追 憶

      回想1


 その老人は、なんの変哲もない田舎道の道端にいた。
 さびれた村の細い道が通れなくなるほどの人垣に囲まれていた。
 通れないことに難癖をつけるより、何故こんな田舎の片隅で、村中の人間をこんな場所に集めているのかが気にかかり、ビサラはその人垣の後方へ、気配を殺して近付いた。
 ナーガである彼の接近を歓迎する者は、まずいない。それを慮ってのことだったが、あまり意味はなかったらしい。村人たちは老人に注目し、他のものなど目には入っていなかった。
 何をしているのか、とビサラは身をのばし、人垣の上へと頭を出した。

 老人はいやに真剣な顔をして、無言のまま、くたびれた布きれをもんでいる。
 皺だらけの手の中に包み込まれた布きれは、老人が手を開いたと同時に、消えた。
 代わりに真っ白な小鳥がそこから空へと飛び立つ。
 わっと歓声が上がった。

「おやおや、皆さん静かに、静かに」
 老人は真剣な顔のまま、観衆を宥める。
「そのように大声をたてますと、怯えてしまいますでな。静かに、そう、静かになすってくださいよ」
 老人の手に声も興奮も抑えられ、潮が引くようにざわめきが消える。
 人の視線はみな空に向き、弧を描いている鳥に集まった。
 白い小鳥はそれでもしばらく空にいたが、やがて、一人の少女の頭の上に降りてきた。

「お嬢ちゃん、そのままそーっとこっちにおいでなさい」
 老人に言われて、小鳥の止まり木にされた少女は、頭を揺らさないよう慎重に前に出る。
 彼女が老人の前に辿り着くと、小鳥はぱっと軽く飛び上がって、老人の肩に移った。
「ありがとう」
 老人はようやく相好を崩し、少女に軽くお辞儀をした。

 少女も小さく笑って、恥ずかしそうにもとの輪の中に戻ろうとする。
 途端、背後で小鳥がチチチ、と鳴いた。
 少女が足を止めてつい振り返ると。小鳥は明らかに少女を見て、ぺこりと頭を下げたのだった。
 おっ、とどよめきが上がるや、小鳥はそのまま、すぐ傍にある老人の耳元に嘴を近づけて、またチチッと鳴く。

「なんと。お嬢ちゃん、ちょいと嫌なことを思い出させてしまいますがね、大事なものをなくしたのは、お嬢ちゃんだったね」
 えっ、と言って、少女が目を見開いた。
「いやいや、今朝通りかかった時に、叱られているのが聞こえてきましてな」
 人垣の中で、少女と共に顔を赤くした女が一人いた。どうやら、娘を叱っていた母親らしい。
「たしか、お母さんの手鏡で、大事なものだとか。亡くなった旦那様からの贈り物だそうですな、奥さん」
「え、ええ、ええ。ああ、お恥ずかしい」
「いやいや。大切な思い出の品でしょう。ついカッとなって声を荒げるのも、致し方ありますまい。しかし、きっと子供の目にもいい品だったんでしょうなぁ。つい持ち出したくなるのも、無理はありませんて。ただ、なくなったままでは旦那様にも顔向けができますまい。それが、今ですな、この子が空におった時、光るものを見つけたと言いますのでな」
 チッチッ、と小鳥が頷く。

 まるで言葉を聞き分けているようだが、ありえない。
 バードマンやフェザードフォルクでも、鳥そのものと会話できるはずはない。
 まして老人は人虎のようである。その特徴はほとんど見られないが、老いてずいぶんと毛艶の悪くなった尾に、独特の縞模様が残っている。
 しんと観衆も静まり返った。

「まあまあ、みなさん。お疑いも無理はありませんがな、光るものはずーっとあっちの、あの林ですな。あそこの泉の近くにあったそうです。奥さんの手鏡とは限らないが、ものは試しにそのあたりを探してごらんになっちゃいかがでしょうな」
「あたし、追いかけっこしてて、ちょっとだけあそこにも入ったの。あそこで落としたの?」
 少女は丸い目のまま、小鳥に向けて尋ねた。
 小鳥は「どうだろう」というように首を傾げる。
「探してくる!」
 少女は人垣の隙間を潜り抜けて駆け出した。
 果たして、その泉の傍の茂み、水汲み場から少し離れた潅木の根元近くに、彼女の母親の大事な手鏡は落ちていたのである。

 信じられない、というように驚愕と畏敬の視線が老人に集まる。
 ビサラは村人たちほど単純ではなく、なんらかの仕掛けがあるのだろうが、その仕掛けがどんなものかを看破しようとして、できなかった。
 あらかじめ老人が拾っていて、それをその場所に置いてきた、と考えるのが一番現実的だが、この小さな村で、村人ではない人間がおかしなところをうろうろしていれば、まず見かけられ、覚えられることになる。
 見物人たちの中に一人としてそれらしきことを言い出す者がない以上、老人がこの村に着いたのは今朝方のことで、日が少し高くなり、朝の仕事が一段落ついた今頃を狙って、芸をはじめたのだろう。

 あれこれと考え巡らせればいずれ答えは見つかったのかもしれないが、ビサラが考えているうちに、老人は照れくさそうに、白くなった後ろ頭を掻きながら、
「いやいや、タネを明かせば簡単なことでしてな。このままではあやしい爺と思われてしまいそうじゃて、タネ明かしをさせていただきましょうかな」
 そう言って、肩の小鳥を撫でた。

「この子は、肩の揺すり具合を感じて決まったことをするように、しつけておるまでですよ。ほれ」
 と、ほとんど分からないほど小さく、老人は肩を動かす。
 小鳥は次々と、会釈したり首を振ったり、いろいろな芸をして見せる。
 この程度のことならば、よくここまで仕込んだものだ、と驚くだけのことで、不思議ではない。
「鏡ですな。これは、あてずっぽうでしてな」
「おいおい、あてずっぽうで本当にあったってぇだけかね」
「いやいや、あてずっぽうはあてずっぽうでも、もしやここでは、と思うところを申し上げたんで。まず、その子のスカートの裾に、ごく小さいがダマの実がついておるでしょう」
 老人は少女の古びたスカートを指差した。

 それからの話は、聞けば「なるほど」と思える推理であった。だが、老人に説明されるまで、誰一人としてそう考えることができなかったのも事実だ。
 あちこちから感心の声が上がり、老人はしきりに照れて頭を下げていた。
「おい、すげぇなぁ、あの爺様」
 と、ビサラの前にいた若者が隣の若者に声をかけて、そのはずみに、後ろに立っている者の姿が目に入ったらしい。
 わっ、とおめいてその場から慌てて逃げた。

 それが四方に伝播し、あたりは刺々しい沈黙に包まれる。
 ナーガがこんな小さな村になんの用があってきたのか。
 警戒は敵意に近い。
 それは分かりきっていた反応で、今更憤慨するにも当たらない。
「通りかかっただけだ。人垣があって、何かと思った。あとは、その爺さんの芸に見入っていた。それだけだ」
 ビサラが言うと、押し合うようにしてさっと道が開けられた。
 通りかかって、邪魔で通れなかったというなら通してやるから、とっとと通り過ぎてくれ。
 そう言わんばかりの態度だった。

 竜人族が他の種族の町で歓迎されることはまずない。
 歓待されたとしても、それはあくまでも上っ面のことだ。
 戦闘能力の高い種族であるがゆえに、その力をあてにされることはあるが、居座られれば、邪魔になる。
 ましてナーガは、竜というよりは蛇めいた半身を持ちつつも、能力としては血の薄くなった竜人よりも高いものがある。
 誇るには下等な蛇身、相反するような、竜の血族に相応しい力。
 蔑みと誇りとの間で、やたらと威圧的で横暴な者が育つ。
 ハナから嘲るつもりしかない者を相手にしては、力を見せ付けて黙らせることでしか、耳を塞ぎ心をたもつことができない。それゆえに、歪む。
 そのことは、ナーガであるビサラ自身がよく分かっていた。

 ビサラのように、竜人族であることがだからなんなのか、と考える者は極めて少数だ。
 まして己の力を無意味と考える者など、この時勢には他にいるかどうか。

 だが、戦う力に秀でていたところで、戦乱を終結させるほど完璧なものでもなく、ましてそんなものは、ただ何かを破壊していくだけだ。
 その果てには、何も無い。
 怒りや憎しみが生み出すのは、惨状でしかない。
 自分の所属していた部隊を怒りのままに虐殺し、身に染みた。
 そのまま捕らえられて処刑されるのは口惜しく、その場からすぐさま逃亡し、流浪の身となったが、さりとて何をすれば良いのか、何をしていくために生き続けようとするのかは、一年が過ぎた今も分からなかった。

 そして、ここに辿り着いた。
 道端で芸を見せるなど最下級の生業だが、ここには笑いがあり、安らぎがあった。
 それを生み出していたのは老人であり、戦いの象徴に等しいビサラ自身は、それを台無しにしたに過ぎない。
 やけに苦しいのは、自分にも老人と似たようなことができるにも関わらず、ナーガであるがゆえに、彼と同じ道は、選んだとて成功はするまい、という暗澹たる諦めのせいだった。
(俺が、人虎でも人狼でもいい、ナーガでなかったら)
 いかなる過去を経てこようと、それを押し隠しさえすれば、当り障りのない隣人として人々の間にまぎれることもできたろうに。
 そう思うと、だれにも気付かれないよう、小さな溜め息をつかずにはいられなかった。

 人垣の傍を離れてゆるい斜面をいくらか下ったところで、背後から、一瞬の悲鳴が聞こえた。
 何事かと振り返るが、もう何も聞こえない。
 ただ、無数の気配が緊張し、切迫していることは感じられた。
 何事かあったのかと素早く這い戻る。

「そうはいかねえ」
 声が聞こえた。
 酒で潰したようなだみ声だ。
「いいか? もう邪魔になってたんだ。なんにもなかったわけじゃねえ。その詫びを入れてもらわねえことには、ああそうかいとはいかねえだろう」
 腰にはサーベルや斧をつるした、一目で無法者と分かる悪相の人狼が四人。
 どうやら通りかかってあの人垣に阻まれ、難癖をつけ始めたらしい。
(くだらん)
 何かにかこつけて金品を巻き上げ、うさを晴らそうとするならず者だ。
 手配されるほどのこともない小悪党だが、それだけにタチが悪い。
 片隅に、鼻血を出した顔を押さえている少年がいる。どうやら一発殴られたらしい。

「いい加減にしておけ」
 戻りながら、声の届く範囲に来ると、ビサラは四人組の人狼に向けて言い放った。
「なんだてめえ」
「面白い芸を見せてもらったまま、よく考えれば代価を払うのを忘れていた。立ち去ることが代価だというならそれも構わんと思ったが、調子に乗って老人を痛めつけられては、あの芸が二度と見られなくなる。……くだらん難癖つけてないで、さっさと失せろ」
「なんだとこの蛇野郎!?」
「その蛇にも劣ると宣伝して歩くつもりがないなら、聞き分けのいいところの一つくらい見せたらどうだ」
 淡々と言い返す、それがかえって癪に障ったらしい。
 牙を鳴らして、人狼たちが四方に散る。
 村人は悲鳴を上げてわれ先にと逃げ出した。

 たとえ四人が四人とも武器を取り出そうと、ビサラの相手ではなかった。
 素手で殴り飛ばし、尾で蹴り飛ばし、それだけで片がつく。
 得物の双飛戟は三つに折りたたんで皮袋の中にあったが、それを持ち出すまでのことはなかった。
 だが、一番先に地面に転がった一人が、正気づくなり、隠し持っていた銃を撃った。
 いかに小悪党相手とはいえ、手加減をしすぎていたことに気付いた時には、ビサラの肩には弾丸が埋まっていた。
 大方の村人は家の中に逃げ込んでいたが、まだ遠巻きに見ていた何人かが、ある者はその場にへたり込み、ある者は手で覆った顔を背けた。

「……物騒なものを持っているな」
 痛みにも動じることのないビサラに、男は震える手で銃を向けている。
 今ここで得物を取り出せば、自分の素性が知れるかもしれないことは分かっていたが、素手で相手をするには、銃は厄介だった。
 ビサラはやむなく、袋の中の双飛戟を取り出し、のばす。
 片田舎の村人はともかく、それを見て、ならず者のほうは察したらしかった。
 浅黒くやけた顔からさっと血の気が引く。

 青みがかった銀髪、青鱗、青い目、両端に刃のついた独特の矛を使う、大柄なナーガ。
「ひゃ、ひゃ……『百片殺し』……」
 同朋二十を、百の肉片に切り刻んで殺し、逃亡したという反逆兵につけられた仇名、それが『百片殺し』。
 間違いなく、それはビサラのことだった。

「切り刻まれるか、仲間を連れて逃げるか、好きなほうを選べ」
 言葉の途中から、気がついていたもう一人の男と共に、気を失ったままの二人のことは放ったまま、転ぶようにして二人は逃げ出した。
 ビサラは片手で双飛戟を元のように三つ折りにすると、袋に突っ込み、倒れたままの二人を担ぎ上げた。
 意外にも、隠れもせずに元の場所にいた老人と目が合ったが、あらためて何か言うことはやめた。
 わざわざ、これが代価だ、などと恩着せがましいことは言いたくなかった。
 これはビサラが勝手にしたことだ。
 それを迷惑と思おうと、ありがたく思おうと、知ったことではない。
 張り詰めた沈黙が背に届かなくなった頃、道端に余計な荷物二人を放り出し、ビサラはまたあてのない道を歩き始めた。

 

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