その話を聞いた時、俺がまず思い浮かべたのは、周都督のことだった。 彼ならば、とすぐに思いはしたが、誰よりも忙しい身だ。こんなことで煩わせるのもどうだろうか。 それでも思い切れずに訪ねてみると、案の定、門前払いだった。予定にない者に会う時間など、とてもとることはできないらしい。 仕方なく、俺は一人で街に出た。
何軒かの店を回り、行商人を呼び止めたが、これといったものには出会わない。 やがて、それを専門に商っているらしい担ぎ売りの老人に行き会ったのが、せめてもの幸いだろうか。 無理を言って足を止めさせ、手近な飯屋に招く。その卓の上に、老人のためには酒と食い物を用意させ、俺は、彼の担いでいた荷を片っ端から調べることにした。 老人が不安げな顔をして、 「あっしゃなんにも悪いことはしてませんよ」 と言うのも、無理はない。急いでいたものだから、俺は城内にいた時のままの格好で出てきている。さして高価なものは身につけていないし、むしろ質素だとは思うが、それはあくまでも、城内にあれば、だ。老人の着物など擦り切れてぼろぼろで、肘のあたりは向こうが透けかねない。それに比べれば、俺の身なりは相応の身分に見えてしまうのだろう。 老人にしてみれば、なにか疑いをかけられて、品物に不審を持たれたような気にもなるだろう。
「そういうつもりではない。少し黙っていてくれ」 俺はただ、どうしても老人の声、周囲のざわめきが邪魔になるからそう言っただけだが、言葉の選び方は間違ったらしい。黙れ、という命令同然に聞こえてしまったのか、途端に辺りはしんと静まり返った。小声で話しても、それなりに聞こえてしまう自分の声が恨めしい。 だが今は、そんなことより、探さなければならない。この老人が持っていることを期待するしかない。 片っ端から手にとって、試してみる。 どれも違う。 調べ終えたものを元の場所に返しては、箱を一つ、二つと除けていく。なかなか見つからない。 探そうということ自体、無理があるとは承知している。 それに、同じものだと俺に見抜けるのかどうか、それも分からない。周都督であれば、呆気ないほど簡単に「これだ」と判別できるのかもしれないが……、引き返して無理に頼み込んだとして、許されることなのかどうかが、俺には分からない。 なにならばしても良く、どこからはしてはならないことなのか、俺は未だに、よく分かっていない。
根気良く一つずつ確かめていくと、突然、聞こえた。 手にしているものではない。外からだ。 俺は老人を置き去りに店に出ると、通りを見回した。少しずつ遠ざかっていく。誰のものかと目に入る範囲にいるすべての人間を見渡す。 一人、女がいた。 彼女の足の運びに合わせて、間違いない。あれがそうだ。 呼び止めようにも、どう言葉をかければいいのかも分からず、そのうちに角を曲がりそうになってしまった。行かれてしまっては、二度と見つからないかもしれない。俺は後先考えずに後を追って走り、角を曲がったところで、女の肩を背後から掴んだ。 「きゃっ」 女は甲高い悲鳴を上げて振り返り、俺を見て居竦む。 「な、なんですか、貴方は」 身なりを見れば分かるが、それなりに良い家の娘らしい。恐々ながら俺を睨み上げている目に、怒りがうかがえる。 「すまん。だが、頼みがある。聞いてもらいたい」
俺が「それを譲ってくれないか」と頼むと、女は不思議そうな顔をした。当然だろう。どこにでもあるものだし、簡単に買えるものだ。だが俺には、それでなければならない。同じものがほしかったのだ。 詳しくわけを話すわけにもいかず、頼むとだけ繰り返すしかなかった。もっと上手い言いよう、頼みようもあるだろうに、俺にはとても出てこない。 わけは言えないが、同じものを探しており、そのために今、そこの店で行商人を一人呼び止めて、無理に品物を見せてもらっていたところだ、とまで話すと、女は少し思案げな顔をしたが、 「かわりのものを贖ってくださるなら」 とようやく少し笑った。俺はほっとして、女を連れて飯屋に戻り、取り残されておろおろしていた老人の荷から、女の気に入ったものを三つばかり、交換に買ってやった。 あとは、一刻も早くこれを持って帰るだけだ。
間に合ってくれればいいが、と思う。 些細なことだが、些細なことほど、無視しにくいものだ。それも、相手が悪かった。 それに、大人げなく怒る理由も分からなくはない。手に入れた時にはなんの意味もなかったのかもしれないが、十年もずっと肌身離さずにいて、共に戦場まで駆けてくれば、それがないことは大きな違和感になる。 たかが、と言われれば激昂するだろう。 言ったほうも、相手が違えばそんな不用意な言葉は言わずに平謝りしたのかもしれないが、つまりやはり、相手が悪かったのだ。 他人から見れば他愛のないことで、せっかく和らぎ始めた確執がひどくなってはたまらない。 それに、愛着のあるものを失ったままでいるというのは、きっと心元ないことだろう。 つまりこれがあればどちらも解決できる。……かもしれない。
馬を飛ばして城に帰ると、俺は凌統を探した。幸い、騒動を起こした咎で一日の謹慎を言いつけられているというから、俺は真っ直ぐに彼の居室に向かった。 訪いを入れると、思いがけない相手が来たからだろう。凌統は怒りも苛立ちも、一時は忘れた顔で出てきた。 「どうしたんですか。私になにか?」 俺は、街の娘から買い取ってきたものを凌統の前に出した。 「え?」 「すぐにこれを持っていって、『抜け出して探してきた、きっと同じものだと思うから、水に流してほしい』と」 「あ、あの……?」 「いいから、行け。詫びるのは腹に据えかねるかもしれんが、事の起こりはおまえが無意味だと口にしたからだと聞いた。そこから子供じみた喧嘩が始まったのだろう。相手の顔を立てるとか、年長者に礼をとるとかではない。おまえには無意味に見えても、相手にはなにより大事なこともある。それを考えて、詫びてくれ」 「周泰殿……」
やがて凌統は、分かりました、と頷いて出て行った。 これでなんとかなってくれるといいのだが……。 ようやく少し安堵すると、急に疲れを覚えた。思えば、夜半から続けていた夜戦用の調練を済ませて戻ってきて、顛末を聞いてそのまま出かけたものだから、もう一日もなにも口にしていないし、眠ってもいない。本当なら、すぐに一刻ばかりでも休むつもりでいたところだった。 しかし……後回しにしては子供同士の喧嘩と同じだ。決着がついたように見えて、急に思い返してまた始まらないとも限らない。他愛のないことで喧嘩をするな、と人は言うだろう。他愛ないと言われれば、また腹を立てるだろう。最悪、あの短気な男はなにを言い出すかも分からない。 それにやはり……ないと、きっと寂しいだろうから。 欠伸を一つ噛み殺して、俺はやっと、自分の部屋に引き上げることにした。
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「……甘寧殿」 「………………」 「いるんでしょう。貴方も謹慎を命じられているんですから」 「おまえもだろうが。なにしにきたんだよ、え?」 扉越しに邪険な声をぶつけられて、凌統はついカッとなったが、周泰の心遣いを思い、手の中のものを握り締めてこらえた。 言われたとおりのことを言う。 「探してきたんです。同じものを。……先ほどは、私が浅慮なことを言いました。貴方には、いわれのある大切なものかもしれないんですから」 (そうであればこそ、それを知っている周泰殿は、わざわざ探しに出たのではないか……? それを……甘寧殿と和解できるよう、俺に……) 「同じもの? はん。どれでもいいってわけじゃねぇんだぜ」 子供じゃあるまいし、と凌統は思わず溜め息をついた。どうやら、ここは自分のほうが大人になりきった対応をしてやらないとならないらしい。 「それなら、聞いてください。見なくても、聞けば分かるでしょう」 そう言って凌統は、周泰から渡された鈴を鳴らした。
やがて、扉が開いた。 驚いた顔の甘寧が、凌統を見ていた。 「……同じ音だ。おまえ、なんで分かる? 聞き分けられるほどちゃんと聞いてたってのか?」 「それは……」 鈴の音など、どれでも同じだと凌統は思っていた。だから、自分の鈴にこだわる甘寧が理解できず、くだらない、と言ってその鈴を持つ手を押しやった。弾みに落ちた鈴が沼に転がっていって沈んでしまったのが、殴り合いにまでなった喧嘩の始まりである。 今ここで、「はっきりと気にして聞いていたわけではないが、なんとなく覚えていたものを頼りにして探してきたのだ」、と言えば、きっと甘寧は自分を許してくれるだろう。苦労しただろうと、そのことくらいは慮ってくれるだろう。
だが、それで甘寧を騙すことを思うと、どうにも気分が悪かった。 「……私が探してきたというのは、嘘です。そう言って貴方に渡して和解しろと言って、周泰殿が持ってきてくださいました」 正直に言う。 どういう反応が返ってくるかは気になったが、嘘をつきつづけるよりは、気分はすっきりした。 甘寧は鈴を凌統の手からとり、投げ上げて受け止める。 「そうか。あいつがそう言うんだったら、水に流そうぜ。かわりのヤツももらえたことだし、それでもまだ腹立てる理由なんかねぇ。ったくよ……調練明けだってのに、無茶しやがる」 最後は小声で呟いて、笑った。
その頃周泰は、二人が無事に和解したことなど知るはずもなく、二日分まとめて寝倒している最中であったとさ。 ご苦労様。
(おしまい) |