Tales of An Argonian 3

 

【第七章:ガルスの手帳】

 このあたりで少し、ここまでの経緯をまとめておこうか。
 まず、俺はブラックマーシュの暗殺者で、仕事のためにスカイリムにやってきた。が、しくじったせいで帰るとまずそうなことになり、居着く先として盗賊ギルドを選んだ。
 俺としてはその他大勢の一人でいたかったんだが、とにかく運に見放されたように失敗続きのギルドの中で、俺は、にも関わらずとんとんと目立つ仕事を片付けちまった。それぞれの仕事に、なんとなく違和感みたいなものを感じながらな。
 ところが、片付けた一連の、少し大きめの仕事ってのが、よりにもよって同じ黒幕を持っていたし、よりにもよってそいつはギルドマスター・メルセルと因縁のある相手だった。
 当初俺は、カーリアというその女が先代のマスターを殺したと聞かされていた。
 だが真実はそうじゃなかった。実際はメルセルこそがマスター殺しの犯人で、その罪をカーリアになすりつけ、ギルド全体を騙していたんだ。
 俺はメルセルに殺されかけたがどうにか生き延びて、カーリアに協力することにした。
 肝心なのは、メルセルがガルス殺しの真犯人である証拠を見つけること。そして、カーリアのギルドへの帰還を助けることだ。
 俺たちの手にある唯一の手掛かりは、ガルスが残した手帳だった。見知らぬ文字で書かれたその手帳に、証拠になるようななにかが書かれているかどうかは分からない。だが他にはなんの手掛かりもない以上、俺たちに選択肢はなかった。
 ―――と、まあこんなところだろう。
 ここまではいいか? よしよし。じゃあ、続きを話そう。

 カーリアによれば、ガルスの手帳について、翻訳の助けになってくれそうな男がウインターホールドにいるってことだった。名はエンシル。ダンマーの男だ。
 アンタ、ウインターホールドへは? そうか。北の端、東のはずれの辺鄙な町だよな。家だって、まともに残ってるのはほんの数軒だ。今はどうか知らないが……へえ。変わってないんだな。まあ、変わりようもないか。昔はスカイリムの魔法研究の中心地だったって話だし、大崩落……大崩壊だっけ? ともかく、それで町の大半が沈んだらしいが、その前まではどんな場所だったんだろうな。
 ま、それはともかくだ。
 ウィンドヘルムからウインターホールドはそう遠くない。俺はギルドに戻らず、そのままエンシルのところへ行くことにした。
 もちろんギルドに達成の報告は送った。ギルドの趨勢を左右するようなデカい仕事を片付けて、その顛末の報告を後に回すってのは無責任だしな。まあ、直接報告したほうがいいのは間違いないが、リフテンに戻ってからまたここまで出かけてくるのはさすがに億劫だ。それに、十分やる気になったところで、時を移さず本命に取り掛かりたかったんだ。
 その連絡にはさっそくニラナイのネットワークが役に立った。彼女が取引再開の報せを送ったのと同じルートで、俺の達成報告もしてもらった。
 帰還しない理由は、「気になるものを見つけたから調べてみる」。そういう曖昧な理由で、俺はそのままウインターホールドへ向かった。この頃には俺はギルド内でも一目置かれていたから、そういうことをしてもとやかく言われる心配はなかった。

エンシル エンシルがいたのは、フローズン・ハースだ。そう。あの小さな宿屋。カウンターの後ろに地下への階段があったろ? 気づかなかった? そうか。俺が行ったときには、エンシルはその階段の下、宿屋の地下にいた。使用人とかの寝泊まりする場所で、その一隅を借り受けてたみたいだな。
 彼はウインターホールド大学の在籍者なんだが、昼間はフローズン・ハースにいることが多かったし、俺が訪れたときも丁度宿にいてくれた。大学内部にいるとなると、入学せずには入れない。町のほうで会えたのは俺には幸いだった。
 エンシルはどうやら、既にカーリアから連絡だけは受け取っていたらしい。声をかけたときは邪魔するなって様子だったが、俺がカーリアの遣いで来たことを告げると、まるで待っていたみたいに歓迎してくれた。
 俺はさっそく彼にガルスの手帳を見せた。
 エンシルは中を一目見るなり、これはファルメル語だと言った。
 ファルメルって言えば、昔はスノーエルフとも呼ばれていた連中だ。だがドゥーマーに奴隷化されて地下に押し込められ、長い年月を過ごす内に気味の悪い盲目の亜人と化した。そんな連中の言葉を、なんでガルスが知っていたのか。気になってなにげなく口にすると、エンシルは、「それを要する大掛かりな仕事を計画していたからじゃないか」と言った。
 殺されるだいぶ前になるが、エンシルはガルスから、ファルメル語をマスターする方法はないかと尋ねられたそうだ。エンシルは心当たりを教えてやり、ガルスは出かけて行って身につけた。学んだ目的は仕事のためだとしても、人に知られると困る内容を記すのに、めったに読める者のない文字と言葉は都合が良かったんだろう。
 エンシルには、これがファルメル語だってことは分かるし、ごく部分的になら読むこともできるが、きちんとした文章として理解するには、参照できる資料が必要だってことだった。
 ガルスと違って俺たちには、ファルメル語をマスターしてる時間はない。メルセルの動向はさっぱり不明だが、カーリアが身近に現れたことを知った以上、メルセルにもなにか計画があるはずだ。
 だから必然的に俺の仕事は、ファルメル語の資料を手に入れるってものになった。
 エンシルは俺に、マルカルスにいるカルセルモって老学者について話した。カルセルモのじいさんなら俺も知っていた。仕事でマルカルスに行ったとき、金目のものを物色して砦の中にも入ったんだが、そのときに見かけて少し話をしたんだ。あのときは「へえ、そう」くらいで聞き流したが、エンシルによれば、ドゥーマーの熱心な研究者であるじいさんは、ファルメルについても詳しく研究していて、その第一人者だってことだった。
 20年、いや、もしかすると30年くらい前なのかもしれないな。ガルスがエンシルに勧められて訪れたのも、カルセルモのもとだった。それでファルメル語をマスターできたなら、あのじいさんのところにそれだけの資料があるのは間違いない。
 俺の行き先は、マルカルスに決まった。

 ちなみに、エンシルは別に盗賊ってわけじゃない。癖のある男で、ちょっと"融通がきく"のはたしかだが、基本的には魔術師大学の在籍者だ。
 そんな男がどうしてギルドマスターの友人だったのか、ちょっと気になったんで尋ねてみた。なにせこの仕事は、へたをすれば盗賊ギルド全体を敵に回しかねない危険なものだ。本物の敵はメルセル一人だが、奴にはギルドを丸め込むほどの話術があるし、それはかつて実際に使われている。エンシルにだって危害が及びかねないし、だからカーリアはずっと彼を巻き込むまいとしてた。俺としては、エンシルが何故こんな危険なことに手を貸すのか、それを知りたかった。
 エンシルの答えはシンプルだったよ。ガルスはかけがえのない友人だった。それだけだ。
 昔、研究所に忍び込もうとしていたガルスを見つけて捕まえたことがあるらしい。もちろん衛兵に突き出すつもりでいたが、たまたまそこに広げてあったエンシルの論文を見たガルスが、妙に鋭い意見を言った。それで議論が始まり、意気投合してしまったんだとさ。
 エンシルとガルスは、それ以来の古い友人だった。だからエンシルとしても、ガルスの仇を討つ機会があり、そして勝算があるなら、乗らない理由はなかったんだ。

 さて。
 かつてガルスは、ファルメル語をマスターするため、カルセルモのもとを訪れた。それから25年以上経て、俺もまた同じ学者に会うために、ガルスの足跡を追いマルカルスへ向かった。
 マルカルスはスカイリムの西の端にある城塞都市だ。ドゥーマーの建築をそのまま利用しているって話もあるし、砦の横手からは実際にドゥーマーの遺跡に入ることもできる。なかなか面白い場所だが、東の端のウインターホールドからてくてく歩いて行きたいような場所じゃない。体力と集中力を温存するため、俺は馬車を雇った。
 さっき言ったが、カルセルモのじいさんのことは俺も知っていた。首長の砦の隅っこにいる学者先生で、ドゥーマーの研究に関しては第一人者らしいが、頑固なじいさんでね。前に話しかけたときには、邪魔するな、貴重な時間を無駄にしたくないって、ずいぶんつっけんどんだった。
 そんな相手に無駄話を持ちかけて怒らせる趣味はないから、そのときには早々に退散したよ。
 ただ、まるでなんの話もしなかったわけじゃない。発掘現場に巨大な毒蜘蛛が出て困ってるってことは聞いていたし、もし退治してくれれば博物館に入れてやるとか言っていたのも覚えていた。そのときの俺は、わざわざ手間をかけてまで博物館なんて別に、ってね。それっきり軽く忘れてたんだが、面白いもんだな。それが急に無視できなくなった。

 俺がほしいのはファルメル語の資料で、ガルスのように覚えるつもりはない。ってことは、じいさんの博物館、その奥にあるらしい研究所に忍び込んで、資料をこっそり頂戴するしかない。博物館自体に忍び込むこともできるとしても、できるだけ危険はおかさないに限る。とすると、蜘蛛退治の約束がまだ生きているなら、それを利用しない手はない。
 マルカルスに着くと、俺はまっすぐ砦に向かい、カルセルモのじいさんを探した。じいさんはいつもどおり、付呪器と錬金台のある場所にいた。
 俺が、発掘現場の蜘蛛はどうなったって聞くと、相変わらず煩わしそうに、イライラした様子で「どうもなっとらん」とか言い返されたが、この場合は好都合だ。先を越されてなかったらしい。だから、「退治してきたら本当に博物館に入れてくれるのか?」って尋ねると、もちろんだと請け合ってくれた。

 面白いのは、そんな話を持ちかけたせいで、じいさんが俺に期待と親近感を覚えたことだ。
 どうしてそんなに博物館に入りたいのか、逆に尋ねてきた。だから俺は、ドゥーマーの遺物やファルメルの文化……かつてスノーエルフであった時代の文化に興味が出てきたんだと答えた。そして、ぜひとも高名な研究者であるアンタの仕事に触れたいんだと。
 そうしたらさ! じいさん、「将来弟子になるかもしれん若者の望みは無下にはできないな」とか言いだした。で、ごそごそポケットをあさるからなにかと思えば、「これを使いなさい」、ってね。俺の手には博物館の鍵が握らされていた。
 なんてこったと笑うのを我慢するのが大変だったよ。もちろん俺は、できるだけいい印象を与えるように努めたさ。だが別に蜘蛛退治を勘弁してもらうつもりはなかったんだ。それなのにこれだ。呆気なさすぎる。
 この結果は、俺の与えた印象、つまりじいさんに対する敬意とか研究への興味ってものが真に迫ってたからっていう、俺の話術のせいかもしれない。だが正直に言えば俺はこのときこう思った。「ラッキーだ」ってね。
 さっきも言った
が、盗賊ギルドは長いこと、落ちぶれ果てて存続も危うくなるくらいまで、いろんなことがうまくいかない不思議な不運の中にいた。それはそのときも特に変わりはなくて、納得のいかない失敗に泣かされた奴もかなりいた。なのに俺にはラッキーだと思うようなことが起こったんだ。それまでも特に運が悪かったこともなかったしな。
 
さすがにこのときは、ふと我に返って妙だと思った。ギルドの、みんなの不運なんてのはやっぱり気のせいなのか? それとも事実として俺だけ、何故か不運の魔の手にかからずに済んでいるのか? ってね。
 
その答えは、俺も知らない。今でもな。だがまあ、あのときはラッキーだと喜ぶと同時に、少し気味悪くも感じたな。

 ともあれ、手間が省けてまずいことはない。簡単すぎるからと罠を警戒しなきゃならないようなものでもない。せいぜい、熱心だった弟子候補が、それっきりぱったり姿を見せなくなったと、やがてじいさんを嘆かせるだろうことが気の毒なくらいでね。
 じいさんからは、研究棟には入らないでくれと言われたが、それは無理だ。目当てのものはそこにあるって話だしな。だが、なんのかんのでお人好し、理解者がいなくて寂しかったに違いないじいさんのため、研究やその成果を台無しにしないことだけはひそかに心に決めたよ。
 それから蜘蛛退治だ。やる必要はなくなったんだが、これも礼代わりに、そして研究棟に入り込む詫び代わりに、ちゃんとしてやることにした。
 蜘蛛退治は簡単だった。浅い場所にいてくれたおかげで、翌朝出掛けて半日もかけずに済ませられた。出てきてもまだ昼過ぎくらいだったから、俺はじいさんにその報告をしてからすぐに博物館へ向かうことにした。
 ちなみにじいさん、よくやってくれたともう一本鍵をくれたっけ。年寄り過ぎてボケかかってるのか、それとも、アルゴニアンの見分けがつかなくて、何人かに蜘蛛退治を依頼してるから、別の誰かだと思ったのかま、鍵なんて二本もあっても仕方ないから、新たにもらったほうは去り際、じいさんのポケットに戻しておいた。

ドゥーマー博物館 博物館の前には衛兵が立っていたが、俺が鍵を見せてじいさんから許可をもらったことを告げると、ああそうかとどいてくれた。珍しいものでも見るような目で見られたのは、俺がアルゴニアンだからか、それとも、種族によらずめったに来館者がいないからか。ま、不審がられはしなかったから、それで問題ない。
 展示物はドゥーマーに関する本とよく分からない金属のオブジェが主で、しばらくは見学者のふりをして見て回ったんだが、なかなか面白かったよ。最初に話しかけたときには全然興味なんてなかったのに、たぶん……半年くらいかな。それくらいの間に俺は変わったんだろう。そういや今まで一度もこういったところを見て回ったことはなかったな、なんて思いながらさ。本当にただの見学者みたいに、あれこれ眺めて回った。マルカルスの警備兵がうろうろしてなかったら、もっと楽しめただろうな。
 だがいつまでものんびりはしていられない。見回りのマルカルス兵に「変わり者の見学者」って印象だけ与えて、なにげなく話しかけたりもし、「それじゃあまた寄らせてもらいます」なんて帰るふりをしておいて、俺は素早く鍵を開け、奥、研究棟の扉に滑り込んだ。
 この侵入で俺が自分に課したタスクはこうだ。「必要なもの以外には一切手を出さない」。衛兵たちも含めて誰一人殺さず、誰にも気付かれないように、目的だけを果たすこと。間抜けなじいさんのことが少し気に入ったから、多少ハードルを上げてでも、余計な心労はかけないことにしたんだよ。
 博物館のほうはともかく、研究所はドゥーマーの遺跡の一部を拝借したもので、じいさんの私兵らしい連中はうろうろしているし、ドゥーマー製の罠もある。たがこれらはすべてかわした。奥のほうでじいさんの甥っ子がなにやらしていたのも、近くのバルブを操作して、まあ、ここだけは一人、爆発に巻き込まれた衛兵がくたばっちまったな。ちょっと驚いて見に行ってくれるとか、注意が逸れるくらいで良かったんだが、爆発がデカすぎた。これは明らかに減点要素で、しくじったと思った。

 だがミスに動揺したり、あるいは途中で気分を害されたからって、仕事が荒くなるのは言語道断だ。そういうときに慌てず仕切りなおす平常心ってものは、俺も訓練されていた。と言っても、昔よりは動揺したかな。それまでは他人事だったし、思い入れもなにもなかったから、「ああミスだな。さてどうするか」くらいでどうとも思わなかったのが、あのときは舌打ちでもしたい気分だった。
 だとしてもミスはミス、出た死人はもうどうしようもない。自分が少し慌てたのを自覚して、俺はそれを殺すようにしばらくじっとしていた。それから、じいさんの身内が死ななかっただけ良しとしようと決めて、俺は甥っ子、名前は知らないんだが、その男が衛兵を呼びに行っている間に最奥部に忍び込んだ。
最奥の部屋 そこは大きな……元はなんの場所だったのかは分からないが、もしかするとドゥーマーの偉い奴の居室とかかな。とにかく他に比べても広い部屋で、今はじいさんやその甥っ子が研究室として使っているような様子だった。本棚にはドゥーマー関連の本、書き損じを丸めたゴミ、未使用のロール紙なんかが雑多に置かれていた。
 さて、問題の資料はどこにあるのか?
 俺はてっきり、それは本やなにかだと思っていた。『ファルメルの言語:カルセルモ著』みたいなヤツさ。だが探してみてもそれらしいものはなにもない。ここまででなにか見落としたのか? そんなことはないはずだ。そう思って探してみると、少し高台になったフロアの突端に、デカい石碑が置かれていることに気がついた。
 これはなんなんだと見てみて、俺は心底、どうしろってんだと思った。そこにはガルスの手帳にあったのと同じ文字がびっしり書かれていた。そう。他に探してもなにも見つからない以上、おそらくこれが問題の"資料"に違いなかったんだ。
ファルメル語の石碑 だが石碑なんて持ち運べる重量じゃない。しかもドゥーマーの遺跡だ。石碑は他から持ってきて置かれてるんじゃなく、床と一体化、そのまんま削りだされてるんだよ。
 もたもたしていればすぐ衛兵たちがやってくる。誰一人殺して来なかったってことは、道中にいた全員が来る可能性だってある。
 どうするか。
 考えて俺は、机の上のロール紙を何本かと木炭を掴んだ。
 そうさ。これを持ち出す方法なんて一つしかない。写しとることだ。だが書き写す時間はない。だから俺は、まず持っていたりんごを割ってその果汁を文字の上にすりつけ、木炭で全面を塗りつぶした。その上から紙を当てて強くこすれば、少しブレたりぼやけたりはしたが思いの外綺麗に文字が転写された。鏡文字だがこの際気にしていられない。
 そうこうしてる内に、俺の耳には人の足音、その気配みたいなものが聞こえはじめていた。なのにあと4枚は要る。そんな時間はない。どうする? こうなったら、隅のほうは諦めるしかない。そのあたりが見きれたとしても、全体が分かれば推測できるだろう。俺はエンシルの翻訳能力に賭けて、とにかく真ん中あたり、少しでも多くの文字を写しとるように、大急ぎであと2枚を転写した。
 それが終わるかどうかってときに、扉の開く音がしてばたばたと明らかな足音が雪崩れ込んできた。
 考えすぎでは、なんて言う老けた声に、「あんな事故が偶然起こるはずがない。誰かが伯父の研究を盗もうとしてるんだ」とかキツく言い返す声もすぐそこだ。高台の部分から影に隠れて見下ろすと、衛兵は左右の階段をふた手に分かれてこっちに登ってくる。これじゃ廊下を引き返すのはまずい。いくら俺でも、身を隠すものもないのにすれ違って気づかれないなんて至難だ。
 しかも甥っ子殿は、衛兵だけ部屋の中へと走らせて、自分はドアの前の通路にとどまりやがった。
 だがもう選んでいる暇はない。俺は衛兵が全員、階段を登り切るのを待ってそこから飛び降りた。そして―――さて、どうしたと思う? ああ。もちろん。俺は絶対に殺したりはしてない。犠牲者は一人だけでもう十分だ。なにか投げて物音でおびき寄せた? いや。そんなことをすれば衛兵も戻って来かねないだろ? ……降参か? はは。じゃあ、答えを言おう。
 衛兵に指示を出した甥っ子殿は、憤懣やる方なしって様子で壁際の椅子に腰を下ろそうとしていた。アンタ、椅子に座るときのことをリアルに想像してみな。あるいは今そこで立って、ごく普通に歩いてきて座ろうとしてみればいい。そう。……そうだ。歩いてきて……―――。
 ハッハハハ!! こっちだよ。おいおい、そんなにびっくりしなくてもいいだろ?
 そうだ。普通 人が椅子に座ろうとすると、どうしても視線がその椅子、下に向く。自分が座る場所を確かめないといけないからな。俺はその隙に目の前をすり抜けたんだ。今やって見せたように。

 まあ、お互い座ろうか。話の続きだ。
 こうして俺は、減点1で仕事を終えた。あいにくと何事も起こらなかったようにとはいかず、石碑は炭で真っ黒、りんごの匂いまでするって有り様だが仕方ない。
 俺は念のため、その夜をマルカルスで過ごした。
 いや。逃げ出すのはまずい。いくら帰るふりをして衛兵がそれに騙されたとしても、俺は顔を見られてるし話もしてる。直前に訪れていた来館者が怪しまれるのは当然だろう。
 あそこの宿屋は……シルバー・ブラッドだっけ? なんかあのへんを仕切ってるヤクザの親分みたいなのの名前だった覚えがあるんだが……。幸い、その夜 部屋に衛兵が押しかけてくるようなことはなかった。
 翌日なにげなく砦に行ってみると、じいさんは可哀想なほどおろおろしてカンカンでもあったが、俺のことはさっぱり疑ってもいなかった。どころか、事情聴取に来てた衛兵に、俺のことを盛んに弁護してくれもした。俺は、たしかに昨日、じいさんの許しを得て博物館に行ったが、奥になんて入っていないし、怪しい奴も見なかったと証言した。
 俺の話は衛兵が保証してくれた。人ってのは思い込みに縛られる。そのせいで聞かなかったものを聞き、見なかったものを見たつもりになる。俺は間違いなく帰った、と言ってくれた。それでも念のためにと身体検査や荷物検査はされたが、そんな簡単に見つかるような隠し方はしていない。
 それであれこれ調べられた後は、晴れて天下御免だ。
 俺は堂々と、石碑の写しを懐にウインターホールド行きの馬車におさまった。

翻訳中のエンシル。様になるな フローズン・ハースの地下、エンシルの住処にはカーリアが現れていた。たぶん、どこからか俺の首尾くらいは見ていたんだろう。
 エンシルは写しが完全でないことにはちょっと言及したが、文句は言わなかった。版画みたいに写されてるのを見れば資料がどんなものだったかくらい見当がついたろうし、訳するのに不足はなかったからだろうな。実際あの人はかなりシニカルで、辛辣な口のききようをする人だったからな。嫌味の一つ二つくらい出てもおかしくはなかったんだ。
 俺はカーリアとともに、エンシルがガルスの日記を翻訳してくれるのを待った。エンシルは、たぶん、なかなかすごい学者なのかもしれない。すらすらとファルメル語の日記を読み解いてくれた。
 その日記によると、ガルスはずっと、メルセルが贅沢な生活をしていることを怪しんでいたらしい。で、その金の出どころをギルドそのものだと睨んでいた。つまり、分け前以上のものを勝手にかすめとっていたってことだろうな。それから、「メルセルが"黄昏の墓所"を汚した」とも疑っていたそうだ。
 そう聞いても俺にはさっぱりだ。だがカーリアにはなにか思い当たることがあったらしく、「ナイチンゲールについて書かれているところはなかったか」と尋ねた。エンシルは最後のほうに少しだけあると言い、「ナイチンゲールの失敗」について書かれたところはあるが、たったそれだけだと答えた。
 黄昏の墓所だとかナイチンゲールだとか。カーリアがそれに反応することも含めて俺には意味不明だったし、エンシルも同じだった。だが俺も彼も、今尋ねても答えてくれないだろうことは彼女の雰囲気からなんとなく分かっていた。
 質問は後回しにして、ともかくエンシルは、ざっと読んだ後、カーリアが重要だと見なした部分について対訳のメモを作って挟んでくれた。

 さて、俺たちはこれで一歩メルセルに迫ったのか?
 答えは、イエスでもあり、まだノーでもあった。
 メルセルがギルドの資産をかすめていたことが事実なら、それがガルス殺しの理由に違いない。あるいは理由の一つに。だがガルスの手帳は、決定的な証拠というには弱い。綴られていたのはあくまでも疑惑にすぎず、証拠がないんだ。
 なにより、ファルメル語を直接読める者がいない以上、エンシルの翻訳をでたらめだと言われる可能性だってある。いや、ガルスの手帳自体がカーリアの偽造だと言われるかもしれない。
 手帳の存在も、その内容も、決定打には程遠い。
 だが、ゼロじゃない。
 記述を理由にして現在のギルドの資産管理がどうなっているか、調べてもらうことはできるかもしれない。それが俺たちに与えられた"可能性"だった。
 メルセルの不正は今も続いているはずだ。カーリアにも俺にも、そしてエンシルにも同じ確信があった。不当な手段で、ラクをして上手い汁を吸う。この味をしめたらそうそうやめられるものじゃない。だからメルセルは今も続けているはずだ。マスターなんていう、自分が管理する立場、コントロールしやすく誤魔化しもしやすい立場になったなら尚更だ。
 だから、誰かが「よし、じゃあ調べてやろう」と言ってくれれば、希望はある。
 ん? ああ、まったくそのとおり。アンタの言うとおりだよ。調べたからって、必ずしも不正が明らかになるとは限らない。調べても分からないように巧みに偽装されている可能性だって十分あった。
 つまり、俺たちはまだまだ危険な立場だった。
 他にもっと確実な証拠を探すか? 俺はそのことも考えた。
 だがカーリアはこれに賭けた。
 この中じゃカーリアが一番メルセルって奴のことを知っている。その彼女が、この手帳があれば誰かは話を聞いてくれる、調べてくれる、そうすれば不正が明らかになると信じたんだ。
 だから俺は、腹を決めてその賭けに乗ることにした。

 

【第八章:暴露】

 エンシルは、そろそろ大学に戻る時間だからと地下を出ていった。去り際に、ガルスの潔白を明かしてくれと俺に言い、そして、これからは盗品を買い取ってやると約束してくれた。
 だが実際のところ、エンシルの資本金はポケットマネー程度で高額の売買はできなかったし、宿にいないことのほうが多かった。しかも大学の中へは入学しないと入れない。俺は大学にはまったく無縁で過ごしたから、この後エンシルに会ったのも数回きりだ。だがたまたまでもフローズン・ハースで会うと、必ず歓迎して一杯奢ってくれたよ。俺にはガルスみたいな高尚な話はできなかったが、他愛もない冒険譚なんかを肴に朝まで飲んだりさ。
 おっと、話が逸れたな。俺の感傷はさておき、だ。話を戻そう。

 エンシルが去った後で俺は、なにか考えてる様子のカーリアに声をかけた。
 知りたかったというより、知っておくべきなんじゃないかと思ったんだ。「黄昏の墓所」と「ナイチンゲール」についてな。
 ガルスの手帳には、メルセルが「黄昏の墓所」を汚したとあった。ガルスはそれを、メルセルの不正と並列して、同じく罪のように書いていた。だとすれば、それもまたあいつを追い落とすのに使えるんじゃないだろうか。
 それに「ナイチンゲール」だ。ナイチンゲールっていえば、普通は鳥のことだ。小夜啼鳥。夕暮れの後や夜明け前、真っ暗じゃないが薄暗い時刻に、美しい声で啼くという。たしか別名に、墓場鳥なんてのもあったっけ。当時の俺が知っていたのはその程度のことで、だが話題に出た「ナイチンゲール」は、本物の鳥のこととは思えなかった。それに、『ナイチンゲールは嘘か本当か』とかいう本もあったはずだ。それもまた、鳥のことを書いた本のタイトルには思えない。

 カーリアは俺の知らない2つの単語についてなにか知ってる様子だった。これからの仕事に必要になる可能性があるなら、尋ねない理由はない。
 俺がこの2つについて教えてくれと言うと、カーリアはまず黄昏の墓所について簡単に教えてくれた。
 黄昏の墓所は、デイドラの王の一人、ノクターナルの聖堂だということだった。ノクターナルについては知ってるよな? そうだ。デイドラだが、メエルーンズ・デイゴンなんかほど悪辣じゃなく、盗賊に信奉されることも多い。それなら盗賊ギルドの中でその名前が出てもおかしくはないし、聖域を"汚す"ってのは罪だろう。不法侵入とか、内部でしちゃいけないことをしたとか? 「墓所を汚した」ってのは、なにかそういうことなんだろう。
 そしてナイチンゲールは、そのノクターナルに仕える、そうだな、衛士ってところだ。命にかえてもノクターナルの聖堂を守ると誓ってるとかで、まあつまりはノクターナルの従者にして守り手。
 当時の俺は、そんなところなんだろうと了解しておいた。つまりどっちもノクターナルに関することで、メルセルがなにかすべきでないことをして、それをガルスに嗅ぎつけられた。そしてそれも殺害の理由なんだろうなと。

 もちろん、もっと詳しい話を聞くこともできただろうが、とりあえず俺にはその程度で良かった。
 あとは、行動するだけだ。
 俺とカーリアは次の行動の打ち合わせをした。
 と言っても、できることは限られている。まずはギルドの有力者にガルスの手帳を見せることだ。
 その役目は俺が引き受けるつもりでいた。俺一人でギルドに戻り、ブリニョルフかデルビンあたりに声をかける。そして、ちょっと見てほしいものがあると手帳を見せる。そのうえでカーリアとこれまでの俺の行動について話をする―――。
 だがカーリアはそれを却下した。それでもし信じてもらえなかった場合、俺一人が危険だからだ。
 俺はむしろそのほうがいいと思った。別にナイト精神じゃない。カーリアへの不信や怒りに比べて、そこに加担しただけの俺へのそれらは些細なものだろう。だから攻撃されるとしても、カーリアが同じ状況に置かれた場合よりは確実にぬるいはずだ。それに俺は、ギルドを抜けてよそへ行くことになっても構いはしない。居心地が良くて気に入ってはいたが、カーリアみたいに、どうしてもそこにいたいってわけじゃなかった。……抜けることになったら残念だとは思ったがな。
 俺がそう言ってもカーリアは頑固だった。それに、俺が行ったんじゃ、騙されて利用されていると思われるのがオチだと言われるとたしかにそんな気もした。だが自分が直接現れれば、それはただごとじゃない。普通ならありえないことだからこそ、どういうことだとかえって話を聞きたがるだろう。なるほど、それも一理ある。だが、だからって俺はもうよくやったからここまででいいなんて、それはないよな? だから俺は、それなら二人で行こうと提案した。
 裏切り者だと思われているカーリアが一人で行けば、たしかに何事かと驚いてそのために話ができるかもしれないが、姿を見るなり問答無用で襲われる可能性もある。だが俺が一緒にいれば、いったいどういうことなんだと俺の話くらいは聞いてくれるだろう。
 だがそうは言うものの、実は俺自身は妙な気分だった。だってそうだろう? 他人が俺をどう思ってるかなんて分かるものじゃない。なのに、俺と一緒なら話くらい聞いてくれるだろうなんてさ。他人が俺をそんな……なんていうか、信じてくれている、みたいな。
 ありえないことを口にすると違和感があるって、あのとき初めて……、ん? ああ、いや、ありえないってのは、「彼等が俺を信じていることはありえない」って意味じゃない。「他人の心情を他人が確信するなんてありえない」ってことさ。
 なんにせよ、言いながら本当に落ち着かないような、妙な感覚だった。

 ともあれカーリアは俺の提案を受け入れ、それならラグド・フラゴンで落ち合おうと決めた。ダークエルフとアルゴニアンの二人連れなんて、ノルドだらけの土地では特に目立つからな。メルセルがカーリアの動向に目を光らせていたら、間違いなくチェックされる。
 別れ際、彼女は腰に提げていた剣をはずし、せめてもの礼として受け取ってくれと出して寄越した。
 俺はああそうかとなにげなく手を出しかけて、これは「ナイチンゲールの剣」、元はガルスのものだったと言われ、ぎょっとして手を止めた。
 ほとんど反射的に、そんなものは受け取れないと答えていた。だってそうだろう? その剣はいわばガルスの形見だ。カーリアにとっちゃ、他の剣では替えのきかない唯一無二のものじゃないのか? そんなものを人にやるなんてどうかしてる。普通なら、そんな大事なものは他人を殺してだって自分のものにしておきたいはずだ。
 だが俺が断ると、受け取ってくれないと困るなんて言われた。その言い方や表情が切羽詰まったくらい真剣で、断るなんて選択肢がないことだけは分かった。カーリアの気持ちは、俺には分からない。推し量るにしても、俺みたいな変わった教育受けて育ってきた奴に、普通の人間のものの考えや感じ方なんてな。たぶんアンタのほうが、いろいろと考えられるんじゃないか?
 ん? 特殊な剣だったのかって? いや。ノクターナルの力が込められているとか、そういう特殊なものじゃない。……ああ、いや、そいつは無理だ。いやいや。別に見せたくないわけじゃない。ただ、もう持ってないんだよ。
 返したんだ。ギルドを去るときに、カーリアのところにね。もともと俺は剣を振り回して戦うタイプじゃないし、記念品として持ち歩くには随分かさばる。それに、やっぱりあれは彼女のところにあるべきだ。俺の腰には相応しくない。
 え? ……はっ。そんなことないさ。優しいとか、そういうんじゃない。俺が剣の使い手で、あれが他に二つとないような特殊なもの、かつ有用だったら、返さなかったと思うぜ? だがそうじゃなかった。だから、持ち重りのする剣なんて、あるべきところにあればいい。それだけだ。

カーリアと合流 さ、話を戻そう。
 予定どおり、俺とカーリアはラグド・フラゴンで合流した。貯水池にはギルドのメンバーしか入れないが、酒場への出入りには特に制限はない。来る気があって辿り着けさえすれば、誰だって出入り自由だ。
 俺がラグド・フラゴンに着いたとき、カーリアは外周の、ちょっとした店が入っているあたりの壁に寄りかかって待っていた。だがさすがに、悠々と落ち着いてるって様子じゃなかった。
 俺は酒場のあたりを見やって、デルビンとヴェックスの姿がないことに気付いた。それはまずい兆候だった。あの二人は仕切り役も兼ねているから、必ずどっちかは酒場にいるのが常だったんだ。なのに二人ともいない。それに、酒場のあたりにまで殺気まがいの緊張感が漲っていた。
 カーリアの来訪には気付かれてる。間違いない。
 だが、見方によってはこれは希望の証とも言えた。カーリアが現れたことを知りながら、襲いかかっては来なかった。つまり、最低の裏切り者がのこのことなにをしに来たのか、話を聞くつもりがあるってことだ。
 ただし、その話し合いの場が貯水池になったのはまずかった。あそこはギルドメンバーの生活の場だ。万一のときには"敵"になる奴に囲まれることになる。
 だから俺たちはできるなら、まずは酒場でデルビンにだけ話をしたかった。彼は年が年だから結論を急がない。それに、戦闘の腕前はあまりよろしくないらしい。だからまず彼に話を聞かせ、信じてもらえたなら他の連中へのつなぎを頼む。そしてもしこじれたとしても、彼にだけ対処すればいい。対処って言っても、俺じゃなくカーリアの計画だから殺したりはしない。昏倒させて逃げ出すとか、そういうことさ。
 だがそうこちらの望みどおりには進まなかった。ま、仕方ない。ここはもう覚悟を決めて行くしかない。
 俺が先に行こうとすると、カーリアは急に腕を掴んで引き止めた。なにかと思ったら、
「なにがあっても、お願い、誰も殺さないで」
 だとさ。今でもその声、言いようを思い出せる。あの目も。最悪の場合、自分が殺されてもいいから、誰も殺さないで。俺にはそう思えた。
 俺は彼女の手を軽く掴んで放させ、頷いた。誰も殺すなだなんて、俺に言うべき台詞じゃない。それに、俺が聞くべき台詞でもない。だがそのときの俺はカーリアの意思の代行者だからな。彼女がそう言うなら、それに従う。おおせのままに、ミ・レィディ、だ。

 それに―――少し脱線してもいいかな? いや、さっきからたびたび脱線してる気もするが。
 まあ、アンタの聞きたいのがカーリアと盗賊ギルドの物語ならこのまま先を続けるよ。だがもしアンタが、俺という登場人物に興味があるなら、少し描写を付け加えてもいいかと思ってね。
 ……そうかい。じゃあそうしよう。
 このときの、俺の気分のことだ。
 俺はカーリアから、誰も殺さないでくれと懇願された。だからなにが起こっても、ギルドの奴等を殺して逃げるつもりはなかった。
 だが、強く言われたからこそ考えた。「もしこんなふうにカーリアに止められていなかったら」、と。
 もし逆に、「話がこじれて襲われたときには殺して構わない」、そう言われていたら俺はどうしただろう。もちろん、そのほうが簡単に逃げられるんだからそうするだろう。だがそれは、平気なことなんだろうか?
 あいにく、そんなに広い場所でもないんでね。そんなことをゆっくり考えて、想像し、結論が出るほどの時間はない。だからこの結論は、もっとずっと後になって考えて、たぶんこうだろうと思ったことだ。
 もしこのとき俺に不殺の依頼がなく、戦闘になったら、俺はたぶん、そこにいる誰でも殺した。敵に回るなら仕方ない。それくらいでな。たとえ残念には思っても、躊躇うことはなかったはずだ。
 このとき俺は、たぶんだが、ライン上にいた。できるだけ殺したくないって気持ちはあったとしても、いざとなれば誰だろうとあっさり殺し、事が済めば忘れていける。多少残念には思っても、翌日には笑って馬鹿話をしてる。そんな側と、そうではない側。そのライン上だ。
 だが"幸い"と言うべきか、それとも逆に"あいにくと"と言うべきか。カーリアは俺に殺戮を禁じた。ギルドの奴等を傷つけたくなくてね。
 そのカーリアの願いのせいで、俺は否応なく"片方の側"に引き寄せられ、逆に行くことを禁じられた。そして……おっと、この先は、ちゃんと次の展開として語らなきゃな。

 貯水池へと通じる、酒場の脇の隠し扉。それもその日は閉まっていた。
 戸棚を模した隠し戸を押し開けて通路に入ると、そこにあるのはもう緊張感じゃなく殺気だった。カーリアの足が一瞬止まるのを、俺は背中で感じた。だが今更 引き返せない。それに俺は当事者じゃない。カーリアと手を組んだ同類だと見られているとしても、言ったとおり、そのときの俺はライン上で、これきり敵味方になったとしても、まあ仕方ない、その程度だ。
 だから俺は躊躇わず先に進み、ドアを開けた。
 物々しいお出迎えだったよ。
 ブリニョルフ、デルビン、ヴェックス。それからバイパーやルーン、ニルイン、サファイア……まあつまり、酒場にいたマスターとトニリア以外全員だ。
 ブリニョルフは仁王立ちで、ヴェックスの利き手は腰の剣にかかっていた。だがやはり襲いかかってくることはなく、いったいどういうことだと詰問された。
 詰問の相手は俺かカーリアか、どっちだったのかは分からない。だが俺はオマケだ。なんでおまえがカーリアといるんだなんてことは、後回しでいいだろう。俺がカーリアを軽く振り返ると、彼女ははっきりと一つ頷いた。
 俺は前に進み出て、ガルスの手帳をブリニョルフに差し出した。
「これはなんだ」
 ブリニョルフが言うのに、カーリアが答えた。
「真実よ」
 ってね。

 ブリニョルフが手帳に目を走らせる間、俺はいつでも動けるようにと体をラクにし待っていただけだが、カーリアはどうだったのかな。覚悟を決めて落ち着いていたのか、それともどうなるかと不安と緊張に苛まれていたのか。
 幸い……そう、これこそ"幸い"って言葉が相応しい。幸いブリニョルフは、事実を確認するため金庫を開けるという、極めて理性的な判断をしてくれた。
 それは手帳の内容を信じたからじゃない。彼は、というか彼等は、カーリアよりはるかに強くメルセルを信じていた。だからとても信じられはしないが、堂々とここまで乗り込んできてこんな嘘をつくってのは、大胆にも程がある。だったら、なにかを確かめてからでも遅くはない。そんなところだろう。
 カーリアはどうか知らないが、俺にはこの先が本当の山場だった。何事もなかったら、いったいどういう展開になるのか。開いた金庫の中に俺が見るのは、どんな光景なのか。一見しては何事もない中身、詳しく調べてみるブリニョルフたち、だが不正の形跡はまるでない……。そうなったら、カーリアはどうするのか。
 金庫は貯水池の奥だ。巨大な扉で、デカすぎて俺は最初、ただの壁だと思ったくらいだ。
 向かいながらブリニョルフは、不正をしようにもできるはずがないと言った。なぜならその金庫は、開けるのに2つの鍵が必要だからだ。そして鍵は、マスターであるメルセルと、幹部であるブリニョルフ、デルビンがそれぞれ1つずつ持っている。よって、ブリニョルフかデルビンかを抱き込まないかぎり金庫の中には入れないことになるし、そしてもちろん二人ともそんな不正に手を貸したことはなく、鍵をなくしたこともなかった。
「こいつは特注品でな。1本だけの鍵で無理やりこじ開けるなんて不可能だ」
 そう言いながら、デルビンが扉に近づいた。
 そのときだ。ヴェックスとバイパーに挟まれて俺の脇にいたカーリアが、突然 閃いたみたいにこんなことを呟いた。
「メルセルは鍵をこじ開ける必要なんてなかったんだわ」
 どういうことだ? 2本の鍵を一人で持っていたってことか?
 カーリアの言葉の意味を考える間もなく、まずデルビンが鍵を回した。だがまったく開く気配はなかった。そして次にブリニョルフが扉に近づき、鍵をさし、回し、そして扉が開いた。
 そしてブリニョルフは大声で叫んだ。
「なにもない! なにもかもなくなっている!」
 と。

空っぽの宝箱ばかりが並ぶ 俺たちはブリニョルフに言われるまま貯蔵庫に踏み込み、すべて空っぽになった宝箱を見た。
 ガルスが懸念していたとおり、そしてカーリアが信じていたとおり、メルセルはギルドの財産を私物化していたんだ。
 しかも、痕跡を隠そうなんて気はまったくなくなっていた。
 そんな有り様を目にし、ヴェックスは怒りに駆られて剣を抜いた。ブリニョルフはすかさず、冷静になれと諭した。
 ブリニョルフはやっぱり切れる男だし、頼りにもなる。それに信頼もされている。これからどうするかは俺が決めるから、それまでは勝手に動くなと釘をさすと、デルビンとともに金庫を出て行った。
 俺はゴールド一枚、宝石一つ残っていない貯蔵庫を見ながら、メルセルの腕には舌を巻いていた。
 持ち逃げをやらかしたのはつい最近のはずだ。最後に金庫を開けたのがいつかは知らないが、まとまった蓄えができるたび、ブリニョルフやデルビンがここに入っていたはずだからな。少なくともそのときには、不正はしていたとしても分からないように偽装されていたことになる。
 だからおそらくは、カーリアが現れた後だろう。しかも始末したはずの俺が生きていて、カーリアのために動いている。もう猶予はない、露見するのも時間の問題だと見て、根こそぎかっさらって姿を消したに違いない。
 どんなものがどれだけの量あったのかは知らないが、あれだけの宝箱に保管されていたとしたら、とても一度で持ち出せはしないだろう。
 俺は息巻いてるバイパーに、最後にメルセルを見たのはいつだったかと尋ねてみた。だがこいつは「そんなこと今どうでもいいだろう」なんて短絡思考で、仕方なくルーンに聞いてみると、
「君と二人で、なんとかいう墓へ行くのを見送ったのが最後だったよ」
 そう言うんだから、雪帷の聖域で俺の腹に剣を刺した後、何度かに分けて忍び込み、宝を持ちだしたんだろう。だがここはボンクラな金持ちの家じゃない。盗賊ギルドだ。その中枢に、うろうろしている盗賊たちに気付かれもせず忍び込んで盗みを働くなんて、尋常な腕じゃない。
 俺にできるか? やってやれないことはない。だが何度も繰り返すとなったら、完璧にやりおおせる自信はない。他の何人かにも聞いてみたし、ルーンも、俺が知りたいならと気を利かせて同じように聞いて回ってくれたんだが、その誰もが、このひとつきほどはまったく見ていないとのことだった。
「誰もおかしいと思わなかったのか?」
 ルーンに聞くと、
「ああ。仕事の下見やお偉いさんとの打ち合わせで、しばらく留守にすることもあるから。さすがに今度のは長いなと思ってはいたけど、まさかこんなことになってるなんて」
 無理はない。
 ……そういやルーンはこの後で謝ってきたっけ。俺が裏切り者のカーリアと一緒にいる、万一のときには覚悟しろ。そんなふうに言われたとき、なにかわけがあるはずだと思ってもなにも言えなかった。"勇気のない自分が嫌になる"。……そんなことはなかったんだが。

 まあいい。
 ともかく、これでメルセルの不正は明らかになった。誰の目にもだ。それはすなわち、カーリアの言葉が真実であると証明されたってことでもある。だが仕事はまだ終わりじゃない。カーリアの依頼は、ギルドへの帰還と、メルセルの断罪だ。しかし2つめのそれは、もう俺が請け負った仕事じゃなかった。幻惑は破れ、メルセルは今やギルドの敵だ。
 からっぽの金庫の中、ニルインやルーンたちと話していると、サファイアがやって来てブリニョルフが呼んでいると教えてくれた。
新たなギルドマスターにぴったりなんだが ブリニョルフは、緊急時にはマスターの代理になるように決まっていたんだろう。彼は広げた台帳や書類の乗ったデスクに手をついていた。
 そこで俺が言われたのは、メルセルの屋敷に忍びこんで、行き先が知れそうなものがないか調べてこいってことだった。
 ブリニョルフは一見いつもどおりで、離れていれば怒っているようには見えなかっただろう。だがすぐ前に立った俺には、彼が激怒しているのが分かった。顔色も白かったし、抑えこんだ怒りのせいで無表情なんだよ。いつもは笑ってるにせよ怒ってるにせよ、なにか飄々とした表情のある奴なのにな。
 それになにより、邪魔する奴がいれば殺して構わん、なんて言葉が、ブリニョルフの怒りを如実に表していた。不殺が原則の盗賊ギルドで、メルセルに加担している奴は誰であれ殺していいなんて、怒りの程が知れるじゃないか。

 俺には彼等のような怒りはない。騙されて殺されかけたことは腹立たしいが、裏切りなんてよくあることだし、自分が馬鹿だっただけだ。だが「殺してもいい」ってのはありがたい。そのほうが俺にとって、仕事はずっとラクになるからな。
 メルセルの屋敷は同じリフテンにあるとのことだった。大通りに面したリフトウィールド邸ってところで、元の住民を追い出した後、メイビンから贈られたものらしい。
 普段から住んでいたわけじゃないらしいが、ギルドから宝を持ちだしてからどこかに移す、あるいは売却するまで、一時的な保管場所にそこを使っていた可能性は高い。調べればなにか手掛かりが残っているかもしれない。
 だがそこにメルセルは番犬を一匹飼っているという。たしか、ヴァ……ヴァーク? いや、ヴァ……ヴァルド、だったかな。まあそういう名前の脳みそまで筋肉でできたゴツい男で、腕っ節だけなら相当なものらしい。
 ヴェックスの話によると、そいつは金さえあれば動くということだった。メルセルに雇われているのも金、だから金次第ってことだろう。ただしはした金じゃなく、一財産ほども必要だとか。だがメイビンに借金があるから、それを帳消しにすると持ちかければなんとかなるんじゃないか。そういう話だった。
 だがそんな手間、なぜかける必要ある? あんなばあさんと何度も話したいわけもないし、まず間違いなく代わりになにかしろと言われるに決まってる。殺していいとブリニョルフからOKが出てるんだ。俺は当然、手っ取り早い方法を選んだ。腕っ節なんて、な。殴り合いや殺し合いにどれほど強くても、俺には無意味さ。

 屋敷の中にはメルセルが雇ったらしい賊がたむろしていたが、問題ない。
 だがメルセルの手掛かりはそう簡単にはいかなかった。地下まで調べてもそれらしいものは見つからない。見落とした部屋があるのかと地下から二階までもう一度調べたが、間違いなくすべての部屋をチェックしてあった。
 ここに手掛かりはないのか? もちろんその可能性もある。だが俺には、メルセルがそういう奴には思えなかった。あの金庫。宝箱の蓋まですべて開けられて、一目見れば空っぽだってことが誰の目にも突き付けられる有り様だった。なぜ閉じておかなかった? その時間もないほど急いでいたというなら、そのとき持ちだした分の箱だけだろう。つまりあれは、俺たちに見せつけ嘲笑うための演出だ。だったらこの屋敷にも奴は意図的に手掛かりを残し、追ってきてみろと俺たちを笑ってるんじゃないか?
 俺は今までに調べたものを思い返し、からっぽのタンスに目をつけた。からの戸棚やタンスなんてものも、ないとは言えない。だが「なんだからっぽか」ってことが、実際の家の中でどれくらいあるだろう。たとえそれが、普段住み暮らしている場所ではないにしてもだ。
 そう思ってもう一度調べ直すと、その背板は横へずれるようになっていて、背後に新たな通路が見つかった。
メルセルの計画書 大袈裟な罠までかけてのご歓迎だが、どうということもない。
 辿り着いた部屋には宝石や稀少本、それにちょっとした剣なんかもしまい込んであった。たぶんメルセルの集めたものだろう。それから誰かの胸像。どれもこれも、メルセルにとっては置いていっても惜しくもないものだろうし、俺にとっては金になる以外のなにかじゃない。
 肝心なのは一枚の地図だった。テーブルの上に置かれた羊皮紙で、彫像らしきものの絵と、どこかのダンジョンが描かれていた。おそらくこれだ。
 俺はここにいる、追ってきてみろと言いたいのか。それとも、残しておいたところで俺たちの追跡より早く目的を遂げられるという自信があるのか。
 なんにせよ、これが手掛かりのはずだ。俺はその地図と、それからその部屋のめぼしいもの、ごっそり懐にしてギルドに戻ることにした。

 

【第九章:ナイチンゲール】

 メルセルの屋敷、その秘密の地下室には、実はもう一つ隠し通路があった。
 それは小さな落とし戸で、開けてみると僅かに灯りも見えるし、地面まで大した高さもない。どこへ通じているかは分からなかったが、そこにもなにか手掛かりがあるかもしれないと、俺は降りてみることにした。
 大人一人がぎりぎり通り抜けられるくらいの狭い竪穴で、高さは3メートルくらいか。飛び降りてから見上げると、ロープかなにかなしでは戻れそうにない。そして、降りた場所からこの穴は、あると知らなきゃまず見つけられないよう巧みに隠されていた。
 どこへ通じているかはすぐに分かった。アンタには今まで話したことはなかったと思うが、ラグド・フラゴンからは、町に通じるラット・ウェイ、それから貯水池へ通じる隠し通路の他に、もう一つ出口があってな。その先は、乞食ってよりも、頭がおかしいような連中が住み着いた古い地下道で、名前はなんて言ったっけな……。すまんが忘れちまった。俺も入ったのは数回くらいでね。ギルドに慣れない頃、貯水池に行こうとして間違って入ったんだ。一度だけ探索したこともあったが、いるのは言ったとおりおかしな奴ばかりだし、俺を見ると襲ってくる奴もいるしで、それっきり入ることはなかった。
 俺が出たのは、その地下道だったんだ。
 それがメルセルの屋敷に直接通じてたんだから、人知れず出入りするのは、俺たちが思っていたよりもいくらかラクだったに違いない。だとしても酒場・貯水池の分岐点に程近い出入り口だからな。見られる可能性は大いにあって、メルセルの隠密、潜入の腕前を疑うほどのものじゃなかった。

 俺はそっちからギルドに戻り、この隠し通路のことも含めてブリニョルフに報告した。
 俺が持ち帰ったものはいろいろあったが、宝石とか貴金属は駄賃に持っていけばいいと言われた。ギルドに納品したのは胸像くらいだ。付呪のされた剣も、たぶんそう珍しい物じゃなかったんだろう。俺の取り分になった。
 重要なのはやはりあの地図だった。それを見てブリニョルフはすぐさまメルセルの狙いを察した。
 それは「ファルメルの目」ってお宝で、かつてはガルス秘蔵の計画だったらしい。
 「ファルメルの目」ってのは、ファルメルがまだスノーエルフだった頃に作られた彼等のお宝なんだそうだ。人の頭ほどもあるバカでかい宝石でな。今の俺はもうそれを見たから事実だと知ってるが、話を聞かされたあのときには、どこか眉唾に思ったね。だがなるほど、ガルスがファルメル語を身につけたかったのは、このお宝のためだったに違いない。だがメルセルの裏切りに遭い、ガルスは死亡、計画は頓挫したってことだろう。
 しかしメルセルが今更「ファルメルの目」を狙う理由は分からない。いや、大した金になるお宝だってのは間違いないが、分からないのは「なんで今更」って部分さ。ガルスの死からは25年。計画のことはブリニョルフも知っているくらいだから、メルセルが知らなかったはずはない。ガルスが死んだ後はマスターになり、好きに采配もできた。なのに、25年間なにもせずにいて、なぜ、今になって?
 考えられるのは、探索に欠かせないなにかを最近になって手に入れた可能性だ。それをギルドで探させなかったのは、宝を独り占めするためか?
 気にはなったが、理由なんて俺には関係ないし、そんなことを考えるのは俺の役目でもない。肝心なのは、メルセルの向かった先が判明したことと、そして、まんまと宝を手に入れて高飛びさせないためには、悠長にしてはいられないってことだった。

 俺とブリニョルフはカーリアのところへ急いだ。その短い間に、ブリニョルフはざっと、カーリアへの補償を取り決めたと話してくれた。今まで追い回し、安息を奪ったことへの償いはすると、ギルドとして約束したらしい。俺は、なんでそれを俺に言うんだって気はしたが、黙って聞いておいた。まあ一応は、そんなことどうでもいいとは思っていなかったし、それならカーリアも喜ぶだろうとくらいは思ったしな。
 カーリアは訓練室にいた。俺がメルセルの屋敷に行って帰ってくるのにかかった時間は、そうだな、2時間てところだっただろう。25年ぶりに戻ったアジトを堪能するには短い時間だ。狭くて殺風景な訓練室だって、懐かしかったか、それとも、カーリアがいた頃にはなかったものだったのかもしれない。俺たちが入っていったとき、カーリアはなにかしみじみと眺めているような様子だった。
 だがこっちに向き直ったときには、引き締まった追跡者の顔になっていた。
 ブリニョルフは、俺が持ち帰った地図から分かったことをカーリアに伝えた。そして、追跡は俺たち三人で行うほうがいいだろうと提案した。
 それには俺も賛成だった。行き先は……あ〜、すまん。ド忘れだ。なんて名前だったっけな。ドゥーマーの遺跡なのは間違いないんだが。まあとにかく、奥へ進むのでさえ苦労するような入り組んだ遺跡だ。大勢で押しかけたって、無駄な死人・怪我人が出るに決まってる。
 カーリアは三人で追跡するという意見には同意したが、出発の前には準備が必要だと言った。
 これには俺もブリニョルフも少し驚いた。行き先さえ分かれば俺たちはすぐ出発するつもりでいたし、実のところブリニョルフは手下に命じて馬の用意までさせていた。なのに、一番急ぎたいはずのカーリアが寄り道を提案したんだ。
 たぶん、落ち着いて見えてもブリニョルフは相当頭に来てたんだろうな。騙されてた年月でいえば20年以上だ。自分自身に腹が立つとかいうのもあったかもしれない。だから珍しくイライラした様子で、いったいなんなんだ、急ぐんじゃなかったのかとカーリアに詰め寄った。
 彼女は、仮にもメルセルは「ナイチンゲール」の一人、十分な準備をして挑まなければならない、それ以上のことはここでは話せないと答えた。
 それにもブリニョルフは軽く食って掛かったよ。メルセルの腕は知ってるが、俺たち三人を合わせたほどじゃないだろうってね。カーリアはきっぱりと首を横に振った。そしてほとんど触れるくらいにブリニョルフに近づいて、今のままじゃ太刀打ちできない、「ナイチンゲール」って肩書は、決してお伽話や虚仮威しじゃないんだと、ごく小さな声で付け加えた。

 さっきも言ったし、アンタだって別に俺に聞かされないまでもうっすらと知ってたとは思うが、ナイチンゲールってのはノクターナルの衛士のことだ。
 俺にとっては、そんなものがいると聞かされても「へえ」だったし、メルセルがそうだと言われてもやっぱり「へえ、そうなのか」くらいだった。そんなに大したものには思えず、だから、存在するってんならそうなんだろう、って感じでな。
 だがブリニョルフにとっては、ナイチンゲールってのはつまらない与太話、さもなければ伝説だった。
 黄昏の墓所とか、ノクターナルへの忠誠とか。盗賊ギルドに住み暮らして長ければ、誰だって耳にする話らしい。だがほとんどの奴は本気にしない。ブリニョルフに言わせれば、そんなものは若造や新米を脅すための法螺話だ。
 だがその一方で、実は本気で笑い飛ばすこともできない。なにせデイドラ自体は実在するんだからな。だから、万一 本当にナイチンゲール、ノクターナルに選ばれた盗賊なんてものが実在するとしたら、それはたぶん、自分たちとは完全に格の違う存在、盗賊世界の英雄さ。
 だから、バカバカしいお伽話だと笑い飛ばして相手にしないと同時に、しかしもし本当にいるとしたらと恐れてもいる。そんな感じらしい。
 カーリアは、
「ナイチンゲールは実在するわ」
 そう言った。そして、それ以上の詳しいことは現地で話すから、リフテンの近くにある大立石で落ち合うことを俺たちに約束させ、音のない風みたいに去っていった。
「お嬢がああいうなら、行くしかないか」
 ブリニョルフにもそれ以上の追及は無理だった。なにより、この戦いは誰よりもまず彼女のものだからな。それに、カーリアの様子は真剣ってより深刻で、とても拒めるものじゃなかった。
 俺はブリニョルフがどう考えたって自分より年上の相手を「お嬢」なんて呼ぶのが妙で、そのあたりの理由も聞いてみたかったが、ま、急場にのんきに聞けるようなことでもない。個別に動いたほうがいいだろうと言うブリニョルフに従い、彼ともそこで別れた。

 目印にした大立石は、リフテンの南東門を出て道なりに行き、脇の山道へ入ればいいとカーリアは言っていた。
 南東門ってのは、…………、あ、いや。ちょっとな。思い出したことがあっただけだ。この話には関係ない。
 南東門ってのはギルドの裏口にもほど近い出入り口で、市場とか商業施設からはだいぶ離れたところにある、まあいわゆる裏門だ。リフテン自体がスカイリムの南東の端にある町で、その南や東っていったら人馬が越えられるような山じゃない。つまり、裏門から出入りして行ける場所ってのはごく限られていて、住人でさえめったに使っていなかった。傍にあるのはボロい孤児院くらいで、そいつらだって別に使っちゃいなかっただろう。
 にも関わらず、衛兵はいつも二人、昼夜を問わず律儀に詰めててな。状況が状況だから、できれば人に見られたくはない。無関心に通り抜けさせてくれればいいが、顔見知りになっていればなっていたで話しかけられることもあるし、時にはタチの悪い奴に絡まれることもある。とすると、門番の目をかすめて裏門から出るか、それとも湖を泳いで渡るか、あるいは表門から出てぐるっと回り込むか。手っ取り早いのは最初のヤツだ。幸い、夕方の交代時間 間際で二人ともくたびれてたから、目を盗んで外に出るのは難しくなかった。
 カーリアの言っていた脇道については、あんまり詳しい説明はしないでおくよ。一応は秘密の場所だしな。ともかく、俺は無事に目当ての道を見つけ出し、登っていった先の巨大な黒い石の前に二人を見つけた。
 カーリアは先に立って岩の合間を歩きながら、質問があるなら、回答は一度でいいように二人まとめてどうぞと言った。たぶん、先に着いたブリニョルフがあれこれ聞こうとして、俺が来てからだとおあずけでも食らってたんだろう。
 俺はノクターナルとナイチンゲールについていくつか質問した。部外者がただなんとなく知っていることと、カーリアが知っていることにはかなりの差がありそうだったからだ。つまり、エンシルのところでざっと聞かされたことなんて、ほんのサワリじゃないかと思ったのさ。
 重なりあう木々とか岩陰に巧みに隠されていた入り口に辿り着き、中に入るくらいまでの間に俺が聞いたのは、ざっとこんなことだ。

 盗賊たちの中に、ナイチンゲールと呼ばれノクターナルに仕える者がいるのは事実だった。で、25年前、ガルスとメルセル、カーリアは、「ナイチンゲールの三人衆」としてノクターナルに仕えていた。
 ノクターナルが司るのは、いわゆる「運」ってヤツだ。というか、彼女の気まぐれが、俺たちには「運」として作用するって感じかな。手に負えないような錠前を簡単にこじ開けちまったり、ちょろい相手からスろうとして手を伸ばすや否や見つかったり。そういうラッキーとアンラッキーに、ノクターナルの力が働いているらしい。盗賊がノクターナルにあやかろうとするのは、ま、ラクして金を手に入れるのと同じだ。ラクして幸運を手に入れようって魂胆なんだろう。
 だが、おっと、その前にだ。「運」って言えば、忘れてないよな? ギルドがここのところずっと不運に見舞われてたってことを。それをデルビンは「不可知の存在」によるものだと言い、ヴェックスはただの「運」だと言った。けどそれは、言葉こそ違えど実のところどっちもノクターナルを示す。つまり二人とも、同じもののことを言ってたわけだ。
 それなら、ギルドの不運と凋落はノクターナルのせいとも言える。とすると問題は、なんでノクターナルがギルドに不運ばかりもたらすようになったかだが、……そう。俺もそう思った。ガルスが書いてたあれだ。メルセルが黄昏の墓所を穢したっていうヤツな。それがノクターナルの怒りを招いたからか?
 俺がそう言うとカーリアは、否定こそしなかったがなんだか考えるような顔をして、それについてはもう少し後で話すと言って先を続けた。
 ともかくノクターナルは存在し、しかもカーリアたちナイチンゲールには接触さえする。だが彼女はあくまでも、なんていうか、取引相手って感じらしい。ノクターナルは信仰を求めない。供物も求めないし、神官もいない。説教もしない。ただ、幸運には代価を求める。ナイチンゲールとの間にあるのは信仰と庇護じゃなく、特定の働きをすることとそれに対する報酬みたいな関係ならしい。
 ってことはつまり、彼女を信じ崇め奉ってたって実はなんの恩恵もなくて、大半の盗賊は無駄なことをしてるんだ。ノクターナルからなにかもらいたかったら、彼女が求めてもいない信仰心なんかじゃなく、別のなにか、求められるものを差し出さないといけないし、その契約ってのは誰でもできるわけじゃない。で、その限られた契約の相手が、ナイチンゲールってわけさ。

ナイチンゲールの鎧を得たのはここだ そんな話をしながら、俺たちは「ナイチンゲールの間」とか呼ばれてる洞窟に入っていった。
 ブリニョルフは、ここのことをギルドに入ったときに聞かされたが、伝説だと思っていたと言った。カーリアは、ナイチンゲールがつくり話だというのは、あれこれ詮索されないために意図的に広められた話だと答えた。
「で、なんで俺はこんなところにいるんだ?」
 ブリニョルフはそう言った。たぶん察しはついていたんだろう。だが信じられなかったのかもしれない。その点、ギルドに入って長くない俺は、ナイチンゲールってものの重さをあまり感じていなかったから、もっとあっさりと予想していた。
 ナイチンゲールであるメルセルに対抗するためには、俺たちもナイチンゲールになれってことなんじゃないかってな。
 ナイチンゲールが実在し、本当にノクターナルの加護……っていうか、働きに対する報酬として与えられる特権だな。それを与えられてるとしたら、そいつらはただの腕利きの盗賊以上のなにかだ。メルセルがナイチンゲールとして特殊な恩恵を得ているなら、俺たちもそうならないと太刀打ちできないのかもしれない。だから、回り道をしてでもここに寄る必要があった―――。
 って、おいおい! 納得するなよ! アンタ……記者って言ってたけど、お人好しなのか馬鹿なのか。いやまあ、俺も一瞬は納得しかけたがね。
 だが変だろう? メルセルは聖域を穢した張本人なんだぜ? そのせいで、ギルドが不運に見舞われたんじゃないかと思われる。だとしたら、なんで一番罪深いはずのメルセルが、今もまだノクターナルの加護を持ってるんだよ? そんなの真っ先に取り上げられてしかるべきじゃないか? だろう?
 俺も気付いたが、ブリニョルフもそれに気付いた。メルセルにはもうナイチンゲールの力みたいなものはないんじゃないかと彼は尋ねた。
 だがその答えを聞く前に、俺たちはちょっとした中継地点に辿り着いていた。

ナイチンゲールの鎧。俺の鼻面の行き先は聞くな そこにあったのはナイチンゲールの鎧ってシロモノだった。
 ノクターナルの加護ってほどじゃないが、これだけの付呪を揃えるとしたらなかなか大変だって裝備一式だ。盗賊向きの付呪だけじゃなく、暗殺にも向いたような付呪がされててな。俺にはお誂えだ。
 これを身につけて誓約の儀を行えば、俺たちはノクターナルの使徒、ナイチンゲールとして認められるという。
 ブリニョルフにとっては、与太話か伝説だったものがどんどん目の前で現実になっていくんだ。後になって、悪い夢でも見てるんじゃないかと思ってた、なんてこぼしてたっけな。それでも彼は夢想家じゃないから、条件ってものが気になってた。メルセルを破滅に追いやることには大賛成でも、加護やこんな鎧をタダでもらえるわけはない。ノクターナルが女神サマってより取引相手だっていうなら尚更だ。
 ブリニョルフがそう言うと、カーリアは、ナイチンゲールになる代償は黄昏の墓所の守護をすることだと言った。しかもそれは、死した後も、だ。
 そう聞いてちょっと待てと思ったのは、俺だった。そのときまではへーほーふーんくらいだったのが、さすがにそれはちょっと待てってね。
 ブリニョルフは、根っからのって言うと変だが、ともかく長いこと盗賊として盗賊ギルドで生きてきた。だから、ナイチンゲールってのがたとえ伝説だろうと、そんな人生の延長線上にある。より優れた盗賊になる代償が死後もナイチンゲールであること―――大雑把に言えばそんなもんだ。そういう条件なら、飲めないでもないだろう。
 だが俺は違う。盗賊をやってるのは成り行きだ。もちろん、あの時点の俺はとりたてて他の生き方なんて考えちゃいなかったが、それでも、このまま一生盗賊をやるつもりはなかった。なんとなくだが、いつかどこかで出て行く……理由はともかく、いつかは出て行くような気がしてた。それなのに、ナイチンゲールになればこの後ずっと、死んだ後まで盗賊って生き方に縛られることになる。それは考えものだ。
 だが、ブリニョルフとカーリアには、俺が「根っからの盗賊」、「これが天職」みたいに見えてたんじゃないかな。このままずっとギルドにいて盗賊ライフを楽しんでいく、みたいなさ。
 さすがにこれは迷った。手を貸すくらいならともかく、死んでまで盗賊稼業、ヘタすると墓守みたいな立場に縛られるのは御免だと、断るかどうか。
 かなり迷った。真剣にな。だが、長いことは迷わなかった。
 だってなぁ。他にああしたいこうしたいって、決めた生き方があるわけじゃない。なとんなく盗賊やってて、なんとなく楽しくて、今は満足してる。もちろん、いつかはそうじゃなくなって、出て行きたくなるときが来るのかもしれない。だったら、そのときはそのときだ。契約を破ったらどうなるかは知らないが、どんな人生も最悪 死ねば終わる。死んだ後も墓所を守れってのと同じ理屈で、契約を破って死んだらやっぱりなにかあるのかもしれないが、そんなこと俺に分かるわけもないし、案外なにもないかもしれない。俺は、分からないことであれこれ無駄に悩まない主義でね。
 それに、……正直に言えば、あの場で「そんなのは冗談じゃない、ここから先は御免だ」とか言って、カーリアとブリニョルフを失望させるのは気が進まなかったんだ。
 だから俺は、なるようになる……いや、もうどうにでもなれって気分で、ナイチンゲールの鎧を受け取って身につけ、歩き出したカーリアとブリニョルフについていった。

ノクターナルへの謁見 半分人工の洞窟の一番奥は、泉に足場をいくつか残したような広い空間になっていた。
 俺とブリニョルフはカーリアに促されるまま、その「儀式の間」の足場の一つに立った。カーリアも別の足場に立って誓約の祝詞を唱えると、広間の中央に青白い光が出現した。そして優雅な女の声が広間全体に響き渡った。
 俺にはそれが本物なのかなにかのトリックなのかよく分からなかったし、ペテンみたいに感じられなくもなかった。だがカーリアは厳粛な調子でノクターナルに許しを乞い、汚名返上の機会をくれるよう訴えた。
 だがノクターナルは冷たかった。おまえは既に自分の所有物だというのに、差し出せるものなどなにもなかろうと言うんだな。
 まあ、このへんは茶番だよな。わざわざ言わなくても、新参者が二人、ナイチンゲールの装束に身を固めて突っ立ってるんだから分かって当たり前だ。それでもノクターナルはわざと問いかけて、カーリアの返事、そういう茶番のやりとりを楽しんだんだろう。
 汚名返上の機会をもらう代わりにカーリアが差し出した代価は、俺とブリニョルフだ。新たな使徒、ノクターナルに仕える従者を二人連れてきたと彼女は言った。
 ノクターナルはその条件を受け入れた。声からしか判断はつかないが、メルセルに復讐するために力がほしいってのを面白がってるように聞こえたよ。

 こうして俺とブリニョルフはナイチンゲールになり、カーリアはやっと、メルセルの犯した罪について俺たちに話してくれた。
 彼女がここまで俺たちになにも言わなかったのは、物が物だからだ。これは、ナイチンゲール、つまりノクターナルの従者、彼女の所有物にならなきゃ教えられない究極の宝、デイドラの秘宝の話でな。―――俺がそれをアンタに話すのは、俺がただ面白おかしい嘘をついてるからかもしれないからで、別に信じてもいいし、信じなくてもいい。
 さて。
 ガルスの手帳にあった、「聖域を穢した」って一件だが、これについてはカーリアも、少し前までは見当がつかなかったらしい。それがはっきりと分かったのは、ギルドで大金庫を開けようとしていたときだ。あのとき彼女は「メルセルは錠をこじ開ける必要なんてなかった」と言った。実はそれが、「聖域を穢す」ことと同義だった。
 カーリアによると、黄昏の墓所にはいわゆるデイドラの秘宝が一つ祀られていた。その宝は「不壊のピック」っていって、まずは名前通り、決して壊れない鍵開けの道具だ。
 だが、早合点するなよ。壊れないピックは確かに便利だが、それにしたって微妙な錠前を開けるのにはかなりの手間がかかるし、ピックでは開けられない鍵だってある。だから、いくらメルセルが「不壊のピック」を盗んでモノにしてたとしても、ノルドの仕掛け扉やギルドの大金庫を開けるのには使えないんだ。
 問題は、にも関わらず奴がそれを開けたってことで―――そしてそれは、間違いなくノクターナルのピックのせいだった。
 ピックのせいなのか違うのか、どっちなんだって? まあ、こういうことさ。
 「不壊のピック」は、物として壊れないピックってだけじゃない。最大の恩恵は、その鍵が持ち主の潜在能力を"開く"ことだった。
 いいか? そいつを持ってると、持ち主は大した努力も経験も必要なしに、もともと持ってた才能ならどんどん開花し発達していく。戦闘のスキルも、盗賊としてのスキルも、話術や魔法、たぶん歌とか絵とか、とにかくすべてだ。平凡な能力の上達は微々たるもの、相当時間がかかるみたいだが、ある程度優れてた才能は飛躍的に伸びていく。
 そうしてできたのが、凄腕の盗賊マスター・メルセルだったんだ。

 それはすべてに対する答えだった。だからメルセルはなんでもできた。鍵開けもそうだ。ギルドに何度も忍びこむような隠密の技術もそうだ。剣の腕だってそうだろう。それに、おそらくスリもだ。そうすればデルビンやブリニョルフから鍵をスリ取って使い、また戻しておくことができる。それだけじゃない。そもそもなんでギルドの連中が皆して騙されたのか。そう、詐術だよ。なにもかも、ピックの力で増幅された能力が可能にしたに違いない。
 そしてそれはともすると、どうしてファルメルの目を手に入れるため、25年待ったのかに対する答えかもしれなかった。メルセルは宝を独り占めする気だった。だからギルドの仕事として進めるつもりはなかった。だがいくらあいつでも一人で「目」を盗み出すのは困難で、自分の力がより高まるのを待ったのかもしれない。まあ、こいつは憶測で、今も答えは分からないがね。
 ともあれ、そんな大それた宝を、しかも身内に盗まれたとあっちゃ守護者の面目は丸つぶれだ。
 そのうえピックはノクターナルの領域とこっちの世界をつなぐ通路……やっぱり鍵かな。通路を開いたり、加減するための鍵。そういう役割も果たしていたという。それがないと、ノクターナルがこっちの世界に及ぼせる力も大きく減退する。つまり、もし幸運を授けてやろうとしてもなかなか届かなくなったわけだし、裏切り者を出して宝を盗まれるような連中に、苦労してまで幸運を授ける気なんてなくなって当然だ。それでギルドはやることなすことうまくいかず、どんどん傾きはじめたんだろう。
 だからなんにせよ、俺たちのやることは一つ、徹底して一つになった。それはメルセルを逃さず捕らえることだ。あいつを捕まえ、殺すかどうか、どうやって殺すかはカーリア次第として、貴重なお宝をくれてやるわけにはいかないし、なにより、ノクターナルのピックを取り返さないといけない。ナイチンゲールの使命としては、宝石はなくしてもピックだけは取り戻さないとまずい。
 で、無事にピックを取り返したら、黄昏の墓所の決められた場所に戻す。そうすれば、ノクターナルはもう一度ギルドに幸運を授けてくれるようになるだろう―――とまあ、こういうことだ。
 まったく、盗賊なのに、盗まれたものを返しに行くなんてな。俺がついそう言うと、カーリアも、ナイチンゲールのマスクの下で笑ったようだった。

 さて、これで話は終わり、いよいよメルセルを追う……のかと思うだろ?
 別にここは端折ってもいいんだが、話の流れとしては一応付け加えておかなきゃな。
 ともかくノクターナルとの話はついて、目当てのドゥーマー遺……あ! そうそう、イルクンサンドだ。たしかそんな名前だった。イルクンサンド。まあたぶんな。とにかく、そこへ向かうのも別行動にし、現地で合流しようと決まった。それでカーリアが先に行くと、追いかけようとしたところをブリニョルフに呼び止められた。後でもいいんだが、できれば今のうちに話しておきたいってな。
 いったいなんなんだと思ったら、ギルドの指導者についてだと彼は言った。
 指導者。つまりギルドマスターだ。そんなの当たり前じゃないか。俺はもちろんブリニョルフがいい。そう長い付き合いじゃないが、メルセルなんかよりずっといい奴だし、皆だって認めてる。だからこそ、メルセルが裏切り者だと分かったとき、ブリニョルフがとっさに指揮を執って、誰も文句は言わなかった。そんなのわざわざ話題にするまでもない。
 俺はてっきりそう思って、俺はもちろんあんたを推すよって言おうとした。そしたら、だ。
 言いかけて遮られ、先に言われたことに俺は心底驚いて、耳を疑った。なんて言ったと思う? って、こんな振り方すれば見当もつくか。ああ、そうさ。そのとおり。ブリニョルフは、メルセルの一件が片付いたら、指導者には俺がなってくれと言いだしたんだ。
 いったいなんでそういうことになる? 俺は半ば正気を疑いながら、どう考えたってあんたのほうが適任だろう、なに言ってるんだと言ってやった。
 だがブリニョルフは、盗賊としての腕には自信があるが、統率したりといった柄じゃないと言う。そんなのはまったくもって俺の台詞だ。完璧に俺からブリニョルフに言う台詞だよ。
 それに俺は新参者だ。そりゃしばらくギルドにいて、俺より後に入った新人もぽつぽつ目立ってきてはいた。それでも何年、何十年もギルドにいるわけじゃない。しかも俺は、これは彼には当然言わなかったが、人に使われて人を殺す、それを当たり前にして生きてきた駒みたいな奴なんだ。それこそ技術なら、自分より後に来た奴に教えることはできても―――。
 いやまあ、そんな俺のあれこれをだらだら話しても仕方ないな。とにかく、俺がどれくらい驚いたか、どれくらいそれは間違ってると思ったかってことさ。
 俺はとにかく、そんなのはひどい人選ミス、判断ミスだと訴えた。
 だがブリニョルフは一向に引かなくて、言うに事欠いて、ギルドの皆が俺の仕事を尊敬しているとか言いだした。俺にはギルドへの忠義があるって。
 それこそ―――なあ、アンタ。分かるよな? 俺にそんなものあるはずがないってことは、これまでの話を聞いてたら分かるはずだ。俺は盗賊の仕事を楽しんでやっていたし、ギルドの連中のこともだいぶ好きになっていた。だから、このままギルドで過ごすのもいいなとは思っていた。だがそれは、"しばらく"であって"この先ずっと"じゃないし、つまり俺はその程度だ。忠義なんてこれっぽっちもない。
 だが俺がなんと言っても、プリニョルフは譲らなかった。それで言い合ってるうちに、なにかと思ったんだろうな。カーリアが引き返してきて、横から「この人はこうと決めたら、相手がイエスと言うまで絶対に許さないわよ」とか言った。ブリニョルフは「諦めろ」なんて言うし……。

 で?
 諦めるしかなかった。
 仕方ないさ。こうなったら、実力で分からせるしかない。よく使われるのとはまったく逆の意味でな。
 しばらくやってみれば、こいつじゃダメだと分かるはずだ。そうなれば、もっといい奴を推そうって話になるだろう。そうすれば自然とお役御免になる。
 だから、この問題はそういう現実的な解決を待つことにして、ともかく俺は、もっと差し迫った、もっと大事な問題に集中することにした。そうすれば、「俺にマスターなんか一瞬でも務まるわけないだろ?」なんて面倒なことを考えずに済むからな。
 そうして俺たちはそれぞれに、厄介なドゥーマーの遺跡、ファルメルの目が眠る場所、メルセルの向かった先、イルクンサンドを目指すことにした。

 

→第十章へ