土曜の夜はロシアンカレー

「何故皆してうちにくるんだ」
 苦笑しながらも、センクウは人数分の紅茶を淹れた。
 のどかな土曜の昼下がり。
 秋晴れの空の下、ベランダで洗濯物など干している時に、まず訪ねて来たのは影慶だった。
 超のつく国際的一流企業の会長に、秘書兼ボディガードとして雇われている影慶に、休みというものはほとんどない。
 九十過ぎて矍鑠とした会長のスケジュールを管理しつつ、たいていの場所にはお供しているためである。
 その会長宅がセンクウの暮らすマンションからはそう遠くなく、車でなら十分もあれば着いてしまうから、体の空いた影慶は、こうしてその帰り、たまに立ち寄ることがあった。
 しかし卍丸は怪しげなブローカーを生業として、国内どころか国外まで飛び回っている。
 それが、たまたま暇ができたから、といきなりやってきたのが、影慶が部屋に入ってから三十分後。
 それから十分ほどすると、今度は羅刹が現れた。
 所用で近くまで来たから、とのことだったが、こうして奇しくも元死天王四人、約束したわけでもないのに揃ってしまうことになったのである。
「だってなぁ。羅刹ンとこ行ったって、気のきいた茶でも出てくるわけじゃねえしよ」
「住所不定な奴に言われたくはない」
「なんだよ。その代わり俺は、たいてい何処にいたって、美味いコーヒー出してくれる店の一軒やニ軒知ってるぜ?」
 言い合いをはじめる羅刹と卍丸を見やって、影慶はセンクウへと、肩を竦めて苦笑した。

「喧嘩もいいが、冷めない内に片付けてくれよ」
「スコーンか。焼き立てってのは初めてだな。美味そうじゃねえか」
「こら、そのまま食うな。今ジャムを持ってくるから」
「ンな甘いモンいらねえよ。バターだけでいい」
 一つ丸ごと口に放り込んで、卍丸はさっそく次の一つに手をのばした。
 そこにセンクウが、シナモンパウダーからベリー系のジャム数種、マーマーレード、生クリームにペースト状のチーズなど、ずらりと並べたトレイを持って戻ってくる。
 全てが在り来たりな市販品ではなく、ラベルも何も貼っていない揃いの瓶に入っているところを見ると、ほとんどは手作りのものらしい。
 たしかに、本格的なアフタヌーンティーの場合、出されるものは全てその家で手作りしたものであったりするが、日本在住の一人暮らしの男が用意するには、それなりに意外性のある品揃えだ。
「相変わらずマメだな。食事もちゃんと自炊しているのか?」
 影慶がクリームチーズを乗せたスコーンをかじりつつ、問い掛ける。
 当たり前のようにセンクウは「ああ」と答えたが、
「へえ。俺なんかここ一年ほど、鍋握ったこともねえな」
 卍丸はやけに感心して何度も頷いた。

「しかしあれだな。自炊したほうが安くつく、というのも、あまりアテにはならんもんだな」
 羅刹が紅茶のおかわりをもらいつつ、渋い顔をした。
「そうか?」
「野菜は使い切らんと駄目になるし、何より、作っている時間がな。一時間かけて作るより、その一時間働いて手軽に済ませたほうがいいような気がするんだがな」
「では何か。おまえもほとんどレトルトやインスタントか?」
 影慶の声音は、いささか呆れたようなものだった。
「む……、まあ、そうなるな」
「ということは、おまえたち三人が三人して、出来あいものばかりということか」
 センクウの声は、それに輪をかけて呆れている。
 影慶たちが頷くと、それをそのまま、
「呆れた」
 と言葉にして溜め息をついた。

「仕方ねえだろう。こっちは羅刹の言うとおり、台所そのものがねぇんだ」
「ホテル住まいは分かるが……ルームサービスをとるより、ファーストフードだろうな、おまえの場合」
「う……。だ、だってよ、注文してから二十分も三十分も待ってらんねえぜ? ハンバーガーとかなら車ン中で移動しながら食えるしよ」
「それに最近はコンビニの弁当も馬鹿にはできんのだぞ」
 便乗して言い訳しはじめる羅刹に、影慶は笑いをこらえている。
 黙って二人の言い訳合戦を聞いていたセンクウは、そろそろ言葉も出尽くした頃を見計らって、じろりと二人を睨んだ。
「もういい」
「な、なんだよ。こんなことくらいで怒るなよ」
「まったく、要するに二人とも、面倒なだけだろうが。それをよくそこまであれこれと、こじつけられるものだな」
「め、面倒というのも否定はせんが……。いや、センクウ。おまえは思わんのか? 一時間なりかけてこさえても、結局食うのは己一人だぞ。誰が喜んでくれるわけでもなし」
「ん……、まあ、それは……」
「確かにそうかもしれんな。作っている時間と作る甲斐とを考えると、食事や料理にかける手間を、他のことに有効活用したほうがいいか」
「影慶。おまえまでそんなことを言い出すのか」
「そうは思わんか? 羅刹も何かと忙しいわけだしな」
 影慶に問われて、センクウが口篭もる。
 それを、羅刹と卍丸は面白そうに眺めている。
 気付いたセンクウが彼等を見やると、わざとらしく視線を外した。

 まあそんなことよりよ、と卍丸が違う話題を持ち出してきたので、自炊の話はそこまでになった。
 誰もそんなことで論議しているよりは、お互いの日常についての話などのほうが聞きたいのだから、話は転々としながら和やかに穏やかに、時は過ぎていく。
 四時を回った頃だろうか。
 来客があり、センクウが少し場を離れたが、すぐに戻ってくるとまた元の位置に腰を下ろした。
「どうした。何か用事なら、俺たちは帰るぞ?」
 センクウのほうから「何だった」と言い出さないものだから、羅刹がそう問う。
 と、センクウは
「いや、気にするな。向こうは毎週のことだしな。明日にでもまた来てもらうことにしたから」
「毎週? 何か習い事とかやってんのか?」
「まさか。別にここに入れても良かったんだが、居辛いだろうしな。向こうも、おまえたちが来ているといったら逃げていったよ」
「……彼女か?」
 ニヤ、と卍丸が笑う。
 センクウは珍しく、少しだが声を立てて笑った。
「通い猫だ。週末になるとやってくる」
「猫、ねえ」
 よく、同棲している彼氏や彼女のことを、「電話番もできる猫」などと言ったりするから、卍丸はそれだろうと見当をつけたのか、ニヤニヤ笑いは絶頂に達する。
 今にも、いつの間に見つけたんだ、と言い出そうとした時、
「もしかして、あの大猫か」
 横から影慶が口を挟んだ。
 「あの」の妙なアクセントを置いた言い方に、センクウは「正解」を意味する笑みを見せた。

「なんだ、まだ付き合いがあるのか」
「え? 影慶、おまえは知ってんのか?」
 言いながら、卍丸は羅刹を窺うが、彼には見当もつかないらしく、要領を得ない顔をしている。
「ほら、温室に通っていたという例の傷猫だ」
「あ、ああ! アイツか!」
 影慶がそこまで言って、卍丸と羅刹は同時に手を打った。
「なんだ、えらく親密なのだな。あまり接点があるようにも思えんが」
 羅刹は今一つ腑に落ちないのか、何故か困ったような様子になる。
「接点がないと言えば、誰しも最初はそんなものだろう。付き合いに必要なのは切っ掛けだけだ。俺たちも、そうそう接点がある性格だとは思えんが?」
「そりゃそうだ。趣味一つかぶってるわけじゃねえからな」
「そういうことだ。逆に言えば、どれだけ接点があろうと性格や嗜好が似ていようと、それだけで付き合いが続くわけでもない。それにしても、おまえと付き合って少しは遠慮というものを覚えたのか、あの男も」
「なんなんだそれは。本人が聞いたら怒るぞ。いくらなんでも、ここに入ってきて平然としていられるのなど、剣くらいのものだろう」
「は! そいつぁ違いねえや!」
 名前が出てきた一号生筆頭が、同時刻、くしゃみをしていたかどうかは、定かではない……。

 腹が減ったな、と卍丸が言い出した時には、六時を回っていた。
「急いでないなら、うちで食べていけ」
 時計を見た卍丸へと、センクウが言う。
「お! ってことは久々にマトモな手料理が食えるわけだ。期待してるぜー、センクウ」
「馬鹿。おまえも手伝うんだ」
「マジか!?」
「誰が無料奉仕で賄いなどしてやるか。いい機会だ。食べたいなら手伝え」
「分かった分かった。しかし俺の手はこれだからな。あまりできることもないと思うが」
「なんだ、おまえは仕方ないから、待っててくれればいいのに」
「ヒイキだろ、それ!?」
「影慶の場合は、ちゃんと自炊しようと思って、その時間があっても、したくてもできないんだぞ。だったらたまに俺のところに来た時にくらい、その場で作りたてのものを食わせてやりたいとも思うが、おまえたちはやろうとすればできるのをやらんだけだろうが」

 どうやら最初の話、あれであっさり納得して退いてくれたわけではないらしい。
 まさか四時間もたってから逆襲されようとは思ってもみなかった羅刹と卍丸である。
 しかしここで食い逃すのは惜しいという気持ちが働いて、結局は二人とも、手伝うことを承諾したのだった。
 しかし、まさか買い物の段階からとは、誰も思っていなかった。
「人の三倍は食う奴が三人も余計にいるんだ。材料が足りん」
 と言われればたしかにそのとおりで、近くのスーパーへと出かけることになる。
 センクウは最初、自分は下ごしらえにかかって、三人にお使いを任せてみようかとも思ったが、そんなリスクの高いことはやめにした。
 影慶はともかく、どうやら羅刹と卍丸は野菜や肉類の選び方も分かっていないようなのである。
 かといって、自分一人で行くのも癪だ。
 相棒に誰か一人連れて行けば荷物持ちくらいはさせられるが、二人を部屋で楽させておくのも無性に腹立たしい。
 結局、四人で。
 が、さすがに180cmを越える上に体格もいい男が四人も連れ立っていては不気味なくらいに目立つので、二人づつに分かれることにした。

 メニューは、簡単に作れて失敗も誤魔化しやすい、カレー。
 影慶と羅刹に肉、調味料を買いに行かせ、センクウは卍丸を連れて野菜コーナーへ。
 どれでもいい、とばかりに適当に籠に放り込みそうになる卍丸を小突いては、鮮度の見分け方の講釈までするハメになる。
「食えりゃいいじゃねえかよ」
 ぶー垂れる卍丸に、睨むのではなく笑いかける。
「適当なものならその辺の店でも食えるだろうが。少しは美味いものが食いたいなら素材も選べ」
「……本格的なモンなら専門店に行けば食えるじゃねえか」
「だったら行って来い。無理してうちで食ってもらわなくとも結構だ」
 にこやかな笑顔のまま出入り口を指し示すセンクウに、
「はいはい、次はジャガイモか? それから何買うんだ?」
 卍丸は慌てて背後に回ってその背を押した。

 影慶、羅刹組のほうは言われたとおり、真面目に律儀に常識的に材料を揃えてきた。
 会計の段階で誰が払うか多少もめたが、結局、満足に手伝えない俺に支払わせろ、と影慶が主張を押し通して一段落ついた。
「いいのか、本当に。いつもおまえが……」
「気にするな。おまえは部屋を提供しているだろう。それに、真面目な学生に金を出させるなど、一端の社会人としては恥だ」
「だったら俺たち三人で割り勘にしようぜ」
「うむ」
「羅刹。これから事業を立ち上げようという時に、無駄金は使うな。卍丸、おまえだって入る時には入るが、危なくなれば出て行く一方になるだろうが。その点俺は、収入は安定しているが時間はなくて、金をかける趣味があるわけでもなく、使い道がないからな」
 そう言われてしまえば、反論の糸口はない。
 たかがカレーの材料ではあるが、食後のデザートにでもするつもりか、ヨーグルトだのなんだのという品まであり、それが更に、一人あたり人の三倍は食えるというのが四人いるのだから、その金額も馬鹿にはならない。
 とはいえ、影慶の月収から考えれば取るに足りない金額でもあり、羅刹と卍丸も財布は仕舞うことにした。

 材料をずらりと並べると、決して小さくはないテーブルだが、端の物は落ちそうになった。
 さて始めるか、と黒いエプロンをつけ髪を項で括り、センクウが袖をまくる。
 それにしても、大柄な男四人では狭いことこの上ない。
 それを理由に辞退しようなどという不届き者には「食わせんぞ」と脅しをかけておいて、調理スタートである。
 それは、センクウの苦労の始まりでもあった……。


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