「もうほっとけ」 と峨山が言ったらしい。 あの男に匙を投げられるとなると、俺ももう後がないようだが、構うものではない。 俺がオミトを拾ってからニ年。 ヒューマンでいえば16になったくらいだろうか。少年らしさの中にも逞しさの見える年頃だ。 「男」の顔をして大勢の人の前にいる時。 そして、「子供」の顔をして俺に甘えてくる時。 俺だけが特別なんだと分かる、その時がたまらなく嬉しい。 オミトは稽古をつけてくれる焔紅にも、あれこれと世話を焼いてくれるゴウキにも懐いているが、抱き締めることができるのは俺だけだ。 そして、キスできるのも、してもらえるのも。 溺愛している、と言われても否定する気はない。 ニ年の間、愛しさは募る一方で、俺にはもう、オミトのいない生活など考えられない。 あと三年もすれば完璧な成体になってしまうし、そうなれば自立心も強くなる。 いつまでも俺に甘えていてくれるとは限らない。 会議が一つ潰れて、予定より三時間近く早く、まだ日のあるうちに帰宅できると分かった俺が、浮かれていても仕方はないだろう。
屋敷に戻ってみると、オミトのいる気配はあるのに、いつものように出迎えには現れなかった。 どうかしたのかと思って部屋に行って―――。 俺は、オミトの部屋の入り口で茫然となった。 棚は倒れ、テーブルや椅子は足が折れ、花瓶やガラスは割れ、荒れた部屋。 まさか、賊でも入ったというのか。 俺は、ベッドの上でシーツをかぶって蹲っているオミトに駆け寄った。 「オミト! これは……?」 とりあえず、オミトは無事のようだ。 いや。 今では俺や焔紅とも対等に立ち回ることのできるオミトが、賊にそう簡単にやられるはずもない。 だとすれば、この有り様はいったい……。 「オミト?」 俺が手をのばすと、びくっと後ずさった。 シーツの合間から覗かせた目か、いくらか涙目になっている。 俺は感覚を開き、オミトの気配を取り込んだ。
感じられるのは、焦燥……? それから、困惑と、狼狽、ひどく落ち着かない気分、それから、……俺を、怖がっている? 怒られる、と……。 これは、オミトが自分でしたことらしい。 何故こんなことを。 オミトから感じるものが激しい怒りや苛立ちならば分かるが、ただおろおろしているだけなのに。 「どうした? 何かあったのか?」 怒るも何もない。 俺はベッドに腰掛けてオミトを抱き寄せ、問い掛けた。 俺がいきなり怒ることはないと分かって安心したのか、オミトがシーツの中から顔を出す。 けれどただ首を横に振るだけだ。 「分からない」と言葉として分かるほど、心の中で渦巻いているオミトの気持ち。 そわそわと落ち着きなく、少しだが体を動かし続けるのも、「分からない」何かのせいらしい。 あまりやりたいことではないが、オミト自身に全く分からないとなると、俺がなんとかしてやる他ない。俺は、オミトの感覚の中へ意識の触手を伸ばした。 草人(オレ)が持つ特異能力の一つ、「共鳴」。 相手の味わっている感情や感覚を、そのまま体感できる。 使い方を誤れば極めて危険な能力だが、今はこうするしかオミトの状態を知るすべがない。 深く、少しずつ感覚を重ねていくほどに、オミトの感じているものがそのまま俺のものとなって再現されていく。 たしかに、その辺にあるものを手当たり次第に壊したくなるような、苛立ちめいた焦り、わけの分からない落ち着かなさ、それがいったいなんなのかも分からなくて、不安混じりに気が立ってくる。 そして、その奥―――。
俺の中で大きく蠢いたその感覚に、俺は慌てて共鳴を断ち切った。 ……分かった。 オミトの荒れた理由。 たしかに、そういう時期だ。 たいがいの獣人の場合、三歳の終わりから五歳くらいまでの間に訪れる。 最初の、発情期。 だがオミトにはそれを教えてくれる親兄弟も、年上の仲間もいない。 「この感覚」が何か、どうすればいいのかすら分からなかったのだ。 本当はこの時期までに、「つがい」を見つけておいてやるべきだった。さもなければ、去勢してしまうか。 だが俺は、自分の身には三年に一度しか訪れない「波」ということもあって、そんなことは全く思いつきもしなかった。 「つがい」を見つけるのは、たぶんそう難しくはない。 オミトはかなり血統のいいブラック=シルバー種だし、「雷嵐」が飼っているとなれば、そのことに価値を見出す者も多い。 綺麗な、美人で可愛いワータイガーの女の子くらい、明日にでも見つかるだろう。 ……その子にとられてしまうかもしれないのは悔しいが、これも自然の摂理だ。
とにかく今は、少し落ち着かせてやるしかない。 のだが、……どうすればいものか。 冷水でもかぶればすぐに冷めるのは、俺が元々、交配には淡白な種族だということもありそうだ。 …………。
「オミト」 決めた。 俺はベッドに足を上げて、自分の前にオミトを抱えた。 「なに?」 「今日は、これで我慢するんだ」 手をオミトの前に回し、ベルトを緩める。 「センクウ!?」 「おとなしくしていろ」 「な……、なにするんだよっ!?」 「楽にしてやるから」 「やっ、やだ! そんなとこ、なんで!? 汚い……っ」 暴れるオミトを力で制して、熱くなったそこを手にくるむ。 軽く刺激してやるだけで、案の定それは固く立ち上がってきた。 「やめろよ! やめろ、って……っ!」 赤く上気した頬に、小さく口付ける。 「心配するな。おかしなことをしようというんじゃない。楽にして、俺に任せるんだ。それとも、俺の言うことが信用できないか?」 少し、意地の悪い問いかけだったか。 オミトは拗ねたような、切なそうな目をして俺を振り返ったが、やがて一つ頷いた。
「力を抜いて、俺に寄りかかっていればいい」 「……分かった。けど、これ、なんなんだ? 体が……変……」 「なに、と言われてもな。自然なことだ。明日にでも、ちゃんとつがいを見つけてきてやるから」 「ツガイ? それ、なんだ?」 説明するのは難しい。 ただ、一緒に置いてやれば本能的に分かるはずだ。 血統など問わないから、できるだけ可愛い、優しい子を見つけてやろう。 俺は「会えば分かる」とだけ。 オミトの体をできるだけそっと、少しずつ昂ぶらせた。
いつか、俺の手を離れていってしまうのだろう。 いずれ様々なことを覚えていけば、俺がこんなふうに触れたことを、厭うようになるのかもしれない。 けれど、それなら今だけ。 耳に届く切なげな声を聞きながら、オミトの首筋に口付けて、目を閉じた。
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