時計の針が、また一つ進んだ。 オレンジ色のホログラフで再現された、アナログな時計。 手を伸ばして触れると、像はノイズを生んで揺れ、消える。だが手をどければすぐに再生される。何度でもだ。たまにはエラーでも起きないかと思う。 我ながら、くだらないことをしているという自覚はあった。 だが、他になにもすることがない。 することがない。 妙かもしれない。 これから数時間後には、自分は死んでいるかもしれないというのに、何もすることがないなどと、普通はありえないのかもしれない。 では、なにをするのがそういう立場に置かれた人間にとって相応しい行動なのだろうか。 家族や恋人、友人に手紙? 身辺の整理? 部屋の掃除? どれも俺にはしっくりこない。そもそも家族はいないし、親しい友人というのも失って久しい。恋人? そんなものもいない。だから、残していく物の整理をしても意味はないし、部屋の掃除は、正直なところ、面倒くさい。世の中にはチリ一つ落ちていても不愉快になる連中もいるようだが、そんなおキレイな環境には縁のなかった俺だ。 じゃあ、武器の手入れでもしようか。だがそれも面倒くさい。そもそも、それはジェイコブやギャレスが喜んでやってくれる。むしろ、俺が勝手にやると、ギャレスは文句を言うくらいだ。あれは武器オタクの領域だろう。もっとも、俺が自分でやるより彼等に任せたほうがずっと安心できる。 そんな具合に、やるべきことでもないかと思って考えるが何も見つからず、俺はベッドに転がって右を向いたり左を向いたり、そして、時計を壊して遊んだりする。 時計の針は丁度12時をさしていた。 ジョーカーは4時間かかると言っていた。つまり、残り2時間。長すぎる。 俺は反動をつけてベッドの上に起き上がり、なにかないかと室内を見回した。 もちろん、なにもない。なにもないから退屈していたのだから、当たり前だ。 ふと、誰かと話をしに行こうかと思った。 だが気が進まない。 俺たちは今までに数度、個人的な経験を入れるならば更にもう何度か、生き残れるとは思えないような戦いを経験してきた。その中で俺は、ほとんどの連中がこの「最後の平穏」を大事にすることを目の当たりにしてきた。 一人で長い長い祈りを捧げるのもいるし、それこそ家族に思いを馳せるのもいる。一人ではプレッシャーに耐えきれず、誰か特別に親しい奴のところに行くのもいる。 その邪魔をするのは、よしておきたい。 だが退屈だ、と思考がループしたとき、俺は、そういうセンチメントやメランリコリーとは無縁そうなクルーの顔を思いついた。 レックス。 彼が今なにをしているかは知らないが、300年も生きているクローガンの傭兵なら、今更おろおろしたりもしないだろう。 少し覗きに行ってみよう。そして、もし他愛ない話の一つ二つできるなら、気がまぎれることだろう。 俺はそれを期待してキャビンを出、レックスが居座っているガレージへ向かった。
ドアを開け、上陸用のホバーを回りこむ。 レックスはいつもどおり、カーゴの上に腰をおろし、自分のアサルトライフルを磨いていた。 彼は武器を他人に預けない。俺のように、自分よりは彼等のほうがマシに整備するだろうなどとは考えない。自分の物は常に傍に置き、自分で管理する。 「武器の手入れか?」 俺がなにげなく言うと、 「見て分かることを聞くな」 いつもどおり、低く鼻を鳴らして答えられた。 俺はレックスの前に積まれたカーゴに腰掛ける。 そして、不器用そうな手が、想像するよりはるかに正確に素早く動くのを眺めた。 「なんの用だ」 レックスは手元から視線も上げず俺に問う。 「用ってわけじゃない」 俺は正直に答えた。 「あんたほどの傭兵は、こういうとき、なにして過ごしてるのかと思ってな。まるでいつもと同じだな。あんたには、恐怖とか不安ってものはないのか?」 これもまた、分かりきった問いだったかもしれない。同じことを二度も言わせるな、という顔で睨まれるかと思ったが、レックスはちらりと俺を見ると、 「ふん。おまえも、そういったものを持ってるようには見えんがな」 と答えた。 たしかに。 俺は自分でも不思議なくらい、落ち着いている。 「ああ。たぶん、麻痺したんだろう。それか、一度死んで平気になったか」 思いつくままに答えながら、もしかすると本当にそうなのかもしれないと思った。 レックスは口の端を上げて少しだけ笑い、 「おまえは、銀河一タフな奴だろうよ」 と言った。まあ、死んで生き返るなんて経験をした奴が、この銀河にもう何人もいたりはしないだろう。 「あの世に置いてきたかな。怖いとか、死にたくないなんて気持ちは。けどあんたは? まだ死んだことはないだろう?」 「恐怖。それに不安か。ないわけじゃない。だが、トゥーリアンの『玉』みたいなものだな。あるかないかパッと見じゃ分からん。ここにあると言われてやっと気付く」 下品なたとえをしてレックスはにやりと笑い、俺は思わず吹き出した。 「そういやあんた、昔も似たようなこと言ってなかったか? トゥーリアンの『玉』なんて、見たことあるのかよ」 「闇市で並んで売られてるのならな」 そう言って、短く太い指で小さな丸を作って俺に見せた。それはまたずいぶんと小さくて、俺は思わず、本当にそのサイズなのかどうかと考えてまた可笑しくなった。レックスも低い声を洩らし、肩をゆすって笑う。 そしてその笑いを軽く脇へやると、 「俺はただ戦うだけだ。目の前の敵を潰し、目的に到達する。余計なことは考えん。だから、恐れることはない」 「戦ってるとき、殺されそうになってもか?」 「恐ろしいより、腹が立つな。俺を殺そうとする奴に。それから、そいつに殺されそうな俺にもだ」 「なるほど、あんたらしい。それとも、クローガンはみんなそんなもんか?」 「さあな。他のヤツのことは分からん。似たようなもんだろうとは思うが。ただ……」 レックスがためらうように言葉を切った。 珍しいこともある。 俺は少し迷うような、考えるようなレックスの顔を見て、 「ただ?」 と問いかけた。答えてはくれないかもしれないと思いながら。 レックスは俺を見る。機嫌を損ねはしなかったようだ。 そして、クローガンの中でも特に荒っぽいと同時に、クローガンにしてはずいぶん思慮深いこの傭兵は、持っていたアサルトライフルを横へ置くと、ゆっくりと慎重に、口を開いた。 「そうだな。何故かはしらんが、ついさっきふと考えた。この戦いが終わったら、と。今までにはなかったことだ」 そんなことは考えない、だから恐怖もないと語ったばかりにも関わらず、レックスは率直にそう告白した。 それでもレックスは恐怖など覚えないのだろう。ただ、今までになくそんなことを考える自分が少し不思議なのには違いない。 「この戦いが終わったら……生き延びたら、か。トゥチャンカに戻って、アードノット一家の相談役にでもなったらどうだ?」 俺が言うと、レックスは何度か頷いた。 「それも悪くはない。だが、それはもう俺の役目じゃないとも思う。新しい者だけで、次の世代を率いていくべきだろう。その時代を生きるのは俺じゃないからな。俺はもう、去るべき老兵だ」 「なんだ、珍しく弱気だな」 「馬鹿を言うな。俺はな、後のことは若い連中に放り投げて、また宇宙に出る。気に入った仕事を引き受けて、いい戦いをする。厳しい戦いだ。体中の血が滾るようなヤツがいい」 レックスの顔に凄みのある笑みが浮かぶ。 長い付き合いで、俺はレックスの感情の高ぶりが自分のことのように分かった。 彼は心底、戦うことが好きなのだ。 熱い戦い。危険な戦い。危機感が高揚感に変わるのは、俺にも分からないわけじゃない。 しかし、だ。 「そいつはちょっと難しいな、レックス」 俺が言うと、レックスは怪訝そうな顔をした。 「考えてみろ。この後のお楽しみに勝る戦いが、そうそうあると思うか?」 「ハッ! 違いない」 そして俺たちは、また二人で声を上げて笑った。 笑いながらふと思う。 乱暴で好戦的、残酷だと言われるクローガンと、こんなふうに当たり前のように話をし、戦いへの気持ちを共有できる俺は、人間にしてはだいぶ変わり者なのかもしれないと。 そうだ。 俺は認めよう。 時々、俺は自分を抑えることがある。 誰かと話をする中で、自分にとっては大したことではないことでも、相手が聞けばぎょっとするだろうと思い、あえて言わないことや、言葉を変えることがある。 だがレックスと話していると、彼の発想や考え方に驚くことはあっても、それをまるで理解できないと思うことはないし、なにより、俺は俺の思うことをそのまま口にすることができる。 だから俺は今までもこうして今も、このクローガンと話をしようと思うのかもしれない。 俺は今、自分の血が危険を前に凍るのではなく、少しずつ滾るのを感じていた。
満足した俺は、手入れの邪魔をしたことに軽く詫び、椅子代わりのカーゴから降りた。 「頼りにしてるぞ、レックス」 それを挨拶に立ち去ろうとすると、思ってもみなかったことに、レックスから呼び止められた。 「シェパード」 「ん?」 足を止め振り返ると、レックスは少しだけ考える顔になる。そして、 「おまえは、この戦いが終わったらどうするんだ」 と尋ねてきた。 死ぬかもしれないが、もし、生きて帰ることができたら? 俺は首を振り、苦笑した。 分かりきってるじゃないか。 「俺は、評議会のおつかい犬だ。面倒な仕事を押し付けられて、宇宙を駆けずり回る。今までそうしてきたように。だろう?」 悪いことを聞いたとでも言うように、レックスは軽く手を上げて、それ以上の言葉を追い払った。 だが俺はそう答えながら、そんな逃れがたい未来を、少しだけ楽しくする方法を思いついていた。 俺は大股にレックスの傍に戻った。 ライフルを持つ彼の腕に手を置き、この言葉がレックスを楽しませることを期待する。 だから俺は、できるだけはっきりと、絶対に聞き間違えないように言ってやった。 「だから」 と。
「だからそのときには、俺はあんたを雇う。そうすれば俺の仕事はずっと楽になるし、あんたは銀河中で最高に最悪な連中と戦えるはずだ」
レックスは巨体を揺らし、膝を叩いて笑い、 「違いない。まったくもってな。たしかにそうだ。おいシェパード、その話、乗ったぞ。ヤバい仕事のときには、必ず俺を連れていけ。いいな、約束だ」 と嬉しそうに何度も頷いた。 そしてもう、俺には微塵の恐怖もない。 俺はつい笑ってしまう顔を見られないようにと、急いでキャビンへ戻った。
さあ、準備をしよう。パーティの始まりだ。
The End |