みにみにぱにっく

 それは物凄い雨の日だった。
 叩きつける大粒の雨は、アスファルトに穴をあけるのではないか、という勢いだった。
 何故かこういう日にかぎって、塾長に用を言いつけられて出かけていたのは、三号生筆頭・大豪院邪鬼と、彼の右腕・影慶の二人。
 無論、彼等がじきじきに出向くほどの用事であるから、それは筆舌に尽くしがたい内容で、だから記しようがないので書かない。手抜きではない。
 とにかく、大事な大事な用事で出かけていた帰り、いきなりこの滝のような凄まじい豪雨に見舞われたのである。

「邪鬼様」
「うむ?」
「傘でも買いましょうか?」
「無駄だろう」
「ですが酸性雨の心配もありますし」
「傘をさしたところで、百メートルも歩かずに骨が折れるぞ」
「はあ。しかし……」
 はっきり言って、痛いのである。
 叩きつける雨は痛みを伴うほどで、影慶としては、自分はともかくせめて邪鬼だけでも避難させたかった。
 手近なところで雨宿りすればいいのだが、邪鬼がそれを言い出さないので、影慶にはどうしようもない。長い付き合いで、その理由についてはなんとなく分かっている。
 雨宿り、というのは「雨から逃げる」ということで、この困り者の帝王は、それが許せないに違いないのである。
 そんな細かいところで見栄だか意地だかは知らないが、張ることなどなかろうに、と思っても言えない影慶。
 だが、やがて「その時」はきた。

 道を走り抜けたトラックが、車道を浸しにかかっている大量の雨水を、思いっきり容赦なく遠慮なく、蹴立てていったのである。
 あっ、と思った時にはもう遅く、邪鬼は頭から泥水をかぶっていた。
 あろうことか、車道側にいたのは邪鬼で、その陰に入っていた影慶は、せいぜい袖を汚されたくらいである。
 立ち止まった邪鬼の拳が震える。
「も、申し訳ありません」
「おまえが謝ることではないが……」
「いえ。私が車道側を歩くべきでした」
「そうしたところで、体格差の分、俺にもかかっていたことは間違いない」
 もっともである。
 二メートルを越えるという大男に比べれば、百九十に満たない影慶のほうが小さい。
「こうなったら」
 と、邪鬼が歩道の真中で、妙な構えをとった。
 まさかさっきのトラックに殲風衝でもかます気かと、影慶が青褪める。
「大豪院流!」
「邪鬼様! はやまっては……っ!!」
「如意身術!!」
 邪鬼の身に一気に氣が集まる。
 途端。
 またしてもトラックが走り去っていった……。

 邪鬼のほうを向いていた影慶は真正面から、今度こそ水をかぶる。
 強く頭を振って水を飛ばし、目を開けると、そこに邪鬼はいなかった。
「邪鬼様? 邪鬼様、何処に……?」
 見回すが、何処にもいない。
 何かする気のようだったが、それでこの場からいなくなったのだろうか。
「はっ。まさかトラックに追いついて破壊しようとか!?」
「そんなわけがあるか、このたわけ!」
「あっ、邪鬼様、何処においでなのですか!?」
「ここだ、ここ。したをみろ」
「下?」
 下。
 影慶は素直に下を向く。
 するとそこに、ちんまりとした生き物がいて、彼を見上げていた。
「だいごういんりゅう、きんじてのひとつだ」
 ふっ、と自慢げに腕を組むのは、ミニチュアの邪鬼だった。

 ミニチュアといっても、実物をそのまま縮小したのではなくて、妙に頭でっかちになっている。
「じゃ、邪鬼様、ですか?」
 影慶はなんとか冷静さをたもちながら、その場に屈みこむ。
「巨大化できるのは存じておりましたが……」
「きょだいかしかできんわけではない」
「は、はあ」
 いや、普通の人間は巨大化もできないんだが、と思ったが、そもそも常識の通じる相手ではない。
「さ、これでいい。あとはおまえのふところにでもいれてくれ」
 言うだけ言って、邪鬼は自分でひょいと飛び上がって影慶の襟につかまり、上着の裏ポケットにおさまった。
 こうして邪鬼はこれ以上濡れることもなく、影慶だけはずぶ濡れで、無事に男塾まで帰りついたのだった。
 しかしここに、思いも寄らぬ誤算があろうとは、邪鬼自身、思ってもいなかったのである……。

 ようやく弱くなってきた雨脚に、「今更遅い」と胸の中で文句を言いつつ、影慶は三号生宿舎に入った。
「影慶殿、災難でしたな」
 同輩が一人、彼に気付くや否やすぐさまタオルをとって差し出してくれた。
 玄関先でざっと水気を拭いて上着を脱ぎ、水の滴り落ちるそれに、影慶は顔をしかめる。
 これでは、搾ればバケツ半分くらいは水が溜まりそうだ。
 と思って、本当に搾ってしまった。
「ぅぎゅ〜〜」
「はっ!!」
 気付いた時には渾身の力でひねってしまった後で、慌てて手を緩めたがもう遅い。
「あああああっ、邪鬼様ぁっ!!」
「ええい、このうっかりものがーっ!」

ぽくっ。

「『ぽく』?」
「しまった。さすがにちいさくなると、ちからもよわくなるのだ」
 殴られたらしい胸を見下ろして、影慶は脱力感を覚えた。
「邪鬼様、もう元に戻ってください。このままではいずれ踏まれますよ」
「うむ」
 点目の同輩に構わずに、影慶は邪鬼を床に下ろす。
 そして邪鬼は再びあの構えをとった。
「だいごういんりゅう、にょいしんじゅつっ!」

………。

「……あの、邪鬼様。早くお戻りにならないと」
「う、うむ。せーの、にょいしんじつっ」

………。

「邪鬼様」
「おかしいな。こうやって……、にょいしゅんじゅちゅっ!」

………。

「微妙に呂律が回ってないからではありませんか?」
「かけごえはタイミングをとるためのものだぞ。かんじんなのは『き』なのだ。こうやって……このへんにあつめて、それで……にょいしゅんにゅッ!! ……うぅ、ひたかんら……」
「邪鬼様……」
 呆れるやら情けないやら、影慶は力と一緒に魂まで抜けそうになって、その場に座り込んだ。
「うー、おかひいな。ひいさくなるときは、こうでこうだから、もとにもどるときは、こうしてこうなんだが……って、ああああっ!!」
「どうしました?」
「あのとき、またみずぶっかけられて、いっしゅんおどろいたせいで、いつもとちがうようになっているのかもしれん!」
「ということは?」
「いつもどおりのやりかたでは、もとにもどれんということだ!」
「ええ!? と、いうことは……まさか、このままですか!?」
「う、うむ……。そういうことも、ありうる」
「そんな!」
 大豪院邪鬼、残る生涯をミニチュアで過ごすはめになるかもしれないというのである。
「なんとかならないんですか!?」
「うーむ……。タイミングよくもういちどみずをかけられれば、それでうまくいくかもしれんが……」
「うまくいかなかったら?」
「なにがおこるかわからん」
 さすが禁じ手、やばすぎる技である。
「そんな……。とにかく、他の者の知恵を借りましょう。根本的な原理が氣なら、その使い方次第では元に戻る方法もあるかもしれません」
 どんなに情けない事態であろうと、一大事には違いない。
 影慶は真面目な顔つきで邪鬼を拾い上げると、そのまま、死天王に召集をかけたのだった。

 会議室では、テーブルの四辺をそれぞれに死天王たちが占め、真ん中にちょこんと邪鬼がふんぞり返っていた。
 いきなり「ミニチュア邪鬼」などというけったいなものを見せられて、卍丸もセンクウも羅刹も、呆気にとられて固まっている。
 やがて、
「そもそも、小さくなって影慶を傘がわりにしようとしたこと自体、褒められたものではありませんぞ」
 羅刹が渋りきって諫言する。
「いや。俺は邪鬼様が濡れておられるのを見過ごすほうが落ち着かんのだ。今はそのことではなくて、とにかく、なんとかいい案を出してはくれんか」
「まあそりゃあ……こんなのが男塾の帝王ってんじゃカッコつかねえからなぁ」
「まんじまるっ! こんなのとはなんだ、こんなのとは!」
「怒らんでくださいよ。言葉の綾ってやつです。しっかし、そういう特殊な氣の使用方法じゃ、俺には分からねえなあ」
「それを言えば俺も同じだ。戦うため以外の氣の使い方など。ましてや人体が無造作に大きくなったり小さくなったりすることからして、信じがたい」
 羅刹が至極もっともなことを言う。
「センクウ。おまえもか?」
 さっきからずっと黙っているセンクウに、影慶が問う。と、
「このままでも、いいんじゃないか?」
 などという答えが返ってきた。

「何を言うか。我等が筆頭がこのような有り様で……」
 羅刹が青筋を立てる。
 しかしセンクウという男、こういうものをさらりと笑顔で受け流すところは、なかなかに侮れない。
「戻す方法など、俺にも分からんしな。無理に考えても仕方ないだろう。ある日急に戻るかもしれん」
「それは、ない」
 楽観的なセンクウの意見を、邪鬼がきっぱりと否定した。
「そのろんりでいくと、おまえたちがふだんのせいかつのなかで、いきなりきょだいかしたりすることも、ありうるんだぞ。これはかなりふくざつなじゅつだ。たまたま『き』のつかいかたがぎゃくになる、ということも、かんがえられん」
「では、一生そのままでお過ごしになるのもよろしいかと」
「センクウ! 邪鬼様に一生この姿で過ごせと!? そんなことが許されると思うのか!?」
 激昂した影慶がテーブルを叩く。
 その震動で、邪鬼が少し浮き上がった。
「可愛いから、いいじゃないか」
 それを見て楽しそうに笑いながら、センクウが言う。
 そして影慶たちは思い出した。
 こいつは可愛いもの・綺麗なものが好きだった、と。

 

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