一作目を改めてプレイ開始です。目標はもちろん、完全引継ぎ。
えー……カバーってどうするんでしたっけ??(汗 あ、そうか、リロード必要ないんだった! 仲間のポジション指定は左右じゃなくて上でしたっけね!? スキルは……リチャージにかかる時間長ェ!? スナイパーライフルの照準ぐらぐらするーT□T セーブとロードの位置が逆〜!?Σ(@皿@;
という具合に、かなり戸惑っております。 特にひどいのがリロードで、ついXボタンを押します。 あと、カバーが任意でないというか、壁に触れて、体を押し付けるようにしないと発生しないのが不自由です。その点2は、ダッシュで壁の近くに行くだけでも残った距離を滑りこむようにしてカバー体勢に入ってくれたりと、かなり便利になってますね。 仲間の位置は二人まとめてでしか指定できないのが不便。アシュリーは前でいいけど、ケイダンはむしろ後ろから援護してほしい……。 スナライの照準については嫌になるほど思い知ってましたが、改めてインフィルトレーターで使ってみると、初期の使いづらさに呆然とします。なにせ通常時の照準範囲がほぼ画面いっぱいって
orz
で・も。 2をやった後でも、1を古いとか画像粗いとは特に思わないのがなかなかすごいことのような気がします。 そして、字幕を見つつヒアリングし、「そうか、こう言ってるのをこう訳してるのか」と聞いている私がここにいます。「Right
behind
you」ってどういう意味だっけと思っていたら、「援護します」とこっちで字幕ついてましたね。貴方のすぐ後ろにいますよ、という意味で、背後(死角)は任せてください、みたいなところから、援護しますということなわけでしょうか。 TPSとしては、改めて一冊目の大雑把さが分かります。しかしそれは逆に言えば、2でどれだけきちんと進化してくれたのかということでも。欧米のゲームは日本のものに比べて、「前作の不満点を解消する」ことに関してはほんとに誠実で前向きだなと思います。日本製のゲームは真価や改善じゃなく別のものにしてしまったり、ほとんど変化がなかったりすることがあまりにも多い気がしますよ……。
というわけで、改めて1をプレイして、未だに書いておきたいことがいくつかありました。
最たるものは、ろくでなしハーキンについてです。 彼が、人類で初めてのC-Sec隊員であったことを今更知りました! C-Secに入れたってことは優秀だったし、認められるだけの人格も持っていたはずなのに、いったいなにがどうなって彼は落ちぶれたのか……。 長官のパリンに対して「奴は下っ端いじめが趣味だ」とか言ってるのも考えると、新人の頃に理不尽にいびられたこともあるのかもしれないと思います。 パリン長官は種族差別主義者とまではいかないと思いますが、それにしても、人間に対する評価が低いのは事実。それが20年も前で、トゥーリアンと人間との戦争の記憶がもっと生々しく、シタデルの中での人類がまさに「新参者」だった時代なら、全員の視線がもっと冷たく、警戒するようで、なにかあるごとに「人間は……」だった可能性も非常に高いような。そういう中では、努力しても「できれば当然」「できないと見下される」のが当たり前で、他の種族に比べて正当に評価してもらえなかったのかもしれません。 そのあたりが絡んだアサイメントがあっても面白かったかも。何故ハーキンがあんなろくでなしになってしまったのか。そこに理由はないのか。 単なるハゲたおっさんかと思ってましたが、彼の過去をよくよく探ってみればと、もしかすると彼もまた、あの世界で懸命に生きていた魅力的な人物なのかもしれないと思いました。
そういえば2で、ハン・オラーからメールが来てましたね。「どっかで聞いた名前だったけどどこだっけか、名前からしてヴォルスっぽいんだけど……」と思ってたら、ノヴェリアの研究施設にいた、同僚を見殺しにしてしまったヴォルスでしたね! へー、彼がなんて書いて寄越したのか、今度読んでみます。
あとやっぱり、エレベーターは嫌いじゃないです。 ここで、連れている仲間同士の会話が発生するのが楽しみで、無駄にうろうろ歩いてみたりします。 もちろん、普通に歩いているだけでも、ポイントごとに会話が発生するような場所があって、そこを通るだけで、とかいうほうが待たなくていいわけですけど。 でも、2にはないキャラクター特有の会話が聞けるのは、1だけの利点ですね。
今回はギャレスとアシュリーを連れ歩いていますが、軍とか戦闘に関する会話ばかりです。そして、相変わらず女性に失礼なギャレスくん。相手がアシュリーなのであまり気にされないのかもしれませんけど、「支援じゃなく前線にいる女性兵士は初めて会った」「女でもライフルやショットガンが撃てるって証明されるのにずいぶん時間がかかった」「戦場にいる貴方を見れば誰も疑問には思わない」なんて会話……。 たしかにアシュリーはプレイヤーたちから雌ゴリラと呼ばれてますよ。なにせレックスですらバイオティックに一部の戦闘スキルを割いているのに、アシュリーは完全ルジャーですからね。だがしかし面と向かって言うこっちゃないと思うぞ? アシュリーはアシュリーで、別の会話のときに「スペクターでもあった『偉大な』サレンを捕らえることになってるけど平気なの?」「奴は裏切り者だ。捕らえることはすべてのトゥーリアンにとっての名誉になる」「それを聞いて安心したわ。トゥーリアンに腹を立てている人間も多いから」とか言うし。目の前にいるその兄ちゃんもトゥーリアンなのに、それもやつばり、よくまあ目の前で言えるよなぁ……。 でも、「面と向かってよくもまあ」と思うことが多いのは、建前をほとんど使わないアメリカ周辺の文化で作られているからかもしれません。言わなきゃいいのに、と思うのは私が日本人だからで、アメリカの人にとっては、「思ってるなら言えよ、隠して言わないってのはウソついてるも同然だろ」なのでしょう、たぶん。 意見の違いを「貴方はそうなのね、でも私はこう」と、不快感を覚えずに思えるのは、「個人」として育てられたか、「世間の一部」であること優先されたかの差なのか……。
で・も。 アシュリーはアメリカ人だかなんだか知りませんけど、トゥーリアンとしてはどうなんでしょう。あるいはサラリアンやアサリ、クローガンは? クローガンは超個人主義でしょうね。他人がどう言おうと俺は俺。気に入れば付き合うし、気に入らないことを言うヤツなら相手にしなきゃいい。だから別に、ちょっとやそっとのことじゃ腹も立たない。「おまえはそういう奴なのか。あっそう」くらいで流されそうです。 トゥーリアンは組織を重視する種族ですが、だからこそ、個人の価値観の違いは、きちんと表明して、それをどう組織の中に組み込んでいくか、あるいは適応させていくかを考えるような気もします。だから、建前であーだこーだ誤魔化しておくのは、ウソをついているも同然、というタイプなような。 無駄な衝突を避けようとするのは、あえて挙げるならサラリアン? クォリアンも、限られた環境で限られた人物と付き合っていかないといけないので、気心の知れた相手以外には自分の率直な感情は抑えて話しそうな感じです。 このあたりも、それぞれの種族ならではの価値観や習慣があって、その上の個人の差が存在してる感がもっと強いと面白い部分ですね。
だからと言って、2で見かけるレネゲイド選択肢のひどさは、そんな理由で納得できるものじゃないですけどね! |