呼ブ 声

 

 これがあの、田のあった土地か
 実りは、もう少しだった
 そうすればせめてこの冬、なんとか食いつなげたろうに

 だが今目の前に広がるのは、人馬に踏み躙られた、血塗れの残骸だった

 この米さえ実れば
 役人がなんだ
 知るものか
 そんなもの知るものか
 いっぺんくらいはたらふく食って、みんなで食って、それで、それで……
 その先のことは分からないが、ともかく腹いっぱい食って
 そう、逃げ出したっていいんだ
 あるだけの米や野菜を積み込んで
 どこか、戦のない土地へ
 だが眼前に広がるのは、大して広くもない、これではもう、ここが元は田であったとは到底分からぬような、屍の転がる荒地

 土を踏み削るような音がした
 振り返ると、彼の妻が乳飲み子を抱え、地べたに座っていた
 もう泣くこともない、骨と皮だけになった子を抱いて
 乳など、出なくなって久しい
 一握りの麦と、道端の草、食えそうな木の実をいっぱいの水で煮た薄い粥
 あれとて、食ったのは一昨日だったか、その前だったか

 男はふらりと足を出し、地に倒れ伏している兵士の傍へ寄った
 懐や腰を探るが、食い物は持っていなかった
 そしてふと、その兵士の顔が目に入った
 折り重なるように倒れた別の兵士の胸に、小太刀を突き立て
 穏やかな、なんの苦痛もない顔

 

おれたちはもう、しぬしかなくなったってぇんに
おっかぁもがきもばばあも
まだちいせぇおとおとも

 

 男の口から獣のような咆哮が溢れ、傍らに転がる兜を両手で掴み上げると、渾身の力を込めて兵士の頭に振り下ろした
 何度も、何度も
 鉄の兜の下で頭がひしゃげ中身が零れ、飛沫いたものが己の胸といわず顔といわず散りかかるのも知らず

 

しんじまえ
しんじまいや
みんなしんじまいゃ
みんなみんな
くたばっちまいば
くたばっちまいばいんだ
みんな
みんな
みんな
みんな

 

 叩き潰した頭が、ぬろりとまだあたたかい血と脳漿をその器に溜めて

 

うまそうだなぁ……
あったかくって
あまくって
いやにがくって
いやいや
これはひとのあたまだ
くいもんじゃねえ

けど……
でもよ……
けもののにくならくうんだしよ
はらわただってくったんだしよ
ああ あれ うまかったなあ―――

 

 ずるずると重い汁をすする音と
 ぐちゃりぐちゃりと硬く柔らかなものを租借する音
「ほら、おまえもおたべ」
 動かない赤子の口元に、母親が震える手で小さな欠片を運び
「あんたぁ、おいしいねぇ」
「んん、うめえ」
「ほら、ぼうもおたべ」
 動かない赤子の口元に、母親が震える手で小さな欠片を押し付け
「おいしいよ、ほら」
「ばあさまにもてっちゃあにも、もってかえってやんねえとな」
「そうだねぇ。まだたくさんあるしねぇ。ほら、どうしたんだい」
 動かない赤子の口元の、母親の震える手から小さな欠片がついに落ち
「ああもったいない」
 急いでそれを拾って女は己の口に入れ、新しい欠片を、ずぶずぶと器を掻き回して見つけた
「ほら、ね、おたべ」
 小さな小さな欠片が、震える手から零れ落ち、微かに開いた赤子の口へ、つるりと飲み込まれ
「ああ、そう。いいこだねぇ。おいしいか―――」
 言葉の終わらぬ内に、女の顔面はばつんと食われて消えた

 女の腕から転がり落ちたのは緑に脈打つ巨大な口
 口だけが動き、今度は倒れかかってくる女の乳に牙を立てた

 

 

             ぁ゛あ゛ん゛ た゛ぁ゛

 お゛い゛し゛  い゛ て゛ぇ゛

    ほ゛う゛お゛ た゛ へ゛お゛い゛ き゛い゛ぃ゛

      お゛い゛ き゛い゛ ぃ゛ い゛

 

 

 血を啜り
 肉を食み
 骨を噛み

 

「あっれぇ、こんなところにいたんだぁ?」
 ふわりと何処からか舞い降りた女が一人、夢中で屍を貪る異形を見て微笑んだ

 

 

(開幕)