その灯台は、亡霊の海の入江に臨んで建っていた。
あてのない旅だ。灯台へ寄った理由などない。 たまたまそこに灯台があり、たまたまそこへ登っていけそうな道を見つけた。だから登ってみた。そうしたら灯台に辿りつけた。ただそれだけのこと。 しかしその灯台は、最初からなにか不穏な気配を漂わせていた。 入り口傍に転がる馬の死体。横倒しにされた小さな荷車。荷車だけならば、強風に煽られて横転するくらいあることだろう。だが馬が殺されているとなると物騒だ。俺は、山賊の類が灯台に押し入った可能性もあると考えて、慎重に入り口の扉を開けた。 途端、俺は目よりも音よりも先に、匂いで異変に気づいた。扉を開けて真っ先に知ったのは、冷たい鉄の、しかも生臭い―――血の匂いだった。 やはり山賊でも押し入ったのか。入り口の正面、開け放たれたドアの向こうにレッドガードの女が一人、裸で倒れていた。 辺りは血まみれだ。テーブルは叩き割られ、夕飯になる予定だったらしいベークドポテトやサーモンのグリルが散乱している。そして、暖炉の前には、何故こいつがこんなところにと疑問に思いながら確認してみると、間違いなくそれはシャウラスの屍だった。
修羅場には慣れている。 俺は女の死体に近づいて、その腹に突き刺さる剣を見た。 それはファルメルが使う剣だった。しかしファルメルは主に洞窟や地下に済み、地上には出てこない。こんな民家にファルメルが押し入るというのは、いかに俺でも見たことも聞いたこともない。 俺は食堂であったらしい部屋を見回し、壁際のテーブルに手帳を見つけた。なにか手がかりが得られるかと開いてみると、この女の旦那、ハブドという男が書いていた日記には、彼らがハンマーフェルからこの地に引っ越してきたこと、この灯台で静かに、平和に暮らそうとしていたこと、それを望み受け入れる妻(つまりここで死体になっている女)と、もっと賑やかな世界を望む二人の子供の間で、少しばかり意見の相違があることが書かれていた。 それから、彼等の子供たちが、地下からなにか音がすると言っていること。ハブドはそれをスキーヴァーだろうと考え、街に罠を買い出しに行ったらしい。そして帰ってきたときに見たものが、妻のこの無残な屍と、彼は名前も知らなかった生き物、シャウラスだったようだ。ハブドはシャウラスを一匹片付け、地下の鍵をかけようと試みたらしい。 記録はそこで終わっていた。
地下があるのか。そういえば外から入ってきてすぐ左右に扉があった。鍵がかかっていたので見るのは後回しにしたが、片方は灯台の上部へ、そしてもう片方は地下に通じているに違いない。 地下。 ともするとこの灯台の地下が、たまたまファルメルの住処に隣接してでもいたのか? それがなんらかの拍子でつながってしまい、そこから入り込んででも来たのか? 俺はもう少し灯台の中を調べてみることにした。 灯台の上、ネズミ取りの罠が仕掛けられた階段を登っていくと―――ちなみに解錠など俺には造作もない。火が燃える灯り台の下には、大きな宝箱が一つ据えてあった。この鍵はさすがに特注の複雑なものらしく、ピックとナイフでこじ開けられるようなものじゃない。どうせ大したものも入っていないだろうし、もし鍵が見つかったら開けてみてもいい。 俺は一階に戻り、もう少し奥の部屋も調べてみることにした。そこには子供たちのものと思われる日記やメモも見つかった。
スディという子供は、港町が恋しいと書いていた。マニは逃げようと誘ったようだが、父母を置いていけないとスディは迷っていたらしい。あとは、地下の物音。スディはマニが立てるものか、父親が魚をさばく音だと思い、しかしスキーヴァーではないようだと不安を感じている。一方マニは、スディが物音を立てていると考えているらしい。もちろん、スディの日記に書かれている以上、彼女がそう思っているということだが。 別の部屋では、ラマティという名らしい母親の日記も見つかった。これも大したことは書かれていない。書かれているのは、この灯台を購入できて喜んでいること、子供たちにはもう少し共に暮らしてほしいと考えていること(いつまでも共に生きていられるわけではないから尚更だと)、子供たちが地下でなにか悪戯し、自分を困らせているのではないかと疑っているということ。それくらいだ。 マニからスディへと書かれたメモもあった。彼はスディに向けて、「自分をここにとどめるために、地下室の物音がどうとか言っているんだろう。だが心配しなくても、親父が買い出しから戻ってくるまではここにいる」と書かれていた。マニは灯台を出る決意をしていたらしい。
つまり彼等は、地下からなにか物音がしているが、それはネズミか、ただの悪戯だと思っていたということだ。しかし実際そこにいたのは、スキーヴァーよりもはるかに厄介なシャウラスだったことになる。そしておそらく、ファルメルも。 なんにせよ、俺は暇なのだ。暇だから愛馬と共にスカイリム中を旅して回り、いらぬことに首を突っ込んではその日をしのいでいる。 二人の子供、地下へと鍵を掛けに行ったはずの父親。しかし彼等の姿は、少なくとも灯台の一階と、上階には見当たらなかった。……なんとなく予想はつくが、この灯台守の一家になにがあったのか、誰か無事な者はいるのか、調べてみるとしよう。
地下へ続く扉にかけられた鍵は、少しばかり複雑なものだった。だが俺には造作もない。解錠して扉を開けると、外気と変わらないような空気が這い出してきた。そして、これまでにさんざん聞いてきたシャウラスの鳴き声。どうやら他にも入り込んでいるらしい。 灯台の地下倉庫は壁が壊れ、凍てついた洞穴につながっていた。 壁が破れたからシャウラス(とファルメル)が入ってきたのか。それとも奴等が壁を破って押し入ってきたのか。それがどちらであったとしても、大した違いはない。 洞穴の地面にも多量の血痕があった。そして思っていたよりもはるかに近い位置に、ファルメルのキャンプが存在していた。 少し開けた空間に出た途端、俺が見つけたのはマニの姿だった。彼はまるで祭壇に捧げられる生贄のように、二本のシャベルと一本の剣とともに、少し高くなった場所に「飾られていた」。俺の印象を率直に語るなら、飾られているとしか言いようがないのだ。もちろん、息はない。
幸いだったのは、ファルメルもシャウラスも、数は少ないことだ。光るキノコのおかげで緑色に明るい洞窟の中、ところどころで出会う奴等を片付けつつ奥へと進んでいくと、今度は娘、スディを見つけた。残念ながら、彼女ももう生きてはいなかった。 彼女が囚われていたのは、低い柵に囲まれた場所だ。柵は乗り越えられないこともなさそうだが、逃げ出したとしてもファルメルに聞きつけられて殺されるのがオチだったろう。 スディの死体とともにあったメモは二枚。どちらもスディが書いたものだった。 一枚は、父親が彼女たちを探して地下に下りてきて「奴ら」に捕まったこと。逃げ出そうとしてシャウラスに噛まれ、ひどい熱を出していることが書かれていた。 もう一枚、血に染まったメモはその後に書かれたものだろう。他にも捕まった人がいたが、どこかへ連れていかれ、悲鳴だけが聞こえてきたと書かれている。出ていこうというマニの言葉に耳を貸さなかったことへの後悔も短く綴られていた。そして、父親が死んでしまったらしいことも書かれていた。そして最後に、父親は隠し持っていたダガーをスディに渡したらしいが、「その意味が分かるような気がする」と書かれていた。
どうやら、灯台の中で母親、洞窟の入口付近でマニ、この場所でスディと、そしてこの場に死体はないが父親も死に、灯台守の家族の生き残りはいないらしい。 だから? たしかにこの先へ進んだところで、誰かを助けだせる望みもないが、だからと言ってここで引き返す理由もない。あえて言うならば、ここで犠牲になった何人かの者たちの、仇討ちくらいはできるだろうか。 進むか戻るかというなら、俺は当然、進むことを決めた。
洞窟を奥へ奥へと行くほどに、異様な数のシャウラスの卵が目につくようになった。ここはシャウラスの巣か? それとも―――シャウラスの飼育場か? このおびただしい卵の数を見れば俺にも予測がつく。ファルメルがここでなにをしていたか、連れていかれた者がどうなったか、何故父親が娘にダガーを渡したか。 洞窟の奥、俺が見たのは、他のシャウラスよりも格別にデカいシャウラス・リーパーだった。 だとしても、だ。 気付かれないよう身をひそめ、弓で射るならばどうということもない。奴等が俺を見つける前にすべては終わった。とりあえずこれで、仇くらいは討てたことになるだろうか。 なんにせよ、戦利品はいただいていこう。シャウラスの殻なぞ、売る以外に用途もなく、今更金をほしいとも思わないが、時々こいつらは宝石を飲み込んでいたりするし、これだけ大きなシャウラスからならば、少し変わったものも手に入るかもしれない。 俺はシャウラスの外殻に手をかけ、解体を始めた。 そして間もなく、「なにか珍しいものでも持ってるか、飲み込んでないか」と考えたのんきな自分を後悔した。 ひときわデカいシャウラス・リーパーの腹から出てきたのは、半ばまで消化された人間の頭部だったのだ―――。
俺は灯台に戻った。 俺は、……魔女の生首を持ち歩いているくらいなら、半分消化された人間の頭も大差ないと考えて、なんとかこれを持ち帰ってきた。 理由は一つだ。ラマティの日記の中に、ハブドの望みが書かれていたからだ。ここで晩年を迎えて死んだなら、遺灰を灯台の火にくべてほしい、永遠に海を見渡していたい、と。 灯台にはたしかに、火の傍へ寄れるようハシゴもかけてあった。ならばそこから投げ入れてやることくらいできるだろう。これがハブドの頭なのかどうか、俺に判別はつかないが。 そう思って再び灯台に登り、俺はハシゴをよじ登ると溶けた頭を火の中に放り込んだ。 途端、……どうやらこれは、ハブドの頭部で間違いなかったらしい。仇を討ち、望みを叶えてくれた礼だとでもいうのか、なにやら加護が得られたようである。 ならばこれもいただいていいだろう。俺は洞窟の中で手に入れた鍵で宝箱を開け、案の定今の俺にとってはさして高額とも言えない薬やゴールドを取り出した。 それにしても、シャウラスの飼育場を探索していたときには奴等に一度として気付かれることなく、罠にもかかることのなかった俺が、最後に灯台へ登ろうとしてネズミ取りの罠に脚をかすめられるとは……。油断大敵というところか。
ちなみに、灯台の外に転がっていた荷車は、ネズミ取りの罠を積んでいたものだった。顛末を知って外に出ると、荷車の下敷きになっていた罠が目に入った。買い出しから帰ってきて、灯台の中の異変に気付き放り出して駆け込んだのか? しかし、馬が死んでいたことからすると、シャウラス、あるいはファルメルが灯台の外にまで出ていたタイミングもあったのかもしれない。 なんにせよ、灯台守の一家には災難だった。ここでの静寂と平穏は束の間だった。出ていこうとしていた子供たちは、それがかなう前に殺された。(スディは、奴らに食われるくらいならと自害したのだろうが)
これも人生だ。 俺はふとそんな言葉を思い浮かべ、一人で奇妙に納得した。 これも人生。なにもかもがうまくいくとは限らない。他愛ない幸福が延々と続くこともあれば、その幸せか一瞬で崩れ去ることもある。 そんなものだ。仕方ない。危難を打ち砕く力がないなら、なおのこと。
俺はシャドウメアに跨ると、丘の道を下り灯台を後にした。 ここから一番近いのは、……ウインターホールドの魔術師大学か、ドーンスターの「一党」のアジトか。大学の学生連中はなにかとうるさいし、アジトは……人殺しに気が滅入っているときに行く場所じゃあない。とすると、もう少しだけ足を伸ばして、ウインドヘルムかホワイトランの家に帰るか……。 ホワイトランでは何事もなさすぎる。ウインドヘルムの家のほうが、人生の無常と無情を味わうには、丁度いいかもしれない。あそこもまた、思わぬ不運に見舞われて、消された命のあった場所だ。 家に帰って旅装を解いたら、手に入れた日記や手記に今一度ゆっくりと目を通そう。そうしたら、いつか見つけて「もういらない」と思うときまで、どこかに保管しておくとしよう。 どんなことも、ほとんどはすべて、いつか過去の、取るに足りないものになる。 それもまた、人生だ。 |