約束の証をたっぷりと味わって、それからゆっくりと二人で過ごして、伊達は上機嫌で二号生校舎を出た。 と、玄関口の柱の傍に、蹲っている影がある。 白いハチマキが、夜目にも鮮やかだ。 「桃」 何してやがんだ、と目で問うと、膨れっ面の桃は、立ち上がって腰の埃をはたいた。 「拗ねてた」 そして、憮然と言う。 あまりにもそのまま過ぎて、伊達は苦笑する。 桃が自分を気に入っていることなら、伊達も知っている。 しかし、一応は赤石のことを思えば、二人とも相手にするのはいかに伊達でもまずいと分かっている。 それで、桃のことは相手にしてこなかったのだが、なかなかに桃は諦めない。 どうやら今日も、自分を追い掛け回してしていたらしい。
「で、いつから何処まで見てた」 伊達が問う。 桃が本気になって気配を消していれば、いかに伊達でも察知することはできない。 桃の陰形の術は恐ろしいほどで、気配を完全に消されると、目の前に見ている姿さえ、認識しがたくなるほどだ。見えていて、そこにいると分かっていても、ふと気を緩めれば見落としてしまう。 自分には真似のできないことだが、伊達は別に悔しいとも思わない。 桃はそれほど大した奴なのだ。 そんな桃が、そんな極まった技術と力量の全てを費やしてまで、自分を追いかけているのは、悪い気はしない。 「最初から、ここに入るまで」 叱られて言い訳をする子供のように、桃が呟く。 「最初、てのは何処だ」 「おまえがあそこに行くところ」
どうやら、昼休みの後から延々と張り付いていたらしい。 ということは、桜の下での一幕も見ていたということだ。 もっとも、伊達がそのようなことを気にするはずもない。 「で、今までここにいたのか。ご苦労なこったな」 「してたのか」 桃はストレートに聞くし、伊達は動じもせずに答える。 「飲んでたわけじゃねえしな」 酒の匂いがしないのだから、それ以外で伊達が、赤石のところに三時間もい続ける理由はない。 「ずるい」 並んで歩き出しながら、桃が零した。 「俺だってこんなに好きなのに」 「仕方ねえだろう。アイツにちょっかい出したほうが早かったんだ」 「なんで俺じゃなかったんだよ」 「どう考えたって赤石のほうがいたぶり甲斐あるじゃねえか。おまえじゃあ、どんな暴投したところで、あっさり捕って投げ返してくるからな」
そう言われてしまうと、身も蓋もない。 伊達の遊び相手には、まずは剛速球から変化球まで受け取る技量と、とんでもない大暴投を拾いに行く律儀さが必要だ。 暴投したのを毎度キャッチされては、伊達は面白くないのである。 もっともな答えを聞いて、桃はそれっきり何も言わなくなる。 そのまま寮に戻り、伊達の使う部屋の前にまで来て、入ろうとする伊達の制服を、桃が掴んだ。 「なんだ」 「あの木に約束までして、俺の可能性、もうゼロか?」 諦めの悪い桃に、伊達が笑う。 「仕方のねえ野郎だな」 言って、伊達は桃を中に引っ張り込んだ。
先に部屋にいた三面拳に、 「今夜はどっか他で寝な」 と言いつけて追い出してしまう。 そして伊達は、部屋の真ん中にどっかりと腰を下ろした。そして、手をのばして壁際に並んでいた一升瓶を一つ、引き寄せた。 「伊達?」 「桃。おまえに決めさせてやる。……ここに、酒が三升ある。一晩中俺と差し向かいで飲むのがいいか、それとも、俺とヤるか」 「だっ、伊達!」 「好きなほうを選べ」 「そんな……」 それはもちろん桃としては、選びたいのは……だが、そんなことをしては、伊達に赤石を裏切らせることになってしまうし、何より、赤石をないがしろにするような真似はしたくない。 考えるまでもなく、選べるのは一つだけだった。
「……もっとくだらない奴が相手だったら、良かったのにな」 そうすれば簡単に奪い取れた。 だが伊達が、くだらない奴に身を与えるはずもないのだ。 桃は棚に寄り、自分の分と伊達の分と、コップを出してきて座る。 一つを渡し、自分の手に残したほうを、突き出す。 酌くらいしてくれてもいいだろう、と。 歯で栓をあけた伊達が、桃のコップにたっぷりと酒を注いだ。 けれどなんとなくそれに口をつける気になれず、桃は溢れそうな酒の面を見つめ、未だ諦めのつかない自分に溜め息をつく。 ふと、視界に、伊達の手が入ってきた。 手首をとって逆の手でコップを奪い、目で追った先で、零れかかった縁に口をつける。 そして。 キス。
流れ込んでくる、ぬるい酒。 桃は目を大きくあけたまま、呆けたように伊達の顔を見ていた。 「これっくらいならいいだろう」 口元を拭った伊達が、にやりと笑う。 受け入れてはやれないが、それでも、なんとかしてやれたら良かったんだが、と思うくらいには、思ってくれていることの証。 少なくともその気持ちくらいは、独占してもいいのだ。 「もう一回。な?」 桃が少し近寄ると、伊達はまた一口、酒を含んだ。 飲み干して、そのまま戯れる。 追えば逃げるが、諦めようとすれば立ち止まって、振り返り、触れる。 まるで自分たちのようだと、桃は小さく笑った。 そんな桃の思いを知ってか知らずか、伊達の制服に張り付いたままだった花片が一枚、ふわりと落ちて酒に浮かんだ。
(おじまい) |