雨と毛玉

 その神社は水神を奉っているため、祭りの日には雨が降ることが多いと言われていた。
 そして、祭りの日に降る雨は水神の恵みで、よほどの土砂降りにでもならないかぎり、祭りが中止になることはない。
 ここのところうだるような蒸し暑い日々が続いていたが、今日は、一昨日、昨日と降り続いた豪雨の残した、涼しい風が吹き渡っていく。
「この分だと、今夜は晴れそうだな」
 珍しく、伊達が窓際で独り言を零した。
 無駄なことを自分から話すことがない伊達にしては珍しい。
 隣にいた桃が、
「今夜、何か予定でもあるのか?」
 机の上に伏せたままの格好で、顔だけ上げて尋ねた。
「祭り、おまえらも行くんだろう?」
「ああ、それか。おまえも行くのか」
「まあ」
「じゃあ、一緒に行かないか?」
「ガキじゃあるまいし、ぞろぞろと連れ立って歩く趣味はねえよ」
 そう言って、伊達は顔をしかめて笑った。

 授業が終わって、桃は富樫たちと共に、祭りに出かける準備をしていた。
 準備といっても特に何をするわけでもないのだが、不器用なくせに浴衣を着ようという連中のせいで、なかなか出発できないのである。
 そもそも和服というものは、日本人の体型に合わせて考案され、発展してきたものだから、寸胴で短足、撫肩のほうが似合う。
 筋肉で盛り上がった怒り肩の男が着ても、そう似合うものではない。
 それを知っている桃は最初から浴衣など着る気はなく、ジーンズにティシャツ、トレードマークのハチマキという姿だ。
 着付けを手伝っている飛燕と雷電は、なんとか似合うように着せてやろうと苦心しているが、だからこそ余計に時間がかかる。
 それを見越して早めに準備を始めたものの、もう予定時刻を一時間は過ぎていた。

「まだもたもたやってやがんのか」
 着付け会場となった筆頭室に、伊達の声が割り込んできた。
 ふとドアのほうを見やって、桃は思わず見惚れた。
 ほとんど黒に近いような、紫紺の浴衣を身につけているのだが、あの見事なほどの西洋人体型をどうやって隠したものか。それがあまりにも様になる。
(俺の欲目じゃないよなぁ)
 ほぅ、と桃は溜め息をついた。
「ったくそうじゃねえ。帯は腰骨のあたりで、腹のほうを背中より少し下げ気味にしろ。女じゃねえんだ。そんなに襟を抜くな。それから、正装じゃねえんだから、きっちり襟を合わせるな。懐に腕一本突っ込んで丁度いいくらいでいいんだ。そう、それくらい余らせるんだよ。裾がずれんのは気にすんな。どうせ歩いてりゃ崩れるんだ」
 もたもたしている連中に着付けのコツだけまくし立てて、伊達はさっさと出て行ってしまった。
 桃は、迷わず伊達を追いかけることにした。
 もちろん、こっそりと。

 気配を断ち、こそこそと尾行していく二号生筆頭にして男塾総代、剣桃太郎。
 桃が本気になれば、いかに伊達とてその気配を察知するのは困難で、気付いている様子はなかった。
 どう考えても己の能力の使いどころを間違っている桃だが、そんなツッコミを入れてくれる勇気溢れる相方も、今はいない。
 後ろ姿を眺めながら、裾さばきも様になる、とうっとりしているあたりが危ない。
(今度写真とらせてくれないかなぁ。肌身離さず持ち歩くのに)
 そんな甘い夢を抱くが、そんなことを頼もうものなら、「目を開けたまま寝言をほざくな」と一蹴されることは目に見えている。
 そんな桃の鼻の頭に、ポツ、と冷たい雫が当たった。
 目を上に向ければ、いつの間にか空は灰色の雲で覆われている。
(どうやら、水神様のお越しらしいな)
 ポツ、ポツ、と雫が落ち始め、やがて薄絹のような雨になる。
 夏の雨にしては穏やかな、風情のある降りかたで、本当に水神のはからいに思えないこともなかった。
 とはいえ誰も好きこのんで濡れたいわけでもなく、伊達は小走りになっている。
 雨宿りはしないらしい。
 桃も小走りに、ゴミ箱や電信柱の陰に隠れつつ追いかける。
 聞こえてくる下駄の音が、カラコロぴしゃぴしゃと心地好い。

 その音が、急に止まった。
 桃は慌てて近くの脇道に飛び込んで塀に身を寄せ、そっと半分だけ顔を覗かせる。
 伊達の足元に、白いダンボール箱。
 中から顔を出しているのは、グレー混じりの黒い子猫。
 その首からすぐ傍の電柱に、緑色をしたビニールの紐がのびている。
 しばらくは人に飼われていたのか、生後一ヶ月程度のアメリカンショートヘアだった。
 まだ綿毛のような体毛は、雨に濡れて小さな体に張り付いている。
 伊達はさっと左右を見渡して、その子猫を無造作に拾い上げ、ビニール紐を軽く引きちぎると、懐に放り込んだ。
 そしてまた走り出す。
(く〜〜〜っ、さすが男前っ!)
 桃は思わず自分の足を叩き、伊達が振り返りそうになって、慌てて気配を消した。

 静かな雨の中、祭りは賑やかに行われていた。
 出店の軒を彩る光が銀の糸に反射して、一種幻想的ですらあった。
 伊達は店を無視して神社の裏手に回りこみ、
「すまん。待ったか」
 と笑った。
 桃は素早く逆サイドへと回りこむ。
 人が待っていた時点でなんとなく予想はしていたが、やはり案の定な人物がそこにいた。
 とりあえず、当面の桃のライバル。
 言わずもがなのセンクウ。
(くっ。花火の時といい今日といい……)
「少しな。元々早めにくるつもりだったから、気にするな」
 雨に濡れていない状態では「今来たところだ」と言っても説得力はないが、それにしてもこの人は、なんとなく余人とは違う反応をする、と桃は思う。
 不自然に、自然。
 それが自然に思える、在りのままの不自然。
 そんな感じだ。

 髪を下ろして普通の格好をしていると、百九十を楽に越えるという長身もあって、外国人のモデルのようにも見える。
 悔しいが、彼が三号生の中では抜きん出て端正な容姿を持っていたことは、桃も認めている。
 あまり癖のない、誰が見ても「整っている」と言うであろうタイプ。
 桃は自分もそのタイプなだけに、分が悪いとも思っている。
 たとえば飛燕のような女性顔負けの美青年は、極端に好き嫌いが分かれたりする。富樫もずいぶんな男前だが、口髭といい手入れのなっていない長髪といい、好みは分かれるところだ。
 で、ものすごく悔しいのだが、浴衣姿の伊達と、生成りのジャケットの袖を折り上げた洋装のセンクウは、妙に絵になる。
 伊達の前髪がずいぶん下りてしまって、彼の顔の前で雫を落としているのも、濡れて色の変わった浴衣のよれ具合も、みすぼらしい猫さえ、何故かとても様になって見えてしまうのは、多分に桃の欲目もあるだろうが。

「猫を拾ってきたのか?」
 伊達の懐から顔を出し、自分を支える手に小さな爪を立てている子猫を見下ろして、センクウが笑う。

「あんたの知ったこっちゃねえだろう」
 と伊達は威嚇の態勢に入る。

 はずだった。
 というのに。
 実際は、
「放っておけねえだろう」
 と、笑い返したのだ。
 それも、今まで自分が見たこともない、少し照れたような困ったような、優しい顔をして。
 ジェラシーを通り越して、桃は放心状態である。
 そして我に返った時には、もうそこには誰もいなくなっていたのだった。

 富樫たちが、抜け殻状態の桃を発見するのは、それから一時間後のことである。

 


(桃、すまん……)

センクウの身長についての公式設定は知りませんが、
八連で飛燕を抱えている絵から推測して、一九五くらいだってことにしてます。
(もちろん髪を下ろして)
ちなみにこれは、「水も滴るいい男な伊達」「夏祭り」
「もっと甘いお話見たいな☆」「桃の飛びっぷり最高」「素直に優しい伊達」という
合計五つものリクエスト(らしきもの)の複合結果。
それにしても、いつの間に二人で会う約束するまでに……?