たまには忘れてたり、おまえと喧嘩して無視したりもしたけどな。でも、三回唱えるってのは難しいよな。おまえなら"弓弓弓!"でいいけど、俺のは少し長いから」 「フィーリ。なに言ってんだよ。馬鹿。話すんなら、ちゃんと話せよ」 真面目な話に、そんな茶々入れて。笑った途端、目の縁に溜まっていたものが一つ零れて、キーリは慌ててそこをこすった。 フィーリは弟に笑いかけてから、まっすぐにトーリンの目を見た。 「昼間、キーリとあのときの話をして、思ったんです。俺にはちゃんと大切なものがある。それなのに、こんな石一つで他のものが欲しくなったりするんだろうかと」 「馬鹿な。だからといって、こんなことを……。もし欲望に取り憑かれたらどうするつもりだったんだ。私は……そうなったら私は」 殺さなければならない。王であれ殺せと定めたのだから。王の定めた法を、王が破るわけにはいかぬ。 強張って震える手で、トーリンはフィーリの腕、袖を掴んだ。 フィーリは軽く首を振る。 「それはありません。俺は、広間いっぱいの黄金や宝石を思い出してみました。でも要らない。そのためにキーリや母上、伯父上を捨てないといけないとしたら、金貨一枚だって要らない。だから絶対に大丈夫。分かってました」 「フィーリ。おまえは……」 「なのに……なのにあれが、もしかすると俺の大切なものを壊すかもしれない。奪うかもしれない。そんなのは、絶対に、許さない」 微笑みが薄れた後に、残酷にすら見える固い意思が浮かび、すぐに元の穏やかさの中に沈んだ。
「エレボールに約束された富を壊したのかもしれません。でもそんなものはなくても生きていける。伯父上からこの地の話を聞いて、もちろん憧れもしたし、こうして帰ってきたかったけど、俺はエレド・ルインの町だって好きでした。こんな莫大な財宝がなくても幸せだったし、他にもたくさん、幸せに暮らしてる人たちがいる。だったら、変な未来の約束なんて要らない。ましてやそれが、不幸を招きかねないものなら尚更です」 「フィーリ」 トーリンの手が、腕をそっと逆上って肩に触れ、耳元の髪に差し入れられると、応えてフィーリはその手を優しく掴んだ。 「伯父上。もし貴方の家族と、あの石と、どちらかしか守れず救えないときに貴方を迷わせるとしたら、そんなものは貴方にとって、宝ですか? 俺は、……俺なら、迷わず俺を助けてほしい。一瞬も迷ってほしくない。だから、すみません、壊しました」 やはり少しも悪いと思っているようではない声の、穏やかな空色の瞳で、フィーリはじっとトーリンを見つめていた。
長い沈黙と静けさの中、時折聞こえていたのは、思いがけず立ち会う破目になってしまった兵たちのすすり泣き。 ただそれだけの石の小部屋に、やがて低く豊かな、トーリンの声がこぼれ落ちた。 「My
Precious―――」 多くの戦を掻い潜った傷だらけの手で、片方は金髪の甥を抱きしめ、もう片方は背中にくっついている黒髪の、肩にかけられた手を掴む。 「そうだ。失えないものは、明白だ。それなのに惑わせるとしたら、そんなものは悪以外の何物でもない。よくやった、フィーリ」 しみじみと呟いたトーリンは、今一度二人の甥に触れる手に力を加えると、次は高らかにこう宣言した。 「よし、宴だ!!」
―――つまり彼等は、ドワーフなので。 気分の転換は、超がつくほど早かった。 「遣いを出せ! デイルからもエスガロスからも、この際闇の森からも許してやる。来たい者は皆来いと言え! 酒も食い物も飲み放題、食い放題だ!」 そうして始まったどんちゃん騒ぎは七日七晩続き、なんでこんな馬鹿騒ぎになっているのか知らない者も、とりあえずすごくいいことがあったんだと了解し、たらふく飲んで食って歌って騒いだということである―――。
そんな終わり方に不服のある皆さん(そんなにいない)のため、一応最後にちょっとだけいい話に戻しておくと、以来エレボールでは、有形無形を問わず国益に大きな貢献をした者は"ドゥリンの貴石"と呼ばれるようになったという。 長い時が流れた今では、それは「アーケン石」とも呼ばれている。 エレボールに大いなる繁栄と豊かさと、平穏をもたらす、この世で最も美しく尊い石たちだそうだ。
(おしまい) |