口 実

 通い慣れた、昼下がりの温室。
 意外な男がそこにいた。
 いや。意外といえば伊達がそこにいるよりはマシなのかもしれないが、つまり、思っているのとは違う男がいたのだ。
 死天王の将・影慶。
 伊達が彼を見て驚いた以上に、影慶は伊達を見て驚いたに違いない。
 見詰め合ったまま過ぎる時間。

「何故、おまえがここにいる」
 先に己を取り戻した影慶が、いくらか渋い声で詰問する。
 ここは三号生区域であり、召喚のない一、二号生の立ち入りは禁止されている。
 意外性ゆえではなく、規則違反ゆえに問いただす声音だった。
 言うまでもないが、相手が誰であろうと、伊達がひるむはずもない。
 ただ、どう逃れようかを考えると、口が重くなった。
 昼寝に来た、などと言うわけにはいかない。そんなことを言えば、これまでに何度も出入りをしていることにまで追及の手はのびるだろう。
 かといって、今たまたま散策でここを見つけて、と言えば、無断で入り込んだのか、と二重にうるさく言われそうだ。
 命の取り合いにまで発展するならともかく、小競り合いは伊達の趣味ではない。面倒だから、嫌いなのだ。
 どうしようか、と考えてあぐねて、つい
「呼ばれたんだ」
 と口から出任せに嘘をついた。
 あまり、利口な嘘でない自覚はある。
 影慶もその一言を信じている様子はない。
「センクウから、か? 何故?」
 思ったとおりの次の質問に、伊達は心の中で悪態をついた。
「そんなこと、俺が知るかよ」
 牽制。
 嫌な沈黙。

「なんだ、伊達。来てたのか」
 そこへ、聞きなれた声が割り込んできた。
 伊達は、影慶に気をとられすぎて、今の今まで近づいてくることに気付けなかった自分に呆れる。
「センクウ。何故、伊達を呼んだ?」
「え?」
 挙げ句、嫌な展開だ。
 出任せにせよ、もう少し考えればよかったかと思ったが、もう遅い。
「呼んだわけではないのだな?」
 確信を得た、影慶の声。いくらか棘々しい。
「ああ、なんだ。そんなことでピリピリしてたのか」
 だがセンクウは、棘など頭から無視して、笑って答えた。
「いや。呼んだんだ。一号生たちの話を聞きたくてな」
「何故伊達を。剣でも呼ぶほうがいいだろう」
「そうか? 俺は伊達のほうがいいと思ったんだが。剣は、規範的な答え方をせざるを得ないだろう? 伊達は、そうせねばならないとしても、そうはしない。本当のことが聞ける。違うか?」
 どうやら、誤魔化すのに手を貸してくれるらしい。
 伊達は勝敗のついた問題の成り行きにほっとした。

 それにしても疑問は、影慶が何故ここにいるのか、ということである。
 もちろん、伊達がここに来ることにくらべれば大した謎ではないが、これまでに一度として見かけなかった相手であるし、やはり、草花の世話とは無縁そうだ。
 だいたい、真夏でも手袋を外せそうにない、毒手。
 今も黒い皮製の手袋をつけているが、そのままでは花はいじれまいし、外しては毒が混じる。
 なんのためにここにいるのか不思議ではあったが、それを問う伊達でもない。
「それより、ほら。どれにするか選んでくれ」
 センクウが影慶に笑いかける。
 影慶は温室の中をざっと見渡し、いくつかの花を示した。そのうちの一種類を、相応しくない、とセンクウが拒む。と、影慶はあらためて一つ、指差した。
 やがて、それらの花が束になって影慶の手に渡される。
「いつもすまんな」
 それから、影慶はセンクウに向けて顎を引くだけの礼を見せた。

 影慶が去っていった後で、自然に、伊達は問う顔になる。
 センクウは少し考えたようだが、
「邪鬼様に、差し上げるものだ」
 慎重な声で、そう答えた。
「……そういうことか」
 その花をもらうために、花に縁があるとも思えない影慶がここに来ていたらしい。
 なにげないことで、特におかしなことではない。
 そう分かるが、伊達にはどうしても納得のいかない行為でもある。
 この世から消えた人間に花など手向けて、何になるというのか。
 その花を見ることもないだろうに。
 だが、そんなことを口に出してわざわざ不興を買う気はなかった。
「律儀だな」
 何も言わないとかえってふと余計なことを言いそうで、伊達はそれだけ言って、芝生に座った。

 それからいつものように眠ろうとしたが、ちらちらと頭の中を思考の断片が流れていくせいで、なかなか寝付くことができなかった。
 その内に、何故か影慶が戻ってきてしまったから、伊達は慌てて枕を片付けることになった。
 わざとらしく、そしてさりげなく、話していたような場を作る。
 やってきた影慶は伊達を見ると、あからさまに「まだいたのか」と言いたげな顔になった。
「どうした?」
 それにとりあわず、センクウはいつもの調子で話し掛ける。
「いや……。少し、話でもと思って来たんだが」
「なんだ。珍しくさっさと帰るから、用事でもあるのかと思ったんだが」
(「珍しくさっさと帰るから」?)
 ということは、いつもは長居しているということだ。
「話の、邪魔をするのも悪いかとな」
「おまえがいたところで悪くはないことだぞ。何を妙な気を回している?」
「そうかも、しれんが」
「丁度いい。俺も聞きたいことは聞いた後だ。堅苦しい話は、ここまでにしよう」
 うまく誤魔化してくれるのはありがたいが、伊達としては、このままここにいて影慶と何を話せばいいのか、まるで分からない。
 何か切っ掛けでもないことには、話のネタもない相手だ。
「じゃあ、俺は帰るぜ」
 結局、今日は退散するしかないらしい。
「もう帰るのか?」
「一応、次の時間くらいは出てやらねえと鬼ヒゲが卒倒しそうだ」
 面白そうに笑うセンクウと、仏頂面の影慶を残して、伊達は温室から出た。

 寝るつもりで来て眠れなかったせいか、妙に目の奥が重い。
 眠気覚ましに、と制服のポケットを探って、煙草がないことに気付いた。
 あまり深くないこのポケット、中のものがよく落ちるのが難点だ。
 一日に何本も吸うわけでもなく、何日かに一度、という割合で思い出したようにくわえる伊達の煙草は、同じ箱が長い間ポケットに入っているものだから、程なくしてくしゃくしゃになる。
 ゴミのようにも見えてしまうそれを、ああいう清潔で手入れの行き届いた場所に置いてきたくはない。
 そう思って引き返した。
 日差しを受けて透き通るガラスの箱庭は、中に抱いた彩りを惜しみなく曝け出している。
 その合間に、笑っている二人の顔が見えた。

 センクウが笑っているのは、いつものことだ。
 だが、影慶があんなふうに笑うとは、想像もできなかった伊達だった。
 屈託なく、楽しそうに、優しい顔をしている。
 伊達が知っているのは、張り詰めた厳しい顔だけだ。
 何を考えているかも分からない、我も私もない、鉄面皮。
 まるで別人のように見える横顔を、伊達は、しばらく放心したように見つめていた。
(……口実、なのかもな)
 安らいだ笑顔に、そう思う。
 虚勢を張る必要もなく、笑いたいように笑わせてくれる相手の傍で、時を過ごす。
 痛みや哀しみを忘れているためには、何か温かいものが必要だ。
 花を受け取り捧げるそこに、追悼の意思があるのは疑うまでもない。だが、そんなことをどれだけ繰り返しても、気は済まないだろう。
 花を手向けてそれだけで喪失感を忘れられるなら、それほど簡単なことはない。
 存在の消えた空白の生々しいうちは、回向の花に意味など、ない。

(ん?)
 急に、影慶の顔が不愉快げになった。
 何かと思えば、どうやら伊達の残していった煙草を彼が見つけてしまったらしい。
 むっとして何か言っている。
 日差しを弾くガラスのせいで、唇を読むことができないが、どうせ自分に文句を言っているんだろう、と伊達は乱暴に頭を掻いた。
 わざと無神経に温室のドアを引き開け、中に進む。
「気が付いたのか」
 センクウが微笑む。
「ああ」
 返せ、と伊達は影慶に向かって手を差し出す。
 相変わらずの無表情で、影慶はよれたマルボロの箱を、伊達の手に置いた。
 その顔と、さっきまで見ていた笑顔との落差に、伊達はつい吹きだしてしまった。
「なんなんだ」
「いや。笑ってりゃ普通の男なのにな、と思って」
「……なんだと?」
「あんた、仲間といる時だけは笑うんだな」
 伊達の言葉に、影慶が狼狽するのが分かる。
 そのせいで、つい、
「邪魔はしねえよ。あんたに必要なのは、花じゃなくてそいつらしいからな」
 揶揄半分、付け加えてしまった。
「どういう意味だ」
「そのままさ。そんなに殺気立つなよ。安っぽいぜ」
 今度こそ本当に戻ろう、と伊達は煙草をくわえ、背を向ける。
 それからライターを探って取り出し、やめた。

「ほら、な?」
 後ろからセンクウの声がする。
「ふん。少しは遠慮というものを知っているらしいな」
 それだけで、伊達は先刻遠目に見た二人の会話の一部が分かった。
「俺も、こんなとこでモクふかすほどふざけちゃいねえ」
「どうだか」
「なんだと」
「よせ、二人とも。ここで喧嘩するなら、それこそ容赦せんぞ」
「あ、わ、分かった。すまん」
 死天王最強の影慶も、センクウには弱いらしい。
 そういうところがおかしくてまた伊達は笑いたくなるのだが、ここで影慶と喧嘩をしてもはじまらない。
 興味のないふりで、温室を離れた。

 伊達の中を、言葉にならない曖昧なものが漂っている。
 考えようとしても漠然としすぎていて、何処から何を考えていいのかすら分からない。
 校舎に入った時、天啓のようにふっと
俺も大差ないのかもな
 何かが、よぎった。
 だが、それは言葉になる前に消えてしまう。
 何か、あまりいい気分ではない。
 妙に落ち着かない。
 それがどういう理由からか、考えたがやはり分からなかった。

 

(了)

自分でもけっこう気に入っている話です。
どんな特別なこともない日常の1コマと、そこにある思いや表情を少しは書けたかな、と。