てん、てん、てん、と頭の中に空白が生じること二秒。 「誰がッ!?」 と大声で怒鳴りかけたが、あまりにも間がよろしく(悪く?)、孫権が赤ん坊状態に吸い付いた。どこへかは、言わなくても分かるかと思う。 そこから波紋のように広がる微妙な感覚を、声で表現しないためには、怒鳴り声そのものも飲み込むしかなかった。 周泰が飲んだ酒に混じっていたのは、はるか西、カーマ・スートラを完成させた愛と悦びの国から渡ってきた強烈な媚薬だった。茉莉花に茴香、その他諸々の香り高い花々の蜜だのなんだのを特殊な製法で十年かけて仕上げるという伝統の逸品である。 効果のほどは、周泰の口がきけなくなっていることで分かるだろう。 やめなさいと言いたいのは山々なのだが、それがちゃんと言葉になるかどうかも怪しい。 孫権は無邪気なもので、 「よーへー、よーへー。きもちいい?」 気持ち良くなる、と教えられているが、本当にそうなのか、見てもよく分からないし、自信がない。果てしなく率直に尋ねてくる。 周泰に、答えられるはずがない。
答えてもらえない孫権は、むくれるのが半分。涙ぐむのが半分。気持ち良くしてあげなければならないのだ。ちゃんとできないということは、駄目なことなのだ。 躍起になってあちこちいじりはじめる。そしてふと顔を上げては、 「きもちいい? だめ?」 などと言う。答えずにいれば、次第に涙のボルテージが上がってきて、しゃくりあげるようになってしまった。それでも一生懸命に、なんとか褒めてもらおうと頑張るのである。 小さな手があちこちを撫でて回り、息継ぎをしなければならないほど、口でも頑張っている。 (何処の誰だ、こんな余計なこと教えたのは……っ。というか、どうやって教えたんだ、こんな……) 孫権は無心で無邪気だが、それだけにたぶん、言われたとおりのことを忠実に実行しているのだろう。
なお、こんないらん知恵をつけた前述の「悪魔」氏は、決して実地研修などしていない。ただこう言っただけである。 小さい飴だとでも思って、とれないかどうか、手をつかわずに唇と舌だけでやってみなさい、あいている手で、筋肉の流れというものを辿ってご覧なさい、と。 それで孫権は、いろいろと頑張って試しているのである。 言われたとおりに頑張っているのに、ちっとも思ったような答えが聞けない。教えた悪魔氏が間違っているのだと思ってしまえばいいものを、 「きもちよく、ないの……?」 本格的に大雨だ。 こうなると、恥ずかしいもなにもない。 (孫権様を宥めるためだ、ただそれだけだ) と己に言い聞かせて、周泰は彼の聞きたい答えを聞かせてやることにした。が、「ないの?」と尋ねられているということは、頷いても首を横に振っても、どちらにもとれてしまう。つまり、はっきりと言葉で言わなければならないということ。 もう少し答えやすい尋ね方をされるまで待とうか、と思ったが、 「う……うえぇぇ……」 土砂降りの前兆が見えてしまった。 「気持ち……いい、ですから……」 顔から火が出る思いの周泰だった。
途端、晴れる。 空一面を覆っていた暗雲は瞬く間に流れ去って、全開の太陽が覗いた。 そして孫権、再び嬉しそうに再開である。 あちこちを予想外に巧みに触られて、おかしな薬のせいで自制を受け付けなくなった体は、情けないほど正直に反応する。 「んー、そろそろいいのかなぁ……」 ようやく顔を上げて、孫権はなんの躊躇も情緒もなく、周泰の帯を外した。下履きの紐を緩めて、容赦なく脱がせていく。 「孫権様っ! そんなことは……」 騙されているのだ、と教えようとし、周泰が必死に言おうとする。 悪魔は一枚上手で、対策をしっかりと吹き込んでいた。 その者の言う「初夜」の作法、心得とは。
自分の望む言葉以外は言わせない。言おうとしたら次に挙げるところを素早く刺激すること。
今だとばかりに、孫権は下帯越しに、周泰のそこを強く撫でた。 制止を求めて周泰がなにか言いかけるたびに、この繰り返しである。 孫権は孫権で、ようやく抵抗しなくなった周泰を裸に剥いたまま、興味津々に目を輝かせている。自分の体とはあちこちが違うのだから当然だ。それを見ているとどきどきと、教えられたとおり、体中が熱くなってくる。 体の一部には違いないのだが、どこか別の生き物がくっついているようにも見える、と、ほとんど珍しい小動物を検分する調子で、躊躇いもせずに周泰の……に触れる。直にいじり回される刺激は、媚薬の効果もあって、尋常ではない。 忍耐と我慢にも限界がある。それでも、まかり間違っても孫権を汚すことだけはするまいとするあたりが、周泰らしい。だが、汚れてしまうからやめてくれ、と言うことさえ、やはり悪魔の手管通りに制されるのである。
ちなみに孫権は、周泰の我慢が限界を越えるのを、今か今かと待ち構えている。どうなるかはちゃんと聞いてきているのだ。そしてそのために、一生懸命に尽くしている。何故なら、そうなってくれないと次に進めないからである。袂の中に隠してある小さな入れ物を確かめながら (よーへーのばか……) などと半ば拗ねかけている。 そして、拗ねてむくれて、たぶん悪魔氏も思わなかったことを実践してしまった。 噛み付いたのである。そこに。
強烈な刺激だった。 予想していたものとは違う刺激を不意に与えられれば、守りは崩れる。 「……っ」 駄目だと思った瞬間、周泰は薬の効果を振り切って体を浮かし、孫権を突き飛ばした。孫権は後ろにでんぐり返ったものの寝台から落ちることはなく、びっくりした顔をしている。 周泰は……孫権を遠ざけることで力を使い果たして、途方も無い脱力感に襲われるまま、ぐったりと仰向いていた。頭の中では、世界がぐるぐると渦を巻いて回っている。その眩暈と浮遊感が、重く柔らかく、どこか心地良い。 自分がどんな姿を曝しているかを考える冷静さなど、存在しなくなっている。 起き上がった孫権は、その光景を見て初めて、雄を自覚した。 孫権を突き放すために体を起こした周泰は、それまでと違い、膝を少し立てていた。開いた脚と、その影になる狭間が―――
教えられたことを実行するので頭が一杯で、今まで余計なところはまるで見えていなかったが、抵抗を試みる合間、頭を動かしていたせいなのだろう。巾は外れて髪が枕に散り、汗に濡れた首筋や肩に張り付いている。上気した頬、いつもの周泰らしくなく、何処か苦しげだが、ひそめられた眉、閉じた目、薄く開いた口、そこから零れる浅く荒い息。 孫権にそんな語彙はなかったが、どうしようもなく扇情的だった。 (ううう〜〜〜なんなんだ、これ……) 自分までおかしくなってこんなふうになるとは、悪魔氏も教えてはくれなかったのだ。
どうすればいいのか、孫権にはちっとも分からない。 分からないから、なんとか教えられた通りにしようと、理性を振り絞る。 よじよじと近づいて、周泰の腹筋の上に散っている生ぬるい白濁を確かめる。これが次に進む合図だ。孫権は袂の中の入れ物を取り出した。中身は、香油。 ひんやりと冷たく、触れると心地良い。それを指にすくいとって、逆の手で周泰の膝を押す。 (ん、と……ここ……) 中までしっかりたっぷり塗って、柔らかくなるまでよく揉むように、と教えられている。 本来何に使うところなのかは孫権もよく知っているが、不思議と汚いとは思わなかった。
「な……なりません……、孫権、様、そんな……」 望む以外の言葉が聞こえる。それは止めなければならないものだ。賢い孫権は、最も強烈で効果的な刺激を与えたのがどの行動であったのか、きっちりと理解していた。 力なく寝そべってしまっているものを、軽く噛み、舌を出して舐め上げる。 「……っ、そ、そんな、ことをなさっては……い……っ」 また余計なことを言うから、噛んでみる。 (またおおきくなってきた……。んーと、これってきもちいいってことなんだよね。そっか。こうするとよーへーはきもちいいのか) 余計な学習も済ませて、あとは応用。 そして恋は、余分に惚れた者が相手の奴隷と化す定めにある。 気持ちいいことは嬉しいことだから、と孫権は周泰に喜んでもらうためだけに、仮にも主筋に当たる者が、ご奉仕くんになっていた。
鍛えに鍛えた体が蕩けるまで、となると途方も無い時間であり、労力である。 しかし孫権は諦めなかった。 一所懸命というより「いっしょーけんめー」に頑張った。 少しずつ周泰の様子が変化していくのを見ていれば飽きもせず、これまでで一番頑張ったと言える。 いよいよ頃合や良しと見極める。
ところで、この孫権は「みに」である。 「みに」ということは、全て「みに」である。 周泰には幸いだったと言える。 手でされていた時と、さほど違いはなかった。 もう半ばトびかけた意識でも、そういう事態にまで陥ってしまったことは分かる。 だが、そのことを自分がどう感じてどう思っているのかは、見当もつかなかった。 頭など置き去りにして、体が先走っている。 命がけで戦い、手傷を負う程度は当たり前、肉が裂けて広がる感触さえ分かる深手すらものともせずに生きてきたのだ。 ―――もう少し痛いくらいのほうが、良かった。
ところで。 この世にいるのは悪魔だけなのか、それとも神も存在するのか。 だがたぶん、神というのは悪魔の別名に違いない。人間にとって都合の良いことをした悪魔が神と呼ばれるのであり、根本的に彼等は同一なのである。 したがって、この世の奇跡はすべからく悪意に満ちている……。
はぢめての感覚にそう長く耐えられるはずもなく、孫権は少し動く間もなく、果ててしまった。 途端。 体の中で何かが暴れ、破裂した。 膨大な熱と共に、膨張する。 それが閃光のように散ると、 「……おお!」
孫権は、「大きく」なっていた。
自分の手と体を見て思い出す。 「そういえば、仙人の髭に悪戯をして呪いをかけられたんだったか」 ここにいるのは、立派な十六歳の若者だった。 立派に……何処もかしこも。 強く締め付けられて痛いほどになっている場所を見下ろす。そこから視線を上へと滑らせて、笑いかけた。 「私の気持ちは変わっていないぞ。『ずっと一緒』だ。ずっと、おまえは私のものだからな、幼平。とりあえず、夜明けまではまだあるな。『一緒』でいようか。なに、今まで意味は分からなかっただけで、知識は全て入っている。欲求不満の妾たちの話し相手をしたこともあるからな。ちゃんと良くしてやるぞ」 ―――こうして二人は、とりあえず朝まで「ずっと一緒」だったとさ……。
(終) |