シルシ

「聞いているのか、雷嵐」
「ん、ああ」
 何色がいいだろう。
 黒が似合いそうだが、あくまで無難、というだけだ。
 スマートに引き締まっては見えるが、重苦しくもある。
 それよりは赤なんていうのもいいかもしれない。深みのある落ち着いた赤。
「だから、守衛隊内部での風紀の乱れというものがどれほど無視しがたくなっているか、少しはおまえもだな」
 あ、でも赤よりは青のほうがいいかもしれない。
 昔うちにあった、母上の手箱のような、あの紺色。
 ああ、でもそれだと、あの綺麗な毛並みの色が引き立たない。
 それならいっそ白か。
 いや、それでは汚れが目立つ。
 まだ遊びたい盛りだろうから、白はまずい。
「そもそもおまえからして」
 茶色や灰色が似合うような子じゃないしな。
 何色がいいんだろう。
 紫。
 深い紫。
 駄目だ。やはり黒と相殺する。
 緑?
 顔立ちに合わない気がする。
「だから今の内にだな」
 やはり赤か。
 品のある赤。
 紅色。

 それに銀の、そうだな。俺のネックレスをそのまま鋲で留めて飾ると良さそうだ。
 小さなメダルでもつけてやろうか。
 それはいいかもしれない。
 けれどこれから二年くらいの間は、どんどん大きくなるだろうから、サイズは大きめのにしておいたほうがいい。
 あまりころころと首輪を換えると、落ち着かないと言うし。
 なにせあれは、獣人にとっては「そこにいていい」という「赦し」そのもので、自分が誰に赦されているか、誰のものかという証でもある。
 決めた。
 やはり赤系統で、金属部分は銀がいい。
 いや、待て。
 目が金色だから、合わせて金にしたほうがいいんだろうか。
 しかし赤に金というのは、少し派手すぎるような……。

「雷嵐!」
 バン、と大きな音がして、我に返った。
 そういえば、峨山が何か話していたんだったか。
「すまん。聞いてなかった」
 俺が詫びると、峨山はデスクに手をついたまま、項垂れた。
「今、何を考えて俺の話を聞いていなかったか、正直に言ってみろ」
「首輪の色を考えていた。なあ、黒毛には何色が似合うと思……」
「貴様はそんなことで俺の話を聞き流しておったのか!」
「そんなこと、はひどいぞ。獣人にとれば一生の問題だ」
「こっちは帝都の存亡に関わっとるわ!」
 またデスクを叩く。
「いいかよく聞けもう一度だけ言うぞ!?」
 髭が震えるほど怒鳴らなくてもいいだろうに。
 仕方ない。ちゃんと話を聞いてやらないことには、峨山の血圧が心配だ。
「近頃っ! 守衛隊の風紀の乱れが著しくひどくなっておる! はっきりいってそれもこれも全部みんな全て! おまえがそういう軽い格好でうろつくからだ! 守衛隊長として全員の規範となるよう! 正規の隊服を着用しろ! 分かったら返事は!?」
「……それだけか? そのわりには、おまえが何か話しはじめてからもうだいぶ時が……」
「丁寧に説明してやった時に聞かなんだのは何処のどいつだ!?」
「……ここの、俺か?」
「大っ、正っ、解っ! 二度も三度も繰り返すか!」
「まあ……それは分かるが、短く済ませられることなら、最初からそうしたほうが良かったんじゃないか? それにしても、たったそれだけのことをどうすれば十倍近くも長くできるんだ? 聞き逃して損した気分だ。峨山。もう一度聞かせてくれないか?」
「もういいッ!!」
 また思いっきりデスクを叩いて、峨山は大股に出て行った。
 相変わらず無駄に熱い奴だ。
 それにしても、なんであんなに怒るんだろう……。

 制服か。
 固いし生地は重いし。
 嫌いなんだがな。
 それに、格好だけ整えたところで実力がなければ意味はない。
 たしかに俺の率いる守衛隊は、他の二隊に比べていくらかは解放的な雰囲気があるかもしれんが、いざ事に当たる時には決して手は抜かない。
 形をそろえれば、それで士気が上がり統制がとれるわけでもないし、少しも楽しくないのに。
 風紀がどうのと言うなら、制服のまま歓楽街に繰り出す焔紅と、その配下のほうが問題があると思うんだが。
 問題はそういった服装の乱れが、そのまま個々の気の緩みにつながらないかどうか、のはずだ。
 それなら、明日あたりにでもあらためて勧告しておけば事足りる。
 個々の責任において、帝都内で行動するにあたり許諾されると思う範囲の格好をすることと、そのことに関わらず忠勤すること、それに反した場合には、他隊より重い罰を下すこと。
 緩めるところがあり、締めるところがあるから、背筋ものびると俺は思うんだが、峨山としては立場上、小言を言わねばならないのだろう。
 だからといって、あんなに怒鳴らなくても良かろうに、それが不思議だ。

 そんなものより、俺にはあの子の首輪のほうが重大だ。
 だが、まだちゃんとうちにいるだろうか。
 元の飼い主が恋しくなって、出て行ってしまった、なんてこともあるかもしれない。
 大事にされていたことが分かる。
 あの顔の傷はたぶん、その飼い主がつけたものではないのだろう。
 それが分かるくらい、あの子が主を慕っていることが分かる。
 それで何故家出してきてしまったのかは謎だ。
 すごく淋しそうにも見えるのに。
 俺が抱いてやるだけで、あんなに安心した顔をする。
 前の主は、大事にはしていても、あの子を抱いたりはしなかったんだろうか。
 綺麗な黒い毛並み。
 綺麗な金色の目。
 まだ幼いせいか模様は朧だが、いずれあれがはっきりと形になれば、褐色の肌によく映えるだろう。
 俺はまだ、あの子の名前も聞いていないし、俺の名も名乗っていない。
 帰ったら、まだいたら、首輪をつけてやって、それから名前を聞いて、俺の名前を教えなければ。

 もうどれくらい、本当の名前を呼ばれていないだろう。
 「雷嵐」というのは、役職に与えられた記号だ。
 帝都の防衛を司る守衛隊の隊長の名が、俺の持つ「雷嵐」。
 帝都の治安を維持する目的で巡察を行う警邏隊の隊長が「焔紅」。
 皇帝とその周辺の貴人をお守りする近衛隊の隊長、「氷流」。
 そして皇帝の差配のもと、実際の執政にあたる内府の執官支配、「峨山」。
 この四つの名は、役職名でもあり、我々の名前そのものでもある。
 そして、こうして仕事に来ているかぎり、全ての者がその名で我々を呼ぶ。
 困ったことに、町に出てもそれは変わりない。
 どころか、この「雷嵐」という名そのものがある程度の敬称であるにも関わらず、都民たちはこれに更に「様」をつける。
 俺の本当の名を呼ぶのなど、もう誰もいない。
 一昨年、私邸にいれば何かと世話を焼いてくれた執事が他界して以来、もう誰も。
 先代・雷嵐として忙しかった実の父に代わり、俺を育ててくれた父のようであり、厳しい教師であり、信頼のできる相談役でもあったが……。
 俺が雷嵐を継いでもなお、ただ一人、俺を本当の名で呼んでくれていたのに。
 だから、あの子には本当の名を教える。
 その名で呼ばせる。

 ちゃんとうちにいてくれるだろうか。
 いるのはいいが、一人で目が覚めて淋しがってはいないだろうか。
 淋しいせいで、前の主が恋しくなってはいないだろうか。
 早く、帰らなければ。

 高ければいいというわけではない。
 その代わり、質が良く本当にいい品で、色も素材も気に入れば、どんなに高くても構わない。
 大した散財になってしまったが、これだという品を見つけて、俺は、それが無駄にならないことだけを祈りながら、竜馬を走らせて屋敷に戻った。
 戦がなくなって久しく、俺のこの愛馬ディーガントも、たったこれだけ走った程度で、疲れてしまったようだ。今度、遠乗りにでも出て鍛えなおしたほうがいい。
 厩舎にディーガントをつないで飼葉を与えてやり、俺はそのまま、勝手口から中に入った。
 ちゃんと、まだいてくれているだろうか。
 そっと、あの子を入れておいた部屋を覗く。
 ……ああ、いた。
「あ……」
「良かった。ちゃんといたんだな」
 いなくなっているんじゃないかと、どれだけ思ったか。
 ベッドの上で所在なげにしている子を、抱き上げて膝の上に置き、腰掛ける。
「ほら。新しい首輪だ」
 包ませるのも面倒で、そのまま腕にかけてきてしまった。
 思ったとおり、よく似合う。
 少し大きいが、すぐにちょうど良くなるだろう。
「どうだ?」
「どう、って……」
「気に入らないか?」
「分からない」
「じゃあ、苦しくないか?」
「うん」
 それなら、いい。
「おまえ、名前は?」
「ナマエ。……オミト」
「オミトか。オミト……。いい名前だな」
「そう、なのか?」
「ああ。呼ぶのが楽しみな名前だ」
「ナマエに、楽しいとか楽しくないとか、あるのか?」
 不思議そうに首を傾げる。
 可愛い。
「あるんだ。おまえにはまだ少し難しいかもしれないが、なんとなくな。人によっても違うだろうが、なんとなく、いいと思う名前がある」
「ふーん……。アンタの名前は?」
 いい名前なのか、と問いたげな、声音。
「センクウ。父が、……すごく忙しい人だったんだが、徹夜で考えてくれたそうだ。昔の言葉で、光の疾る空、という意味がある」
「ヒカリのはしるソラ? ……? どんな空?」
「たとえば、雷とか。それとも、晴れた日にでも、時々何かが空をよぎったりすると、一瞬だけ眩しいことがあるのを知らないか?」
 俺が言うと、何かを思い出すように目を上に向けていたが、こくんと頷いた。
「それ、いい名前なのか?」
「そうだな。すごくいい名前、とは言えんのかもしれんが、俺は好きだ」
「じゃあ、オレも好き」

 俺も好き、か―――。
 俺も、もっと好きになりそうだ。
 おまえが笑ってくれたから。
 そして、ずっとここにいて、何度も呼んでくれるなら。
 俺のものになった印。
 けれどこんな首輪一つ、いつだって外せる。
 だから、何度も名前を呼んで、忘れられない名前にして、心に刻み付けて。
 そのことが、本当に俺がおまえの、おまえが俺の。
 なくせないものになったという印になるから。
 少しずつ少しずつ。
 痛みのない烙印を、少しずつ。
 心に捺そう。
「オミト」
「……センクー」

 

(end)