「だて〜」 組み手中に、とてつもなく気の抜けるほわわんとした声が聞こえて、その空間は一気に緊張感を失った。 がっくりと地面に膝をついていた当の伊達は、顔をしかめ、頭を押さえて立ち上がる。 「あ、あれ? 邪魔だったか、な……?」 「いえ、いいんですよ、先輩」 伊達の前で、引っ繰り返っていた桃も苦笑しつつ起き上がった。 二人の前には、腕一杯に花を抱えたセンクウさんがいた。 「綺麗な花ですね。新種の蘭ですか?」 光加減では白くも見えるような、薄紅色の可憐な花を覗いて、桃が問う。 「これでも百合なんだ。葉の形と匂いは百合だろう?」 「たしかに。先輩が作ったもの、ですよね?」 「ああ。伊達、どうだ。綺麗だろう? これ、おまえに」 「いるか」 差し向けられた花から顔を逸らして、伊達は不機嫌に言い捨てた。 途端、一瞬で潤む緑の目。 「伊達っ」 「い、いいんだ、剣。やはり邪魔したようだ。もう帰るから」 「いいえ、そうはいきません。このまま先輩を帰すとですね、俺までえらい目に遭わされるんです」 「え?」 まるで自覚のないセンクウさんに、桃は適当に話題を誤魔化しつつ、ひたすら伊達の脇を肘で小突く。謝れ、と。
間違っても涙目のセンクウさんを三号生地区に帰そうものなら、五分後、早い時には三分後には、死天王の他三人プラス邪鬼までが、いったいどういうことだと本気で殴りこんでくること確定なのである。 その矛先は泣かした張本人である伊達のみならず、その場にいた者にまで及ぶ。何故止めなかった、と。 いや、それどころか桃にはいつもとばっちりが来る。 一号生筆頭は何も伊達のお目付け役ではないのだが、とにかく、おまえがしっかり監督し情操教育(なんだそれは、と桃は毎度思うのだが)しないから、とかなんとか、無茶苦茶な理由までつけられるのである。 いったいこれまでに何度、それで説教されたことか。 つくづくと、なんでよりにもよってこんな、世辞の一つ、愛想の一つも言えず、本当のことも言わないような相手を、センクウさんが気に入ってしまったのかが謎であり、それが桃の不幸の根源だった。 他の誰かなら決してこんなふうに邪険には扱わないし、綺麗な花を見れば綺麗だと言いもする。 伊達でさえなければ、毎日のように綺麗な花を届けられれば、照れくさかったり困惑したりはしたところで、その気持ちをありがたいとくらいは思い、決して粗雑には扱わないだろうというのに。 だいたい、伊達のひねくれ具合もひどすぎる。 たしかに、この毎日の花の贈り物には困惑しているかもしれないが、心底嫌がっているわけでないことは明らかなのだ。 そして、センクウさんを泣かせたりしようものならどうなるか、何度となく体験しているはずなのに、それにも関わらず態度を変えない。 こうなるとそこにあるのは意地か見栄か、それともマゾっけとしか桃には思えなかった。
桃は無言で、かつこっそりと、繰り返し伊達に受け取るように促す。 しかし、 「……もう飾るとこなんてありゃしねえんだよ。毎日毎日山ほど持ってきやがって。俺がどんだけ苦労してると思ってんだよ」 伊達が言ったのはそんな言葉で、もう駄目だ。 花束の上にぽつぽつ涙が落ちてきて、露のように花弁を濡らす。 「だっ、伊達っ」 桃は大慌てで双方を窺って、なんとか宥める方法はないかと考えた。 「あ、謝れ! 先輩はおまえに喜んでほしくて持ってきてるんだぞっ?」 「いい迷惑だって言ってんだ」 「伊達……ェ……」 (あああああああ、もう駄目だぁ……) 雨模様。 俯いた顔の下から、抱き締めるようにした薄紅の百合の上に。 これは延々六時間に及ぶ説教with三角板上正座、確定確実である。 (とほほ……) 宥められない自分が悪いんだ、と桃は諦めに入った。 これまでは「涙ぐませる」程度だったが、こうなったら、説教どころかもっとはっきりきっぱりあからさまな、体罰覚悟かもしれない。 センクウさん可愛さのあまりにトチ狂っているとしか思えない三号生幹部連に、慈悲だの容赦だの冷静さだのというモノは存在しない。 「わ、悪かった。もう……持って、来ないから……」 嗚咽の合間からそう呟いて、センクウさんは綺麗な花束ごと、回れ右をした。
「ったく」 イライラと舌打ちした伊達が、乱暴にその肩を掴む。 引き戻すが早いか、センクウさんの腕の中から花束を取り上げ、睨みつけた。 「毎日新しいの持ってこられたってなぁ、飾るとこなんかもうありゃしねえんだよ」 「わ、分かったから……。もうやめるから……」 何も追い討ちかけなくてもいいだろう、と桃は狼狽する。 伊達が何を考えているのか、分からない。 桃にしても、こういうほんわーとした性格のおっとりした人物を、辛辣な言葉でいじめるのは気がすすまない。 邪鬼たちほどではないが、どうにも構ってやりたい気にはなる。 だいたい伊達にしても、これまでに贈られた花は、ちゃんと部屋に置いているのだ。世話などしようともしないから、面倒を見ているのは飛燕たちなのだが。 それを、何も今日にかぎってこの態度。 いくらなんでもひどすぎる。
「……あんたは」 俯いて泣いているセンクウさんに、伊達が憮然と言う。 「俺がやるって言って寄越したモン、捨てられるのか? いらねえからって人にくれてやれるのか?」 「え?」 「どうなんだよ」 ふるふる、とセンクウさんは首を横に振る。一生懸命。 「こんなもん毎日もらったって、もう俺の部屋にゃ飾る場所なんざねえんだよ。……まだ枯れてもいねえ花、捨てられねえじゃねえか。ちったぁ考えろ」 (あ……) たしかに。 伊達は一度も、まだ咲いている花を捨てさせたことは、ない。 窓辺も棚の上も壁まで花に埋まった、伊達にはまるで似合わない部屋の中、それでも一度として、押し付けられた花でも、捨てたことはないのだ。 そして、いらないからと人にやったこともなければ、適当な他の場所に飾ったこともない。 伊達の真意が見えてきたらしいセンクウさんは、赤い目でじーっと伊達を見上げている。 仕方なさそうに、伊達が溜め息をついた。 「俺を困らせんじゃねえよ。次からはちったぁ考えてもの持ってこい。こいつは、受け取ってやるけどよ」 「伊達〜」 「お、おいっ」 感極まったらしいセンクウさんは、今度は嬉し泣きで伊達にしがみついた。 やれやれ、と伊達は溜め息をつく。 とりあえず桃は、これならなんとかとばっちりは受けずにすみそうだと、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
(おしまい)
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