「セ――ンク――ウ。このざまでいっしょうすごせ、と?」 どんよりと陰気かつ剣呑な気配を背負って、邪鬼がセンクウを睨み上げる。 「俺が一生面倒見てさしあげても構いませんが」 「こーのたわけものっ!! これでもくらえぃ!!」 ぶん、と腕を振り回して、とるのは真空殲風衝の構え。 しかし。 放たれた真空の渦は、ぺしっと叩かれて散った。
蝿よりも呆気ない。 「くっ」 己の無力を知って、邪気はその場に両手をついて項垂れた。 「ああっ、邪鬼様! この影慶が必ず元に戻る方法を見つけ出して差し上げますから!」 「おお、えいけい。たのんだぞっ」 「はっ、おまかせください」 しっかと見詰め合う二人。 卍丸はその珍妙な光景にいささか呆れ顔になっている。 「まあ、俺も探してはみますけど、アテにはせんでくださいよ」 あまり本気で探す気はなさそうな卍丸、それだけ言って立ち上がった。 「では私は、図書館ででも少し調べてみます。それから塾長と、王大人にも当たってみましょう」 さすが羅刹、非常識を常識にしてくれそうな二人に相談するというのは、賢い選択である。 影慶は、一人不満そうなセンクウを睨む。 「おまえも探せ」 「……このままのほうが可愛いんだがな」 「男塾総代が可愛くてどうする!」 「いいじゃないか。塾のマスコットということで」 「いいわけあるか! つべこべいっとらんで、おまえもさがせっ」 「邪鬼様。それで怒鳴られても迫力ありませんが」 「やかましい!」 「可愛いなぁ」 くすくすと笑いながら、ミニ邪鬼の頭を指で撫でる。これではどう言ったところで元に戻る方法を探すのに、協力しそうではない。 「この……もうおこったぞっ! えいけい!」 「はっ。代わりに私が戦(や)りますか?」 「うむっ」 問答無用で頷く邪鬼。 自分の問題で他人の手を借りるのは本意ではないが、この際そんなことにこだわっていては、永遠にこのままかもしれないとあっては、見栄もプライドもなかった。
「センクウ。覚悟はいいか?」 「本気か? ……仕方ない。分かりました。俺も探してはみます」 「もうおそいわ! だいたいおまえ、そういいながらぜっっったいになにもせんだろう!?」 「まあ、そうでしょうね」 「えいけい! やってしまえ!!」 GO、とミニ邪鬼にけしかけられて、影慶が前に出た。 「影慶。俺は無駄な争い事は嫌いなんだが?」 「だったらおとなしくしていろ。別に命までとるつもりはない」 「痛いのは嫌だから、応戦させてもらう。しかし、となるとこの部屋くらいは破壊されるだろう? いいのか?」 「ふっ。部屋の一つや二つ、邪鬼様の危急の前では取るに足りん」 忠義の塊というより、危険な信仰レベルだが、邪鬼は満足そうに頷いている。 「ふぅ。仕方ない。それなら、俺も本気を出そうか」 面倒くさそうに頭を掻いて、センクウに急に、挑戦的な笑みを見せた。
影慶はぎくりとする。 無骨で古めかしい部屋の中に、鉢植えの花のみならず、リボンつきのぬいぐるみまで並べてレースのカーテンをつけるような得体の知れない男だが、そんなものは彼の一面でしかない、という気もする。 何かはかりしれないダークサイドがあるような、なんとない不気味さがあるのだ。 油断ならん、と影慶は全神経を研ぎ澄まし、集中する。 きらりと、センクウの手に細い光が揺れた。 本気、と言うだけあって、鋼線を繰り出す気でいるらしい。 これは少々厄介な技だ。 この広くもない部屋の中で放たれると、かわしようがない。 翳された右手の指先から、ゆらーりと四筋の鋼線がセンクウの前に揺れる。これが飛ばされてしまえば、いかに影慶といえど分が悪い。 (先手必勝か) 「影慶。一途なのはおまえの長所だが、短所でもあるぞ」 突然、センクウが言った。
「なに?」 「競争馬と一緒で、目の前のものしか見えなくなる。だから、こうなる」 ゆらゆらと、揺れる糸。 「うわわっ」 見当違いな場所から、邪鬼の悲鳴が聞こえた。 「邪鬼様!?」 いつの間にか邪鬼は、天井近くにまで浮き上がっていた。 目を凝らせば、細い糸に足をからめられ、吊り上げられているのが分かる。 その糸はセンクウの、四本の鋼糸を見せるのとは逆の手につながっていた。 「ディーノ直伝だ。まあ、手品の基本だな。何かに注意を集めている隙に、肝心な仕掛けを施すのは」 センクウがにっこりと笑って軽く手を振ると、邪鬼はくるくると回りながら飛ばされて、すとんとセンクウの手に落ちた。
「で、影慶。俺と戦るんだろう?」 「くっ……」 人質をとられてしまっては、戦いづらい。 まさかセンクウに邪鬼を本気で盾にする気はあるまいが、もし自分が傷つけたら、と思うと、影慶は実力の百分の一も出せなくなる。 「卑怯な!」 「戦法なんてものは、えてして卑怯なものさ」 さらりと言われてしまうと、返す言葉がない。 しかしこのまま何もせずにいては、邪鬼は生涯をミニチュアのまま過ごすしかないのである。 (それだけは、なんとしてもっ) センクウを睨みつけたまま、こめかみに青筋を立てて考える影慶。 血の昇った頭は、やがて危険な思想へと、辿り着いたのだった。
「邪鬼様」 悲壮なほど暗い目で、影慶が邪鬼を見る。 「な、なんだ?」 「よく、生き恥をさらすよりは、といいます。このまま一生涯をそのような憐れなお姿で過ごさせるくらいならば、この影慶、鬼にもなりましょう」 「え、えいけい?」 「死んでください」
「なに―――――っ!?」 「この影慶、頭を丸めて生涯を貴方様の菩提を弔って生きてゆきましょう。立派な墓を建てて、決して花は欠かさないとお約束いたしましょう。よって邪鬼様。―――ご覚悟!」 言うなり、影慶は右手の手袋を、放り捨てた。
「ぎゃーっ! よけろセンクウ!!」 「言われなくても避けますよ。俺も死にたくないんですから」 毒手を振りかざして飛び込んできた影慶を飛び越えてかわし、センクウは手に出していた鋼線を部屋の四方へと張る。 だがキレた影慶は自分の身が傷つくことなど恐れはしないし、むしろここで邪鬼を殺して己も死ぬもいいかと危険思想モードに突入しているため、全く意味をなさない。 肩が削がれるのも構わずにかいくぐり、センクウのマントを切り裂く。 「影慶! おまえ俺まで殺す気か?」 「当然だ。貴様のような不忠義者、諸共に地獄に送ってくれる」 「センクウ! あやまれっ! どげざでもなんでもしてあやまるんだっ!!」 「それはお断りします。俺の美学に合いませんから」 「そんなこといってるばあいか―――っ!!」 ぬいぐるみやレースカーテンの何処に美学があるか、というツッコミは、している暇がない。
久々にヌンチャクまで取り出すあたり、影慶のキレっぷりが分かる。 「おお、小道具その一! まだ持ってたのか、それ」 「あおるなこのたわけ―――っ!!」 「うわたーっ!!」 「おおっ! それも久々に聞いた!」 攻めてくる影慶を、意外に余裕でかわしているあたり、俊敏さにおいてはさすがに死天王一と言われるセンクウである。 どうやら攻め手に欠けるために、強いと思われないだけらしい。 鬼気迫る影慶は、とうとう恟透翼まで取り出してくる。 無論、狭い室内で使える得物ではないが、そのことに頭が回らなくなっているらしい。 無闇に投げられるブーメランをかわし、壁に当たって割れる涼やかな音色を聞きながら、ふとセンクウが言う。 「あとは翔霍の時に使った変な刃物だな」 言われて答えるように、特に名はないらしいそれを、影慶は取り出した。 「何処に持ってるんだ、いったい。という以前に、おい、作者、今はいつなんだ? 邪鬼様が生きているということは……」 「くだらんこといっとらんで、さっさとなんとかしろ〜っ!!」 あまり緊迫感のないセンクウに、邪鬼が怒鳴った。 「他力本願な邪鬼様も、なかなかいいかもしれませんね。俺が一生お守りしてさしあげても構いませんよ、本当に」 「してさしあげていらんわッ!!」 (ぐあああ、なんでおれのぶかは、みんなこんなんだ……) こんな二人と一緒にされては、卍丸と羅刹が気分を害するに違いない。
やがて騒ぎを聞きつけた羅刹と卍丸が駆けつけてきたが、もうその頃には、影慶の暴走は止めようがなくなっていた。 触れれば命に関わる毒手を、狭いところで振り回されてはたまったものではない。 「貴様等もお供するがいいわ!」 と羅刹たちにも飛び掛っていくから、戻ってきた二人にしてみればとんでもない災難である。 さすがにこうなっては、無関係を信じる二人は、会議室の外に逃げるしかない。 卍丸と羅刹はタイミングを合わせて飛び出して、廊下に転がり出るとドアを閉めた。 「こらーっ! この、はくじょうもの―――ッ!!」 さんざん怒鳴りっばなしで、喉が痛くなってくる邪鬼である。 「勘弁してくださいよ。こんなの外に出しちゃ、被害が増えるじゃないですか。俺としては、被害を最小限に食い止めるのが最善かと」 「まんじまるッ!! きさまはおれに『さいしょうげんのひがい』になれというのかッ!!」 「雨に濡れたくないってだけでそんな妙な技使ったバチだと思って、潔く諦めて観念してくださいや」 (つめたっ) そうして中では、また果てしなく攻防が続く。
目を血走らせた影慶は、なかなかセンクウをとらえることができず、不気味な呼吸音を発しはじめている。 「こうなったら、最終奥義、使わせてもらうぞ……」 地獄の底もあれほど暗くはあるまいという影慶の目に、邪鬼は真っ青になった。 毒手自体が最終奥義でもあったが、その毒手を極めて生き延びたもののみが使える真の奥義について、影慶の口から聞いたことがある。 男塾のメンツの中では今更だが、血を霧状にして噴出させるのだ。 ただし、その血が毒を含んでいるから、吸いこめば死に至る。 「にげろセンクウ!」 ドアでも窓でもぶち破って、広いところに逃げるしかない。 だが、それをセンクウはあっさりと断った。 「仕方ない。こんな馬鹿げたことで、本気で命の取り合いすることこそ馬鹿げているしな」 やれやれ、とセンクウは一つ息をついて緊張を解き、 「おい、影慶」 呼んで、のたまう。
「元に戻す方法、教えてやろうか」
しーん。 「……は?」 なんと言ったのか、と邪鬼が聞き返す。 「元に戻るくらい、簡単ですよ」 「ぬぁんだと―――ぅッ!?」 修羅場の果てにあっさりと言われたその一言に、邪鬼と影慶の声がぴたりと重なった。 「な、きっ、きさまっ! さいしょからわかっててっ!? それでしらばっくれてたのかっ!?」 「まさか本当に誰も気付いていないとは思ってませんでしたよ。てっきり、羅刹あたりは真面目な顔して、成り行き楽しもうとしてるんだとばっかり」 「俺はそこまで人でなしではないぞ! おまえと一緒にするな!」 「あ、ひどいな、それは。しくしく」 「馬鹿、センクウ! ふざけてねえでさっさと教えねえと、またキレやがるぞ!」 卍丸の切羽詰った声がして、 「どうして誰も気付かないんですかね、こんな簡単なことに」 呆れたように、そしてミニ邪鬼を諦める不満さの混じった様子で、センクウは倒れている椅子を起こし、腰掛けた。 「つまり、小さくなって力は失せても、それまでどおりに『氣』は使えるからこそ、戻ることができるんでしょう? で、一定の手順を踏んで小さくなって、また特定の手順を踏んで元に戻るわけでしょう。今回は、その最初の手順が狂っているから、いつもの手順では元に戻れない、と。だったら、その状態からまずは巨大化して、それから元に戻ればいいじゃありませんか。それとも、ミニサイズからいきなり巨大化はできないんですか?」 …………………。 「あ―――――――――――――ッッ!!!!!」
「ミニから巨大化ということで、比率からして、そのまま元のサイズに戻るかもしれませんけどね」 それだけ言って、センクウは、羅刹たちによって封印されているドアからではなく、窓から外に出て行ってしまった。 もちろん、逃げるためである。 元のサイズに戻った邪鬼が、報復に出るのは目に見えている。 賢いセンクウは、さっさととっておきの避難場所、塾長室へと逃げ込むのであった。
(おっしまい♪) |