宿敵とかなんだとか、何故そんなものがあって、何故そんなものの討伐に駆り出されなければならないのかは不明だが、その日、三号生一同は深い山奥にいた。 久々の遠征のせいか、どうも思うように進軍できない。 なんとか敵の本拠地を見つけたまではいいが、思いがけずしっかりとした警備体制の砦で、攻め難い。 「なんとか内部を探れれば良いのだがな」 本陣の奥で、邪鬼はむっつりと腕を組んでいる。
傍らには影慶がいるのみで、他の死天王たちはそれぞれに東、南、西に分かれた部隊の指揮に当たっているはずだ。 邪鬼の呟きを受けて、影慶は何故かあたりを見回す。 「どうした」 「いえ。『奴』がいてはまずいことですので」 「『奴』?」 スパイか何かなら「奴」とは言うまい。 誰のことかと問うが、影慶は答えず、そのかわり、 「妙……案ならば、あるのですが」 いくらか申し訳なさそうに言った。 とりあえず、名案ではない妙案……それも妙な案のようだが、聞いてみるほうがいいかもしれない。 邪鬼は視線で先を促す。 「その……いくら警備が厳しくとも、猫の子一匹入り込む隙間もない、というほどではないように見受けますので」 「それはそうだろう。そんなものは喩えに過ぎん」 「……ミニ化してください」 「はあっ!?」 「いえ、その、ですから、小さくなれば忍び込むのも容易だと……」 「影慶……。この俺に、スパイに行けと?」 大将が密偵として潜り込む組織など、聞いたこともない。 たしかに妙な案である。 だが、身を縮める影慶を前に、邪鬼はふと、その奇抜な案は意外に有効なのではないか、とトチ狂ったことを考えた。
「……ふむ。やってみるか」 「じゃ、邪鬼様!」 言い渋ったのは、やはり邪鬼の立場というものを考えてのことで、影慶はこんな馬鹿げた提案など、一笑されて終わりだと思っていたのだ。 慌てて止めようとするが、その時には邪鬼は、例の禁じ手を行使する構えに入っていた。 「邪鬼様……! お、お待ちを……」 「大豪院流、如意身術!」 その瞬間。 「邪鬼様! 敵襲です!!」 羅刹がものすごい勢いで飛び込んできた。
「……えーいっ、またベストタイミングでひとをおどろかせおってからに!」 小さくなった邪鬼が怒鳴る。 「な、なにをされておるんです」 羅刹は足元の生物を眺めて、頬を引きつらせている。 「ちいさくなれば、てきじんにもぐりこみやすくなるのではないかとおもってな」 「それで見つかった時にはどうされるおつもりですか」 「そんなヘマはせん。で、てきしゅうだと?」 「あ、はっ。東の斜面に配置した一隊が急襲されました。どうやらこちらの動き、勘付かれていた様子です」 羅刹は状況を掻い摘んで説明する。 しかつめらしく腕組みをして耳を傾ける邪鬼だが、二十センチ程度では威厳など欠片もないのは言うまでもない。 「ふむ。ということは、ぎゃくにいえば、もぐりこむにはいまがチャンスかもしれんな」 「それはそうかもしれませんが、邪鬼様」 羅刹が困った顔をする。 「ここから敵本陣まで、だいぶ距離がありますぞ? そのお姿では、行くまでが一苦労では?」 「あ゛」 「……お考えになられなかったのですか」 呆れて、羅刹は手の中に顔を埋めた。
「しかたない。いちどもとにもどってから、あるていどちかづいたところでもういっかいやるか」 前向きに対処する邪鬼である。 慌てて取りやめることは、プライドが許さない。 一度「こうする」と決めたことを変えるのは、「こうする」と判断した己の間違いを認めることになるからだ。 意地でもミニでスパイする気になってしまった困った大将に、羅刹は呆れ果て、影慶は事の発端が自分だとは絶対に言うまいと決めた。 「せーの、だいごういんりゅう、にょいしんじゅつっ! ……って、やっぱりもとにもどらんのだな。まさにベストタイミング」 じろりと睨み上げられて、一応羅刹は詫びておいた。 ということは、いったん巨大化してから、元に戻る他ない。 半月ほど前の一件で、この状態からでも七メートルにまで巨大化できることが判明したのである。 それから元の人類サイズに戻ることができるため、とりあえず人並みに近い体格でこれまで過ごしていた邪鬼である。 「しかたない」 と、邪鬼は巨大化のベクトルに氣を集め始めた。
「だいごういんりゅう、にょ……」 「小さくなると脳も乏しくなるんですか」 言いかけた時、いきなり裏手のほうから声が割り込んできた。 ぎょっとして邪鬼は慌てて氣を止める。 本陣の背後は断崖絶壁だ。 逃げるには不利な地形だが、逃げるつもりがなければ、背後から攻められる心配がない有利な地形でもある。 ということは、その絶壁を登ってきてしまったことになるのだが、現れたのは汗一つかいていない、センクウだった。 この男に、小さくなった邪鬼を見つけられるのは、絶対に回避したかった。何をされるか分からないからだ。 影慶は最悪の事態を予感する。 「そんなところからあらわれるとは、いったいなにをしてたんだ」 「珍しいものを見つけたんで、取りに行っていただけですよ」 そう言うセンクウの手には、青い花があった。 そんなもののために、落ちれば即死間違いないという断崖に挑もうという気がしれない。 というか、その間、自分の隊を放っておいたことを責めるべきなのかもしれないが、どうせ涼しい顔で流されるに決まっている。 言うだけ時間の無駄だ。 そして、言えばまた脱力させられるような会話をさせられることも明白だから、体力と気力の無駄でもある。
「センクウ。邪鬼様に対してそのようなことを言うとは、けしからんぞ」 とりあえずそういった責任問題に触れることは諦めて、羅刹が渋い顔をする。 「あのな、おまえらも気付いたらどうだ。どうやらまた手順外でミニ化してるらしいが、ということは、巨大化するしかない。こんなところであんなのになったら、一発で見つかるぞ。総力戦になるとこっちの分が悪いことくらい知ってるんだろう。そのためにこそこそと隠密行動起こそうとしてるんじゃないのか?」 「う」 そのとおりだった。 ということは、この一件が片付くまで、邪鬼は元に戻れない、ということである。 「まったく、これだからその場の思いつきで行動する短絡思考型は」 言いたい放題言われても、反論ができないのが悔しかった。
「……しかたない。じかんはかかるが、このままいくか」 その作戦をやめればいいのにやはり信念は曲げず、邪鬼はしぶしぶと出て行こうとする。 それをセンクウが摘み上げた。 「なにをするっ」 「どうせなら、俺が敵陣にまで送って差し上げますよ」 「なに? って、あ、そうか。ちかくまでつれていってもらえばいいのか」 「まあ、そうなんですがね。一応、俺の部隊は交戦中のようですし、人死にが出るのは気分が悪いんで、行ってやらないと」 「交戦中……って東の隊はおまえの配下じゃないか!! お、おま、おまえ! 指揮官が抜けるから襲撃を受けることにッ!!」 影慶がセンクウのマントの襟元を掴み上げて怒鳴る。 唾を吐きかけるな、と言いたげに顔をしかめて、センクウはその手を掴んで放させた。 「俺が抜けたことに気付いて仕掛けてきたとは限らんだろう。現在確認できる事実は、襲撃を受けて応戦しているその場に俺がいない、ということだけだ」 「冷静に反論している場合か! こんなところで油売ってないで、とっとと行ってやらんか!!」 羅刹が脇から怒鳴る。 「邪鬼様のことは我等に任せて、さっさと行け!」 影慶が、センクウの手から邪鬼を奪い取ろうとした。
だが、それをすいとかわして、相変わらずまったく冷静にセンクウが言う。 「相手から仕掛けてきたということは、布陣を把握した上でのことと見て間違いない。攻められるのを待つより、攻めて追い散らしたほうがいいと判断できる程度には、こちらの動向を掴んでいるというわけだ。ということは、そろそろ他の部隊も襲撃を受けるとは思わんか?」 真面目な顔をして言われると、返す言葉がなかった。 なんだかんだで、いついかなる事態でもこの調子で化け物じみて冷静なこの男は、三号生全体にとって、頼りになる軍師でもあるのだ。 「つまり、こんなところで遊んでないで、とっとと現場指揮に戻らなきゃならんのは、俺だけじゃない。ということは、他の誰かが敵陣近くまで邪鬼様を連れて行く時間もない。が、攻勢に出た相手の陣がこの瞬間、手薄になっていることもまた事実。……と、いうわけでですね」 急ににこやかに、センクウは手の中の邪鬼を見下ろして笑った。 「速攻で送って差し上げますんで、内部を探って、邪鬼様お一人で片付けられると判断したら、どうぞ、元に戻るなんてケチなことは言わずに、巨大化して暴れてください」 「お、おい?」 何か途轍もなく嫌な予感がした。 センクウはすたすたと陣幕から出ると、敵地の見下ろせる位置にまで行く。 影慶と羅刹は、引き止めようか、それとも何をするのか確認してからのほうがいいのか、迷いながら追った。 「いきますよ?」 「い、いきますよって、なにするきだ?」
「投げます」
「!? なっ、なげるぅッ!?」 「こら待てそこのセンクウッ!!」 邪鬼の驚愕も羅刹の叫びも虚しく、センクウは円盤投げの要領で回転して勢いをつけると、思いっきり力任せに邪鬼をぶん投げていた。 「このおにっ、あくまっ、ひとでなしぃ―――……ッ」 遠ざかっていく邪鬼の悲鳴。 そして何事でもないかのように、 「じゃ、お互い無事を祈ろうか」 センクウはさわやかな風のように去っていった。
それから一時間ほどした後、某ウル○ラマ○状態に巨大化した邪鬼が、鬱憤を晴らすかのごとく、ものすごい形相で目に涙を溜めて暴れまくる光景が、見られたとか、見られなかったとか。 ともあれ、これにて一件落着。
(おしまひ) |