廃墟。 薄茶色の、瓦礫の連なり。 砂埃と、石塊と、物言わぬ屍。
(何もない) 乾ききった砂漠の風が、焼け付く日差しが、腐臭一つ許すでもなく、生き物の気配を殺していく。 「他愛ない奴等だ。しょせん獣のなり損ないか。いくぞ、ビサラ」 年老いた女の屍に唾を吐きかける仲間に、彼は眉を寄せた。 死者を冒涜して何になるのか。 街を壊し兵を殺せば、自分のたちの勝利が近づく。 だが、もはや動くこともできない、それも、命あってさえ逃げ惑うしかできなかったであろう老女の死を、嘲笑うことなどあるまいに。
「ビサラ! 早く来い!」 「ブラートー」 喧しく怒鳴りつける緑鱗の兵士に、彼は手にあった矛を突きつけた。 「耳障りだ。がなるな」 「……わ、分かったよ。だから、こいつを下ろしてくれ」 矛を引き、ビサラは一人、仲間のもとを離れた。
なんのために、戦っているのか。 何が欲しいのか。 何が手に入るというのか。 廃墟の果てには、何もない。 戦火の果てには、ただこれと同じ景色だけが増え、続き、連なり、やがて世界を覆うだけ。 希望のない未来は、明日のない屍と同じだ。 ビサラは重い溜め息をついた。
ガタ……
背後で、瓦礫が崩れた。 振り返るなり、その音の中心へと刃を突き出す。 が、すんでのところで手を止めた。 瓦礫の隙間から這い出したモノの目前で、切っ先は止まっていた。
(子供……。無事だったのか) まだ10かそこらの、人狼の少女だった。 ほとんど人と変わりない姿。この街に暮らしていた人狼たちの仲間だろう。 鋼の先を目の前にしながら、だが、少女は恐れる様子も見せなかった。
(目が、見えんのか?) 何処ともしれない場所を彷徨う視線。 擦りむけた頬や肘から、うっすらと血が滲んでいるが、痛そうな顔もしない。 (……心が、壊れたか) 見えないのではなく、目に映るものが意味を成さないのだろう。
災いの中では、珍しくもないことだ。 だが、足首を女の手に……半ばから千切れた女の手に握られながら、それすらも分からずにぼんやりと揺れている様は、いたたまれなかった。 助けようとした母の手か。 それとも。
(……憐れな) 傍に身を折り、がっちりと食い込んだ指を開かせ、女の腕を取り除く。 穿たれた爪跡に、軽く癒しの力を注いだ。 跡形もなく消える傷。 だが、体の傷全て消したところで、明日も明後日も、来年も再来年も、少女は永遠に虚無を漂うのだろうか。傷つけられようとも、痛みすら覚えずに。 (おまえが悪いわけでは、ないのにな)
「おまえ、名は」 問うが、答えはない。 「親は、死んだのか?」 返るのは沈黙。 「俺が殺したか?」 乾いた風が泣く。 飛ばされた枯れ葉がゆるりと弧を描く。 少女の目が、それを追った。
ただの反射であることは分かったが、それはささやかな希望だった。 「おまえ。……いいか? これを、見ていろ」 ビサラは肩にかけていたスカーフを外し、少女の前でひらひらと振った。 矛を左脇に挟み、差し出した右手をスカーフで隠す。 左手で、さっと布を取り去った。 手の中に、四つの小石。 それを一つずつ片手で投げ上げて、受け止め、繰り返す。
何度か続けて、四つひとまとめに、手の中に握りこむ。 「……そら」 そして、手の中で咲く名もなき花。 「おまえにやろう」 粗末な服の胸元に止める、それは石の花。元はビサラのスカーフを止めていた、小さなブローチ。 それと、そしてビサラの顔を見て、少女は、笑った。
(ああ……) 「おまえ」 今なら、名を聞けるだろうか。 「名はなんと……」 「生き残りだ!」 そしてはじける赤、千切れ飛んでいく、緑の石の花。
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廃墟。 暗い赤に染まった、瓦礫の連なり。 澱んだ赤い泥、石塊と、物言わぬ屍。 たちのぼる血の匂いと陽炎に、空が喘いでいる。
乾きかけた返り血で柄に張り付いた手を開き、見下ろすその手と我が身。 髪も肌も鱗も、赤一色。 怒りが消えたあとに、残るものは何もない。 失った微笑みの残像ばかりが蘇る。
「おい! 何処に行った!? 報告はどう……ッ!?」 大隊長の怒声に、振り返る。 息を飲んで立ち尽くす男の前からビサラは姿を消した。 軍からも、国からも、消えた。 追っ手が放たれ、莫大な報奨金とともに手配もされた。 だが、それから十八年たった今も、行方は知れていない。 |