「キスしてもいいですか?」
 自分の顔が笑っているのが分かる。
 屈託なく、無邪気に、どんな躊躇いも戸惑いもなく。
 そろそろ夕飯にしませんか。そんなことを言っているのと同じくらい普通に、自然に。
 なのに「笑っている」と自分の顔が感じている。

 ぼくの目の中に映る貴方自身を、怪訝な顔をした自分の顔を、貴方は今、見つめているのだろうか。

「『キス』? なんだ、それは」
 なにもかも知っているくせに、なにも知らない。
 オトナなのかコドモなのか、時々分からなくなるこの人が。
 この人のことがぼくは、好きで好きでたまらずに。
 昔と変わらない顔をして問いかける。
「いいですか?」
 悪びれずに目を覗き込む。なんの悪意も欲望もないような、純真さを巧みに偽装、嘘じゃなくても本当でもない、今見せているぼくはもう一人のぼく、半分のぼくは後ろに隠れて貴方には見えない。

 貴方の目に映るぼくは、小さな小さな悟飯のままで、貴方の見ているぼくは、貴方の信じているぼくは、小さな小さな悟飯のままで。

 悪意ならばどんなものでも容赦なく、冷たい手をしてはねのけて生きてきたこの人が、なすすべもなくからめとられるものがなにかをぼくは知っている。

 勝手にしろと言い捨てて、ふいと背けられた顔の前へと回り込む。
 座っていてさえ、まだぼくより高いところにある顔に触れ、ひんやりと低い体温の頬に手を添えて、軽く促せばいぶかしげに、それでも逆らわず昔も今も、ぼくの願いを叶えてくれる。
「これが、キスですよ」
 唇同士をかすらせただけのささやかな行為に、間近にある目が何度も瞬く。
 やがて眉間の皺が深くなり、元のとおりに鋭い目。
「それで、なんになる」
 性別という概念すらない遠い星の遠い人には、恋なんかありはせず、だからこんな行為は存在することもなく、なにも破壊せずなにも生み出さないささやかな出来事に、いかにもわけが分からないといった顔。

 だからぼくは、―――だから、ぼくは。

 これからが本番だと言って、もすこし深く、罪を重ねた。