Dive into your eyes

(エラーでも起こしたかな)
 胸のあたりを手でおさえ、ウォーズマンは苦笑した。
 そんな理由の痛みでないことは、自分が誰よりもよく分かっている。
(ケビン……)
 華やかな優勝パレードの中で、肝心な主役の元気がない。手にした勝利などどうでもいいことのように、ケビンマスクが気にしているのは手元だけだった。
 その手の中に、粉々に壊れたはずの「クロエ」のマスクがあった。
 太陽光に安っぽく反射するのは、セロハンテープで貼り付けているからだ。
 ようやく形を整えた、難易度Aクラスの3Dパズル。
 ケビンはそれを見たまま、時折はっと気付いたように顔を上げ、申し訳ばかりに歓声へと応えていた。

 壊れた「クロエ」を、何故直すのだろうか。
 ロビン王朝の栄光は復活した。ケビン自身もOLAPを身につけ、超人オリンピック優勝という確かな結果を得た。
 「クロエ」というコーチはもう必要ない。
 ―――理屈では、そうだ。
 だが、ケビンはまだ「クロエ」にいてほしいのだろう。
 直されたマスクの意味するものは、たぶんそういうことだ。
 そして、マスクを直したケビンを見て、胸が痛むというのも理屈ではなかった。

 

 自分が年をとらないことに気付いた時に、ウォーズマンは姿を隠した。
 順当に齢を重ね、極普通に老いていくだろう仲間たちの傍で、自分一人若いままでいる。それは、人間たちにも超人たちにも、無論ロボットなどという工業製品の仲間にもなれずにいた、あの頃に重なった。
 おまえは我々とは違う、常にそう言われ見せつけられていたあの頃、どこかに居場所を、誰かの傍にいることを、ただそれだけを望みながら叶えられず、一人で過ごした。
 仲間たちは彼等とは違う。それは信じていた。だが、本当にそうだろうかと疑いはじめたのも、姿を消した理由かもしれない。
 まだ壮健な内はいいが、老年になり立つこともままならなくなった時、それでも少しも変わらない自分を、彼等はそれまでと同じ目で見てくれるだろうか。そう思うと、恐ろしかった。
 そして、なんの変哲もなく年寄っていく彼等を間近に見、自分が彼等とは違う存在であることを思い知るのも、嫌だった。

 幸いまだ誰も気付いていなかった。
 だから、誰にも見られないよう、誰のことも見ないで済むよう、一人になった。
 そうして世界の片隅で、ただひっそりと、皆の無事と幸福を願って過ごした。
 体を鍛えることを怠らなかったのには、二つの理由があった。
 一つは、ともするとこれから先、自分の力が役立つような事態が起こるかもしれない、という懸念だった。
 そしてもう一つは、預けられながら身につけられずにいる、OLAPをものにできないかと思ったためだった。

 ロビンは門外不出の技を二つ、禁を破って授けてくれた。復讐のためだったかもしれないが、彼はそのことを吹っ切った後も、習得できるよう熱心に指導してくれた。そして、ロビン自身はこの二つの技、パロ・スペシャルとOLAPは、そうする他ないという時以外には使わないと決めてしまった。つまり、完全にウォーズマンのオリジナル・ホールドにする、と。
 習得できずにいる技は、この世に存在しないも同じだった。
 しかもロビンも年をとる。体力も筋力も衰える。世界で唯一OLAPを使える男が力を失えば、永遠に失われてしまう技になる。
 ロビンの努力と研究の成果であるOLAPを死なせたくはない。その思いで、一人黙々とトレーニングを積んでいた。

 そのウォーズマンが「クロエ」としてケビンマスクの前に現われたのは、必然の行動だった。
 大恩あるロビンの息子が道を誤りかけ、今もまだ完全には立ち直っていない。そう感じては、放っておけなかった。
 そして、彼ならばOLAPを身につけ、蘇らせることができるだろうと思ったのだ。
 ともするとそれは、ロビンと自分ができなかった、妥当キン肉マンの夢を果たすことにつながるかもしれない。
 だが「ウォーズマン」として姿を見せるのは耐えられず、また、ケビンが父親を嫌悪している以上、彼とつながりのある者では近づけまいと思い、「クロエ」になったのだ。

 その扮装は、マッハ・パルバライザーの一撃とケビンを受け止めた衝撃で壊れ、姿を見せてしまうことにはなったが、目的は全て果たしたのだ。
 何事でもないように立ち去り、再びどこかへ消えればいい。
 その前に、妙なことに自分の弟子ということになるケビンの、凱旋する勇姿だけは一目見たかった。
 だからこうしてフードとマントで姿を隠し、人込みにまぎれていたのだ。

 

 ケビンのもとへ行ったのはロビンへの恩返しだった。
 ならば、いくらかの恩返しができ、技も伝えた今、最早なんの未練もないはずだ。
 だが、そんな理屈が一切の意味を持たないことは、もう分かっている。
 何故あの時、「クロエ」の衣装が壊れてしまったのかと、それを恨む気持ちがあった。
 ウォーズマンとしての自分の姿を、衆目に曝してしまったことも嬉しくはない。
 だがそれより強く思うのは、もし何事もなければ、「クロエ」としてケビンの傍にいることも選べたろうに、ということだった。

 全てはもう遅い。
 自分の姿は、全世界どころか全宇宙に流された。
 もう既に、場違いな格好の大柄な男を、周囲の者たちは訝りはじめている。覗き込まれれば、この黒い仮面が誰の顔かはすぐに知れる。
(未練は、いつだって振り切るものだ)
 切って捨てねばならない思いを、未練と言うのだろうから。
 フードの先を指先で軽くつまんで更に下ろすと、ウォーズマンは踵を返した。
(俺の役目は終わった。……終わったんだ)
 体ばかりは若くとも、旧世代の超人がいつまでも大きな顔をしていていいはずはない。
 熱狂する人の合間を縫って、ウォーズマンは大通りを離れた。

 通りを数本離れると、歓声は遠い潮騒に似て、街は別世界のようにうつろだった。
 広々とした道路を横切る猫以外、動くものがなにもない。
 その静けさは、シベリアの雪原とはまるで違っていた。
 大自然のテリトリーが静かであるのは、なんの不思議もない当たり前のことだ。
 だがこの都会の静寂は、あるべきもの全てが失せた抜け殻の虚無。
 意味もなく寂しさを覚え、気の迷いだと頭を振る。
 その視界に、裏路地から飛び出した大きな影が入った。

 犬や猫ではなく、車やバイクでもなく、それは、ここにいるはずのない男だった。
 息を切らせ、肩を喘がせている。
 まさかと立ち止まり動けなくなったウォーズマンのほうへと大股に歩み寄ってくると、乱暴にフードを引きむしった。
「やっぱりあんただ」
 と、彼は言った。
「そうだと思ったんだ」
 右手には、乱暴に扱われていくらか歪んだ「クロエ」のマスクがあった。
 そこにいるのは、ケビンマスクだった。

「なっ、なにをしているんだ! パレードは!? ほったらかしか!?」
「うるせえ!」
 戻れというかわりに歓声……ともするとパニックの声がする方角を指差すと、その手首をとられた。加減なく掴まれ、力任せに引かれる。
「ケビン!」
 怒鳴りつけるが、まるで無視された。引き寄せる力に逆らえず、ほとんど胴締めのような怪力で拘束された。
 身動きがとれなくなる。本気で抗えば外すことはできそうだったが、そんな手荒な真似はしたくなかった。
 もう一度名を呼び、放せと言おうとした。
 途端、ガンッと硬い音と共に顔面に衝撃が伝わった。

 殴られたのであれば、理解できた。「父の盟友」であることを隠していたことに、腹を立てるなら道理だ。
 だが、ぶつかったのはお互いのマスクだった。

 一瞬茫然となったケビンが、身悶えるようにして背を向け、
「Damn! Damn! Damn……ッ!」
 低く何度も吐き捨てながらアスファルトを蹴りつける。頭が打ち振られるたび、背中で柔らかな金髪が揺れた。
「ケビン……?」
 痛みはない。衝撃の記録だけが残るあたりを押さえて問う。
 これは、なんなのだ。
 何故、なんのために、どうして。
 まさか。
 ……違う。
 ではなんだと?

 混乱の一歩手前で、振り返ったケビンの腕がのび、ウォーズマンの体をもう一度、今度はいくぶん弱く、拘束しなおした。
「行くなよ。俺のところにいろよ。これだって、やっと直したんだ。だから……」
 詰まった声の代わりに、篭もる力が強くなった。

 その行動の意味は、思い当たった。
 だが信じられなかった。
 顔らしい顔すらない、半機械、半生身の出来そこないだ。
 友人にするならばそれでもいいかもしれないが、……こんなことの対象になど、なるはずがない。
「―――怒らないのか? 俺がなんのため、誰のためにおまえをコーチしたか」
 否定を求めた。
 それなら信じられる。
 だがケビンは激しく首を横に振った。
 つられて動いた髪先が、細かくウォーズマンの顔を打った。
 音で気付いたケビンが、少しだけ体を離し、黒い金属の表面をそっと指で撫でた。

「そんなことはどうだっていい。親父のためでもなんでもいい。俺といてくれ」
「……何故」
「言わねえと分からねえのか。くそっ、こんなモンがあるから!」
 ケビンの右手が鉄仮面の顎にかかった。
「駄目だ!」
 ウォーズマンは自由になった左手でケビンの手を押さえ、首を振った。
「うるせえッ、放せ! 分からねえなら分かるようにしてやる!」
「分かった、分かったから!」
 信じがたくとも、まさかと思えども、そう言わざるをえなかった。

 自分のものとは違い、このマスクにははるかに重い意味と伝統があるのだ。それを、邪魔になるという程度の理由で外していいわけがない。
 なんとか押しとどめると、ケビンは
「本当に分かったのかよ」
 なじるように強い視線を、マスクの奥から突き刺してきた。
 言葉でなど、とても答えられない。どうすればいいかと惑って、ウォーズマンが顔を横へと逸らす。途端、
「俺のことが嫌いなら嫌いって言え。そうしたら諦める」
 ケビンは明らかに苛立った声で言い放った。

 どうして極端から極端へ走るのかと、ウォーズマンは狼狽した。
「まさか。嫌いなわけがないだろう」
 慌てて宥める。ケビンの、噛み付くような気配は少しも変わらない。
「だったらなんで目ェ逸らすんだよ」
「それは、……分からないからだ」
「なにが」
「……何故俺なのか。こんな」
「そんなもん知るかよ。俺が分かるのは、もうあれっきりでクロエに会えないのかと思ったら、勝ったのもどうでも良くなったってことだ。あんたに会いたくて、また一緒にいたくて、あんたじゃないかと思ったらいてもたってもいられなくて、他のことなんかどうでもよくて、ここまで追っかけてきちまったってことだ。あんただって分かったら、俺のものにしたいって思ったってことだ」
 ウォーズマンは、絶句した。

 若いにも青いにも程がある、容赦知らずのストレート。なんの冗談でも笑い話でもなく、初めてバッファローマンのハリケーンミキサーをくらった時のことを思い出した。ダメージの在り処が体か心かというだけで、激突の衝撃は大差ない。
「俺はあんたが好きだ。だからこれからも俺の傍にいてほしい。それだけだ」
 自分を覗き込む青い目が、鉄仮面の向こうにはっきりと見えた。
 二重の目はロビンによく似ていた。瞳の色があまりに深く青いインディゴブルーで、
(これで鼻と口がキン肉マンだったら大変だな)
 などと、場違いに妙なことを考え、自分で可笑しくなった。

「な、なんだよっ」
 つい笑い声が零れ、ケビンがひどくうろたえる。
 暴君を気取っても、中身は我が儘な子供だ。冷たい顔をして「御免だな」とでも突き放せば、あとは放心するか泣くか、さもなければ殴りかかるかしかないだろう。
 甘えることも楽しむことも知らずに無理やり大人にさせられそうになり、逃げ出した彼はまだ子供のままだ。
 ひどく冷めたように見せる裏側に見つけた、天邪鬼な優しさや寂しさ。
 守ってやりたいと思ったのだ。
 心に深く刺さった棘を、少しでもいいから抜いてやれたらと。
 だから。
 もうこれ以上、傷つけたくはない。

 それはケビンの求める答えではないだろう。
 彼の思いにイエスかノーの返答をするためには、まずはケビンが一人前になり、「手のかかる子供大人」でなくなってくれなければなるまい。
「分かった」
 とウォーズマンは言い、
「だが、色事は十年早い」
 軽くケビンの体を押して返し、ぴしゃりと言いつけた。

「なんだそれは!」
「俺から見れば、おまえは手のかかる子供だ。とても恋愛の対象にはできないな」
「な……っ」
「おまえの気持ちは、覚えおく。絶対に忘れない。……本当の意味で一人前になったら、まだ飽きもせず同じことを思っていたら、もう一度言ってくれ。その時には、ちゃんと答える。イエスと言えるかどうかは分からないが」
「保留かよ」
「嫌なら早く大人になることだ」
「俺はもう」
「年だけならベビーベッドに寝たきりでもとれる。早く一人前の正義超人になることだ。俺やロビンやキン肉マン、みんなが、おまえがいてくれれば安心だと思えるような、な。それなら、俺とも対等以上だ」

 不承不承といった様子ながら、ケビンが腕を解いて離れた。
 路地からざわめきが近付き、
「おまえのことは、いつも必ず見ている。―――いつかおまえが来るのを、待っててやる。じゃあな」
「あっ」
 ウォーズマンはフードをかぶりなおすと路地裏に駆け込んだ。
 乱暴で強引で考えなしの衝動が、いつまで持続するかは分からない。
 ただ、もし裏切られるにしても、彼が同じことを再び言う日が来るのを、待つだけは待ってみよう。
 胸の痛みはもうどこにもなく、その後には微かな疼きが残っていた。

 

(終)

 「たまにはケビンにいい目を見せてあげて」と言われて書いてみますた。あのケビンはどーしよーもないギャグ路線、永遠の平行線なので、別世界の二人です。これなら、一人前のいい男になりさえすれば振り向いてくれそうでしょ?(笑

 なお、修復されたクロエのマスクとか、ウォーズさんと一緒にはいないとかいう、原作どおりの流れを前提にしています。
 ポイントは、仮面越しのキスでした★