信じるかどうかは私の関知するところではない。 だから、信じない者はこれを、ただの物語と思えばいい。
自分がかなりぎりぎりのラインで生きていることを知ったのは、高校の時だった。 もっとずっと幼い時に死んでいても不思議ではない欠陥を持ちながら、それでも人並みに生活していることは、半ば奇跡だと知った。 それまで考えたこともなかった「死」が私の目の前に迫ってきた。
明日いきなり死んでしまうかもしれない自分。 今ならば、むしろそのほうがいいと思うし、そう思っているが、知った当時はひたすら混乱し、ひたすら恐ろしかった。 だが私は、それを怖いと言って素直に泣き喚けるような性分ではなかった。 そんな相手もいなかった。
私にやってできないことはなかった。 勉強、運動、芸術、ありとあらゆることだ。 抜きん出て良い成績をおさめることはなくても、全てを平均以上にやりこなせた。 そういったばかばかしい「優秀さ」は、私に自負とプライドを生んでいたし、他人には余裕や強さとして映っていた。 私は頼られる側で、人に頼る側ではなかった。 助けてくれ、と泣いて弱みを見せるような真似は、したくなかった。
だからといって、平然と、自若としていられたわけではない。 外に出して見せるには悔しいストレスが溜まるだけ溜まって、それを押し隠すこともまたストレスで、次第に自棄になっていった。 家庭や社会という身近な位置にいる者には気付かれないよう、細心に。
生まれ育った社会を抜け出して一人暮らししはじめた大学時代、Tに出会った。 私より10は年上の男で、知り合って三日後には、ゲイだと告げられた。 そして、私を気に入ったのだと。
知り合って間もない頃だった。 Tは私がどんな人間かなど、三日分しか知らなかった。 だが三日分、知っていた。 30前……今の私と大差ない年齢で、既に会社を興し、社長として余裕のある生活を送れるだけの才覚が、Tにはあった。 人を見る目は、鋭かった。 私の拙いプライドの壁や言葉だけの虚勢など呆気なく打ち破って、「私」を知っていた。 先入観や固定観念の影に隠れて、すっかり忘れ去られてしまっていた、もう一人の「私」。
もうすぐ死ぬかもしれないのなら、ただひたすらに甘えられれば、それでほっとしていられれば、良かったのかもしれない。 私はTの言うままにすることにした。 女のように扱われても、そのおかげで甘えていていいのならば、それで良かった。
初めてTに抱かれたのは、会ってから半月もしない頃だったと覚えている。 Tは焦ることもなく、きわめて紳士的だった。 紳士的に、抱きしめるところからはじめてくれた。 私は、女性であれ友人であれ、誰かを抱きしめたことならば何度でもあったが、そんなふうに抱いてもらうのは、記憶にないほど久しぶりだった。親に抱擁されたことすら赤ん坊の時以来なかったとすれば、ほとんど初めてだったと言ってもいい。 その心地良さと安心感に、思わず泣いてしまった。
他の男がどうかは知らないが、私は少なくとも、抱く一方の立場で毅然としていられるほど強くはなかった。 20年ばかりその立場で生きてきて溜まった欲求が、そこで溢れてしまったのかもしれない。 私はよく女性に間違われたが、外見だけのことではなかったのかもしれない。 他の男はどうか知らないが、私は、誰かの腕に抱かれていることが、本当は好きだった。
Tの嗜好が、同性愛というだけにとどまらず、もう一段変形していることを知ったのは、半年ほどしてからのことだ。 Tは私に、女物の衣類を着せたがるようになった。 その格好で連れて歩きたがった。 男同士だと腕も組めない、というのが最初の言い訳だったが、その程度の嘘は私には見破れた。
男が好きだが、その男には女のような姿でいさせたがる、という、二重の倒錯。 だが私は、気付かないふりで騙されることを選んだ。 そうしていればTの言うとおり、街中を腕を組んで歩くこともできた。つまり、甘えていられる時間が増えたということだ。
声を作る気はしなかったから、そんな姿でTと街にいる時は、極力喋らないようにした。 頷く、首を振る、笑う、困った顔をする、それで意思は充分に通じた。 なにも知らないTの友人……と言っても、Tの性癖を知らないのだから大した相手ではないのだろうが、彼等は私を、無口でおとなしい、恥ずかしがり屋だと解釈したらしい。口をきかなければならないような場合でも、小声で曖昧に喋れば、ばれることはなかった。
私は「もう一人の私」を演じているのが楽しくもあった。 それが「女」である必要はなかったが、私は別の自分では出すことのできない部分を、この仮装をすることで表に出せた。 一方で押さえ込んでいるものを他方で出すことができた、ということだ。 そして、両方の私を知っているTの存在は、次第に大きくなっていった。
それでも私には、「確実に訪れる明日」などなかった。 その部分では、常に自棄的だった。 だから、全ての物事の中心をTにすることにも、さして躊躇いはなかった。 Tがある日、「麻薬じゃないから」と言って細い注射器を出してきた時、その中身についてはおおよそ見当もついていたが、私は、それを拒まなかった。 彼の友人、今度は逆に腹の底まで割って見せたような悪友だったが、その中には医者もいた。 二度ほどTの手で注射されて以来、私はその医師Jの病院に、定期的に通うことになった。 さすがにTも「分かってるのか?」と確認してきたが、私は本当に、構わなかった。 どうせ私には確かな未来などないし、それなら今、これだけの安らぎをくれるTのために自分を変えてしまうことも、そう悪くはないように思っていた。
声も変わったし、骨格そのものも変化した。 無理をすることなどなくても、Tの隣にいれば「彼女」に見られた。 男物の衣類を着ていても、「まぎらわしい」だけだった。
もちろん、Tとその周辺の悪友たち、あるいはなにも知らないその人たちはともかく、本来の私を知っている者たちは、激昂したし、呆れたし、あるいは嫌悪も露に去っていった。 だが、どうでも良かった。 そんな連中が私に、いったいなにをしてくれたのか。 私を抱きしめてくれたのは、Tただ一人だったのだから。
Tは、いずれは私に、手術を受けさせるつもりでいた。 さすがに私も、それでは本物の女と大差ないのに、どうして普通の女を最初から選ばないのか、と訊いたことがある。 答えは、薬品などでは決して変えることのできない、独特の体臭と気配が生理的に苦手なんだ、ということだった。 私を変化させながら、私もそんな「女」になっていくのではないかと、本当は不安だったと言った。 けれど私は、自分を「女」だとは思わなかったから、言動はあえて気にかけるのでないかぎり、特に性別に固定されるようなものではなかった。口汚い女など珍しくはないし、それをみっともないと思って少し気にかければ、私はごく普通に、無性的だった。
やがて私は、本当にどちらでもなくなった。 女のように子を孕むこともないし、男として女を孕ませることもできない。 外見は中性的だが、実際にはどちらでもない。 場所や相手によって男に見られることもあれば女に見られることもあり、そこに私のアイデンティティはなくなった。 私は、真実を知りながら私を受け入れてくれるTたちの傍にいて、私を否定する過去へは近づかなかった。
そのまま、そんな時間のうちに死んでしまえれば良かったのかもしれない。 だが私にはそれからも延々と「明日」が存在し、「今日」になり、「昨日」になっていった。 そのうちに、Tのほうが先にこの世からいなくなってしまった。 仕事で訪ねた建物ごと、この世から消えた。
途端、私のこの体は無意味になった。 男でもないし、女でもない。 抱くこともないし、抱かれることもない。 Tという存在を失ったことよりも、私には自分の肉体が完全に意味を失ったことのほうが、強く突きつけられた。 それでもさしてショックではなかったのは、Tがいるといないに関わらず過ごした10年という時間の中で、私の体がどう変化していったかにも関わらず、なにがどうなろうと「死ぬまでは生きるしかない」ということが、分かってきていたからかもしれない。 私がどれほど異質な存在でも、それでも足の下に地面はあるし、目の前には人もいる。 そんな世界で、自ら死ぬのでないかぎり、生きているのが現実だ。
それで今、私にはなにも知らない年下の恋人……彼氏がいる。 だが真実を話さずに付き合っている以上、ずっと付き合いつづける気はない、ということでもある。 Tがバカげた巨費をつぎこんでくれたこの体は、まだ子供っぽいSを完全に欺いている。 Sは私について、真顔で「ミステリアスだ」と言ったことがある。 私は曖昧に笑って誤魔化しておいたが、それはまったく事実だろう。Sの知らない大きな秘密、それがSの抱いている私そのものなのだから。
私は何処にもいない。 鍵を持たないままでは、過去を探ってもなにも出てこない。 ミステリアス。 だから惹かれるのかもしれない。 私は忠告する。
「この世には知って本当に得をする秘密などない。知らないほうが良いものだからこそ、秘されていてこそ価値があるからこそ、秘密は秘密なのだ」 と―――。
(終) |