Cross Road A

 厄介な仕事だとハナから分かっていた。
 だからこそ俺にしかできないとも。
 けれど俺は、一つだけ勘違いしていた。
 モモのことだ。
 頼りになる相棒。
 おかげでこれまでずっと、一人でやっていた頃とは比べ物にならないほど、楽に仕事をこなしてこれた。
 俺はすっかり勘違いしきっていた。
 どんなに強くなっても、このモモが、それでも足手まといになる可能性が確実にあることを。

 そのことに気付きもせずこんな仕事を受けた俺が馬鹿だった。
 帝都に程近いベステル山に現れた、マンティスリザード退治。
 体高2メートルほどもある巨大トカゲの、両腕が蟷螂の鎌のようになったモンスターだ。
 名こそトカゲだが、実際は竜の眷属であるこいつは、ブレスを吐く。
 それも、よりにもよって炎。
 口から吐き出される紅蓮の炎に、モモは完全にパニックを起こしてしまっていた。
 獣人は炎に慣れない。
 理由はよく知らないが、とにかく本能的にか、恐れるものだ。
 どんなに寒くても暖炉の傍に寄ってこないモモが、この膨大な、それも襲い掛かってくる炎に怯えるのは無理もなかった。
 拾いたての頃なら、脇に抱えても立ち回れたが、今や体だけはもう立派な成体だ。
 俺とそう大差ない体格になっている。
 その体格に見合うだけの、いや、見合う以上の力をつけたモモだが、今は日頃の呑気さなど欠片もなくなって、うずくまって震えるだけだ。

 逃げることもろくにできないモモをなんとか引きずって、木陰に押し込む。
 モモのサポートをあてにしていた俺は、たった一人でマンティスリザードと戦うはめになったことに、さすがに焦りを覚えた。
 奴の弱点は喉の下だ。
 それ以外の場所は金属質の鱗に覆われて、俺のガイアでも一撃で倒すことは難しい。
 逃がすわけにはいかない。
 この場所で、今一度で仕留めねばならないとなると、分が悪すぎる。
 喉の下にもぐりこむために、モモが奴の注意を逸らしてくれるはずだったが……。
 駄目だ。
 こっちを見ることもできていない。
 モモを戦いの相棒として扱うためには、俺は甘すぎたのかもしれない。
 炎にも水にも、慣らしておくべきだった。
 ……そんなつらい修行をさせてまで、こんな仕事を手伝わせたくも、なかったんだが。

 モモのいる場所に奴が向かわないよう誘導しながら、なんとか隙を窺う。
 が、無闇に吐きまくられる炎が周囲の木々や下草に引火して、足場すら限られてくる。
 迂闊だった。
 俺はいい。
 俺は自業自得だ。
 だが、こんな仕事を手伝わせたがために、モモを巻き込むことは、絶対に回避したい。

 何が「ガイア」だ。
 俺はいい気になってたんじゃないか?
 刀の名で呼ばれ、畏敬され、それを煩わしいと思いながらも、何処かで自惚れてはいなかったか?
 その驕りが、この不始末を招いたに違いない。
 だったらせめてモモだけでも、なんとかこの場から逃がしてやらねばならない。
 だが、モモの傍に戻る道も炎に阻まれて、いったいどうすればいいという。

「オオオォォッ!!」
 その時だった。
 ザッと木々が鳴り、気迫に満ちた咆哮が俺の後方から飛んだ。
 黒い影が枝から枝に飛び、更に大きく跳躍する。
 あまりの素早さに目で追うことすらやっとだが、これは、獣人か。
 だが、軽々と枝を蹴って炎を飛び越え、赤く囲まれて逃げ場すらない只中へ、飛び込む。
 などということが、獣人にできることなのか。
 だが実際に。
 長い槍のようなものをマンティスリザードの頭部へと一閃させる。
 切り裂けずに反動でバランスを崩したが、空中で楽々と身を翻し、炎の上へと降り立ち、身が焼けるより早く、またすぐに地を蹴る。
 その背後に見えるのは、銀灰色の縞の入った、長い尾。
 剥き出しになった褐色の肩に、黒くはっきりと、ワータイガー独特の模様が浮かんでいる。
 そして。
「ゴウジ!!」
 俺を、呼んだ。

「もたもたするな!」
 一喝され、まさかと思いながらも、俺の体は先に動いていた。
 そいつがブレスすら恐れずにマンティスリザードの顔面を横切って飛び、それを追った顔は、無防備な喉を俺の前へと曝す。
 俺はその白い喉に、渾身の力でガイアを突き上げ、突き刺していた。

 炎の只中に、俺を見て立つ。
 黒い毛並みの、金色の眼の、顔に、六本の傷のある、長身のワータイガー。
 ……オミト―――。

 言葉が出なかった。
 今も俺ははっきりと覚えている。
 まだほんの子供だったオミトの姿を。
 それが、目の前にいる猛々しいほど立派な姿に重なって蘇る。
「オミト、なのか……?」
「俺のこと、覚えててくれたんだな」
 かろうじて問い掛けた俺に、オミトが笑った。
 離れていた五年間の時を思わせる、頼もしい笑い方だった。

 すぐさま駆けつけた消防隊により、炎は間もなく鎮火した。
 さすがに帝都守衛隊の操気士団だ。
 雲を生み出し雨を降らせ、あとに残るのは焦げたにおいと微かな煙。
 彼等から少し離れたところで、俺はあらためて、オミトと、今のオミトの飼い主らしい男と顔を合わせた。
 モモに抱きつかれて困り果てながら、オミトが佇むその隣にいるのは、雷嵐だった。
 会うのは初めてだが、見たことはある。
 七年前、俺がまだ駆け出しのハンターだった頃、傭兵じみた仕事で配属されたのが、その雷嵐の指揮する隊だった。
 だいぶ薄れた記憶だが、柔和で優しげな容貌にも関わらず、屈強の兵士たちより更に頭半分ほど背が高かったことだけは、よく覚えている。

 どうやら彼等は彼等で、この山に現れたマンティスリザードを狩るために一部隊編成してきたらしい。
 居場所を探索中に、オミトが炎のにおいに気付き、そして、その中にまぎれる俺とモモの匂いに気付き、駆けつけた。
 オミトを、炎をまるで恐れないように鍛え上げたのは、雷嵐なのか。
 ……言われなくても分かるのは、彼が今のオミトの主だということだ。
 無茶をするな、と言いながら髪に触れる手を拒まず、いくらか得意げに、嬉しそうに笑っているのが、その証拠だ。
 他の兵たちには近づこうともしないのに、雷嵐との距離だけが、触れるほどに近い。
 当たり前のことだが、俺がつけてやったのとはまるで違う、趣味のいい首輪をしている。
 いくらか生地も傷んで光沢にもムラがあるが、それでも一目で高価と分かる、品のある首輪だ。
 もう俺のところにいたオミトではなく、別の誰か、おそらくは雷嵐のものだという、証。
 少し悔しいが。
 何より……良かった。
 無事で、ちゃんとこんなに大きくなって、いい飼い主に巡り会って、これほどまでに強くなって。

 雷嵐は俺に手柄を譲った。
 簡単なことだ、と彼は言う。
「俺が報告したところで、なんの武勲にも報酬にもつながらん。我々にとって重要なのはマンティスリザードを片付けたか否かということで、それを誰が成したかではない。だが、おまえには信用問題にも関わろうし、生活の糧でもある」
「それに、トドメさしたのはゴウジだからな」
 オミトまでそう言う。
 俺は、素直にその好意に甘えることにした。

 モモはなかなかオミトから離れたがらなかったが、それでも、俺が雷嵐の部隊から離れて歩き始めると、心残りそうにオミトを振り返りながらも、追ってきた。
「ゴウジ」
「うん?」
「また、オミトと会えなくなるのか?」
「どうだろうな。生きていれば、また何処かで会えることもある」
「ゴウジは会いたくないのか?」
「会いたいに決まってる。けどな、俺にもオミトにも、こうと決めた生き方ってヤツがある。そいつを捻じ曲げる気はない。俺はおまえと、今まで通り旅暮らし。オミトはたぶん、あの雷嵐の相棒だろう。……お互い、自分の決めた道を歩けばいいんだ。こんなふうに、時々でもその道が交わって、うまくやってるんだってことだけ確かめられれば、それでいい。それとも何か、モモ。俺と別れて、オミトのところに行くか?」
「そんな嫌だ! 俺はゴウジといる!」
「だったら、それがおまえの道だ。なに、心配するな。オミトはたぶん帝都にいるし、また近くに来ることがあれば、俺だって様子を見に行きたいと思うさ。だが今は、天輪宮を探すほうが先だ。まずはそこに辿り着いたら、次はオミトに会いに行くのもいいな」
「ゴウジ。それ、約束だぞ?」
「ああ」

 道はいずれ交わる。
 会いたいと思ってその道を辿るのもいい。
 けれど今は、ただ何事もなく近くで過ごすより、俺たちは俺たちの、オミトはオミトの、道を歩いたほうがいい。
 さて、その時までにはモモをもう少し鍛えておくべきか。
 これでも負けん気の強い奴だ。
 いずれ自分から言い出すだろうが。
 また一つ増えた人生の楽しみに、俺は晴れ渡った空を見上げ、束の間の別れを告げた。

 

(end)