蒼い目の狼

 仕事には失敗することもある。
 俺の腕がどうというより、どう頑張っても成し遂げられない状況に置かれては、諦めざるを得ない。
 しかし理由がなんであれ依頼を果たせなかった時は、報酬額分をこっちが払わなければならない。それが、世界中に共通して散らばるハンター協会のルールだ。
 鉱物の採取、という仕事を引き受けたはいいが、その目的地である山が死毒に冒され、封鎖されていた。
 いくら俺でも毒に染まった山に入るほど馬鹿じゃない。
 現地まで行ってそれを知って、結局その事実を告げて辞退した。
 俺が支払った違約分は、上乗せされて次に引き受けた奴への報酬となる。
 馬鹿な仕掛けだ。
 どんなに金を積まれても、あの山に入れば命がなくなる。
 それなのに、倍になったがため異様な高額になった報酬を目当てに、挑もうとする愚か者が出る。
 そして、死ぬ。

 ともあれ、そんな奴の面倒まで俺が見てやる義理はない。
 こっちはこっちで、自分たちの懐の心配をしなければまずい。
 旅暮らしは気楽でいいが、持って歩けるものには限りがある。したがって、余分な金などない。
 それに加えて違約金を払ったものだから、ほとんどすっからかんだ。
 さっさと次の仕事を見つけて、今晩の宿代と飯代くらいは稼がないと。
 俺は平気だが、モモが。
 まだまだ食べ盛りだし、旅慣れてもいない。野宿に慣れさせるのは、移動し続ける旅の暮らしそのものに慣れてからだ。
 そう思ってハンター協会の出先を覗いてみると、「今夜」という仕事が目に付いた。
 それも食事が出る。
 内容は、屋敷の警護。
 俺は詳細を知りたいと、マスターに声をかけた。
「その刀……、あんた、『ガイア』じゃねえのかい? へええ。あんたみたいな有名人でも、こんなケチな仕事が気になるもんかねぇ」
 余計な世話だ。
「いいから、教えてくれ」
「まあ、あんたならいいだろう」
 とマスターは声をひそめた。
「あの屋敷、『泊義』に目をつけられてるんだよ」

「なに」
 出された名を聞いて、さすがに俺の気も引き締まる。
 「泊義」といえばここ一年ほどの間に知れ渡った盗賊団だ。
 いわゆる義賊で、金持ちの家しか狙わない。
 その手口は鮮やかで、時には家人が、盗難に遭ったことに数日も気付かないことがある。
 気付かれずに忍び込み、気付かれずに出て行く。
 そして万一気付かれたとしても、奴等は決して家人とは戦わないという。
 かつての大盗賊集団、「梁山泊」に似たやり口で、今では民衆の間でヒーロー化しつつある。
 「泊」の字をつけているところからして、梁山泊に憧れた連中が作った集団に違いない。
「なんだって狙われてることに気付いた」
「あんただって知ってるだろう。一度目をつけた獲物は盗むまで諦めない奴等だ。先月に一度押し入ってるんだけどな、そん時、たまたま別口の盗賊とかち合って騒ぎになって、奴等、なんにもしないで引き上げてるんだ」
「なるほどな」
 以来、屋敷の主は常に用心棒を雇っているらしい。
「あんたがやるような仕事でもないと思うがねぇ」
 いや。もし本当に泊義が来るなら、一度その手並みを見てみたいものだ。
 俺は引き受けることを決めて、表に戻った。

 入り口でぽつねんと待っていたモモが、出てきた俺にしがみついてくる。
 逸らされる通行人の視線。
 俺には分からない。
 なんだってこんなに皆、獣人を嫌うのか。
 あるいは道具程度にしか思わずに「使う」のか。
 この分では、今夜の仕事にはモモを連れて行かないほうがいいかもしれない。
 人の家の敷地に入るとなると、獣人を連れていては面倒な言い合いになる可能性がある。
 わざわざ嫌な思いをすることもない。
 しかし、モモを何処で待たせておこうかというのも、問題だった。
 獣人連れで泊まれる宿は場末の薄汚いところで、それでも、俺が不在の時にモモを残していくなときつく言われた。
 正直言って俺は、獣人を連れての旅については、頭では分かっていても甘く見ていたところがあった。
 首輪をつけていても入れない町や、入れはしても泊まる宿がない場所、あれこれと馬鹿げた注文をつけられることもあれば、割増の料金を吹っかけられたり。
 それに、自分のペースでない旅は疲れるものでもあった。
 旅に出て、モモは明るくなったと思う。オミトがこの旅の中で見つかるかもしれない、という期待もあるだろう。
 だが、強すぎる好奇心のままに毒草を口に入れようとしたり、先に走っていってしまったり。その一方で、やはり俺より体力がないものだから、すぐに疲れてしまったり。
 俺にもいい鍛錬になる。
 たしかに、たまには苛立つ時もあるが、そう思えばどうということはない。
 ここ二年ほどの間、俺は少し名が知れたことでいい気になっていたのかもしれない。そして、本当の意味で己を鍛えることを忘れていたようにも思う。
 心身ともに鍛えなおすのには、これくらいハードで丁度いい。
 何より、モモの他愛のない悪戯や仕草に「笑う」ということは、俺一人では絶対にできないことだ。

 日が落ちて、俺は目的の屋敷に向かった。
 モモは一応連れてきた。
 まだ子供ではあるが、感覚器の発達は人間の大人以上だ。「警戒」という仕事には向いている。
 屋敷の主は、最初こそ渋い顔をしたが、この俺の連れということで庭に連れ込むことを承諾した。家の中には絶対に上げるなと言われたが、そもそも俺をすら屋敷の中には入れる気がないようなのに、俺がモモだけを中に忍び込ませるとでも思うんだろうか。
 ともあれ、振る舞われた料理や酒は豪勢なもので、俺もモモも久しぶりにしっかりと腹を満たすことができた。
 庭には松明が掲げられ、俺の他にも数人の用心棒たちがいる。
 俺が命じられたのは、この庭の中にある蔵の警護だ。
 この中には家宝だかなんだかがあるらしい。
 あとは庭の見回りをする者。
 他にも屋敷のここそこに、何人とない見張りが立っている。全体で20人ほどはいるだろうか。
 それにしても、泊義が今夜必ず来るというわけでもないのに、これだ。
 毎晩この有り様だとすれば、相当金もかかるに違いない。
 ……たしかに、馬鹿げた無駄金だ。奴等が狙う気持ちも分かる。

 泊義は、昔の梁山泊のように奪った金品を人民に分けるということはしない。被害状況と出没するサイクルから考えて、自分たちの暮らしのためだけに使っているようだ。
 ある意味、俺には梁山泊よりも気持ちのいい連中に思える。
 盗んだ金が天からの恵みのように降ってきて、その時かぎり生活が楽になっても意味はない。使い果たせばまた元の生活だ。
 それに、人に盗品を分け与えることで善行をしたような気になっているのは、どうにも愚かに思える。
 一年ばかりの間に「ヒーロー」扱いされるようになったのは、そういうところもあるだろう。民も馬鹿じゃない。
 気に食わない金持ちに一泡吹かせて飄々としている、そこが受けているのだ。
 その泊義から、こんな連中の金を守ってやるのも虚しいが、背に腹はかえられない。綺麗事で腹は膨れないのが世の中だ。


 夜半。
 町は寝静まり、炎の爆ぜる音だけが庭を包む。
 俺は蔵の前の石段に腰掛けて、じっと目を閉じていた。
 ふと、隣のモモが顔を上げた。
「ゴージ。何か聞こえた」
「何か? どんな音だ」
 俺は声をひそめてモモに問う。
「ヒュッ、って」
 何かが、飛んできたのか……、む?
 ……足音が、聞こえない。
 庭を歩き回っていた奴等の、足音が途絶えている。
 モモが何かを聞き取ったのか、急に緊張した。
 俺はガイアを手に、神経を研ぎ澄ます。
 瞬間。
 俺は反射的に刀を振っていた。
 小さいが固い手応えがあり、落ちたのは、二つに折れた矢。
 矢じりは小さく丸く、殺傷能力はないが、何か薬が塗られている。
 どうやら、泊義かどうかは分からないが、賊のお出ましらしい。
 俺が折れた矢の傍に屈んでいる間に、モモが大きく飛びのいた。
 そこにまた矢が刺さる。

 一度に三本、ほぼ同時。
 なんて腕だ。
 三人呼吸を合わせているにしても、一人で一度に三本放ったにしても、並じゃない。
 俺は蔵の戸を背に立つ。
 出入り口はここ一つで、あとは壁を破壊するしかない。
「モモ。他の奴等が生きているかどうか、見てきてくれ」
「分かった」
「気をつけるんだぞ」
 モモは慎重に、しかし素早く駆けていく。そして茂みに倒れている見張りの男の傍に寄ると、ばねのようにそこから飛びのいて、俺のもとに戻ってきた。
 モモのいた場所に、また矢が刺さっている。
 松明程度の明かりでは、何処から射掛けているのかが分からない。
「ゴージ。生きてたよ。寝てるだけ」
「そうか」
 殺す気はないらしい。
 それに、俺に気配を掴ませずに的確に矢を放ってくるこの腕。
 泊義、なのか?
 俺の背に快感に似た戦慄が走る。
 幾久しく出会っていなかった、強者。
 モモを前にやって警戒させ、俺は抜刀の構えをとった。

 その時だった。
 闇の中から何かが飛び出し、素晴らしいスピードで俺たちのほうへと走ってきた。
「モモ!」
 そいつは真っ直ぐにモモの前に辿り着き、あまりの速さに驚いているモモへと肩口からぶつかった。
 跳ね飛ばされたモモは、短い悲鳴を上げて転がる。
 松明の明かりの中、低く身構えているのは、褐色の毛並みのワーウルフだった。
 炎に照らされて、透き通るような蒼い目が、鋭く俺を睨みつけている。
 いきなり。
 俺の足元に突き刺さる五本の矢。
 俺が一歩退くや、目の前にそのワーウルフが迫っていた。
 連携か。
 俺はかろうじてその突進をかわし、刃を一閃させる。
 庭を血で汚すな、とのこともあるから峰打ちではあるが、骨くらい悠々と砕けるガイアだ。
 だがその一撃は、身を沈めたワーウルフの頭上をよぎっただけだった。
 脇のあいた俺へと、ワーウルフが拳を飛ばしてくる。
 咄嗟に肘でそれを叩き落したが、凄まじい力の篭もった一撃に、俺はその拳を脇腹に受けた。
 ポイントはずれているが、それにしても重い。
 そこに、また飛んでくる矢。
 避けては扉へと辿り着かれる。素早く切り払うが、その隙をついてまたワーウルフが。
 背後から飛ぶ矢を微塵にも恐れていない。
 俺は場違いに感嘆していた。
 それほどに連携での攻撃を極めていること、そして、何よりそれを可能にしているのは、信頼のはずだ。
 絶対に前の獣人を傷つけないよう、確実に打たれる矢。
 そして、その矢が自分を傷つけることはないと信じていればこそ、躊躇いなく戦える。
 いくら俺でも、そんな二人、あるいはもっと多いのかもしれないが、それを相手にしては分が悪い。
 だがその時、ワーウルフの背後からモモが飛びかかった。
 動きが乱れ、矢も途切れる。
「おい! 賊だ!!」
 俺はこの隙に大声を張り上げた。
 この屋敷のみならず、近隣にまで響いた俺の一喝に、町に明かりが灯る。

 何処からか鋭く短い口笛の音がした。
 ワーウルフはそれを合図に飛びのいて、恐ろしいほどの身軽さで庭石を蹴り、高い塀を飛び越えた。
 後に残った俺はやっと一安心して、へたり込んでいるモモに近づいた。

 俺の守っていた蔵は無事だったが、なんとほんの十分足らずの短い間に、家の金庫は破られて中身が半分以上なくなっていた。
 屋敷内部については俺の管轄外だ。
 蔵を守っただけでも依頼は果たした。
 そのあたりを勘違いするほどの馬鹿ではないらしく、主は約束通りの報酬を支払ってくれた。
 俺はその金を懐に町を出た。
「ゴージ。昨日の、すごかったな」
「ああ、そうだな」
「まだアザになってるよ」
 モモが、ワーウルフの突進を受けた肩を見て膨れっ面になる。
「いつか、おまえもあれくらい強くなってくれるんだろうな?」
「えー?」
 そんなの無理、と口では言うモモだが、何が無理なものか。
 相手は充分すぎるほどの成体だった。その体格差さえなければ、と思うのは、俺の欲目じゃないはずだ。
 街道に沿って歩きながら、―――視線。

 明らかに俺たちに気付かせるための、強く鋭い視線。
 振り返った崖の上に、影が見えた。
 一人は大きな弓を携えた金髪の男。
 その隣に、褐色の髪を短く刈り込んだ、昨日のワーウルフ。
「ガイア!」
 その男が、張りのある声で怒鳴った。
 ずいぶんな距離を挟んではいたが、風に流されることもなく、俺の耳に届く。
「俺とJの連携に耐えたのは、おまえが初めてだ!」
「貴様は!?」
「ソウケツ、『泊義』のソウケツだ! また何処かで仕合えることを期待しているぞ!!」
 笑み交じりの声で叫んで、ソウケツと名乗った金髪の男は、背後の竜馬へと飛び乗った。
 土煙と共に、人馬とワーウルフは走り去る。
 俺は思わず笑い出していた。
 少なくとも俺にとって奴等はただの盗賊ではなかったし、奴等にとって俺たちも、単なる流れ者の用心棒ではなかった、ということか。
 わざわざ名まで名乗っていった男に、俺は奇妙な親愛の情を覚えている。
 またいつか。
 そう、またいつか、仕合えるといい。
 俺もソウケツとやらも、根は武人だ。
 お互い賞金稼ぎだの盗賊だのと、暮らしのために物騒なことをやってはいるが、何より心踊るのは、真に強い者と真っ向から戦うその時だ。
 だが。
 俺は呆気にとられている様子のモモを見下ろす。
 だが次は、このモモは更に強くなっている。
 もしまた会うことがあれば、こうも防戦一方にはならない。
「行くか、モモ」
 白い帯毛の髪を撫でて、俺は朝日の照らす街道を歩き始めた。

 

(end)