1
覚えろよ・・・・・・・・俺の、味だ・・・・・・・・。 忘れるな・・・・・・・・・・・。 一度だけ抱いた冷たい体温。 疵跡。 涙。 そうして灼け付く様に熱かった肉の感触・・・。 全部、覚えてるよ。 今まで一瞬たりとも忘れた事は無かった・・・・・・・・・・。
何時もの様に、たった一人のティータイム。 アール・グレイに薔薇を浮かべて。 茶請けの代わりに詩集でも読もうか・・・・・。 取り止めも無くそう思って、ふと、私有の薔薇園に人が居る事に気がついた。 卍丸がこのようなトコに来る筈は無いし、羅刹は先刻会ったばかりだ。 影慶に至ってはここ2日程出掛けている。 では一体誰だ? 死天王以外でセンクウの薔薇園に入り込むくらいに肝の座った奴は居ない。 どうやら寝ているらしきその人物を起こさない様に歩みを進める。 「・・・・・・・ん?・・・」 漸く貌が判別出来るくらいの距離になってその人物が眼を覚ました。 後ろに撫で付けた黒髪。 精悍な貌立ちに男らしい体躯。 見たことが無いトコロからして、どうやら新・一号生らしいが・・・・・。 「起きたか?」 ふ・・・と貌を擡げた人物は、自分の方が侵入したという立場なのに、眠りを妨げたセンクウを詰る様な眼付きで睨みつけた。 鋭い眼光から放たれる冷たい空気。 どうしたモンか・・・・・・。 と頭を掻きながら、センクウは取り敢えず紅茶を‘二人分’淹れた。 「そんな貌をするな。取って喰ったりはしないんだから・・・・。」 揶揄う口調でそう言って差し出した。 温かい湯気の立ち込める白いカップ。 男塾に相応しくない綺麗で華奢なそのカップと指に、男はたじろぐ事もせず警戒心すら見せずに受け取った。 一口飲んで体を温める。 外は雨を混じらせながら降る雪で白くなっている。 まるで今持っているティーカップの様に曇りの無い白。 二口目で気持ちを落ち着ける。 「・・・・あったまったか?」 「・・・・・・・・・ああ。」 全て飲み終えもせず頷いた男は、礼も言わず背を向けた。 扉を開けた瞬間入り込んでくる寒気に身を震わせたが、それは直ぐ治まった。 黒い薔薇。 赤い薔薇。 白い薔薇・・・・・・。 自分を取り囲むのは綺麗で醜い薔薇ばかり。 あんなに美しい男を見たのは久しぶりだった。 自覚はしていないが、『綺麗』だと賞される自分とはまた違った美しさ。 例えて言うなら自分は『温室』の美麗さ。 あの男は『孤独』という強さ。 「・・・・・・きっと、あいつには・・・・・・・が、似合う・・・・。」 ポツンと呟いた声は自分の耳にすら聞こえなかった。 もう一度会いたい。 三度目に含んだ紅茶は、酷く、苦かった。
会いたい・・・・・。 そう切望する前にまた会った。それも翌日。 またしても男は勝手に薔薇園に入り、設置されている椅子に寝そべっていた。 センクウは何も言わず昨日と同じく紅茶を用意すると、気配を消さずに差し出した。 黙ってそれを受け取ると、男は少し残して立ち去っていく。 そんな事が一週間も続いた。 その男の態度は控えめではなく、横柄でも無く・・・・・。 かと言って慎ましいなどとは形容できない・・・そんな雰囲気で何時も紅茶を飲んで、礼を言うでもなく去っていく。 その後の空気はセンクウを酷く幸せにさせる。 羅刹辺りなら怒り出しそうなモンだが、センクウは何も言わず帰る男が愛しかった。 その感情を説明する言葉(すべ)は生憎持ち合わせていないが、パタンと扉が閉まると自分の口唇が緩むのを感じる。 気に入りのカップに好きな紅茶。 アール・グレイ。 ダージリン。 オレンジ・ペコー。 次に馳走してやるのはどれにしよう・・・・・。 そう考えるだけで、恋も禄に知らぬ小娘の様に心が高鳴るのだ。
何時もの三時。 白いカップと気に入りの紅茶。 語らないあいつの背中に向けて、センクウはカップを掲げた。
お前にはきっと、ムルティ・フローラが良く似合うよ・・・・・。
寂しそうな背中を彩るピンクの薔薇。 暗い過去を背負った横貌に重ねてみる。 これからのお前に、幸多からん事を。 その花言葉は、『恵み』・・・・・・・。
2
来るのが当然と思い始めていた一ヶ月目。 何時もの3時。 温かい筈のシナモンティーはすっかり冷めてしまっていた。 湯気の出なくなった紅茶を捨てるのがこんなにも辛い事とは知らなかった。 紅茶の香りを楽しむ余裕もなく、流れていく琥珀の液体を見るとはなしに眺めていると、ふいに体を冷やす寒気。 伊達か・・・・・・?! 思わず口端が緩む。 「どうしたんだ、電気も付けず・・・。」 パチン。 と電気を付けられると、そこに浮かぶのは影慶の黒いマント。 「・・・・・あ、あぁ・・・・スマン。」 カチャンとカップを置くと、影慶は言葉を区切りながら何か悪い事でもあったのか?と問いただした。 普段は滅多と感情を表さない筈の青年が心配そうに眉根を寄せている。 きっと影慶が入った瞬間の落胆を見たのだろう。 何事かあったのか?と聞きたくなるくらいに悲痛な表情をしていたに違いない。 「どうしたと言うんだ・・・・・」 何も答えないセンクウに近づきながら影慶はマントを脱いでいく。 黒いマントがぱさりと乾いた音を立てて椅子の背に落ちていくのを眺めながら、センクウは伊達の事を思い出していた。 何時も座っていた。 紅茶を必ず少し残して、礼も言わずに背を向ける。 名前を聞けたのは2週間目の水曜。 一号生筆頭である・・・と言う事実を知ったのはつい昨日。 警戒心を欠片も見せない癖に、その実警戒しすぎな弱い獣。 しなやかな豹の様な身のこなしで、髪を梳く手を避ける。 名を呼ばれるのを酷く嫌う。 自分の来る時間ばかりを狙って眠ろうとする。 まるで起こしてくれるのを期待しているかの様な態度。 「・・・セ・・・クウ・・・・大丈夫か?」 はっ・・・と気付くと眼前にまで影慶が迫っていた。 白い包帯を巻いた腕が髪に掛かる。 「何でも・・・・・っ?!」 ナイ。 そう続ける前に開いた扉に気が付いた。 立っていたのは待ち焦がれていた人物。 センクウの表情に訪問者に気付いた影慶は後ろを振り返ってその人物を見咎めた。 「・・・?一号の筆頭か?ココは立ち入り禁止区域だ。何故ココにいる。」 影慶は邪鬼の信頼厚い側近だ。 当然邪鬼と共に塾長から各筆頭の写真と、それに関する身辺調査書も見せて貰っているのだろう。 一目で『一号生』と気付き注意をするべく歩みを進める。 「・・・・・・邪魔したな・・・・。」 小さく吐かれる冷たい言葉。 影慶が何事か続ける前に伊達は背を向けた。 「ま、待てっ!!伊達・・・っ!」 自分がナニを口走ったか・・・・・・。 何故名を知っているのか。 何故引きとめようと手を延ばすのか。 何故脚が伊達を追うのか。 何故・・・・・・・・・・・・・驚いた表情で影慶が立ち止まるのか・・・・・・。 「少し遅れた・・・・・・。」 ココ一ヶ月間、欠かす事無く通った場所を目指しながら、伊達は白い息を吐き出した。 やっとの事でクリスマスだの大晦日だの初詣だのと、周りが浮かれていた季節も終わり、唯寒いだけの毎日が過ぎている。 寒いのは嫌いじゃ無い。 漸く馴染んできた学ランのポケットに手を入れて、伊達は小さく微笑んだ。 何時も迎えてくれる。 何も言わない代わり、何も聞かない。 心地イイ程に温くて温かい場所。 優しい人物。 『伊達・・・・』 嫌いな自分の名を好きだと言ってくれるあの人を、好きになりかけているのかも知れない。 美味しい紅茶と綺麗な薔薇。 ゆっくりと流れる時間は気持ちいいけど気持ち悪い。 でも・・・・・・・・・・・・・・。 もっと知って貰いたい。 俺の事を。 もっと知りたい。 相手の事を。 センクウ。 趣味→薔薇の剪定・読書。 好きな紅茶→アール・グレイ。 今のトコロ、伊達のノートにはそれしか刻まれていない。 遅くなった事を一言なり詫びてやろうか・・・と柄にも無く考えて扉を開ける。 が、飛び込んできた映像は伊達の背筋を凍らせるのには十分過ぎた。 センクウガ、キスシテル・・・・・・・・。 自分の知らない誰かと。 黒い髪。 白い肌の青年と。 自分に気付いたセンクウの表情がみるみる変わっていく。 見られたっ?! ヤバイっ! ・・・・・と。 「・・・・・・・ジャマシタナ・・・・・・・・。」 何を口走っているのか分からないくらいに掠れた声。 逸らした目に映るのは中身の無くなったティーカップ。 俺が使っている奴。 飲む筈だった中身。 扉を閉めながら訳も分からず走り出した。
3
どうかしてる・・・・・・追いかけるなんて・・・・・。 だが、追わずにはいられなった。 満開の狂い桜。 その下まで来て漸く伊達に追いつくと、白い腕を掴まえた。 「・・・・・っ・・・伊達、」 ナニを言ったらイイのか分からない。 兎に角貌を見ようと顎に手を掛けると、 「俺に触るな!」 思い切り拒絶された。 何をそんなに怒っているのか分からない。 待てずに冷めた紅茶を捨てた事か。 それとも伊達を見た時に険しい表情をしてしまった事か・・・・・。 だが、それは仕方の無い事だった。 本来三号生は一号生と関係を持ってはいけないのだ。 こう言ったら語弊があるかも知れないが、隠し名に有る通りに『閻魔』と『奴隷』という階級。 中睦まじく友人関係を築くなど、以ての外だったのだ。 その禁忌を犯してまで近づきたかった。 「・・・・あいつと、宜しくヤッテればイイだろう?!」 詰りながら泣かない様頑張っている。 肩を震わせ、口唇を引き結ぶ。 俺が・・・、影慶と仲が良さそうだったからか? それで怒っているのか? 我知らず緩む口唇に、離せ!とばかりに拳が飛ぶ。 口腔に感じた鉄の味。 「残念ながら、俺と影慶はそんな関係じゃない。」 「・・・・キス、してただろうが・・・・・・。」 吐き捨てる様な台詞に思い返すのは貌を近付けて髪を梳かれていた自分。 傍から見ていたら口唇を合わせている様に見えるのだろう。 貌を抱き寄せながらカン違いだと告げた。 まだ嫌がって胸元を押し返す。 「証明出来る、影慶とはナニも無かったと・・・・。」 そう言って口唇を寄せた。 齧ろうと歯を剥きだす伊達の鼻を舐めて、ふいを突かれて緩んだトコロの目的地に辿り着く。 少し低い体温。 冷たい口唇。 癖のある髪に浅黒い肌。 悪態すら吐けないくらい深く舌を差し入れると、しぶしぶといった感じで伊達がセンクウのそれに自らの舌を絡ませた。 「・・・・・・・まだ、証明出来てねぇよ・・・・・。」 離れると、伊達がそう言った。 「あぁ、俺も証明し足りない。」 極々自然に腕を取ると、黙って着いて来る伊達を部屋に招いた。 覚えろよ・・・・・忘れるな・・・。
ベッドの上で何回と無く吐かれた睦言(セリフ)。
それから暫くは何事も無く幸せに過ぎた。 あの後も伊達はやってきたし、相変わらずの態度で接してくれた。 だがそれでも良かった。 唯来てくれるだけで、貌を見れるだけで、声を聞けるだけで・・・・。 一週間後・・・・俺は羅刹に呼び出され其の侭懲罰房送りとなった。 せめて一言でも、否、言葉を交わせずとも良い。 一目見たかった。 閉鎖され、監視の付けられた薔薇園に伊達は来るのだろうか・・・。 突然消えた俺を怒りはしないだろうか・・・・・・・・。 そんな悶々とした日々を送っている俺の元に伝えられた信じられない出来事。 伊達が出奔した。 教師を殺したと言うのが理由らしいが、それを懲罰房で聞いたのは、全ての処理が終ってからだった。 伊達の‘今’を突き止め、再入塾に向けての手続きを済ませる。 それら全てが終ってから、影慶によって俺に伝えられた。 ナニも無い無音の部屋。 石造りの牢屋。 湿った空気。 飾りの無い壁。 半年をこの中で過ごす事が、俺に与えられた懲罰だった。 本来ならば、死天王の位の剥奪をも課せられる筈だが、卍丸・羅刹が嘆願してくれたらしい。 事の次第を邪鬼に伝えた影慶を恨む気持ちはまったく無い。 あの日からココに放り込まれるまで一週間の間があった。 その間影慶も悩んだのだろう・・・・。 伝えるべきか否かを・・・・・・。 報告が遅れれば、それは邪鬼様に対する裏切りに近い行為だ。 が・・・、それでも言えなかった一週間。 語らぬし、聞く気も無いが、きっと影慶も邪鬼自らに罰則の軽減を申し立てたのに違いない。 暫くは風呂すらも一人で入っていたとも聞いている。 男塾の帝王に申し立てるなど・・・、罰の課せ様もない重罪だ。 加えてたったの一週間でも報告を怠った・・・・。 「すまないな・・・・・・。」 誰に詫びるでも無い科白を聞いていたのは冷たい石。 伊達・・・・お前のいない空気は酷く冷たいよ・・・・。 朧な記憶の中で唯一鮮明なのはあの日だけ。
捨てた紅茶。 薄紅の花。 お前の冷たさと熱さ。 そして・・・・・あの台詞・・・・・・。
オボエロヨ・・・・・。 ワスレルナ・・・・。 オレノ、アジダ・・・・・・・。
忘れていないよ。 今でも・・・覚えてる。
(END)
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