「絵美へ」


 私の送った本物の花は、たぶん、明日か明後日にでもご両親のもとに届き、お二人の手で貴方の傍に置かれるだろうけれど、どんな花もやがては枯れるし、そのたびごとに送るには困難のほうが多すぎる。
 年に一度送るにしても、いつか送らなくなるときが来るのなら、いっそ私は枯れない花を、電子の海に投げておく。
 この場所が消えないかぎり、消えることのない言葉の花を。

 初めて会ったのはゲームの世界で、どこか似た境遇にある貴方とは、お互いにしか分からないものもたくさんあって、すぐに親しくなれた。
 一つまったく違ったのは、私にはそれでも動く力があったけれど、貴方にはそれがなかったということ。

 箱庭の中で何度も遊んで、メールも毎日のようにくれた。
 楽しいことやうれしいことを書き綴っていることが多かったけれど、私にはいつも、その後ろにある貴方の無理が見えるようだった。
 我慢できなくて八つ当たりしてきたこともあったけれど、その時も、怒りや苛立ちの後ろから、なんとかして、という言葉が聞こえてくるようだった。

 貴方は少女らしく夢見がちに、自分と私を鳥にたとえたこともあった。
 文字どおり、片方だけの翼で、私(EMI)は飛べずに籠の中にしかいられないのに、貴方(私)はどうしてそんなにあちこち飛び回れるの、と。
 貴方がたぶん、私に抱いていたのは、憧憬と羨望以上に、嫉妬だったのではないかと思う。
 もし私が貴方と同じように動けないなら、お互いの不幸を同情でもなく憐憫でもなく、本気で分かち合えたはずだから。
 けれど貴方のたとえに従うならば、私は飛べるのに飛べないふりをする気はなかった。
 私にはやりたいこともやれることもたくさんあるし、それを貴方のためにせずに済ませるほど、そのことに対して冷めてはいないから。
 けれど、そのことで貴方をどれほど置き去りにして寂しい思いをさせ、どれほど貴方の中に苦い感情を呼び起こしたかは知れないけれど、私が語る物事を、貴方はそれでも楽しんでいた。
 ただ何事もなく二人でうずくまっているよりは、嫌なこともいいことも、あったほうがいい。
 それは、私が勝手気侭に動き回るための言い訳なのかもしれないけれど、事実として貴方も、楽しい、面白いという思いは味わったと信じている。

 いつかその日が来るかもしれないとは分かっていても、それがこうも早いとは思わなかった。
 結局貴方は自分の部屋、その窓、そしてモニターに映る世界の中で終わってしまった。

 貴方のご両親は、どれほどつらいかも分からないのに、それでも「今朝」という言葉を使えるほどすぐに、まだ「朝」と呼べる間に、私に連絡をくれた。
 娘の友人である私の声が聞きたい、と電話番号をメールに託して。
 思いがけず早く起きてしまって、メールをチェックしていた私は、とりあえず即座にその番号へかけてみた。
 名を名乗ると、「ありがとう」と最初に言われた。

 私にとっては、こういう電話は初めてだった。
 私は初めて声に出して自分の名を「RAVEN(レイヴン)」と言ったし、初めて人の声でその名を呼ばれた。それも、直接やりとりしていたわけでもない相手から。
 けれど、「うちのエミが」というお母様の言葉は、「EMI」ではなく「絵美」だったと思う。

 貴方のお父様とお母様が、私のことを当たり前のようにハンドルで呼びつづけるのを聞いているうちに、そのことの意味が見えてきた。
 貴方は私のことをその名で口にして、何度となくご両親に聞かせたのだろう。
 だから今はもう耳に馴染み、口にも馴染んでいたのではないだろうか。
 それが、貴方の私への気持ちなのだと思っている。

 私は花を送る約束をして、貴方の本当の名前「絵美」と、詳しい住所を教えてもらった。
 会おう、会いに行く、と約束して、そのためだけに、他の目的では使わない、私流の言葉で言う「ゼロ金」を作っていたけれど、もう意味はないから、全額を花に換えて送る。
 さすがにいい金額だから、それが追悼にふさわしい花かどうかは、あえて問わないでほしい。

 せめて一目、会いに行くことができれば良かったと思う。
 写真ではない貴方に会って、文字ではない私に会えば。
 私には妙な自信があった。
 せめて貴方も、家の周りくらい出歩ける強さを持てるんじゃないか、と。
 うぬぼれかもしれないと思ってお母様に聞いてみたら、「私もそう思います」とすぐに答えてくださった。
 だからこそなお、あとひとつきを待てなかった貴方が、悔しい。

 私には他にできることもないし、すべも思いつかないから、貴方への言葉をここに飾る。
 この花の陰に貴方の姿を思い描く人が、一人でもあることを願って。


2001年8月25日   RAVEN


p.s.
 先日、あるかたとのメールにて、あらためて今の己の状態というものを再認したところなので、貴方のことがいっそう他人事ではなく思える。
 けれど、だからこそ私は不安や恐怖より、今の自分の中にある力というものを強く感じている。
 たぶん、これからもこのまま走っていくと思う。