紅染めの花

 殺してやろうか。
 伊達は何度となくそう思った。
 退屈で、つまらない。
 掛け算、引き算、足し算、割り算。
 せめて因数分解くらいならばともかく。
 そして、それが分からない奴等。
 くだらない精神論。
 古臭い黴の生えた武士道。
 そんな御託をどれだけ覚えたところで、実際に戦うとなればなんの役にも立ちはしない。
 あの刑事も馬鹿な奴だ、と伊達は腹の底で笑う。
 三日に一度は人命に関わる喧嘩を繰り返し、少年院に放り込んでも即日脱走、保護者もなければ所属する機関もない、何処から現れた何処の誰とも分からない不良を町から片付けるのに、ここを選んだ。
 更正できると思っているのか、消えてしまえと思っているのか。
 そんなことは伊達の知ったことではないが、とにかくここも、やっぱりつまらない。
 どうせならこいつら全員、ここにいる奴等全員半殺しにして、また何処か他へ行こうか。
 金は、ここにも金庫くらいあるだろうから、そいつをもらって外国に行くのもいい。
 女っ気もなければ面白いこともなく、汚いもの、目障りなもの、喧しいもの、臭いもの、見苦しいもの、醜いもの、とにかく腹立たしいものばかりしかないこんなところ、壊してしまえ。
 伊達は制服の下に隠し持っていた槍に触れる。

 その時、いきなり何かが、日差しを遮った。
 窓に、影。
「少々失礼しますよ、教官」
 その影が甘い低音で喋った。
 呆気にとられて静まり返る教室に、ふわりと降り立つ。
 伊達の、机の前に。
 蘇芳色のマントに逆立てた髪、といういでたちの、金髪碧眼の男。
 突然の侵入者にも関わらず、教官は一言もなく、どころか青褪めている。
「伊達、臣人。少し付き合ってくれ」
 にこやかな笑いを見せて、その男は手を差し出した。
 なんだてめえは、と視線で伊達が問う。
 答える意思のない、ただの笑顔。
 差し出された手を見て。
 伊達はのばした槍を一閃させた。

 机が叩き割られ、前にいた塾生は制服の前を切り裂かれる。
 だが、その男はそこにいなかった。
「いきなりそうくるか、普通」
 笑みを含んだ低い声が、窓のほうから聞こえる。
 見れば彼は窓枠に乗って、屈んでいた。
 とんでもない身のこなしだ。
 いくら本気ではなかったとは言え、柄で殴りつけて黙らせるくらいのつもりではあったのだ。
 思いがけないことに動きを止めた伊達の手を、彼が掴む。
 そして、ものすごい腕力で引っ張って、窓から飛び降りた。
「!!」
 予想だにしなかったことに、伊達は頭から落ちることになる。
 体勢を整えようにも、片手は掴まれたままだ。
 まさか二階の窓から墜死か、などと馬鹿げたことを思った途端、ぐん、と強く振り回された。
 墜落の衝撃が、柔らかい。
 というか……。
 着地した「侵入者」の腕の中に、横抱きに抱えられている。
 あまりの突拍子もない事態に茫然となった伊達を下ろしてやって、あらためて手をとり、彼は歩き出した。
「教官。こいつをお借りしていきます」
 と言い残して。

 伊達が連れていかれたのは、校舎裏の桜のところだった。
 見事な巨木で、初夏にも関わらず花をつけている。
 風に花びらを散らすその下。
「伊達臣人。俺と、付き合わないか?」
 前置きもなく言われて、伊達は槍の穂先をその男の喉もとに突きつけた。
「てめえ、なんなんだ」
「何について聞いてるんだ? 名前か?」
「いきなり人をこんなところに引きずり出して、なに考えてやがる。何モンだって聞いてんだ」
「この塾の三号生、名はセンクウだ。ここに連れてきたのは、今言ったことに頷いてもらうため」
 三号生。
 今の今まで見たこともなかったが、どうやら何処かに存在しているらしい。
「で、付き合え、ってのは、なんなんだ」
 その気になれば、この槍の一突きで殺せる。
 先端が触れて小さく血が流れ出している状態から、逃れるすべはない。
「そのままだ。俺の恋人に」

 殺す。
 そういうくだらない冗談ごときを聞かせるために、人をこんなところにまで連れてきやがって。
 今ここで殺す。

 だが、突き出した槍の前にやはり人はなく、死体もなかった。
「危ないな。そうくるとは思っていたが」
 樹上から声がした。
 そして、血が滴り、後を追って重厚なマントが落ちて広がる。
 見上げると、喉の真ん中から耳元へ、裂傷を負ってなお変わらずに笑っている男がいた。
「この俺が、分かっててかわしきれんなんて、さすがにやるものだな」
 噴き出した血は既に肩から胸を染めている。
 これだけの深手を受けて、屈託もなく楽しそうに笑っているなどと、これまでに一人も、そんな奴はいなかった。
 それに、かわせるはずのない致死の一撃を、予想していたとは言え、あの程度の傷でかわしてしまうとは。
 面白い。
 こんな奴がここにいるとは思わなかった。
 こんな奴と殺しあったら、どんなにイイだろう。
 伊達が笑う。

「いいぜ。付き合ってやるよ」
 力ずくで仕掛ければ、勝てるだろう。
 だが、それではたぶん、面白くない。
 これはゲームだ。
 隙を見せたら殺す。
 それが嫌なら殺せ。
 いつだって一緒にいてやろう。片時も離れずに、いてやってもいい。
「よし」
 満足そうに、一際鮮やかな笑顔を見せて、その男、センクウが降ってきた。
 さすがに、隙はない。
「じゃあ、行こうか」
 切れたマントを拾い上げて、傷の手当てもろくにせず、そのまま何処へ行こうというのか。
「何処へ?」
「言わなきゃ分からないのか?」
 艶のある、濡れた笑み。
 いきなりそれか、と伊達は苦笑する。
 もちろん、それがお望みならその程度、構いはしない。
 だが、手当てくらいしておかないと、終わってしまう。
「構やしねえが、その傷の手当てが先だ」
「心配してくれるのか?」
 死なれたら、殺せなくなる。
 それはつまらない。
 切り刻んで、血に染めて。
 その色に、顔も腕も足も、綺麗なその髪も目も、塗り替えていったらきっともっと綺麗だ。
「ああ」
 伊達は答える。
 答えを聞いて、センクウが笑った。
 緑色の目に、深い闇。
 伊達の意図になど、気付いている凄艶な闇の色。
 殺意を受け止めて、笑う相手は、初めてだ。
 これはきっと、とても、楽しい……。

 背後には、桜の枝からぽつぽつと、花に混じって滴る血。
 濡れて桜は、語らない。


(了)

……書き出した時には予想だにしなかった。
こんなことになるとは……。

もはやギャグにもなっとらんような気がするな、これ。