2006/09/12 (火)   また延期かい

 今度は11/16だそうで。一ヶ月以上ものびましたねorz
 クォリティアップをはかるため、ということになってますが、一ヶ月開発をのばそうと思うなら、なにか新しい要素でも入れることにしたのか、さもなければクォリティ云々は体裁で、根本的な部分でバグが見つかったんでないかと思ってしまいます。某せがのちーむじゃないんで、前者、あるいはそれに近い理由だと信じておきますが。


2006/09/17 (日)   うーん

 ……ろくに更新ないまま一ヶ月たちかけてました。
 予想外に戦国休止が本格的です。
 しかもエンパが発売延期されたので、ますます。
 PSUをプレイして、PSO方面頭が働きつつあり、また、男塾とかその他のものでもぼちぼちと、メモしてあったものが固まりつつもあり。
 
 更新の非常に頻繁な時に来られたかたの中には、スローになると「もう終わりなのかな」と思って来られなくなるかたもかなりおられると思いますが、それはそれで構うことではなく。
 だいぶ前にも書いているんですが、メジャーになりたくない、というのがあります。
 一日にカウンターが数百、それ以上回るようなサイトには、絶対になりたくない。それだけトラブルの数も困ったちゃんの数も増えるから。
 現に戦国は、ゲーム発売からあまり間がないタイミングで、新キャラを一人メインに据えて検索登録したせいで、いつもより多くのかたが来られました。その結果が、おそらく請求制にしたあの事情にもいくらかは関わっていると思います。
 
 書くことそのものが好きなだけだから、「書いたものを媒介に同じ趣味のヒトと語り合いたい」ということは目的じゃありません(結果的にそういう仲間ができるのは楽しいし嬉しいことですが)。だから、「閲覧者に配慮」しなければならないことが増えて、好きなものを好きなように書けないようになるくらいなら、多くの人なんか来なくていい。そう思ってます。私の我が儘に付き合ってくださる、心の広いかただけが愛顧してくださればいい、と。
 好きなものを好きなように書いた結果、クレーム寄越すような人がいるのはゴメンです。なんで俺があんたの好き嫌いや価値観に配慮せにゃならんのや、とか言うハメになるのは勘弁。
 気に障れば申し訳ないとは思うけど、それについて、「あんたが悪い、こんなものは書くな」とかふざけたことぬかすボケはいらんのです。
 ま、そういうのもあって、あの面倒臭い請求制なんですが。
 
 ともあれ。
 根気良く待ってくださるかたには、なんとかしてお応えしたい、という思いも真実。
 ま、ぼちぼちお付き合いくださいませ。


2006/09/21 (木)   妄想中

 ……いや、家半書こうかなーと。
 でもシチュが決めにくくて保留してるんですが、そんな時にふと。
 たまには、やーらしいのも書こうと思います。
 つか書きかけの仕上げちまえよ!と今私の中のなにかが叫びましたゴメンナサイ。


2006/09/27 (水)   いえやすとのぶながのはなし(久々の戯言は長いデス)

 井沢元彦の「英傑の日本史」に、ようやく戦国編、すなわち信長、秀吉、家康について軽くまとめたものが出たのでさっそく購入した。
 氏の史観に賛同するかどうかとかいう話なら、私は、そもそもが賛同するも反論するも、対等にぶつかれるような知識なんざ存在しないので、どうでもいい。「へー、ほー」と楽しく読めればそれでいい。
 んで、自分の中の妄想の肥やしにし、話を書く時に利用させていただくだけだ。しょせん、間借り人。
 
 前述の書籍は、ともかくこの巣に来ているかたがたで、少しは歴史そのものにも興味のある人なら面白く読めると思う。
 この巣が半蔵メインである以上、その主である家康にまるで無関心かつ歴史には興味がある、というのもずいぶんひねった好奇心の持ち方だろうからに。
 ダイジェスト的に彼等の人物像などについて触れいてるので、歴史・史観の専門書という様相はまるでなく、かなり読みやすいと思う。
 
 ところで、信長と家康については、実はいろいろとモーソーが膨らみ中。といっても私はデフォルト腐女子様のように、モーソー=その方面、ではなく、あくまでも、物語としてでっち上げるための妄想。
 ……うーん、家康が少年時代、美少年ではなくとも可愛らしい顔立ちの愛くるしい少年だった、とかいうならともかくな。信長は投じの美意識でいう美男だったそうだけど、家康は違うと思うし。だいいち8歳差で、しかも家康が織田にいたのは6〜8歳。いくらなんでもありえねーだろ、その方面のモーソーは。
 
 単に、かかさまとはほんの小さい時に生き別れて、ととさまとも引き離されて、しかも今川へ行くはずが織田に、更に言えば売られてしまったという6歳の少年。
 どんな気持ちだったんだろうな、とキャラクター主体で話を作る私は、思うのである。
 当時の少年の常識、一般的な思考というのは今とは違うかもしれない。今よりずっと早く大人にならざるを得ない時代だから(早く役に立たないといけないという意味で)。
 それに、大名の嫡子の生活ってどんなんだろう。
 母親がいなくなっても、乳母とかいるのか、やっぱり。3歳の頃だっていうから、もう誰が自分の母親なのかは分かってる頃だが、それでも、数年もする内にぼんやりと忘れもしそうな気がしないでもない。それなら、周囲に母親代わりに面倒を見てくれる女性がいれば、寂しいとも思わないのかもしれない。
 でも、6歳になっていれば(今川へ人質に出される時)、自分がこれから家族と別れて、知らないところへ預けられる、ということは分かるだろう。
 6歳までの竹千代を皆がどう養育したかにもよるんだが、そのことを少年はどう思ったんだろう。やっぱり、みんなと離れるのは嫌だ、寂しいという感情が一杯なのか、それともずっと分別して、大名のこどもとゆーものはそーゆーものだ、と分かった気にくらいはなっていたのか。
 
 ところが案内人というか仲介人に騙されて、織田に売られてしまう。大名の嫡子の代金としてはかなりの叩き値で。
 で、親父さんのところへは「今川を離れて織田につけ、さもないと息子はどうなるかわからんぞ」と脅迫がいくわけなんだが、その当時どう見ても大勢力なのは今川だし、とても受け入れられない。
 竹千代にそのことが伝わったかどうかはともかくとして、彼は父親に見捨てられることになる。
 この頃の竹千代にも側近というか、従者、お供はいると思うけど、誘拐同然に売られたわけだから、そう何人もはいないよなぁ。でも一人くらいはいるのかな。いるよな。いないのはいくらなんでもな。
 その人はどう接したんだろう。
 そういったことはなにも教えず、つつがなく暮らすこと、自分が不自由しても若様には少しでも健やかに暮らしてもらおうと、そのことだけに心を砕くようなできた人なのか。
 それとも、そういったことを知り、受け入れる、あるいは覚悟するのも大名の子の定めだと言うようなタイプなのか。
 なんにせよ、お寺に軟禁状態で、自由に出られはしないし、自分がなんで、なんのためにここにいて、いつまでこうしているのかは、分からなかったと思う。説明されても、ああそうかと飲み込めはしないんじゃないか、6歳。
 
 当時の信長が家康と出会った記録ってのはないそうだけど、私のはほら、妄想だから。
 井沢さんもおっしゃるように、好奇心が強くて、益体もない常識だのはつまらないと感じている吉法師は、「三河のぼっちゃんが売られてきてあの寺にいるってよ」と知れば、覗きに行ったかもしれない。
 というか、私のモーソーする信長は、本来はものすごく優しくて繊細な面も強い人なので、「そうか、じゃあきっと一人ぼっちなんだな」と思えば、気にかけて覗きに行くくらいのことをしていただくのだ。
 そんで、あの話になるわけです、はい。
 
 この俺が責任もって連れて歩き、連れて帰るんだからいいだろ、と言わんばかりに遊びに連れて行ってやって。
 14歳、あるいは15、16の少年なりに(といってもこの時代ならもう大人)分かってる世の中の仕組みや、男の生き方なんかについて、今は分からなくてもいいけどな、と語って聞かせたりもしたかもしれない。
 父母が恋しいならいくらでも泣けばいいが、怪我をして痛いくらいでは泣くな、それは我慢しろ、とかいう台詞・シーンを書きたいなと思ってる。
 頭がよくて、繊細で、同時に驕慢なところもある自信家。自分の思うままにすることがどんなに理にかなっていても、それが受け入れられない因果因習に縛られた世の中に、イライラしてたりもする。自分の行く末というものについて、いくらかの野心と不安も抱えて、なんとなく鬱屈したものも抱えたのぶわかにとって、一人ぼっちのちびやすを大事にしてやることは、救いにも癒しにもなるだろお。
 
 天才的な直観力ゆえに、自信家ゆえに、信じてよしと自分が判断したものにはあまりにも無防備すぎて、長政の裏切りで死地に立つ。
 自信のあった判断にケチをつけられたというのもあって激怒するのが、自信家や天才を自覚した人間の感情方向だろう。
 同じ轍を踏まないために慎重になるが、疑えばどこまでも疑えるのが人間で。
 そこから様々なものの板挟みになるのもいいが、無双をあくまで考慮するなら、人柄を信頼するとかいうあたたかいことはすっぱりと捨てるのが己の道のため、と思い、それに成功してしまうというのもいい。
 なにもかも、使えるか、いつまで使えるか、裏切るか、裏切るとしたらいつか、その時にはどうするか、ともう理知でしか人を見ない。
 使える・それで良しと判断すれば温情のように見えることもするけど、決してなさけというものではなく、利用価値がある、そうしたほうが自分の道に都合がいいというだけ。
 
 もう誰のことも信じず誰にも心を開かず誰の心にも触れようとしなくなった信長に、それでも友情というか、あにさまへの慕情を持って接しつづける家康。
 ……ってのもいいなーと。
 ぶっちゃけ私、信長の死を聞いた時、家康が殉死しようとして止められた、ってエピソードにはずっと違和感持ってました。なんでそんなに?と。そこまで信長に追従してたのか?と。
 家康がハナから天下を視野に入れていたら、今はピンチだが乗り切ればチャンス、と思ったと思うんですよ。乗り切れるかどうか非常に危ういと思っても、そこは三方ヶ原でうって出たりもしてるし、自身が危険な戦地で采配振ってきた武将なわけで。
 よっぽどのことがないかぎり、主君でもない、同盟者の死に殉じようとはしないだろう、とずーっと納得いきませんでした。
 けど、自分のこの妄想に従って勝手に作り上げていくと、そう思っても不思議でなくなるので、この路線の妄想は気に入ってます(ぉぃぉぃ
 おっさんになっていようと、家康にとって信長は優しかったあにさまで、ほんの少しだけど、信じたいという思いを向けてくれてはいるような気もして、なんとかもう少し心を緩めてほっと安らぐ時を持ってほしいと思っていて。
 要するに信長のことが今でも好きで。怖いと思っても嫌いになれなくて。
 同盟者という立場でも、兄貴分と弟分みたいな主従っぽいところがしっかりあって、家康はあくまでも信長の天下とりの理想の手助けをしたい、それが己の領分だと思っていたとすれば、信長が死ねば自分だけ生きていても仕方ない。じゃあ殉じようという心境になっても素直に納得できる。ひねりはないが。
 
 その上で、そこでただかっつぁんあたりに、今こそ天下をとるチャンスではないか、とか叱咤されるといい。
 忠勝は忠義無比だけど、なんというか、家康のそういう慕情は考慮してくれないほうがいい。家康は天下をとれる器と思い定めてしまっていて、とるものだ、とるべきだ、とらんでどうすると思ってるのが忠勝。それを助けるのが己の仕事、と。
 私は半蔵好きだけど、無双半蔵として設定しても、ここで家康の心中を分かってやるのは半蔵にしたくない。だって影だから。主の望むものは全てかなえるつもりでいるが、どうしろ、どうすべきだなんてことはまったく感じないし思わないほうがいい。介錯しろと言うならするし、逃げるというなら命にかえても逃げ延びさせる、としか思ってないのがいい。
 もしこれが史実半蔵、信康を切れなくて泣いたほうの半蔵なら、家康の心の中を誰よりも分かってるのは半蔵、としたいけど、正直、無双半蔵を素直に見たら、そういうイメージじゃないんだよね、私の場合。
 この時の他の同行者は、酒井のチュウさん、石川のかずやん、榊原のやすまー、高力のきよちゃん、大久保のチュウざー、本多のシゲじー(シゲツグです、念のため)、天野のやすきんといった感じだそうだけど、……なんか、家康の心を分かってそうな人はいないなと思ってしまう。いや、すごいメンツ揃ってるけどこれ。っつかその変な愛称なんなの己。
 仏の高力がいるけど、この人のイメージって本当に個々に優しいというより、普遍的に優しい、つまり、たとえば仁といった理念に従って優しいだけで、心底情け深いって感じじゃないんだよな、私の場合。
 
 たとえば、「これで無事に生きて帰ることができたら、信長殿が私に、天下を目指せと言ってくれていることにしよう」とかいうことにするのは、ありだろうか。
 この時代の人として、こういう考え方ってべつにおかしくないのかな。
 もしおかしくないなら、こういう賭をしたってのもいいなと思う。
 その必死の中で、しかも数が少ないだけに一人一人がよく見える中で、それぞれが自分のために奮戦し働いてくれるのを見て、つくづくと、自分の命や運命は自分のものじゃない、皆のものなんだと思い知ってもいい。それで、曖昧な賭の部分が少し薄れて、これはやらねばならないことではないのか、と思うようになってもいい。
 でも、主従的なところがあって、そもそもは天下なんて狙っておらず、信長の手助けをしたかったとすると、ここはやはり、織田家が天下をおさめるのが妥当と考えるんでないだろうか。
 家康のしょせんはこの時代の人で、信長や秀吉ほど卓越した発想力を持ってるわけではないとすると、「地位は世襲」みたいなもの、それが真っ当であるというのがデフォルト、常識だろう。
 というか、こんなふうに想像してくると、「チャンス?」とかすめとるような心理を、今すぐこの時には家康は持ってくれなくなってしまう。
 もっと時間を置いて、信長という個人はもういないこの世で、では自分はどうしていくかをあらためて考えた時には、天下をとるというのも見えるかもしれない。
 けどそのためには、同じく天下とりに、しかもかなりえげつない動き方をしててる秀吉の存在が不可欠だと思う。
 今、天下は宙に浮いている。
 誰かが、おさめることになる。
 それを秀吉は、自分がやろうとしている。
 家康は生まれながらの大名なんだから、そこは、「あのサルがか?」と卑下して、不愉快に思うだろう。才能は認めているんだけど、動き方が姑息で汚い。政治や戦の駆け引きが汚いのは当たり前だけど、それにしたってずいぶん汚い謀略を繰り広げる。上手くやるもんだとは思うけど、生まれに対する差別意識もあって、尚更気に食わない。
 こんな奴にとられるくらいなら、そして織田の子供たちではそれに対抗できないなら、そんなくらいなら自分が。
 
 この後は、こんなきれいなおはなしではなくなっていく。
 自分が狙うと決めて動くようになった時から、家康の中からは信長への慕情は薄れていくと思う。
 そんな甘い心で争奪できるものでもない。
 今まではなんとはなしに「あの人のため」な部分があったのが、これからはとことん自分のためだけになれば、意地汚くもなるしえげつなくもなる。
 秀吉には、元から「卑しいくせに智恵が回ってずる賢く立ち回る」というような嫌悪感を持っていてもいい。家康も、どんなにつらい少年時代送ったところでしょせんぼんぼんだから。どこかで、出自も定かならん奴が、と思ってていい。
 家康から見れば「かなりやりはするが、しょせん人のツラした小汚い猿」でしかない男を、太閤殿下だなんだと崇め奉って、豊臣の世が大事という奴なんか気に入らない。
 豊臣の世が正当だなんていうのは、家康にはまったく納得のいかないことだと思う。もともとは信長の、織田の天下で、それを託されたわけでも頼まれたわけでもないのに、織田の子供たちや柴田ら忠臣を陥れ葬ってまで自分のものにしたんだから。
 汚い相手には、汚い手で返す。少なくとも私は、これですごく納得いける。だから大坂城の堀埋めるのが約束違反だろうがなんだろうが、さんざ約束なんて反故にしてきた秀吉の残滓への手段なら気にもならない。卑怯な奴相手に卑怯な手を使うんだし、それが、天下争奪の真っ当な姿だろう。きれいごとや正直だけで奪い合えやしないん。
 それを、単体だけで策略見ると「家康卑怯」でしかないし私もそう思うけど、秀吉のしてきたこととかを踏まえて、家康の心境をこうやって作ってくると、私には心底納得いったね、今。
「卑怯? 太閤殿下もずいぶんとあくどい、卑怯な手管で信雄様たちを退けましたな?」
 とにっこり冷たく笑う姿が想像できる。
 そして、少なくともそこに、あにさまのくるのを一心に待ってたような、ちびやすの面影は、ない。
 
 家康を核に、好き勝手にモーソーの翼を羽ばたかせると、こうなった。
 ……書きたいが、大河だなorz 無理。
 でも、歴史小説なんてものじゃなくても、歴史ファンタジー的に、キャラクター小説的に、書いてみたい気はするけど。
 しかしどうせ書くなら、考証とかももう少しはちゃんとしたいよな。
 
 ちなみにこれと同じことを、秀吉でやっても面白い。
 といっても私は山風先生のアレが好きなので、どう想像しても、この家康ストーリー以上に自分自身で「陳腐だなぁ」と思ってしまうんだが。
 けど容姿にも生まれにもとことんコンプレックスのある男が、最初はきらきらと夢見て、やがて満たされて、そして欠乏して、打ちのめされて(なにをしたって、そもそもの品格が違うと、蔑み侮り、嫌悪する目が向けられるのをやめさせられない)、寂しさを埋めようと必死になる話にはなると思う。
 そんな秀吉の感と情を感じられる身近で育った三成や清正らにとって、秀吉はやっぱり父で、偉大な人物になると思う。
 家康の目から見た秀吉と、秀吉自身を書いた時の秀吉と、三成の目から見た秀吉とではまるで違ってくるし、それが面白い、醍醐味だね、やっぱり。
 
 ……あー長かった(←自分で言うな

  過去の戯言