あいつの上機嫌は、ろくでもない理由に決まっている。 そう。 世の中にろくでなしは様々いるが、私は生まれてこのかた、あれよりひどいろくでなしは知らない。 性格歪んでるし根性曲がってるし意地は悪いし。 そのくせ、 「孫権様。言いたいことがあるならおっしゃってください」 人の頭の中が読めるのか、察しだけは、嫌になるくらい良すぎる。
「おまえの上機嫌は嵐の前兆みたいなものだからな」 そのうえ、どう冷たく言おうと、 「よく分かってらっしゃる」 ちっともこたえることはない。 つくづく、どうして私はこんなのを抱える始末になったのだろうと思う。 いつの間にか我が軍にいて、戦力としては不足なく、妙な道具もたまには便利で、ついつい目をかけてやったのが間違いのもとだ。 追い出したいのは山々だが、ああそうですかとサラリと出ていかれそうで、それがどうにも悔しくて、決行できないでいる。
第一……こいつには、父上と兄上を助けてもらったという恩があるのだ。 こいつは時々、まだ起こらぬ先のことを予見した。 今ではできないようだが、現れたばかりの頃は、これからなにが起こるかをピタリと言い当てたのだ。 こいつがおらず、なにも言われず、もし父上や兄上を一人で出て行かせていたら、どうなったことか。
「もういい」 まともに相手をするから疲れるのだ。 だが、私も父上や兄上に負けず劣らず好奇心は強いほうで、ことにこいつの持ち物となると、またなにか突拍子もないものではないかと、気にかかる。 つい視線が腕の中のものに向いた。 「これですか?」 ちらりと見ただけなのに、すぐ勘付かれる。 「……なんなんだ、それは」 問うと、 「ちょっと時空のねじれに手ェ突っ込んでかっぱらってきたんですけどね」 珍しく、もったいぶらずに見せてくれるようだ。言うことの意味はよく分からないが。 「じゃーん」 「……? 周泰、受、案揃辞?」 「まあまあ。表紙なんかどうでもいいですから、中読んでみてください」 どうやら魏で作られたもののようだが、あそこでは紙をこんなふうに贅沢に使っているのか。国力の差というものなのか……。
などと考えていたのは、最初だけ。 「………………」 「面白いでしょ」 「な、なんなんだ、これは……」 「この世界の人にはかなりややこしいので説明は省きますが、見てのとおりです。孫権様の夜のお供にベストマッチな一冊でしょう」 「おまえなっ!」 「あ、そーだ。私はもう一冊くすねてきますから、それ、よろしかったら、はい」 と手を出された。かっぱらってきたとか、くすねてくるとか、要するに盗んできたわけで、タダでとってきたくせに、私からは代価をとろうというわけか。 ―――けれど結局、臨時褒賞を与えてしまう私はいったい……。
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「おい! バカ烏! どこだ!」 ちょっと我慢ならないというか、なんだか許せない。 元の 窃盗犯を探す。 「大声で呼んで歩くなら、せめてちゃんと名前使ってください。なんなんですか」 ひょいと部屋から出てきた顔の前に、私は昼間に買った本を突きつけた。 「これはここで終わりなのか!?」 「あ、もうそんなとこまで読んだんですか。さては午後の仕事、全部サボりましたね?」 「そんなことはどうでもいいから、これはここで終わりなのかと聞いてるんだ!」 「ああ、これ! そーですよね! やっぱここで終わりってちょっと物足りないですよね!」 「うむっ。ここからがいいところなのに、どうしてこんなところで終わってるんだ!?」 「そんなこと私に聞かないでくださいよ」 「こっちのもだぞ! えーっと、徐公明……? これをあの徐晃が書いたのか……、はどうでもいいが! それにこっちの点だらけの曹仁のも! なんかどれもこれも、これからってとこで終わってるのはなにかの陰謀か!? 嫌がらせか!? それとも続きを載せた下巻を買わせる商業的戦略か!? そのつもりでおまえが隠し持ってるんじゃないだろうな!?」
「はいはい、興奮しないでください。髪どころか顔まで真っ赤じゃないですか。どうどう」 「私は馬じゃない!」 「今はサカリのついた種馬と大差ありません」 「ぐっ……」 相変わらずずけずけと……。私のことなんか君主ともなんとも思ってないんだ、こいつは相変わらず。 しかし今はそんなことはどうでもいい。 「続きだ続き! こんなところで終わられたら、気になって仕方ないではないか!」 「それには激しく同意しますが、……虎の子に羞恥だ余韻だって言ったって始まんないんだろうなぁ……ケダモノだし」 「なにか言ったか!?」 「べーつにー? で、一応人として道理を解きますとですね」 「おまえ、人だったのか」 「そんな私に道理説かれる我が身はなんですか」 「く……っ、この……」 「ともかく、書き手に降りた 『神』が問題なわけです」
「……おい。またわけの分からん話になるのか……?」 「途端にテンション下げないでください。頭悪いと宣伝してどうするんですか」 ……い、いちいちいちいち、気に障る……っ。 「いいですか。『神』にもいろいろありまして、品性とか知性とか理性とかいうものなんかまったく持ち合わせてない低級神もいれば、慎ましさとか照れとか恥じらいとかいうものを持ち合わせた、非常に健やかな神もいるわけです。で、私が察するに、おそらくこの書き手に降りた神は全て同一、色事は好きでもかなり控えめで、健全な神ですね。だからその神の個性によって、すべからく羞恥や躊躇い、懸念といったブレーキがかかっているわけです。そういう神にこれより先を書けというのは、なかなか無理な注文でしょう。どうしてもとおっしゃるのであれば、もっと頭悪い低級神でも召喚する他ありません。理解できましたか?」 「…………要するに」 「はい」 「……………… なんだ?」 「やっぱ駄目か」 「ええい、項垂れるな! そんなわけの分からん話、誰が分かるというんだ! もういい! だったら自分で書く!!」 「はいはい……って、ええ!? 正気ですか!?」
あのバカを驚かせられたのは、嬉しいような腹立たしいような、ともかく、続きがないなら自分で作ればいいのだ! 私が見たいように、見たいものを書けばいいのではないか! 簡単なことだ! よーし、やってやるぞ〜っ!!
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「おーい、烏羽〜」 「は〜い? どうしたんですか、孫策様」 「なーんか、権がまたおかしくなってんだけどよぉ?」 「はいはい、お察しのとおり、原因は私とこれです」 「ん? へー。……ほー。……おお! ふむふむ……。はぁー。……? で、ここで終わりか? 続きは?」 「やっぱり虎一族、言うことは同じですか」 「なにが?」 「私に人のことは言えませんけどね。それはともかく、これをですね、譲ってさしあげたまではいいんですが、続きが見たいと駄々を捏ねた挙げ句にいろいろありまして、自分で書くなどとおっしゃって走り去っていったのが、昨日私が見た最後のお姿です」 「なるほど。つまり、俺が今朝聞いた『かけ〜ん!!』は、別になんかの鳴き真似してるとか妙なのに取り憑かれたとかじゃなくて、『書けん』なわけか」 「そのとおりかと。しばらく暴れればご自分の無力に気付かれるでしょう。ともすると続きがない理由を我が事として実感されるかもしれません。近隣に騒音以外の害はないはずですから、放置してよろしいかと思います」 「おまえ相変わらず、言葉だけは丁寧でも言ってることは容赦ないな」 「性分ですから」
「で、これ、俺がもらってもいいよな?」 「はい」 「 やっぱり手ェ出すわけか。へぇへぇ。じゃあ、これと引き換えでどうだ?」 「少し足りない気もしますが、同じように暴れ出さないと約束してくださるならば、まけておきましょう」 「俺は自分にもの書く才能なんかこれっぽっちもねぇって知ってるぜぇ? そーだな〜、見たくなったら周瑜に頼むかなぁ」 「この首賭けても構いませんが、こんなもの見せたら間違いなく卒倒されますよ」 「うーん。じゃあ、おまえは? 口は達者だろ?」 「私に憑いているのはすこぶるつきの低級神ですが、別当はいただきます。高いですよ?」 「えー。まけてくれよ、な?」 「これだけ」 「これでなんとか」 「いいえ、こ・れ・だ・け」 「せめてこれっくらいで頼むぜ! これに、親父の部屋にある虎の敷物つける!」 「あっさり人のもの抵当に出しますね。でも、これはどうせなら新品がいいですねぇ」
などとアホみたいな交渉を始めたはるか彼方から、再び、狐のものとか鳥のものともつかない妙な絶叫が轟くのであった……。
(……私だけじゃないはずだ……) |