秘 密 〜パンドラの罪状〜

 秘密を暴くのが好きだった。
 正確に言えば、秘密があるのが気に入らなかった。
 隠されているものがあることは分かるのにそれが何かは分からない、というのが不安だからでもあったが、ただ単に、隠されているものの正体を知りたいという好奇心のせいでもあった。
 それはおそらく今も変わらないが、今とあの頃で一つだけ、決定的に違うことがある。
 それは、秘密を探られる側の迷惑に対する配慮や、そういった下世話な好奇心のみっともなさの自覚、知らないでいたほうがいいこともあるという経験の有無だ。
 つまり、私は子供だった。

 始まりは覚えていないが、私の記憶にあるMとの付き合いは、小学校の高学年、遠足のバスの中からだった。
 Mはその頃、あまり人に好かれてはいなかった。言ってしまえば、ささやかないじめにあっていたのかもしれない。その理由はよく分からない。
 私は、おかしな理屈や正義感は抜きにして、Mを敬遠したりいじめたりするようなことはなかった。ごく当たり前の友達の一人としてしか、見なかった。
 たまたまバスの中でMが私の隣になった。
 当たり前のように話し、当たり前のように菓子を交換して過ごした。

 それ以前のMの記憶は、まったくない。
 だがそれから私はMの家に遊びに行くようになり、Mと友達になった。
 Mの家……家族というのは、私の家族に比べては甘いようだった。
 門限や学校の勉強などについてもそうだったし、金銭感覚についても、そうだった。
 だからMの家に遊びに行くようなことがあると、Mの金でビデオを借りてきて見たりすることが多かった。
 しかし私は、そんなものが目当てでMと遊ぼうとしていたのではなく、他の誰とでもそうだったように、気に入った一人の友達ができると、連続してその子とばかり遊びたがっただけだ。
 私はなにも考えていなかった。
 余計な知識も無駄な思慮もない、子供らしい子供だった。

 中学に上がり、クラスが分かれると、Mとも話すことはなくなった。
 だが、地方のさして大きくもない学校のことだ。廊下で顔を合わせるようなことは頻繁にあった。
 驚いたのは、小学校時代は貫禄のある……まあ、太り気味だったMが、ダイエットに成功し、実にスマートになっていったことだ。
 そうなると、どこかエキゾチックな顔立ちもあいまって、思いがけないほど整った容姿だった。
 しかし不思議と、Mに付き合う相手ができた、という話は聞かなかったし、二年生になってまたクラスが同じになった後も、そんな話は本人からも周りからも、まったく聞かなかった。

 Mの成長期は早くに始まってさっさと終わってしまったのか、小学校では「大きい」と思われた体格は、無駄な肉を落として細くなったまま、縦にもあまりのびることはなかった。
 いつの間にか背は私のほうが明らかに高くなっていたし、所属する部活の違いもあって、Mはあくまでも文科系的に、私は体育会系的に変化していった。

 二年生と三年生はクラス替えもなく、同じ顔ぶれだった。
 付き合いは再開し、続いていた。
 小学校の時よりも密になっていた。
 休み時間にはいつも集まる、一つのグループのようなものだ。
 Mの他にK、H、Sといった連中と過ごすようになっていた。
 その中でも、家がそう遠くないということもあったし、帰り道が途中まで同じだというのもあって、Mとは一番親密に付き合いつづけたかもしれない。

 「秘密」が生まれたのは、その頃、中学三年の後半だった。
 Kだけが打ち明けられたMの秘密、というものがあることに気付いた。
 MもKも、隠すのが巧みではなかったし、どこかには、それとなく秘密の存在を匂わせるようなところも、あったかもしれない。
 仲間はずれにされた、という疎外感より、ひたすら単純に、Mの抱える秘密を覗いてみたい好奇心で私は一杯になった。
 だがその一方、何故か直感してもいた。

 私がMとの帰り道、ついにその秘密を聞くことに成功した時には、だから、「やっぱりそうか」としか思わなかった。
 帰り道が分かれる陸橋の下で長い間立ち止まり、「もう気付いてると思うけど」と言ったきり、ずいぶんと長い間黙っていて、辛抱強く待った挙げ句に聞いたのは、「おまえのことが好きだ」という告白だった。

 これが可愛い男女のことなら、ここから可愛らしいオツキアイが始まっただろうが、そういうわけにはいかなかった。
 私は男だったし、Mも、男だった。

 だが、私は嫌悪感を感じるようなことはなく、ただ、どういう受け答えをしたのかは、今となってはもう覚えていない。たぶん「構わない」ということを言ったのだろう。
 なんにせよ、それからもMとの付き合いはつづいた。
 家に遊びに行き、正月に泊り込んだりもした。
 Mの母親が死んだとある早朝、私の声が聞きたかった、とMが電話して寄越したこともあった。
 私はMにとって、一番身近な友人の一人でありつづけた。

 私は秘密を探り出してしまったあとは、極めて無神経だった。
 私は友人でありつづけた。
 Mの胸のうちを思いやろうとしたことは、一度もなかった。
 告白される前と同じように、泊まりに出かけたその夜、他に場所がないから、とMのセミダブルのベッドで一緒に寝ているようなこともしていた。
 Mが触れてくるのを、気色が悪いと思う以前に、眠いし暑いのに鬱陶しいとしか思わなかった、と言えば、どれくらい無神経だったかは分かるだろう。

 だから、私は結局知らない。
 Mがどれほど真剣に思いつめて告白したのか、私をどれほど好きだったのかは。
 私は脳天気に無神経に、ただの友人としてしか振る舞わなかったから、Mだけが一方的にいろいろな葛藤や悩みを抱えて、苦い思いをしていたのかもしれない。
 それとも、恋に恋するような、今となってはどうでもいいことになってしまうような、曖昧なものだったのか。

 私が今思い出すのは、三つのこと。

 一つは、いつだったかは覚えていない。ただ、告白された後のことだ。
 泊まりに行って、毎度のごとく同じところで眠ろうとしながら、何故、どうしてそんな話になったのか。
 覚えているのは、「やっぱり好きなんだ」と泣き笑いの声で告げられたこと。
 その時の私はずいぶんと寛容な気分だったらしく、そしてやはり無神経極まりなく、Mを抱きしめてやっていた。
 気分が落ち着いたあと、Mは「こんなことはめったにないよな。絶対忘れない」と笑った。

 一つは、私が自分の思いを受け入れることはないと諦めたのか悟ったのか、それとも自然に心が離れたのか、Mが年上の女性と付き合うようになった時のことだ。
 一度だけ会ったことのあるその人は、ぱっと見た瞬間、私に似ている、と思った。
 私の姉ではないか、とよく間違われた同姓の先輩にも似ていたし、Mが好きだと言い、嬉しそうにニヤッと笑うとおまえに似ているんだ、とも言った役者にも似ていた。
 私の錯覚では、ないと思う。

 そしてもう一つは、だいぶ時がたって聞かされたこと。
 私とMは、学力に応じて違う高校を選んだ。
 Mとの付き合いはつづいたが、私には新しい友人もできた。
 その中でも最も親しいYを、ある日、Mがバイトする喫茶店に連れて行ったことがある。
 学校帰りだった。
 制服で繁華街は行きたくないな、ということで、うちで着替えることにした。用意のなかったYには、私の服を貸した。Yは私よりも小柄だったから、似合うかどうかはさておき、着ることに問題はなかった。
 それから何年かしてMに会った時、「あの時は悔しかった。あの時だけは本気で嫉妬した」と聞かされた。
 当時のMはれっきとした女性と付き合っていたはずだが、にも関わらず、その時そう感じたというのだから、それはつまり、心は私の上に残っていた、ということなんだろう。

 たとえ恋に恋していたとしても、その頃のMの気持ちは真剣そのもので、その鋭さで、彼の心を苛んでいたに違いない。
 だが私は、その刃が自分に向けられることがないのをいいことに、Mを本気で思いやって行動したことはなかった。
 少なくとも今なら、受け入れてやる気もない相手に、期待をさせるようなことはしないだろう。

 高校を出てからは、暮らす場所がまるで異なってしまったこともあり、会うことはなくなった。
 Mはホモセクシャルというわけではなく、付き合う相手は全て女性で、何度かの失恋や行き違いの後には、将来を考える相手も得た。
 そして今、私もMも30近くなり、Mには家庭がある。
 まだ子供はいないが、5、6年は付き合ってきた相手と、一時期は危うくなったようだが、結局無事に結婚したらしい。

 私は考える。
 今のMの中に、私の姿をした「秘密」は残っているのだろうか。
 最早私にはなんの未練もなく、ただの友人という枠に収まりきったのだろうか。

 興味ではない。
 気になるだけだ。もし「秘密」が残ったままだとすれば、伴侶を持った今、私と会う時、Mがどんな思いを抱くのかと考えるから。
 だが、この「秘密」には、決して近づくまい。
 そんな「秘密」などなければ良いが、万一にも残っていた時には、眠っていたパンドラの箱を開けてしまうことになりかねないのだから……。

 

(終)