小さな村だった。 戦火を免れたのも、そのあまりの小ささゆえに誰の目にもとまらなかったためではないかと思えるくらい小さな、山間の村だ。 街道の検閲を逃れるため、山越えをしようと思わなければ、俺もついぞ知ることはなかっただろう。 木々の途切れた小さな広場に、ほんの四、五軒ばかりの小屋があるだけだった。
だが、そんな小さな村にも、先客があった。 青みがかった銀髪に、鈍い青鱗。村人たちに囲まれて、色とりどりの花束やガラス瓶、ナイフ、木製の桶、小石を器用に投げ上げては受け止める、いわゆる「ジャグリング」を見せているナーガだった。 そもそも竜人族というのは、自らを他の獣とは一線を画する竜の末裔として、俺たち他の種族を見下したところがある。 いっそ本物の竜人なら、俺たちのことなどむしろ歯牙にもかけず無視してくれるが、リザードマンやナーガといった奴等は、竜というよりトカゲ、あるいは蛇のような自分たちの姿のせいか、かえってやたらと自分たちの力を誇示したがるものだ。 自分を見世物にするようなナーガがいるとは、驚きだった。
「そこのアンタ。官憲でないなら、出てきて一緒に見たらどうですよ」 器用にジャグリングを続けながら、そのナーガが、俺の隠れている木陰へと言った。 村人たちの視線が一気に険しくなり、怯えをはらみ、俺へと向けられる。 「こそこそせんと、出てきたらどうです。疚しいところがないんでしたらな」 言いながら、手玉にとっていた花束を、俺へと投げつける。
俺は足元に落ちた花束を拾い上げて、広場に出た。 「旅の人ですかいなァ。まァ、アンタも見ていってくださいな」 俺は、この村をどうこうする気はない、という証明代わりに、腰の刀を外して地面に置き、腰を下ろした。 「アンタ、何処から来たんです? わざわざこんな山越えようなんて、表の道回れん理由でもあるんでしょうが」 村人ではなく、そのナーガが話し掛けてくる。 「それはおまえも同じだろう」 「一緒にせんといてくださいよ。アタシはただの流れ者ですからなァ。道端でこれやってましたらな、ここの子供が、うち来てやってくれ、言うもんですから、ついてきただけですわ」 ナーガが道端で大道芸とは、恐れ入る。 しかし、大きさも重さも違う、これだけの種類のものを、よくバランスよく回せるものだ。 「はい、これでお終いですわ。夜には八弦弾いてあげます。楽しみにしといてくださいなァ」 やがて、投げていた品物を一つずつ地面に置いて、ナーガは最後のナイフだけ、腰のケースにしまった。
俺は何も考えず、よく大きな街で見かける芸人たちにするように、銅貨を一枚、そのナーガへと放った。 やった後で、腹を立てられそうだと焦ったが、 「別にこんなもんが欲しくてやったわけでないんですけど、くれるんならもらっときますわ」 ナーガは器用に尾(?)の先ではじいて、自分の手に落とす。 「ところでアンタ、もう日も暮れますけど、今から山ァ下りるんですか?」 「俺は歓迎されてないようだしな。そのつもりだ」 「やめときなさいよ。日暮れて山ァ下りるほうが危ないですわ。泊まらせてもらうといいですよ。アタシと一緒なら、村の人らもそう怖がらんでしょう。納屋貸してもらうことになってるんです。食べるモンくらい、分けてくれるでしょうしなァ」
するすると地面の上を滑るようにして、ナーガが先に行く。 俺は黙って後に続いた。 案内された納屋は、一人の女の手で綺麗に掃除がされ、新しい干草が積み上げられた上に、清潔なシーツがかかっていた。 「お世話かけますなァ。屋根があるだけでいいんですのに。あ、こちらの旦那、一緒に泊めてあげても構いませんかいな? アホなことせんように、アタシが見てますから」 ……愛想のいいナーガなど、これまで見たこともない。 それに巻き込まれるようにして、女は俺の宿泊を認め、去っていった。
ビサラ、とそのナーガは名乗ったが、俺の名は聞こうとしなかった。 八弦と呼ばれる楽器の手入れと調整をしながら、ほとんど勝手に喋り続けている。 「ところでアンタ、なんか歌えますか?」 「歌? ……歌が、俺とどう関係ある」 「つまらんお人ですなァ。アタシはハナからの約束ですが、アンタはせっかく泊めてもらえるんです。お礼代わりに歌の一つくらい聞かせてあげたらどうですよ」 「……苦手だ」 「なら、他になんか、芸の一つくらいありませんか?」 「こんな時代に、芸がなんの役に……」 「そりゃ違います。こんな時代ですから、芸のできるほうがいいんですわ」
「なに?」 ビサラは楽器の手入れをする手を止め、まっすぐに俺を見た。 一瞬、真剣な顔を見せたような気がしたが、……見透かすような、からかうような、曖昧な笑み。 「戦うことなら、他にいくらでもできるお人がおりますからなァ。みんなしてやってることを、今更また一人、やっても仕方ないとは思いませんか? だいたい、剣だの槍だの振り回して、誰かを泣かせずには誰も笑わせられんなんて、つまらん人生ですわ。アタシに言わせれば、ですけどなァ」 「………」 「まァ、一人旅じゃあ戦わざるもえんのでしょう。でも、人を笑わせる方法の一つくらい、身につけておいたほうがいいですよ。アンタ自身のために」
誰かを泣かせずには、か。 湖面のような青い目は、俺の昔まで見通しているのか。 そんな気がするが、文字通り、気のせいだろう。 「さて、そろそろ行きますかいな。アンタも聞きにくるといいですよ。これでも八弦にはちっと自信ありますからなァ」 調律を終えて、ビサラは納屋から出て行った。
一夜が明けて、俺は山を下りた。 隣には、荷物を背負ったビサラがいる。 「せめてあの子らが、普通に山下りて遊びにいけるようになるといいんですけどなァ。戦争なんて、やりたいモンだけでやってればいいもんを」 呟きながら、彼は道端の萎れかけた花を手折った。 「戦って戦って、殺して殺して、笑うことも忘れた挙げ句、ただ老いぼれていくだけ……。アンタも、少しは笑ったらどうですよ。昨日からにこりともせんでしょう」 「笑う……? 何に」 「何かに。さて、と。アタシはこっちへ行きますから。次にアンタに会うことがあったら、笑った顔の一つくらい見せてくださいよ」
「あ、おい、待て」 「待ちません。……アンタ、賞金稼ぎには向いてませんよ。でも、アタシがこのままここにいたら、不本意でも殺さんとならんでしょう。だから、ここでお別れするんですよ」
俺は愕然とし、ついで、身構えた。 いくらか細めた目で、ビサラは俺を見ている。 「おまえ……いつから気付いて!?」 「ハナから、ですよ。アンタがあの村に来た時から。アタシを見て驚いて、まず最初にしたことが、腰の剣に手を置くことだったでしょう」 あんな芸の途中で、俺が現れたときからその気配に気付き、あまつさえ、俺に知られぬように見ていたというのか。 それで今の今まで逃げようともせず、気付いていることをおくびにも出さず俺をたばかるとは、大したものだ。 「ああ、ほら、また。そんな怖い顔して。おやめなさいよ。無理してまで殺すことなんかないでしょうが。無理して無理して、つらい思いして、血まみれの金手に入れて、どうするんです。そんな金で買ったもの、美味いと思って食えやしないでしょうよ、アンタは」
「黙れ」 隙だらけだ。 一撃で決まる。 かつてどう呼ばれた何者かは知らないが、今はただの腑抜けだ。多少、勘は鋭いにしても。 「言うても分かりませんか。まあ、そうかもしれませんな。ですけどな、アンタでアタシには勝てませんよ」 「黙れ!」 俺は、踏み込むと同時に刃を振り下ろした。
それは誤らずビサラの頭から腹まで、縦に切り裂いた。 だが、刃は傷一つつくるでもなく、血の一滴吸うでもなく、ビサラの体に、ただ埋まっていた。 「……虚実の区別もつかん子猫に、このアタシは殺せませんよ」 ビサラの姿が掻き消え、声ははるか後方、風の中から微かに聞こえた。 振り返れば、道をずっと戻ったところに、ビサラが萎れた花を片手に、佇んでいた。 あの花を手折った場所だった。
「おやめなさいよ」 遠目に見ても分かるほど哀しい顔をして、ビサラは力ない花に口付け、目を伏せる。 「これは返しますよ。結局アタシは、アンタを笑わせることはできませんでしたからなァ。それでは、またいずれかの旅の空で」 ビサラの手からオレンジ色の閃光が飛んだ。 俺に向けて飛ばされたそれを、とっさに剣で叩き落とす。 キィン、と甲高い音を立てて、それは地面に落ちた。
ゆうべ俺が放った、一枚のコイン。 はっとして顔を上げると、そこにはもう誰の姿もなかった。 道の真ん中に置き去りにされた枯れかけの花が、風になぶられて茂みの中へと転がっていく。 風の中に戦慄を感じ、体毛が逆立つ。 俺は一瞬、投げられたものに気をとられてビサラの気配を見失った。もし奴がその気だったら、決着は、ついている。 乱れた鼓動の上を、冷たい汗が流れていく。 共にいるときにではなく、去ったあとに感じる恐怖など、初めてだ。
だが、それでも俺は追わなければならない。 たとえ勝てずとも、俺は……。 萎れていく、枯れかけの花。 奴にかかった莫大な賞金があれば、有り余るほどの水を注いでやれる、俺の大事な妹。 ……けれど、あいつは? 人の血で贖った命で、微笑みながら生きていけるのか……?
「剣だの槍だの振り回して、誰かを泣かせずには誰も笑わせられんなんて、つまらん人生ですわ」 ビサラの言葉が風の中に聞こえる。 俺は……。 「俺は、間違ってるのか?」 風に問う。 だが答えはなく、俺は誰もいない道を、ゆっくりと歩き出した。
(終) |