過去ログ


2004/10/01 (金)   無限城へゆく

 とりあえず虚空・改。
 ……弱くなってる?
 30階までは楽々到達。
 ただしそこからが地獄。
 三階ごとのハイパー武将に、ほとんどダメージ与えられない現実。
 しかもうかつに地面に下ろすと奥義で反撃、ごっそりダメージ★
 こういう時は、THE お手玉。
 壁際で通常攻撃出し切り→五段止めを繰り返し、立たせないまま削り殺す。
 それでも、それでもっ。
 39階に出た孫市なんて、のけぞりもよろけもしやしねぇッT□T
 それでも強引にクリアして、なんとか42階までは突破。

 結論。
 いい武器・アイテムはここで頑張るより、素直にシナリオクリアして、練武館で金ためて強化したほうがいいと思います。鍛えても最強にはできないけど(+75が上限のものは、+60までしかいかないってなにかに書いてあった)
 ともあれ、役に立たないものの六ジン膏は手に入ったので良しとするか。
 やっぱり無限城攻略には凍牙の武器がほしい……。


2004/10/02 (土)   戦国演義

  三国志の武将だって、英雄的に物語に書き起こされ、誇張や省略の味付けをされたればこそ、有名になった部分があると思う。
 戦国の武将に有名人が少ないのは、日本という国土とその性質から来る、性格なんかのせいもあるだろうが、あえて英雄的に書いたものがない、というのも一つの理由でわないだろーか。
 資料がそれなりの数手に入る時代のことだから、史実を無視してはっちゃけることができなくて、どれもこじんまりとしている。ような気がする。全ての戦国ものを読んだわけではないのでなんとも言えないけど。
 そういう歴史小説ではなくて、娯楽としての時代小説として、ケレンや大仰さを加えたものがあれば、いくらでもヒーローはいると思うんだが。
 真田十勇士なんて、講談で虚実まじえた扱いをされたればこそ有名になった。五右衛門とか鼠小僧なんかもそうだろう。半蔵も、忍者という特殊な役割を、超人的に誇張したことによって有名になっただけでしかないような。忍者でなくただの武将として同じことしたなら、戦国ファン以外にはほとんど知られていなかった名ではないかと。

 かく言う私もさして詳しいわけではないので、同じ一族の連中だと、誰が誰のなにか、しょっちゅう分からなくなる。
 どうもまだ、キャラクタライズという点で戦国武将は弱いなと思うのであった。


2004/10/03 (日)   百万石〜

 いきました。
 でもまだ使いません。
 秀吉の五・六武器と政宗の六武器とらないとな〜。


2004/10/04 (月)   猛将伝のくせに!

 先月末に戦国無双の攻略本が出ています。
 書店勤めの、しかも攻略本担当の気楽さで、中をパラパラ覗いてみると。
 ……これはあれか。オリジナル用の「上巻」にあたるものか。
 それにコンプリートとかつけんなッ!!と思いました。
 一応10月末にもっと詳しいの出る模様。

 無双関係の本っていうと、まだ出たバトルイリュージョン8。
 立ち読んでみましたが……いや、なんかもぉ、面白いのナイから……。
 書いてらっしゃるかたにとっても、自分で「これは面白い!」ってのはなさそうな気配さえ漂っています。
 たしか戦国のほうの3にも、モロにネタかぶったヤツがあったような記憶が。手元にないんで確かめられませんが。
 もういい加減にしたらどうですかと言いたくなりました。

 人のツボは違いますから、あれでも面白いって人もいるでしょうけど、少なくとも私の目には、もう完璧に質落ちてる気がします。量産にネタがついていけなくなった感じで。
 何事も、飽きられる前に、次を期待されている内に終わりにするのが花。
 戦国のほうのアンソロも、猛将伝が出たことだしもう一、二冊出すつもりがあるのかもしれませんが、書き手のかたが余裕を持ってネタを出せる範囲で、終わらせたほうがいいんじゃないかと思います。


2004/10/05 (火)   そーいやぁ

 また本関係だけど。
 「花の慶次」が完全版で再発売。
 買っていった、とある二人組みの男性客の会話は、モロに戦国無双やってる人の会話だった……。
「これ慶次の話だよ、前田慶次」
「戦国の?」
 ……いやまあ、かつてジャンプでああして連載されなかったら、知名度なんて低いままだったと思うけど、それにしたってなんつーか……。
 「真田太平記」とか読まんのだろうな、彼等は。マンガだから読むだけで、小説だと見向きもしないんだろうな。悪いとは言わないけれど。
 むしろ、ちょっと敬遠されがちな歴史小説を少年誌でマンガ化してくれた原先生はスバラシイと思う。「影武者徳川家康」もあったしなぁ。


2004/10/06 (水)   秀吉キツ……

 五武器も六武器もきっつい。
 いい武器手に入れてからにしよう、と思ってせっせと巡ってるんだが、ほとんどのろいかというくらい、どーしよーもないモノしか手に入らない。
 さすがに「地獄」の5ステージ目を、バランスタイプのキャラでやるのはハードだ……。

 ところで、半蔵の五武器で閃光属性のものを現在主力にしているのだけれど、武将に当てるとその場でダウンして、起き上がるまで当たらなくなるのがダルい。
 やはり範囲は狭いが紅蓮のほうが使いやすいか。


2004/10/09 (土)   ハァハァハァ……

 と、とーたくが……あんなきょにゅーでびじんなおねいさんに……。

 というわけで、面白かったマンガの話。
 プレイドコミックスの「DRAGON SISTERS@」というヤツ。
 仙人から怪しい術の巻物をもらって、黄巾三兄弟が、「自分たちの国を作るのに邪魔になる猛者どもを、弱く生まれさせてくれ」と願うところから話は始まる。
 その時、不埒な張角が「どうせならカワイイ女の子にしてハーレムv」とか考えたせいで、豪傑たちが女に生まれてしまうことになるのだ。ちなみに彼等もロリーな女の子に……、
 てなわけで、関羽・張飛はかわい〜女の子。劉備は普通の青年。
 曹操は怜悧な感じの青年だけど、惇と淵は女の子。
 とーたくも女の人。ぼいんぼいんですよ。ハァハァ。
 そんでもとーたくはとーたくなのか、女の子が好きなあたりもハァハァです。
 ……あ゛、べつにそんなエロい話じゃないですけどねー?
 ともかく、ぼいんぼいんのよーえんなおねいさんになった途端、腹の底からとーたくを応援したくなった私は正直者。

 ストーリーは少しばかりアレンジされているけれど、おおまかには流れに沿うのではないかと思われる。
 「一騎当千」よりは好きだなあ。


2004/10/10 (日)   反則的……

 秀吉の五武器はなんとかとれたものの、六武器にえらい苦労する。
 池田救援がねー。
 あんなヘタレに別働隊任せるんじゃねーよー。
 まあ、四天王の一人相手にしてるんだから仕方ないのかもしれないが、それにしたって弱すぎる。
 で、なんとかがんばってがんばって倒して、参考にしているいくつかの攻略サイトを覗きに行ったら、2Pプレイができて、しかも秀吉を完全に放置できる、というのを見つけて。
 試しにやってみたですよ、2P慶次。
 ……なんてゆーかねー……。
 もはや徳川四天王も雑魚扱いな男なわけだな君は。
 あまりに余裕すぎて涙がこぼれそうでした。

 で、最後になった政宗の六武器も取りにいこうとしたんだけど、階級14で行こうってのはバカですかね、やっぱり。攻撃力135しかない状態で挑もうってのが間違ってましたかね、案の定。
 ハイパー武将相手にろくに戦えず、しかもミッションの成功・失敗条件間違えて、慶次・幸村・くのいち・武田の武将の誰かさんを同時に相手するハメに……。
 ……出直してきます……(すごすご

 ちなみに、これも2Pプレイが可能だとか。
 1Pを敵のほとんどいない海津城方面に放置しておいて、2Pで条件満たせば、海津城近くに荷駄隊が出るとかで、取り逃がしもなくなるとか。
 でもやっぱりほら、ちゃんとプレイして、どうしてもとれない場合の非常手段にしたいから。
 ここまで全て、もー無理だぁっ、ての以外はなんとか取得してきたわけだから。
 せっせと小僧を鍛えよう。
 にしても、例によって稲姫ンとこでやるんだが、ホンットこの小僧、馬に乗っているかいないかでえらく強さが変わるな……。騎乗攻撃特化装備にすると、↑の階級でも馬攻撃で雑魚の体力四分の一くらいにできる。騎乗攻撃弱いヤツは半分も減らないのになぁ。


2004/10/11 (月)   武器コンプ♪・戦国物語

 てなわけでぼちぼちミッションを埋めている。
 雑誌によると、全武器コンプで(所持している必要がある?)10万、猛将伝武将のミッションコンプで20万、全武将のミッションコンプで40万、加増されるとか。
 地味な作業やるよりは、ミッション進めたほうがいいのだろうか。

 ここから話は変わって。
 友達が、「戦国無双って、NPC武将がよく分からないからのめりこめない」と言った。武器とりに協力してもらった奴で、ACTゲームの趣味が合うので、よく一緒に同じゲームで遊ぶ相棒なんだけどね。
 なるほどなぁ、と思うのである。

 私なんぞは、幸村の川中島と長篠(上・下)、ものすごく燃えたポイントだったりするから。

 まず、川中島。
 歴史、あるいはいささか演義的な歴史でのハイライトは、信玄の「キツツキ」からはじまる。
 この作戦を提案したのは、山本勘助。このカンちゃんは、戦上手の信玄が信頼していた参謀で、家康たちもその兵法を書に残したというほどの軍師なのである。そのカンちゃんが、「啄木鳥」を提案したのだ。
 ところが、謙信はこれを見抜いてしまうわけである。そんで、キツツキくんが妻女山に奇襲をかけてくるより早く、八幡原に出撃してしまったのだ。
 アテの外れた信玄軍は、謙信軍の猛攻(車懸の陣。円形になって云々と言われているが、実際は、入れ替わり立ち代り攻撃し続けるくらいのものだったと言われている)に合って非常なピンチになってしまう。
 この時、信玄は弟で、とても信頼しかわいがっていた信繁を失ってしまう。たいそう嘆き哀しんだそうだ。信繁がいれば武田の勢力はまた少し違っていたかもと言われる、文武に優れた人物だったらしい(だから無双では、「信繁討ち死に!」とわざわざメッセが出る)。
 また、カンちゃんは、自分の作戦が失敗したのを恥じてか悔やんでか、申し訳ないといって特攻をかますのだ。で、猛攻撃するも、あえなく戦死してしまうのである(だからこれも、わざわざカンちゃんの台詞が入る)。
 そういった必死の防戦で時をかせいでいる間に、別働隊が本隊に合流。こうなると、もともと予定していた「啄木鳥」で作りたかった状態と同じになる。そんで戦の流れが変わってしまい、謙信は退却するのであった。
 ミッションに従って進むと、かなりの確率でこうなる。
 ただゲームしてるとよく分からないけれど、カンちゃんが「啄木鳥作戦」を提案し、自責の念に駆られての出撃だと知っていると、またちょっと違って見えるはずだ。なんとか助けてやりたくもなるってものである。

 で、上ルートの信玄死亡の場合の長篠。
 これが有名な、信長の鉄砲三段撃ちが行われた、実際のなりゆきにそったもの。
 決してバカな人物ではなかったのだけれど、武田勝頼は信長の鉄砲隊を甘く見て、大打撃をこうむってしまう。
 しかしこの下ルート、つまり、「もし信玄が生きていたら?」というIFルート。
 しっかり手綱を締めて兵を先走らせず、ものの見事に勝利することになる。
 信玄は上洛の途中で病死してしまうのが歴史だが、もし生きていたら、こんなふうに老練な用兵で長篠の戦いに勝利していたかもしれない。そう思うと、思わずぞっと来るくらいかっこいいポイントなのだ。
 その後の安土城・山崎はいささか「信玄ならではのIF」という感が薄い、IFというより完全な虚構にしか思えないけどネ〜……。

 実際に行われた戦いのことを、おおまかにでもいいから知っておくと、シナリオの面白みは違ってくると思ってる。
 幸村の章をそのまま解説すると、上ルートの上田城防衛戦。
 これは、相手は本当は家康ではなく秀忠。関が原の合戦と同時進行で起こっていた戦である。
 石田三成と徳川家康が激突した関が原の戦い。なんでそれが起こったかはまた別の日に説明するとして、この時昌幸・幸村親子は、上田城を任された。一大決戦の地にはいなかったのである。
 んで、徳川秀忠は、この上田城の近くを通って、関が原の家康本隊に合流すべく、大軍団を率いていた。この時、若くて血気にはやる秀忠は、「自分らの目的は本隊合流なんだから、こんな余計な城はスルーしましょう」という賢い家臣の忠告を無視して、「こんな城一つ、傍を通りながら落としてないでは恥ずかしい。カンタンカンタン★」ってな具合で、戦をけしかけるのである。
 迎えうつ幸村たちは少数。それでも、川の水量をコントロールして軍団を分断させて兵力をそいだりして健闘。ついに攻め落とさせず、持ちこたえるのである。
 で、すっかりいいようにあしらわれてしまった秀忠がのこのこと関が原についた時には、この関が原の決戦は終わってしまっていた(たった一日でケリがついたのである。ものすげースピード)。もうやることなんかなーんにもなかった、というオチ。もちろん家康パパは激怒だっただろう
 パパリンに命じられるまま、パシりまくる幸村の、なんとなくお使いばっかりさせられているシナリオなんだが、この歴史をふまえてやると、また違う。
 たった一人の猛将ではどうしようもないほどの圧倒的不利で、なんとかしなければならない戦なのである。むしろせっせとパシることで、十倍ほどもいる相手を食い止め、あわあわさせる戦いなのだ。地味でコツコツした計略で、にゃんこがライオンを追い返した戦なのである。
 気分的に、初期装備初期能力の、「今ソフトのパッケージ開けたヨ!」的幸村で、いきなりここに突っ込まれたと思うと、その危機感は丁度いいかもしれない。一騎当千もクソもない。それでも、一つ一つ計略を成功させていけば、勝てるようになる。そういう、地道な喜びの満ち溢れるべきシナリオなのだ。

 ……と、いうわけで、これからは暇に任せて、無双で出てくる武将の背景とかを、分かりやすくツラツラ書いたりもしようかなと思ってる。
 お暇な人は読んでたもれ★


2004/10/12 (火)   お市と秀吉の関係

 お市が秀吉を嫌うのには、ワケがあるとも思える。

 浅井長政という人物を分析するに、妻の実家より祖先の恩義をとったように、情より義で動くタイプ。また、この「どちらにつくか」には大いに迷ったが、家臣の進言を受けて朝倉援護を選んだ、とも言われている。自分一人であれこれ決めてどんどん進んでいくという信長タイプではなく、良く言えば慎重、悪く言えばキレが悪い。けれど、頭は良く勇気もある、信長が認めるだけはある実力派ではあったと思われる。
 こんな長政と仲睦まじく過ごしたというのだから、お市にはアイディアマンよりも律儀で地道、堅実な男のほうが気が合った、と考えてもいいかもしれない。いいことにしよう。してしまえ。
 また、長政の行動の不思議として言われているのが、信長と争う前に、何故お市を離縁しなかったのか、ということ。離縁して赤の他人になり、織田家へ突っ返してから戦すれば、もっと気楽だったはずである。長政は実はバツイチで、以前にも似たようなことがあった(妻の実家と戦する)。その時には離縁して返しているのだな。何故お市の時にはそうしなかったのか。ともするとそれは、お市が「私はもう織田家には帰らない、あくまでも長政さまの妻として共にいたい」と思い、長政もまたそう思ったからかもしれない。つまり、ラーブラブだったのだ。
 あと、信長は冷徹だから自分が浅井家にいても気にしないで戦えるが、長政は自分が敵側にいると思うより、味方であると思っていたほうが存分に戦えるかもしれない、と思ったのかもしれない。(それでも市は信長を嫌いではなかったから、危ないよと警告してあげたわけだが)

 また、お市はあくまでも武家の姫君で、秀吉は百姓からの成り上がり。そういった相手を、いささか軽蔑していたとしても無理はない。
 信長が革新的で能力主義者だっただけで、この時代は保守的、身分による隔たりもあった。しかも、女=不浄、という理念がまかりとおる男社会。表に立たず、ひたすら「夫」に献身することを美徳とされる世の中では、女性はますます保守的で封建的になっていく。「百姓風情が、お兄様に気に入られたからって」みたいに思うのも、無理はなかろう。

 お市が再婚した柴田勝家は、あまり知略には優れない猪突猛進型の武将ではあったけれど、信長に徹底して仕えた忠義者。信長の天下を横からかっさらって我が物にしようとしている秀吉と対立してもいる。つまり、この人も頑固で義理堅いタイプ。フットワークの軽いアイディアマンには程遠いイメージだ。
 勝家が負けそうになった時、お市は共に死ぬことを選んでいる。二度もおめおめと返されて生きるのは恥と思ったかもしれないが、家庭は円満だったようだし、勝家もまた、お市の命は助けてやろうとしているのだ。それを断って自害しているあたり、プライドだけと思うのは少し寂しい。

 そんなわけで、お市は秀吉タイプが嫌いだった、ということにしてしまってもいいんじゃないかと思うのである。
 世辞が上手く抜け目なく、あれこれ器用にこなす。けれど、どうも信用できない。
 女の勘だ。
 実際、秀吉は人身掌握術に長けていた。本能寺の変の後、明智光秀と山崎で戦った時も、この才能を遺憾なく発揮している。
 自腹きって金や米を分け与えて、「これでがんばってほしい」と頼んだとか、先回りして城に褒賞を用意して、辿り着いたらやるぞと鼓舞したとかいう逸話がある。人の情と欲を巧みに利用している。
 そう、利用している。
 あくまで利用した。
 本心は、信長が討たれた直後くらいから、かなり冷静な計算を始めているっぽい。今ならかっさらえるぞ、と。
 それがつい零れたのが、山崎の決着後。
 その時までは対等な仲間のように接してきた武将に、まるで殿様みたいなねぎらいの言葉をかけたというのだ。つまり、「勝ちましたぞ!」と喜んで報告にきた人に、「そうか、よっしゃー!」みたいに手を取り合って喜んだという感じではなくて、馬上から「ご苦労」とだけ言ったみたいなノリ。ものすごく感じ悪い。
 こういうこすっからさみたいなのを感じ取っていて、お市は秀吉が嫌いだったというのは、アリじゃないかと。だから、そういうところのない、真っ直ぐな長政とか、不器用なほど実直な勝家とうまくやっていった、と。

 とかなんとか、いろいろ想像できるのである。
 まあ、秀吉って無双の上ルートのはものすごくいい奴、「人たらし」で、かつ仲間の希望を裏切らない、公正な人物として終わってて気持ちいいけど、実際はまったく違うのだな。下ルートとも違う。天下とったら「オレサマ」になったのが歴史。それを再現するなら、平伏する家康とかに、あんなふうに語りかけず、「ご苦労。これからも励めよ」みたいな申し渡しをすることになるだろう。
 私は、秀吉は無双・上ルートみたいであってほしかったなと思うのだな。百姓から成り上がった。だからこそ、身分が下になる者の閉塞感が分かる。だから、武士も農民も関係ない、それぞれの役割が違うだけで上も下もない、みんなが楽しく生きられるようにしたい―――、みたいな。
 そう思ってみていると、上EDはものすごく悲しかったりするのであるよ……。


2004/10/13 (水)   村上くんってナニモノ?

 村上くん。
 阿国の六武器とろうとすれば、たぶん名前を覚えるんじゃないかという村上義清くん。
 そう、ほっとくと敵将討ち取ったり自分が討ち取られたり、けっこう真っ先に面倒見てやらないといけない奴である。
 彼は「川中島の戦い」シナリオをやると必ずいる。
 ナニモノなのか。

 わざわざピックアップしたのにはワケがあって、こいつのせいで武田・上杉が戦う理由が生まれ、川中島の戦いが発生しているのである。

 川中島の戦いは合計で五回行われている。
 その内最も有名で、無双でも再現されているのは四回目。「啄木鳥」とかが出てきたのがこれ。
 しかし一回目は小競り合い、二回目は睨み合い、三回目はよく分かっておらず、四回目で本格的なあの大激突が起こった。
 この記念すべき(?)第一回目の川中島の戦いは、領地を信玄にとられちゃった村上くんが、謙信を頼ったから起こったのである。
 信玄くんがボクの領地とった〜、と謙信くんに泣きついたら、正義と大義大好きな謙信くんは、「じゃあボクに任せなよ。近頃信玄の奴、ボクんちの近くまでのしてきててちょっと目障りだしさ」ってな具合で、戦になったのである。いやいやマジで。

 要するに謙信は、他国を侵略する意思のない人物なのである。大義なき戦はしないのだ。つか、いつもこの人は大義があって初めて戦っている。
 猛将伝の義元の川中島で、政宗が正義だなんだと言うのは、無双で戦国に触れた人には唐突かもしれないが、謙信の人柄に直結した単語なのである。
 戦バカじゃなく、どっちかってゆーと劉備+馬超みたいな人。
 だもんだから、人んち侵略して、とうとうオレんちにまで来るなんて、となって、ようやく本格的に戦う気になった、と言っていい。

 村上くんが泣きつかなくても、天下布武(武力で天下統一、って意味)を目指す信玄だから、いずれは起こっていた戦ではあると思う。ただ、きっかけとなったのは村上くんなのだ。
 もし村上くんが謙信を頼らなかったら、信玄はもう少し違った時期とルートで、謙信を下そうとしたかもしれない。

 そして私が思う歴史の「IF」は、もし村上くんが謙信を頼らなかったら、信玄は、軍神とも言われている謙信を慎重に避けて攻略を進め、充分すぎるほどの下準備をして戦ったかもしれない、ということ。
 懐柔策もあるだろうし、武将の引き抜きもあるかもしれない。軍神の潔癖さはいささかロマンティストすぎて、実生活に即していない。だから、それを少し困ったなと思っていた武将だっているに違いないのだ。そういう人を引き抜いて弱体化させ、お家騒動でも起こった後で、とかね。こっちから攻めなければこいつは動かないから、みたいに後回しにし、謙信が動く理由を作らないようにしていったら、ともすると、武田vs上杉は、武田軍の圧勝で終わったかもしれないのである。

 そんなわけで、地味〜な村上くん。
 彼を見かけたら、こいつが泣き虫の村上くんかぁ、と思ってあげよう(←違うって!!


2004/10/14 (木)   台無し……TT

 若謙信がかっこいいから、謙信が出てくるシナリオやる時には、つい2P衣装で出陣させる。
 そうすると、敵であれ味方であれプレイキャラであれ、謙信はかっこいいんだが……ナマハゲと大真面目に敵対しているのを見ると、なんていうかね……。
 「なんだその顔は」って大真面目に言うなよ、もう少しちゃんとツッコめよ!


2004/10/15 (金)   関が原の合戦について

 関が原の戦いを、大阪の冬・夏の陣とごっちゃにしている人をたまに見かける。
 どっちとも、「徳川家康が豊臣秀吉を倒した戦い」くらいにしか認識していない人が、けっこういる。
 実際は、この二つの戦いは、ぜーんぜん違うのである。
 んが、学校での歴史の授業は、こういうところをちゃんと教えずに、ただ年号や制度なんかだけを丸暗記させるからつまらないんだな。だから、この戦いsの意味とか理由とかを、知らないままに名前だけをなんとなく覚えてる人が多いんだな。

 戦国無双のシナリオには入っていない関が原の戦いだが(その一部である上田城防衛戦はあるが)、ちょいと解説してみよお。
 ただ、歴史なんてものは「解釈」でしかないし、私の知識というものは、事実を厳密に調べて導き出した結論ではなく、既に著された史観をいくつか見て、それを紹介できるレベルであることは、ちゃっかりと断っておこお。

 えー、では。
 関が原の戦い、というか戦国時代の戦について、あんましよく分からない人の誤解は、「その戦ってなんのためにやってるの? 勝つとなにがいいわけ?」ってことを、よく知らないから起こっていることが多い。
 この関が原の合戦は、家康が天下人になった戦である。これは間違いない。けれど、よくこんな、間違ったイメージを持っている人がいる。
 それは、「天下饅頭を、同級生のひでよしくんといえやすくん、どっちがとるかでケンカした」というイメージ。ひでよしくんといえやすくんは同級生、というイメージ。右と左から、「これはボクんだいっ!」と対等に手をのばしてケンカしてるイメージである。
 これは、違う。
 この「天下饅頭」、これははっきりと、ひでよしくんのものなのが本当のところなのだ。そして、いえやすくんはひでよしくんの子分なのである。
 ひでよしくんは病気(肝硬変だったらしい)で死ぬ間際、「ボクが死んだらこの饅頭は、息子のひでよりのものだよ。でもひでよりはまだ未熟だから、食べられるようになるまで、みんなでしっかり支えてあげてね」といえやすくんたち子分にお願いした。
 石田のみっちゃんは、「よしわかったよ!」と心から請け合った。何故ならみっちゃんは、ひでよしくんに忠誠を誓っていたからである。まあ、八割くらい大マジの忠誠だ。だから、遺言どおりに豊臣家の天下を存続させようとした。
 ところでいえやすくんは違う。いえやすくんには、天下饅頭を自分のものにできるくらいの才能と実力があるのだ。ホントはずーっとほしかった天下饅頭。スキあらば、いつか絶対自分のものにするぞと決意していた。
 そーしていえやすくんは、ひでよしくんの遺言を無視して、天下饅頭を自分のものにしようと動き出したのである。
 みっちゃんは「そんなのダメだよ!!」と怒った。「これは今度、ひでよりちゃんにあげるんだよ!」というみっちゃんと、「ボクんだい!」といういえやすくんとが、ケンカになったのである。
 これが、関が原の合戦が起こった背景である。……ものすごく迫力に欠けるたとえだが。

 そんなわけで、勝手なことをしはじめた裏切り者の子分・いえやすくん許すまじ、とみっちゃんは戦うことにした。
 無論、ひでよしくんの子分たちは全員みっちゃんに……ついたわけでは、ないのである。
 ひでよしくんに恩があって、「いえやすくんひどいよ」と本当に思ってる大名は、もちろんみっちゃんについて一所懸命戦った。
 だが、同じ豊臣家臣でも、「どうせボクは天下人になんかなれる器じゃないから、誰かの子分でいるしかないんだよな。だったら、強くて権力あるほうの子分がいいよな。みっちゃんといえやすくんかぁ……。いえやすくんのほうがつよいんじゃないかなぁ。負けたら追い出されるかもしれないから、強いほうにつかないとなぁ」ってのが大勢いたのである。

 とはいえ、一応はみっちゃん勢力のほうが多かった。
 ただしである。
 いつの時代でも、日和見主義という人は大勢いる。有利なほうにつければいいのであって、「俺は家康派だぜ!」という信念を持ってるわけではない人である。よく言えば中立。
 みっちゃんは、味方についてくれる人をうまく集めるのと同時に、いえやすくんに味方しない人、つまり、自分の味方でもないけどいえやすくんの味方もしない人も作った。根回しとかいろいろやってね。
 そして、「よぉし、ボクのほうが有利になったぞ」というところで戦い始めた。……はずだった。

 ところが、いえやすくんはみっちゃんのような、「しょせん子分でしかない奴」ではなかった。のぶながくん、ひでよしくんとタイプは違っても、「リーダーになれる実力のある人」だったのである。
 つまり、みっちゃんより一枚上手だった。
 いえやすくんは、「たぬき」なんて言われているが、そんなぽんぽこりんなイメージを、当時持っていた人がいたとはちょっと思えない。「狸親父」は後世の人間が感じたものだろう。
 どうすごいかというと、いえやすくんは見抜いたのである。みっちゃんの軍はたしかに大勢いるけど、この中で本当に自分に敵対し、必死に戦う気になってる数は、あんまり多くないな、と。

 みっちゃんの軍は、根回しとかでかき集めたものだった。
 勝てそうなほうにつく、といういい加減な人も多かった。つまり、勝てそうだからみっちゃんについただけだから、負けそうになるととっとと戦線放棄して、いえやすくんを怒らせないようにしようとするのである。最後まで戦うより、途中で「もう邪魔しません」と離脱したほうが、怒られるのは少なくて済みそうだからね。
 つまり、「なんとなく味方してるだ・け〜」なのだ。こういうのが、鬼の形相で戦うわけはないのであるよ。
 いえやすくんは、このいい加減な連中をうまく操ったと言っていい。
 どっちにもつかなーい、なんて奴は許さなかった。攻め込んだのである。「いや、オレ中立だよ!?」なんて言うのはシカトである。「いしだかオレかどっちにつくんだよ、え!?」という勢いなのだ。
 戦うつもりのないところに攻め込んでこの脅迫。準備もなしに戦えるわけがないから、ここは「い、いえやすくんの味方だよぉう……」と言うしかなくなる。
 そしてまた、なんとなく味方してるだけ、というのをうまく切り崩した。そして、「いえやすくんのほうが有利じゃない?」となり、寝返る奴も出た。
 少し大雑把に言えば、どっちつかずの連中を、より強力に引っ張ったほうの勝ちだった、とも言える。そしてそれは、カリスマ性や、自分の作る未来への自負の差だったと言ってもいいのかもしれない。
 NO.2でいいやというみっちゃんと、オレがレーダーになるんだといういえやすくんとでは、明確な差があったのである。

 そしていえやすくんが勝った。
 早めに寝返ったこばやかわくんとかは、一応ちゃんと取り立ててあげた。ただ、最初から味方してくれたかとうくんとかふくしまくんほど大事にしたわけじゃない。また、寝返りはしたけど、ずいぶん後になってから、という奴は、容赦なく追い出した(改易処分や処刑)のである。
 そんでとうとう、天下饅頭をぱっくり食べた……のではない。正確には、「ひでよしグループ」の中で、一番強い発言力を得たのだ。
 戦というのものは、負ければ衰退、壊滅、消滅。しかし勝てば存続というだけではない。指揮した総大将は、その陣営の中でものすごい発言力と権力を手に入れるものなのだ。
 関が原の戦いは、みっちゃんといえやすくんと、どっちが強い発言力を得られるか、という戦いなのである。
 そーして勝ったいえやすくんは、ひでよしグループの中で一番の実力者になった。「ひでよしくんの天下饅頭、ひでよりちゃんにあげない。ボクのだからね」と宣言し、ダメだと言わせない力を手に入れたのである。

 そして徳川家康は朝廷より、正式に征夷大将軍という地位を授かり、徳川幕府という軍事&政治組織を展開させるに到るのだ。
 これが、関が原の合戦の、起こった理由と、その勝利の意味である。……ものすごく気の抜ける解説だったかもしれないが。
 で、歴史の専門書とかはこれを、具体的な名前とか地位をずらずら並べて、ややこしく説明しているのである。

 っちゅーわけで以下は、もう少し具体的なことにも興味のある人向けの解説。ここまで読んできた無双で戦国に触れた人、少しは関が原の合戦について理解が深まったでしょーか。だったらいいなぁ。

 三成は関が原の合戦に向けて、まずは大義名分をかざした。それは、「秀吉様の後継者は息子の秀頼様。これはご遺言である。それを無視する家康は不忠者である」というものだ。
 そして、毛利輝元という総大将をかついだ。何故自分が総大将をやらなかったかっちゅーと、権威の問題である。茶坊主からの成り上がりの自分を侮っている大名が多いのを彼は承知していた。家康の専横にも腹を立てているが、三成にあれこれ命令されるのもムカつくという人も少なくなかった。だから、自分はあくまでも一歩退いて、トップには、家柄も地位も権威もある毛利氏(秀吉の側近衆の一人で、実績もあった)をいただいたほうが良かったのである。また、日和見主義の大名の中には、「毛利さんがあっちに肩入れするならオレも」というのが、少なからずいると読んだのだ。
 これに対し、元から三成とソリの合わなかった加藤清正らは家康についた。完全な文官型の三成を、完全な武将型の加藤らは理解できなかったのである。
 現場で命かけて戦ってる人間にしてみれば、机の前であれこれ作戦立ててるだけの人間はムカつくわけでね。「おまえ、こうすれば勝てるって簡単に言うけどなぁ」とか、「やってもみないのに勝てるはずないってどういうことだよ」とか、現場至上主義の武将には、理論なんてものは信用できなかったし、難しいことを、やるのは自分じゃないからって気楽に言われるのも(別に気楽にではないだろうが)我慢ならなかったんだろう。……と言われている。
 小早川秀秋が、この時の寝返り武将として有名だ。裏切った理由にはいろいろある。家康軍から鉄砲の弾を撃ち込まれて、「なんだこの野郎!」となるんじゃなくて、「ひぃ、お助け〜」となったとか、秀吉の養子になり、後継者となるはずだったのに、実子ができた途端に他家にまた養子に出されたのを根に持っていたとか、三成が嫌いだったとか……。
 また、この勝敗の結果には、家康の「狸」とはとても思えない速攻ぶりが関わっている。家康は北にも敵(上杉・佐竹連合軍)を持っていたから、すぐには動けないはずだった。三成はそう読んで戦を仕掛けたつもりだった。ところが家康は、更に北に伊達政宗がいて対立しているから、上杉・佐竹連合軍はまず動けまいと判断した。というか、江戸に攻め込まれる前に片付けてやる!くらいの思い切りの良さで、かつての秀吉のごとく、電光石火で関が原を目指したのである。三成は、家康が関が原に来るまではもっと時間がかかると思っていた。だから、あちこちに戦力を分散させていた。つまり、本隊がバラけてて弱かった。そこへ、家康が突っ込んできたのである。しかも、到着しない秀忠の援軍(真田親子に上田城で足止めされてたのね)なんか待ちはしなかった。待ってたら、三成のほうの態勢も整ってしまう。主力部隊が戻ってきてしまうと、明らかに自分に分が悪い。それで、「あんなバカ息子待ってられっか!」と言わんばかりに突撃してしまうのである。

 関が原の合戦については、こんなところだろーか。
 勘違いとかがないとは言えないけど、少しははっきりできた……といいなぁ。