W Hurricane

「あっ!!」
 と言って突然上げたケビンマスクの鉄製後頭部が、スカーフェイスの顎の下を直撃した。
 丁度なにか喋ろうとしていた可哀想なスカーは、まともに舌を噛むハメになった。口をおさえて涙目、ケビン以上の巨体を路上に小さく丸めて、抗議の言葉もまだ出せない。
 せっかく今日はオシャレして(それでもいつもの被り物はしているあたり、どうシャレようと無駄な気もするマスクマンたちである)、なんとかケビンに自分の思いを伝えようと、徹夜で台詞も考えてきた。
 が、スカーが同じように「あっ」と言う前には、ケビンの姿は人込みの中に消えていた。
 あとには、道端に座り込んで虚しく右手をのばした赤い燕男が一人。その目に溜まっている透明な涙が、ほろりとアスファルトに零れ落ちた。

 一方のケビンは全力疾走している。
 もう少し小柄なら、軽やかなフットワークと身のこなしで人の合間をすり抜ける、ということもできるのだろうが、彼には無理な話である。だいたい、休日のピカデリー広場に2m級の大男が二人もいれば立派な公害だ。しかも超人。それがフルスピードで走るのだから、まだしも脱線した地下鉄が地上に乗り上げてきたほうがマシだったかもしれない。
 突き飛ばされ、弾き飛ばされ、怪我人が続出する。信号待ちなど言語道断で、無謀な横断のせいでパニックになった車が玉突き衝突を起こす。
 ケビンはそんな
些事など眼中になく、鉄仮面のおかげで後頭部にはなんらダメージもなく、まっすぐに自分のマンションへと向かっていた。

 さて、ようやく見えてきた高層マンションの入り口で、ケビンは煉瓦造りの花壇を蹴り壊して急激に方向転換した。
 エントランスへ駆け込むと、エレベーターは最上階にあった。
「くそっ」
 叩きつけた拳の下で、操作パネルが破損して小さな紫電を飛ばす。ケビンはエレベーターの使用を諦め、階段を五段飛ばしに駆け上がった。途中で二人ほど突き落とした気もするが、構っていられない。
 そうして、そこまでして急いで我が家、自分の部屋へに駆け込んだ時には―――もう遅かった。

 掃除機のホースを小脇に挟んだウォーズマンの手には、父から譲り受けた秘伝、『ロビン・ザ・フェイバリット・裏』が開かれていた……。

「ん? どう」
 言うままにしておけば、「どうした、忘れ物でもしたのか?」 と続いたのだろうと思われる。が、その前にケビンは、ウォーズマンの手から大事な本をひったくった。
 読んでいたところにスカーフェイスから電話があり、遊びに行こうと誘われたのだ。その際、せっかく鍵までかかるご丁寧な仕様の秘儀書を、開きっぱなしで机の上に置いて出てしまったのである。
 仮面越しに分かるほど驚いた様子のウォーズマンに構わず、もう遅いと分かっていても、スペシャルな指南書を背後に隠す。
「え、えーと……、その、まずかったか?」
「見たのか!? 読んだのか!? もう読んじまったのかッ!?」
「あ、ああ。最初のほうだけだが……」
 ケビンの剣幕にたじろぎながら、ウォーズマンが頷いた。ケビンはがっくりとその場に膝を……つきかけて、気付いた。

 読んで、内容の意味を理解していれば、こんなにのほほんとしているわけがないではないか。
 たぶん、読んではみたが理解していないに違いない。

 そんなケビンの推察どおり、ウォーズマンの言うことは案の定にも程があった。
「グラウンド(寝技)の特集だと思ったから……。知っていれば、なにかアドバイスでもできるかと……」
 だんだん小声になりながら、だんだん肩をすぼめ、少しばかり俯きつつ、しまいには、
「すまん。やはり、勝手に見ていいわけもないな」
 と詫びられた。

 そんなこたぁどーでもいいのである。
 ケビンはほっとして、マスクの下で笑顔になった。
 そして、
(これ見てグラウンドだと思うってことは、練習に付き合ってくれって言えば……)
 どうせレスラー。しかも超人レスリングはなんでもありだ。ほとんど裸に近い格好で好きなだけ絡み合える。絡み合うだけでいいならば。
 いや、もしかするとその際にちょっとばかり悪戯を仕掛けてその気にさせたりできればあるいは。

 どうやって今の大慌てを取り繕おうか。
 ケビンの頭は高速回転した。
 ちなみに言っておけば、今まで誰とどこにいて、置き去りにされた誰かさんが今頃どうしているかといったことは、脳細胞の片隅にもない。
「いや、その……そ、そう。親父からもらったんだけどな。覚えてから実戦で披露して、あんたを驚かせようと思ってただけなんだ。でも、考えてもみれば俺一人じゃ練習もできないよなっ」
(よし、よし! いけるぞ俺!!)
 素晴らしい言い訳&布石である。ケビンは心の中でひそかにガッツポーズをとった。

 ―――賢明な読者諸氏ならば、ともするとお気付きかもしれない。
 これはかつて
父親が辿った道そのまんまだった……。

 だいたい、いくら省略して描かれているとはいえ、どんなレスラーも、大昔の相撲取りでもあるまいに、ショートタイツの一枚もはかずに戦うだろうか? そんな姿を用いて図説するだろうか?
 そのことに疑問も覚えない半機械を相手に、はたしてケビンの青春はどこまで空回りするのだろうか。
 それはたぶん、超人神もご存知あるまい。

 なお、これから数日後、息子が作り出した怪我人、破壊した諸々の公共物の弁償費用を請求されたロビンが卒倒するという事件があったことも、付記しておこう。

 

(しっかりスカー!)